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これが最後の恋になりますように  作者: 海坂依里
第6章「夜舞病棟が閉鎖される日」
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第5話「もしも自分の手で物語を終わらせることができるのなら」

雨依(うい)は元気にやっているかな」

「はい」

「雨依も羽乃架(はのか)さんも、夢中になるものがあると休むことを忘れるからね」

「……はい、すみませんでした」

「ははっ、そうか、そうか」


 夜舞(よまい)病棟は、記憶を消す魔法の効果を試す場所だった。

 医院長が、その事実を知らないわけがない。

 そうは思うけれど、こうして思い出を交えながら医院長と言葉を交わし合えることが素直に嬉しい。


「でも、その集中力は、いつか必ず夢を実現させるための大きな力になるからね」


 まだ駅に列馬車は到着していないけれど、あちこちで待ち切れない人たちが花びらを宙に撒き始める。

 風に乗った蒼の花びらは駅に彩りを添えては消え、加えては消えを繰り返していく。


「二人にはちゃんと食べて、ちゃんと睡眠時間を確保して、素晴らしい人生を築き上げてほしい」


 この言葉は、私たちだけに向けられた言葉ではない。

 夜舞病棟で育った子どもたち全員に向けられたもの。

 まるで今日は、卒業式。

 卒業式を経験したことはないけれど、そんな感慨深い想いに浸る。


「さて、お待ちの人物が到着かな」


 医院長の言葉を合図に後ろを振り向くと、そこには私が会いに来た人物が恥ずかしそうな表情を浮かべて立っていた。

 ずっと隠れていることもできたのに、遥叶(はると)は私の前に姿を現してくれた。


「夜舞病棟の近くに、こんなにも綺麗な駅があったんだね」


 医院長たちと別れ、私と遥叶は二人きりの空間に置かれる。

 私は駅に広がる蒼に目を向けながら、《《いつも通り》》に話ができるように自身の勇気を整えていく。


「青い色が一面に広がって……凄く綺麗だよな」


 空色の花びらという、曖昧な表現。

 蒼という表現は同じでも、青の濃さが私と遥叶では違って見えたかもしれない。


「何もない土地だと思ってたけど……」


 同じものを感じられたら素敵だと思う。

 けれど、違うものを感じることができるところが、魔法の素晴らしさのような気もする。


「誰かの幸せを願うかのような風習が、今も続いているって凄いね」

「夜舞病棟の子どもたちを想ってくれる人がいたような……そんな錯覚を受ける」


 常に誰かの幸せを願っている人が、傍にいた。

 遠いところにあった思いやりは、夜舞病棟を出た私たちを幸せな気持ちにしてくれる。


「文化祭のとき……怖い想いをさせて、本当にごめん」


 夜舞病棟にいた頃の……人を殺す可能性を持っていると思い込んでいた私は、自分が守ってもらっているということに気づくことができなかった。


「文化祭の日の出来事を忘れられるように、今日まで羽乃架が頑張ってくれたのは知っていて……」


 私が遥叶の見えないところで努力を重ねていたって、遥叶にはお見通しだった。 


「そう簡単に忘れられるわけがない……」

「私を産んでくれたお母さんに、酷いことを言われたことがあるの」


 冬の寒さが駅を包み込む。

 手袋をしていても、指先が冷えていく。靴を履いていても、指先は寒さを訴えてくる。


「それが、ずっと私のことを苦しめてきたけど……打ち勝ちたいの……負けたくない……」


 声まで震えそうになる寒さ。けれど、この凍てついた空気こそが、私の育ってきた場所のものだと実感することができる。


「文化祭の日、遥叶はきっかけをくれたの」


 思い出があるから、振り返ることができる。


「強くなりたい。強くなろう。だから、すべてを覚えていようって」


 記憶があるから、思い返すことができる。


「ありがとう、遥叶」


 すべての魔法が、いつか解かれたとき。

 私の中に、思い出が戻ってくる。記憶が返ってくる。

 そのとき、この空気をもっと愛おしく感じるんじゃないかなって期待が大きくなる。


「こっちは謝りたくて仕方がないのに、お礼で返してくるとか狡い」

「うん、ごめん」


 医院長たちが乗る列馬車が到着して、空色の花びらが駅を染め上げていく。

 煉瓦造りの駅は控えめで落ち着きある色を見せているのに、魔法樹の花びらが舞い上がるだけで一気に鮮やかさが増していく。


「あの日、羽乃架に残した傷を償うつもりで俺は……」

「これから遥叶は私と向き合うときに、ずっと罪滅ぼしのことを考えていくの……?」


 医院長の息子さんが、列馬車の窓から花びらを散らしている。

 風が手助けをして、花びらは花吹雪として人々を魅了していく。


「それは、遥叶の幸せには繋がらない」


 花びらが舞う。花びらが、溶けゆく。


「私は遥叶に幸せになってほしいのに、私が付いて行くことで遥叶が不幸になったら意味がないよ」


 花びらが存在を失う。花びらが、存在を示す。

 駅は、それらの光景を繰り返していく。


「俺なんて……幸せになれなくても……」

「幸せになって、遥叶」


 冬の冷たさをまとった風が駆け抜けていく。

 肌が痛さを感じるような冷たい風を浴びて、私たちの体温は下がり始めていく。


「幸せにならなくていいなんて、言わないで」


 夜舞病棟に帰れば、()()()()()をくれる人がいた。分けてくれる人がいた。共有してくれる人がいた。

 でも、夜舞病棟という場所はなくなってしまった。

 これから私たちは、別の場所で()()()()()を見つけていく。


「その言葉、雨依にも伝えてやって」

「雨依くん?」

「羽乃架の記憶を消したこと、一番後悔しているのは雨依だから」


 駅に列馬車が到着して、駅から列馬車が出発する。

 それらを繰り返すたびに、もうすぐ遥叶との別れが近づいているのだと感じる。

 春のような暖かさが、私の顔を上に向けるよう誘ってくる。


「雨依を幸せにできるのは、羽乃架だよ」


 咲きそうで咲かない私の笑顔を待ちきれなかった、魔法樹の花びらたちが吹雪を起こす。

 呼吸することも忘れてしまいそうなくらいの花吹雪が、世界を深い蒼に染めていく。


「またいつか」


 まるで、青の絨毯を歩くように。

 まるでそれは、魔法樹から遥叶に授けられた祝福のように。

 美しくも儚い世界を、遥叶が歩いていく。


「羽乃架と雨依が幸せになったかどうか、手紙で教えて」


 遥叶が歩を進めると、青い花びらは世界から姿を消す。

 蒼で埋め尽くされていた世界は、元の色を取り戻し始める。

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