第14話「空が青いことしか知らなかった」
「数分で、花びらは消えるんだっけ」
「うん……」
枝から離れた花びらは魔力を維持できなくなり、たったの数分間で存在をなくしてしまう。
風に乗った花びらも、どこかに向かうことなく数分で世界から存在を消してしまうと聞かされた。
「寂しいね」
「魔法が終わるって、こういうことなんだろうな」
「……うん」
魔法樹の花びらは花を維持できないこともあって、小さな硝子を組み合わせて絵や模様が表現されている街の景観は保たれている。
硝子でできた芸術を、花びらたちは決して邪魔をしない。
「花びらが舞う様子、眺めてみようか」
「え?」
今でさえ十分、魔法樹の歓迎を盛大に受けている状態。
これ以上、魔法樹から何をもらえばいいのか分からずにいると、遥叶は私の手を引いて街を見守る一本の魔法樹へと足を進めていく。
「この街は硝子で造り上げられたとしても、ここは公園的な役割を担っているんだと思う」
魔法樹に近づくと、まるで芝生の上で遊ぶかのように走り回る子どもたち。
横になって、ひとときの安らぎを得ている人たち。
座りながら談笑をして寛いでいる人たち。
こんなにも綺麗な硝子の上を歩くことすら躊躇っていた私とは正反対に、街の人たちは硝子でできた街と魔法樹の存在を自分たちの生活の一部へと取り入れていた。
「俺たちも、横になってみない?」
遥叶の誘いすら、躊躇ってしまう。
やってはいけないことはないと街の人たちは教えてくれるけど、その一歩を踏み出すことが怖い。
「ほら」
遥叶が先に寝転んで、何も怖くないってことを証明してくれる。
「…………うん」
夜舞病棟の外に、怖いものは待っていなかった。
「下から見上げる花も、すっげー綺麗」
遥叶が手を伸ばした先を見つめると、太陽の光が花びらや枝の隙間から差し込んでくる。
あまりの眩しさに一瞬目を伏せるけれど、目を傷めない場所を見つけて再び空を見上げる。
「遥叶……」
空の蒼と、淡い青色の花びらと、太陽の光が混ざり合う奇跡的な世界を視界に映す。
「羽乃架」
遥叶の声が聞こえる。
「今日は、ありがとう」
私はきっと、忘れない。
数年後も数十年後も、私の中で色褪せない思い出になる。
そんな確信が、私の心を強くする。
「雨依と記憶の話はできた?」
魔法樹が降らせる花びらを浴びた帰り道。
ふと空に視線を向けると、時間が経過しているはずなのに青い空が存在していることが嬉しく思えた。
「ううん……」
終わらない夏なんて存在しないはずなのに、夏が終わらないような予感さえする深い蒼。
「記憶が少しだけ戻って……」
このまま夏が終わらなければ、夜舞病棟がある土地は冬に閉ざされたまま。
芽生える命がある中、春を迎えないわけにはいかない。
「雨依くんを幸せにしたいって思うようになって……」
時の流れを止めることは、人間が抱く身勝手な願望だって気づかされる。
「でも、雨依くん……凄く優しい人たちに囲まれていて……」
空に目を向けることをやめて、きらきらとした硝子で造られた道路へと視線を落とす。
「雨依くんは独りじゃなくて、もう大切な場所を見つけていたんだなって……」
心の準備なんてものを待ってはくれず、時は先へ先へと進み続けていく。
流れていく時は、止まるという言葉を知らない。
止まるための方法すら分からない。
「私が雨依くんの幸せを支えるって、難しいことなんだなって……」
雨依くんが長い年月をかけて築き上げてきた居場所の中に、私という異分子が入っていくというのは雨依くんにとっては大きな出来事。
いくら数年前までは一緒に生活していた仲だとしても、過ぎゆく年月は私と雨依くんとの距離を遠ざけた。
「でも、諦めないんだろ?」
「うん」
迷いはない。
雨依くんを幸せにしたいって気持ちに迷いはない。
「雨依くんには、今以上に幸せになってほしい」
夜舞病棟の子どもたちの記憶を消したという過去の出来事が、雨依くんにとっての傷にならないように。
今より先にある幸せを雨依くんが手にできるように、私は家族として雨依くんの幸せを支えたい。
「だったら、何も迷うことないじゃん」
けれど、自信がない。
雨依くんの幸せを支えるにはどうしたらいいか。
私は、雨依くんを幸せにするための方法を知らない。
「羽乃架」
雨依くんと待ち合わせをしている場所に向かってはいるけれど、その目的の場所までなかなか辿り着かない。
それほど遠くはないはずなのに、見えてこない目的地へ向かうには不安が付きまとう。
「大丈夫だよ」
そんな不安を悟ってなのか、私たちの間になくなってしまった会話を気遣ってのことなのかは分からない。
遥叶は私の不安を拭うような優しい声色を私にくれる。
「なんでこんなに荷物が多いんだよ……」
「だから、荷物持ちが欲しかったんだって」
雨依くんと遥叶が言葉を交わす様子を見て、二人は夜舞病棟で過ごしたときのような……元の関係に戻ることができているような気がする。
「足は大丈夫?」
私と雨依くんの関係は、進展もなければ元の関係に戻ることもない。
私は、一部の記憶が戻っていることを雨依くんに伝えていないから。
「羽乃架?」
記憶を消した事実すら忘れてしまうくらい、雨依くんには幸せになってもらいたい。
むしろ、雨依くんには夜舞病棟の記憶を消したことすら忘れてもらいたい。
雨依くんの心に、傷なんてものを残したくない。
永遠に治らない傷なんて、雨依くんには残したくない。
「羽乃……」
「雨依が、疲れてないかって心配してる」
聴覚が遥叶の声を拾い上げる。
ようやく雨依くんが話しかけてくれていたことに気づいて、私は雨依くんに謝る。
ほら、手間をかけさせる子が、雨依くんのことを幸せにできるわけがないって誰かが囁く。
「そろそろ家に戻ろうか」
「え……」
ほら、気を遣わせている。
雨依くんに面倒な子だと思われないようにしてきたのに、どんどん偽りの仮面が剝がれていく。
「あ……私はまだ……」
「無理しなくていいよ」
三人で、もっと一緒にどこかへ行きたい。
そう言葉を返すつもりだったけど、その言葉すら詰まらせた。
雨依くんに言葉を返せなくなった私は、雨依くんと遥叶の後を付いて行くことしかできなくなった。
「また来ればいいよ」
私を気遣って、雨依くんは笑みを浮かべてくれた。
「遥叶と一緒に」
三人で一緒に、と雨依くんは言ってくれなかった。
三人で出かけるのは、今日が最初で最後。
私たちには拓かれた未来があるけど、一緒に生きることができる人は限られている。
(綺麗なものを見続けていれば……)
いつかはあの日の記憶をなかったことにできるかもしれない。




