第5話「世界が開かれていく音がして」
「お嬢様は熱があるので、長湯はできないのですが……」
雨依くんの家に戻ると、雨依くんのご家族が私のことを迎え入れてくれた。
雨依くんのご家族が、どこまで国立魔法学院で起きた出来事を知っているのか分からない。けれど、雨依くんのお母さんは私のことを強く抱きしめてくれた。
「熱が下がったら、改めて身を綺麗にいたしましょう」
杏さんに手伝ってもらいながら、体から拭き取り切れなかった血を洗い流してもらった。
「……ありがとうございました」
国立魔法学院の医務室に運ばれたとき、私の体を身綺麗にしてくれたのは永遠様だと伺った。
全身が血に塗れていた私を介抱するだけでも大変だったと想像できるのに、永遠様には更にお手を煩わせるようなことをしてしまった。
「あとで、お粥と薬をお持ちいたします」
「本当に……本当に……ありがとうございました……」
「お嬢様が、ご無事で何よりです」
血に塗れた自分を思い返すだけで、怖いという気持ちは湧き上がる。
けれど、誰も殺めていないのなら堂々としていなければいけない。
みなさんに迷惑や心配をかけるようなことだけはしたくないから。
「遥叶様は、客間にいらっしゃいますので」
「あ……はい、眠る前に……挨拶に伺います」
多くの人を巻き込むかたちで、私の記憶は戻りつつあった。
遥叶が私を強引に部屋に閉じ込めたのは、私の失われた記憶を取り戻させるため。
事の真相はそういうことだと思うけれど、すべてを思い出すという都合のいい展開は訪れない。
(たくさんの人に迷惑を……)
ある程度の時間が経過したら、遥叶は私を救出してくれるつもりだったと思う。
けれど、遥叶が想像もしていなかった事態を招き入れてしまったために、記憶を取り戻すために多くの人を巻き込んでしまった。
それなのに、戻ってきた記憶はほんの一部。
たくさんの人に迷惑と心配をかけた結果が、これだった。
『魔法は……そのうち滅びゆく力なんだよ……』
雨依くんに、あんなに辛そうな声を出させた。
遥叶だって心が痛くならないはずないのに、それでも遥叶は私の失われた記憶を取り戻すために行動を起こした。
「遥叶」
遥叶が招待された客間に足を運ぶと、遥叶は扉を開いて私のことを迎えてくれた。
私と会うことに躊躇いとか、そういう負の感情が働いて当然なのに、遥叶は時間をかけることなく扉を開いてくれた。
「羽乃架、体調は……」
「雨依くんの代わりにして、ごめんなさい」
この言葉を、遥叶はずっと待っていたのかもしれない。
十分に潤った喉で、きちんと遥叶に謝罪の言葉を伝える。
遥叶に余計な気を遣わせたり、これ以上の負担をかけないためにも、私はいつも以上に自身の言葉を丁寧に扱う。
「本当にごめんなさい」
これだけの言葉では、今まで遥叶が私にしてくれたすべてを詫びることができない。
分かってはいるけど、精いっぱいの感謝の気持ちを伝えたい。
「俺も、悪かった」
雨依くんが夜舞病棟を去ってから、私のことを支えてくれたのは間違いなく遥叶だったから。
遥叶が私に生きていくことの喜びや楽しさを教えてくれた日々は、嘘偽りなく本物だったから。
「記憶は……」
「一部だけ、かな」
「……そっか」
「雨依くんと、雪だるまを作った思い出とか……」
遥叶の言葉数はまだ少ない。
何が悪いことだったか、何をやってはいけなかったか、遥叶も私もきちんと理解できる年齢だからこそ、遥叶も遥叶で多くの人を巻き込んだことに対して負い目を感じていると思う。
「雨依くんと図書館に籠っていたときのこととか……」
「羽乃架も雨依も熱中し始めると、よく生活が駄目になるところがそっくりだったよ」
遥叶の反省の気持ちが伝わってくるからこそ、遥叶が私のためにしてくれたことを糧にしていきたい。
「あの……」
「ん?」
私が言葉を引っ込めてしまいそうになると、遥叶は私の言葉が出てくるまで待ってくれる。
優しい表情を浮かべて、私を急かせることなく待っていてくれる。
「雨依くんには……私の記憶が一部分だけ戻っていること……伝えないでほしい……」
遥叶が繋ぎ続けてくれた手を離すと覚悟が決まると、耳に入ってくるすべての音が澄んで聞こえてくる。
「雨依くんにとって、夜舞病棟での出来事は辛いものかもしれないから……」
窓を叩く雨の音が聞こえ始めて、あ、外では雨が降っているんだって気づいた。
雨依くんの名前には、雨という文字が使われているってことを思い出す。
「私の記憶が戻ったことで、雨依くんのことを悲しませたくない……」
雨依くんが、泣いていませんように。
どうか私の大切な人が独りで生きていくことがありませんように。
窓を打つ雨の音が、今度は忘れないでって私に訴えかけてくる。
「その気持ち、雨依には伝えた?」
遥叶の声には、雨の音を和らげる力が込められているみたいだった。
止まなくてもいいって。
誰も煩いなんて咎めないから、好きなだけ降り続けてもいいんだって。
悲しさに包まれた雨の音が、遥叶の声を受けて美しく変化していく。
「夜舞病棟での出来事が、雨依にとって辛いものだったかどうかなんて羽乃架には分からないと思うけど」
遥叶の声に、言葉に、夜舞病棟で過ごす多くの子どもたちが救われてきた。
私も、その一人。
「ほら、こんなところで立ち話してると、体調悪化させる」
背中を押されて、部屋から追い出される。
私の記憶を取り戻すために、遥叶は遥叶で無理をしたと思う。
「さっさと早く体を休めろよ」
多くの人に迷惑をかけることになったのは謝罪すべきところだけど、私が怖い想いをしたかどうかまでは謝る必要がない。
(遥叶は、最後まで遥叶らしい……)
遥叶は私の失われた記憶を取り戻すために動いてくれた。
だから、私のことを気にかける必要はない。
遥叶は、私のことを想って行動してくれた。
遥叶の想いを、ずっと覚えていたい。




