第3話「遠くから想いが届く」
「失礼いたします」
雨依くんと私の関係は、今日も変わらない。
私は雨依くんのことをご主人様扱いしていて、私は自分のことを雨依くんに従う者だと位置づけている。
「雨依様、食事をお持ちしました」
慣れない演技に心臓が痛いのか、雨依くんに会えたことで心臓が異常を来たしているのか。
どちらにしたって、未だに雨依くんの元へ食事を運ぶことに慣れない私の心臓は今日も可笑しな動き方をする。
「ありがとう」
仕事に集中してくれて構わない。
むしろ、魔法に触れているときの雨依くんは周囲で何が起きているか分からなくなるくらい夢中になる。
それくらい魔法への関心が高いはずなのに、雨依くんは部屋に入ってきた私の存在にはいつも気づいてくれる。
ありがとうという言葉と共に、私が大好きな笑顔を見せてくれる。
「羽乃架は、きちんと食べられた?」
緊張する。
雨依くんの声を聞くことも、雨依くんの表情を見ることも、すべてのことが今も慣れない。
「今日は出かけるので……はい」
「良かった」
いつもなら雨依くんと一緒に食事をさせてもらうけど、今日は互いに予定がある。
いつもなら一緒に食事ができるけど、今日はそれができない。
いつもが、今日は存在しない。
「……羽乃架」
「はい」
いつも言葉を詰まらせるのは私の方なのに、今日は違った。
「あの……」
「雨依様?」
雨依くんは、言葉を探していた。
きっと話したいことは決まっているのに、雨依くんは話をするための言葉を悩んでいた。
いつもは、言葉を迷わせてしまうのは私の方。
いつもの雨依くんなら、言葉を上手く紡いでいくのに。
やっぱり今日は、いつもが存在しない。
「夕飯……羽乃架がいなくても、ちゃんと食べるから」
定まった言葉を向けてくれる雨依くんの表情が、浮かないような気がした。
気がしたってだけで、それはすべて勘違いかもしれない。
「だから、ゆっくり行っておいで」
でも、雨依くんは私の表情をいつも見てくれている。
些細な表情の変化に気づいて、いつも声をかけてくれる。
「俺のことは気にしなくていいから……あの、大丈夫だから!」
「雨依様」
雨依くんの傍に近づいて、雨依くんのことをよく見る。
観察するっていうのはさすがに失礼なような気もしたけれど、雨依くんの表情を見て私は自分にできることを探しに行く。
「救急箱、持ってきますね」
雨依くんに近づいたときに、紙で切ったであろう指は隠されてしまった。
出血している指を確認することはできなかったけれど、一瞬だけ歪んでしまった顔。
そして、机の上に広げられていた真新しい紙を見て勘づいた。
「指、見せてください」
「大丈夫……自分ででき……」
この広い屋敷の中から、救急箱を探してくるのは困難なことだったと思う。
でも、尋ねることで、私は今必要なものを持ってくることができた。
今更、尋ねることができるようになったと言うと、夜舞病棟で一緒に育った子たちには笑われるかもしれない。
(でも、笑われてもいい)
昔の私にはできなかったことが、今の私にはできるようになった。
それって、大きな進歩だと思うから。
「傷、浅くて良かったです」
無理矢理、雨依くんの指に触れてしまった。
「紙で……切っただけだから……」
私が強引に指に触れてしまったせいか、雨依くんは再び言葉をさ迷わせる。
こんなにも間隔を開けながら喋る雨依くんは、なかなか見ることができない。
「外に出るのが怖いなら、途中まで杏に付き添って……」
「大丈夫です」
思い出があることは、幸せなことです。
そう思ったけれど、それを雨依くんに伝えることは躊躇った。
私の記憶の一部は消えてしまっていて、思い出が増えていくことに喜びを感じたところで雨依くんは喜ばない。
「雨依様は、もっとご自分のことを大切にされてください」
手当てと称して、雨依くんの手に触れる。
これは手当てだと言い聞かせながら、雨依くんの手に触れる。
「些細な怪我も、放置しないでください」
包み込んだ雨依くんの手から、力をもらう。
これから、私は雨依くんのいないところで新しい思い出を作っていくことができますように。
「雨依様の手は、幸せを生み出すことができますから」
雨依くんの幸せを願う。
そして、私も自分が幸せになるために生きていきたいと強く願った。
夜舞病棟の外に出ることで、初めて知ったことがある。
それは、夜舞病棟は世界の端っこ。
僻地のような場所に、夜舞病棟があるということを初めて知った。
「杏さん」
夜舞病棟の存在は知られていても、雪で覆われた土地に関心を示す人は少ない。
それが、今。
「今日は帰りが遅くなるので……」
けれど、そのうち夜舞病棟は取り壊されると聞いている。
一年の半分近くが冬の季節に閉ざされていることもあって、土地を活用して今後は観光業を盛り上げていく計画が持ち上がっていると雨依くんから話を聞いた。
「仰せつかっております」
「……お母さんたちに、よろしくお伝えください」
「かしこまりました」
人生のほとんどを過ごしてきた夜舞病棟がなくなってしまうことを、寂しく思う。
でも、その寂しさを埋めるために、おとなの人たちは動いてくれたのかもしれないと妄想を繰り広げてみる。
「少しの間ではありますが……」
実際は事業の拡大とか、そういったことが絡んでくる話。
そうだとしても、今まで関心のなかった土地に興味を示す人が現れてくれたのは事実。
誰も触れたいと思わなかった場所を活気づかせて、夜舞病棟の子どもたちが悲しまずに済むように考えてくれた。
そんな妄想は、明日を生きていく子どもたちを元気づけていくのかもしれない。
「お嬢様と別れることを寂しく思います」
夜舞病棟と雨依くんの家を行き来しているときも、杏さんと御者さんと別れる時間はあった。
それなのに、杏さんが寂しいと言葉にしてくれたのは今日が初めてのことだった。
「いってらっしゃいませ、お嬢様」
夜舞病棟から一番近くにある駅までは馬車で送ってもらって、そこから先は自分の足で歩きたいとお願いした。
「……ありがとうございました」
夜舞病棟の外に、まるで大都会を思い起こすような大きな駅があることを知らなかった。
外観はとても立派な物なのに、駅を利用している人はあまりいない。
人混みを掻き分ける必要がないことに安堵して、孤独を感じない適度な人の数に安心しつつ、私は一人で歩を進めていく。




