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これが最後の恋になりますように  作者: 海坂依里
第5章「夜舞病棟の〈外〉で生きていく」
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第3話「ごめんなさいの合図」

「こほっ、こほ……」


 苦しい。

 気持ち悪い。

 けれど、あれだけ大量の血液を流すことになってしまった人は、もっと苦しかったはず。もっと気持ちが悪かったはず。もっと、痛かったはず。

 私の何十倍も何百倍も辛い想いを抱えた人がいるのに、ここで弱音を吐いてはいけない。


「こほっ、こほっ」

羽乃架(はのか)!」


 思考が停止してしまったかのように、頭の中を上手く働かせることができない。

 自分の名前が呼ばれているのが分かるのに、喉が乾燥していて声を出すこともできない。


「は、ぁ……」

「羽乃架、水を……」


 差し出された水を飲み干せば、少しは喉が潤うかもしれない。

 声を出すためにも飲まなきゃいけないと体に言い聞かせるけれど、私の喉は水を通すことすら拒んでしまう。


「こほっ、はぁ、はぁ……」


 まるで、どうすれば水を飲むことができるのか忘れてしまったみたいだった。

 水を飲みたいって気持ちはあるのに、どうすれば喉を潤すことができるのか分からない。


「羽乃架」


 私の名前を呼んでくれたのは、遥叶(はると)だった。

 私の目の前からいなくなってしまった、遥叶だった。


「ゆっくりでいいから」


 背中を撫でられながら、私は遥叶に水を飲むことを介助してもらう。

 私は遥叶に置いていかれたはずなのに、遥叶が私に優しくする理由が分からない。

 ぼんやりとそんなことを考えられるようになり、私は一口だけ水を口に含む。


「遥……」

「俺と話すのはあとでいいから! 今はゆっくり休んで……」

「ごめ……さい……」


 声を出すのが辛い。

 口の中は水で満たされたはずなのに、喉の渇きをどうにもできない。


「羽乃架、もういい……」

「代わりにして……ごめんなさ……」


 夜舞(よまい)病棟で一緒に過ごしていた、雨依くんの記憶が欠けていた私。

 遥叶のことを雨依くんの代わりにして、遥叶を雨依くんだと置き換えて、私は遥叶にたくさん甘え続けてきてしまった。


「羽乃架さん、無理はなさらないでください」


 やんわりとした優しい声が聞こえてくる。


永遠(とわ)、さ、ま……」

「はい、永遠ですよ」


 初めて会う女性のはずなのに、穏やかなその声を聞くだけで、目の前で私に優しさを注いでくれているのが永遠様だってことに気づいた。


「落ち着いて呼吸、できますか?」


 私は、真っ白いシーツが敷かれたベッドに体を置いていた。

 自分が血に塗れていたことを夢にすら感じてしまう。

 私を包み込んでくれている世界は、すべてが白い色で包まれていた。


「……申し訳ございませんでした」


 永遠様の可愛らしい声とは正反対の、かすれた可愛らしくない声。

 泣き疲れた声には、可愛らしさの欠片もない。 


「ごめんなさい……ごめんなさい……」

「羽乃架さん、何も悪くないのに謝る必要はないんだよ」


 この声は、暁耶(あきや)様のもの。

 私の様子を見守ってくれているのは遥叶、暁耶様、永遠様の三人だけで、この場に雨依くんはいない。


「羽乃……」

「ごめんなさい、遥、……こほっ、こほっ」

「羽乃架っ!」


 背中を擦る手が何度も往復して、遥叶は私を落ち着かせようと努めてくれる。

 遥叶がくれる優しさに応えたいけれど、私の命令に背こうとする意識と体をどうすることもできない。


「わた、し、が、私が、誰かを殺めて……」


 誰かを殺めてしまったから、私は血の海に溺れることになった。

 その事実を口にしようとした瞬間、私が体を休めている部屋の扉が勢いよく開いた。


「羽乃架さん!」


 殺めるという言葉を口にしてはいけない。

 まるで、そんな声をかけるようなタイミングで扉が開いた。

 彼の顔を見ることができた、その瞬間。

 止まっていた涙が再び溢れ始める。


「ぁ」


 声を出さなきゃいけない。 

 声を出して、謝らなきゃいけない。

 それなのに、声が出し辛い。


 声を出したいのに、声を上手く発することができない。


「怖い想いさせて、本当にごめん」


 伝えたい言葉が喉に引っかかっていることなんて、どうでも良くなってしまうような。

 彼の言葉には、彼の行動には、いつも魔法のような力が込められている。


「本当に、ごめん……」


 雨依くんの腕に包み込まれた瞬間、私の瞳からはとめどなく零れ出す。


「謝るのは……私の方です……」


 雨依くんに抱きしめられながら、止まっていた言葉が動き出す。

 あんなにも言葉を発するのに苦労していたのが嘘のよう。

 雨依くんが傍にいてくれるだけで、私の言葉は前へ前へと進みだす。


「羽乃架さんは、何も悪くない」


 聴覚に落ちてくる雨依くんの声が、あまりにも心地よい。

 涙を止めなければいけないのに、雨依くんの声はその決心すら鈍らせる。


「あの! 失礼します!」


 開きっぱなしだった扉の方から、知らない人の声が聞こえてくる。


「君たち、その件についてはもう……」

「いえ、謝らせてください!」


 雨依くんの視線が私ではない誰かに向いて、私は雨依くんの温もりから解放される。


「大変申し訳ございませんでした!」


 国立魔法学院の制服を着た三人の男子生徒が部屋の出入り口に横並びになって、みなさんが揃って頭を下げて謝罪の意を示してきた。


「羽乃架さんが閉じ込められていた部屋の隣は、黒魔術研究部の部室で……」


 三人の男子生徒たちの足りない言葉を補うように、暁耶様が私と目線の高さを合わせて話をしてくれる。


「そこで俺たち、動物の解剖をやっていて……」

「あ! もちろん、ちゃんと許可を得た解剖なんだけど……」

「解剖した際に出た血が、隣の部屋に流れていってしまって……」


 呼吸することも忘れてしまうくらい勢いのある話し方で、三人は私に起きた出来事を一気に説明してくれた。

 まくし立てるような話し方に驚いてしまったけれど、私は三人の話に耳を傾けようと気持ちを切り替える。


「本当に申し訳ございませんでした! 怖がらせたよね? 本当にすみませんでした!」


 これは、お芝居なのか嘘なのか。

 私を落ち着かせるために、みんながみんな優しくなっているんじゃないか。

 そんな疑心暗鬼を拭うことができずに申し訳なくなっていると、雨依くんは私の手を握ってくれた。

 この話を信じてほしいという雨依くんの想いが手に込められているような気がして、私は雨依くんの手を握り返した。

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