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これが最後の恋になりますように  作者: 海坂依里
第6章「夜舞病棟が閉鎖される日」
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第8話「この世界が蒼に染まるのなら」

「…………」


 空を見上げると、薄紫の雲が漂い始めていた。

 雲一つない空はなくなってしまって、今日は恐らく綺麗な夕陽を見ることができない。それでも、淡い紫色に染まりゆく空が美しい。


(怖く……ない……)


 小さい頃から、綺麗なものが好きだったのかもしれない。

 綺麗なものに触れていれば、自分も綺麗になれるような気がしたから。

 綺麗な世界にい続ければ、私は人を殺さないで済むかもしれない。

 そんな、ぼんやりとした希望を抱き続けた。


(怖いものは……もう……)


 心を支配されるような色が苦手だった。

 自分が自分でいられなくなるんじゃないかと不安に駆られるような色から、いつも目を背けて生きてきた。でも、今日は視界に映るすべての世界を美しく思う。


「…………」


 美しいの定義や、美しいの価値観が、人それぞれ違うのは分かっている。

 けれど、こんなにも美しい世界に、雨依(うい)くんを独り置いていくのは嫌だと思った。


「はぁ……」


 息を吸って、息を吐き出す。

 それらを何回か繰り返して、心臓の音を落ち着かせていく。


「…………」


 呼吸を繰り返しても、心臓の音が激しい。

 落ち着きなさいって脳が命令を送っても、自分の心臓の音を鮮明に感じ取ってしまう。


「…………雨依くんっ!」


 私が、ここにいることに気づかれる前に。

 遠くから、声を飛ばす。

 飛ばすほどの声量もないくせに、大切な人の名前を丁寧に叫ぶ。


「そんなところに独りでいたら……」


 雨依くんのところに辿り着くまでが、遠い。

 きちんと雪が取り除けられていない場所が、こんなにも歩き辛いと思わなかった。


羽乃(はの)……」


 やっと、雨依くんの声が届く距離まで来た。

 久しぶりでもないのに、久しぶりに名前を呼んでもらえたような気がしてしまう。


羽乃架(はのか)、待っ……その靴だと、埋もれ……」


 雨依くんに名前を呼ばれると、心臓が震え出す。


「雨依くんが……」

「羽乃架……」


 雨依くんに名前を呼ばれると、心臓が痛くなる。


「雪で埋もれて……」

「羽乃……」


 雨依くんは、手を差し伸ばすだけだったかもしれない。


「雨依くんが、誰にも見つけてもらえなくなっちゃうよ?」


 歩行が困難な私を手助けするつもりで、雨依くんは私に手を差し出してくれたのかもしれない。私は差し出された手を引いて、雨依くんの体を自分に寄せた。


「二人で一緒にいれば……」


 雨依くんを、抱きしめるために。


「もう……大丈夫……」


 首に手を回して、強く雨依くんのことを抱きしめようとした。

 それらは一方的な行為になるはずだったのに、雨依くんの腕は私の身体を包み込んでくれた。


「雨依……くん……」

「羽乃架……」


 名前を呼ぶ。名前を呼ばれる。

 どちらも、心臓が痛い。

 どちらも、幸せを感じる。


「記憶……」

「少しだけ……ほんの少しだけ……」

「苦しくない? 気持ちが悪いとか、不安とか、そういう……」


 腕に力を込める。

 大丈夫だよって伝えるために、私は大切な人をしっかりと抱きしめ返す。


「ごめん……ごめん……本当に……ごめん……」


 沈んでいく太陽。

 辺り一帯が暗闇で覆われていくけれど、もう怖がらなくてもいい。

 夜の暗い色すら美しいと感じられるようになりたいと願った瞬間、視界に眩い光が映り込む。


「雨依くんの……魔法……?」

「うん……もうしばらく……夜舞病棟にいたいと思っていたから……」


 まるで小さな太陽を連想させるような輝かしい光が、いくつも雪の中から姿を現し始める。

 そして世界は、再び雪の白を取り戻していく。


「雨依くんの魔法は」


 凍った箇所が光を受けて、きらきら光って見える。

 滑るよ、危ないよって注意されてしまう場所さえも、今は自ら手を伸ばしてしまいたくなる。


「人を幸せにするための力」


 自分が生まれてきた世界が、こんなにも美しいことを知らなかった。

 世界はずっと美しかったはずなのに、過去の私は怖いと感じたものを拒んで夜舞病棟に閉じこもっていた。


「私は今、雨依くんと同じ景色を見ることができて凄く幸せ」


 そんな私を、新しい世界誘ってくれた人がいた。

 恋に落ちる相手なら、誰でも良かったはずなのに。

 運命を装う相手なら、私でなくても良かったはずなのに。

 今も昔も、私を連れ出してくれたのは雨依くんだった。


「ずっと……小さい頃からずっと……」


 声が聞こえる。


「羽乃架のことが大切で……凄く大切な存在で……」


 今まで一番近い距離で、雨依くんの声が聞こえてくる。


「ずっと好きで……羽乃架のこと……好きだったのに……」


 守ってあげられなくて、ごめん。

 そんな気持ちが痛いほど伝わってくるからこそ、私は雨依くんを抱きしめる腕に力を込める。もう、大丈夫だよって気持ちを込める。


「羽乃架のこと、やっと守ることができるようになったから……」

「迎えに来てくれて、ありがとう」


 晴れた日の、きらきらと光る雪景色に恋をした。

 でも、暗い世界の中にも光があることを雨依くんは教えてくれた。


「おかえりなさい、雨依くん」


 今度は、雨依くんに世界が美しいってことを知ってもらいたい。

 そんなの知ってるよって笑いながら返してくれたら、次は一緒に新しい世界を見に行くために旅をしたい。


「……羽乃架」

「はい」

「…………ただいま」

「うん、おかえりなさい」


 これから続いていく旅も、どうか傍にいられますように。

 これから続く旅を、一緒に歩んでいけますように。


「今度は……羽乃架の幸せを必ず守ってみせるから……」


 空の蒼が閉ざされる時刻。

 空を見上げても、空に手を伸ばしても、恋焦がれた蒼は見つからないはずだった。


「好きだ」


 片想いで終わるはずだった夢が、両想いになる瞬間。


「これから先もずっと、羽乃架のことを愛していきたい」


 届くはずのなかった蒼の空に、ようやく触れることができた。

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