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これが最後の恋になりますように  作者: 海坂依里
第6章「夜舞病棟が閉鎖される日」
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第6話「蒼に手を伸ばしたいと思ったから」

遥叶(はると)っ!」


 魔法樹の枝を離れた花びらは、命を保つことができない。

 花びらが世界から消えてしまうのは、当たり前のこと。

 魔法が終わるって、そういうことだって教わった。


「ん?」


 遥叶が振り返ってくれる。

 私の弱々しい声を、いつも聞き逃さないでくれた幼なじみとの別れの時間。


「ありがとう!」


 今度は遥叶が乗り込む列馬車に向かって、多くの花びらが贈られる。

 自分の手から離れていく花びらたちが、再び世界に蒼をもたらしていく。


「ありがとうっ!」


 冬の季節が長く続く土地では、花が命を咲かせることはできない。

 色彩のない時間を、夜舞病棟の子どもたちは長く過ごしてきた。


「私を守ってくれて……私を幸せにしてくれて……」


 けれど、今は色がある。

 色鮮やかな世界が広がっている。


「ありがとう……」


 魔法が起こしてくれた奇跡は、世界を優しく穏やかに祝福してくれた。

 夜舞(よまい)病棟の窓から外に目を向けると、ほとんどが灰色の雲で覆われる日の方が多い。

 冬という季節が長く、雪の降る日が多い土地柄、仕方がないこと。


「…………綺麗」


 でも、もうすぐで春を迎える。

 長かった冬の季節は終わりを告げ、世界は春を迎える準備を始める。


「…………」


 遥叶を見送った日の空は、雲ひとつ存在しない深い青色。

 何ひとつ穢れなく、何ひとつ混じり気のない、私の大好きな世界。


「…………」


 伸ばしたところで、憧れに手が届くはずがない。

 知っている。分かっている。

 それでも私は、青い空に手を伸ばしてみたい……。


「はぁ」


 今日は、夜舞病棟が終わる日。

 一つの魔法が物語の最期を迎える日でもあるのかもしれない。

 魔法樹の花びらが、春の訪れを予感させた。

 綺麗な花びらが舞う世界は心を温めてくれたけれど、駅から遠ざかると一気に気温が下がったように感じてしまう。

 辺り一面は真っ白な色で覆われていて、これが私のよく知った風景だと寂しさと安堵といった、相反する感情に包まれる。


(今日は……)


 手袋をしていても、どうしても指の体温が下がっていってしまう。

 指を温めるために息を吐き出すけれど、息の温かさはたかが知れている。

 そう簡単に正常な体の体温を取り戻すことができない場所こそ、私が育ってきた世界。多くの人たちに育ててもらった世界。


(夜舞病棟の終わり……)


 夜舞病棟と外の世界の繋がりを阻む門は、恐らく鍵がかけられている。

 恐らく夜舞病棟で一番偉いと思われる医院長が旅立った時点で、どう頑張ったところで敷地の中に入ることはできない。

 あくまで私は自己満足のために、夜舞病棟を訪れようとしている。


(外から、眺めるだけなら……)


 終わりを見に行くのは、怖い気もする。

 寂しい気持ちもあるけれど、怖いという気持ちが勝っている。

 だったら、自分が帰りたい場所へ帰ることが心の平和にとっては良いことかもしれない。


(けど、終わりを記憶に留めておきたい……)


 未だに解けない魔法を、解いてみたいのかもしれない。

 ただ単に、自分にとっての思い出の場所に帰りたいのかもしれない。

 恐怖心と戦いながらも、夜舞病棟を記憶に残したい本当の理由は分からない。

 でも、その分からない感情すべてが本物。


「…………」


 感情が赴くままに、私は雪道を歩く。

 雪を踏みしめるときの、ざく、ざくという音しか響かない。

 誰ともすれ違わないこともあって、私の足音だけが世界を形成していく。


「…………」


 ときどき地図を取り出した、進んでいる方向が合っているかどうか確かめる。

 地図には音緒(ねお)さんが描いてくれた励ましのイラストや、氷姫(ゆきひ)さんが進むべき方向を示すための矢印。

 灯花(ひばな)さんは何も書き込んでくれなかったけれど、私の隣で話を盛り上げてくれたことを思い出す。


「はぁ……」


 初めて一人で歩く道。

 夜舞病棟に置いて行かれる際には、母が私の隣を歩いてくれた。

 けれど、今は私の隣に誰もいない。

 私の向かう先にも、人の姿は見当たらない。


「…………」


 人に触れない。人と関わらない。新しい世界を知りたくない。

 |人を殺す可能性を持ったわたしを守るための手段は、必要なくなった。

 足跡を残している真っ白な雪道が、血の色で穢れてしまうこともない。 


「私の……幸せ……」


 血の色で染められた未来しか想像することができなかった。

 でも、今の自分には無限の可能性が用意されている。


「…………」


 無限という言葉の意味を噛み締める。

 噛み締めたところで何かが急に始まるわけではないけれど、それでも今は浮かんでくる言葉一つ一つを大切に抱きしめてあげたい。


「…………」


 夜舞病棟と、外の世界を阻んでいた門まで辿り着くことができた。

 夜舞病棟という名の物語は、今日で最後のページが捲られる。

 今日で、読み終わることがないと思ってた長編の物語は閉じられてしまう。


(おとなの足跡……)


 閉ざされた向こう側の世界に目を向けると、医院長や最後まで残っていたスタッフさんたちの足跡がまだ残されていた。

 こんなにも寒いのに、雪が一切降り積もっていないということ。こんなにも寒いのに、季節は春へと移り変わりつつあるということ。


(子どもたちの足跡だけは……もう……)


 夜舞病棟で育った子どもたち全員が旅立ったあとに、遥叶は夜舞病棟を去ることになっていた。

 数日前に幼い子どもたちを見送った私たちだけど、その子どもたちが残していった足跡を確認することはできなくなっていた。


(この門から、私は……)


 帰ることができなくなった世界に、想いを馳せてしまったのかもしれない。

 耐久性のある鉄の門に、手をかけた。

 決して開かれることのない、子どもたちを外の世界出さないための門が、いとも簡単に動かせることを知ってしまった。


「なんで……」


 門は、施錠されていない。

 夜舞病棟の敷地内に入ることができるようになっている。


「なんで…………」


 医院長か、スタッフの人が鍵をかけ忘れた?

 誰かが私のために、夜舞病棟の敷地へ入ることができるように配慮してくれた?

 そんな都合のいい展開が訪れるわけもなく、都合のいい物語が描かれていくわけがない。


雨依(うい)くん……)


 夜舞病棟の敷地内にいるのは、雨依くんだって確信した。

 何か確証があるわけでもない。

 決定的な何かを見つけたわけでもない。

 ただの勘。

 偉い学者さんたちが最も嫌っているかもしれない勘を頼って、私は夜舞病棟の敷地の中に入り込んだ。

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