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これが最後の恋になりますように  作者: 海坂依里
第5章「夜舞病棟の〈外〉で生きていく」
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第8話「夜舞病棟」

夜舞(よまい)病棟は……ただの児童養護施設じゃない」

「……はい」


 抱きしめ合う。

 雨依くんの表情が見えなくなるけれど、より聴覚の深いところで私は雨依(うい)くんの声を拾うことができる。


「夜舞病棟は、俺のために用意された実験施設」


 雨依くんの声が、鮮明に聞こえる。


「記憶を消す魔法が、正常に働くかどうかを試すための実験施設だった」


 いつの間にか雨は止んでいて、ようやく雨は止むことを許されたのかもしれない。


「その……記憶を消す魔法を使えるのが、雨依様……」

「うん……」


 降らせることを止めた雨のように、雨依くんの涙も止んでほしい。


「権力ある人たちは、自分たちにとって都合の悪い記憶を消したかった……」


 今日の会話だけで、雨依くんの心の中をすべて整理できるわけがない。

 それでも、もうこんな風に声を震わせながら話をさせたくない。


「それで、国は夜舞病棟に目をつけた……」


 できることなら、雨依くんのこんな声を聞く日は今日で最後にしたい。


「夜舞病棟で恋心が芽生えることがなかったこと……不思議に思わなかった?」


 夜舞病棟の外に出ることで、夜舞病棟の中では恋心が芽生えなかったことが、ようやく疑問として正体を現してくる。


「恋心を自覚したタイミングで、俺が記憶を消していたから」


 夜舞病棟で、恋心が芽生えることは決してない。

 雨依くんが夜舞病棟をいなくなる最後の日に、私の記憶は雨依くんの魔法で消された。


「人を想う気持ちを利用して、俺たちは記憶を消す魔法が持続するか実験をしていた……」


 魔法は、いつか滅びゆく力だから。

 国にとって大切な魔法が持続するか確かめるための実験が必要だった。

 雨依くんは抱えている想いを吐露しながら、私に真実を教えてくれた。


「空から鳴り響く鐘は、世界を生きる誰かの記憶が失われた合図だったんだ……」


 記憶が欠けた人間に、こんなことを言われても説得力はないかもしれない。


「……もう、空から響く鐘の音を聞くことはないんですね」

「二度とない……実験は、二度と繰り返されない」


 それでも、一部の記憶だけは取り戻すことができた。

 魔法の一部が解けることで、私は雨依くんのことを少しだけ知ることができた。


「もっと……お話してみたかったですね」

「…………」

「ずっと一緒にいたのに、お話できていないこと……たくさんありましたね」

「……うん」


 当時の私たちは、守るという言葉を確かなものにできるか不安だったのだと思う。

 大切な人の心を守るという意味を真剣に考えていたからこそ、行動できないこともたくさんあった。


「ずっと……ずっと……羽乃架(はのか)の傍にいたかった……」


 私の心を救ってくれるのは、やっぱり雨依くんの存在だった。

 あ、この言葉をもらえるだけの人間になれたんだって。


「また、雨依様と巡り合うことができましたね」


 たとえ雨依くんの人生のうちの一瞬だとしても、雨依くんにとっての大切になれていたのなら、私はもう十分。

 溢れるほどの幸福を雨依くんから与えてもらっていたことに気づいて、私の中で覚悟が決まる。


「実験を終わらせるために、ご尽力いただいたのですね」

「……違うよ」


 雨依くんは、否定の言葉を私の鼓膜に届ける。


「魔法は滅びゆく力だから……だから、実験が終わるのは既定路線……」

「夜舞病棟のみんなを外に連れ出してくれて……」


 雨依くんが、雨依くんのことを否定するのなら。

 私は、その分、雨依くんのことを温かさで包んであげたい。


「新しい世界を、みんなに見せてくれて……」


 包んであげたいなんて、随分と上から目線な言葉使いかもしれない。

 それでも想う。私は、雨依くんに幸せになってほしい。


「ありがとうございました」


 夜舞病棟の外に出ることを、迷っていた子もいた。

 戸惑っている子もいた。

 怖がっている子もいた。

 けれど、夢見ている子もいた。

 やりたいことを見つけた子もいた。

 やりたいことすら見つからない子もいた。

 でも、みんながみんな新しい世界と出会う覚悟を備えたから大丈夫。

 私は、今の夜舞病棟の現状を正直に雨依くんへと伝えた。


「子どもたちが雨依様を慕っていたのが、何よりの証拠です」


 雨依くんが夜舞病棟を訪れてくれたとき、子どもたちは初めて会うはずの雨依くんと親しそうにしていた。

 けれど、みんなにとって雨依くんは初めて出会う相手ではなかった。

 私だけが雨依くんを忘れていて、みんなは一緒に日々を共にした雨依くんのことを忘れなかった。


「みんな、凄くいい表情で笑っていました」


 雨依くんのお召し物に埋めていた顔を上げて、私は久しぶりに雨依くんの表情に会いにいく。


「雨依様と過ごした日々は、みんなにとっての宝物だと思います」


 明日の天気が、晴れだといい。


「誰も、雨依様のことを恨んでいません」


 真っ青な空を見ることが苦しくなるときもある。けれど、雨依くんに澄み切った空の蒼を見てほしい。


「新しい世界に招待してくださり、ありがとうございます」


 できるなら。できることなら。

 青い空の下、雨依くんと一緒に歩いてみたい。


羽乃架(はのか)……」

「はい」

「羽乃架……」

「はい、私はここにいます」


 綺麗な世界に触れることは、怖いことではない。

 雨依くんにも、その感覚を知ってほしい。


「おやすみなさい、雨依様」


 これから先の人生は、自分のために生きてもいい。

 雨依くんがこれからを生きていくための力を、こんなにも美しすぎる世界から分けてもらうために生きたい。

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