第7話「零れゆく感情」
「暁耶様は……雨依様のご友人……ですか?」
交友関係を根掘り葉掘り聞くつもりではなかったけれど、食事の進みが遅いことを隠すためにも何か話題をと探した結果がこれだった。
「友人だよって断定するのも恥ずかしいね……」
「すみません!」
「ううん、謝らないで」
「でも……」
「むしろ、俺の交友関係に興味を持ってくれて嬉しいよ」
「…………」
怒ってもいいのに。
ここは、雨依様の私生活に踏み入りすぎたことを咎めてもいいところなのに。
雨依様は怒るどころか、私の大好きな笑顔はどんどん綻んでいく。
これ以上、私を幸せにしてどうするつもりですか。
そんな可笑しな質問を投げかけてしまいそうになる。
「暁耶には、永遠っていう幼なじみがいるんだけど……」
「幼なじみ……」
雨依様の言葉を反復する必要はないのに、なぜか《《幼なじみ》》という言葉に私は反応を示した。
それが言葉を反復した理由に繋がるのだけど、どうして反応したのか自分でもよく分かっていない。
「二人で、しつこいくらい迫ってきたんだよね」
これから美しい友情物語を聞くことができるのかと思っていたら、話が想像していた方向性と違っていた。
雨依様の声のトーンは一段階落ちてしまって、聞いてはいけないことを聞いてしまった。
そう自身の行いを省みようとしたけれど……。
「放っておいてくれて良かったのに、ね」
「…………」
雨依様は過去を懐かしむように、恋しく思い返すように、綺麗な笑みを浮かべて私のことを見てくれた。
「暁耶は魔法を使えないんだけど、それが彼のしつこさを加速させたっていうか……」
言葉にしなくても、雨依様の表情を見ていたら暁耶様と永遠様をとても大切にされていることが分かる。
「でも、そのお話を伺って、暁耶様と永遠様がとても優しい方だということが伝わってきました」
雨依様の部屋に入るのを戸惑っていた私を助けてくれたのが、暁耶様だった。
その話を雨依様にすると、雨依様は苦笑されながらも声には嬉しさが隠しきれていなかった。
「永遠は魔法を使えることもあって、こんなに魔法の話を楽しんでできたのは彼女が初めてだったかもしれない」
乾き始めた喉を潤そうと、テーブルに置かれた飲み物に手を伸ばした。
「そもそも魔法が好きじゃない時期が……今も、どちらかって言えば嫌いかもしれないけど」
夏の暑さを和らげるために、飲み物には大量の氷が使われていた。
想像以上の冷たさだったから、私は思わず手を引っ込めてしまった。
飲み物を手にできなかったのは、それが理由。
そう自分に言い聞かせる。
「永遠のおかげで、魔法に対する考えが少し変わったっていうのかな」
雨依様が気づくことのないように、そっと手を膝上に戻したつもりだった。
けれど……。
「羽乃架さん?」
雨依様の前で、隠しごとはできないと思った。
誤魔化す理由が簡単に思いつけばいいけれど、そんなに口が達者ではない。
飲み物の冷たさに驚きましたという嘘は、絶対に吐き通すことができない。
自分の嘘の吐き方があまりにも下手すぎて、人生経験がない自分が申し訳なくて情けない。
「あ……いえ、雨依様の思い出を伺うことができて、嬉しくて……」
永遠様という名前の女性との思い出を口にしたときに浮かべた雨依様の笑顔を、私は知らないと思ってしまった。
私はどう頑張っても、先程の笑顔を雨依様から引き出すことはできない。
一生をかけたところで、出会うことのない笑顔というものがあるということを知ってしまった。
「楽しくなかったよね、俺の思い出話なんて」
「違……」
「いいよ、無理しなくて」
雨依様が、無理に笑ってくれている。
違う。
私は、そんな作り笑顔を主様にしてほしいわけじゃなくて……。
「昼食を口にできていないことにも気づかなくて、本当にごめん」
用意した昼食を口にできていなかったことまでばれてしまって、雨依様を不快にさせることをしかしていない自分に嫌気が差してくる。
「慣れない文化祭に疲れた……」
「とても楽しいです。本当に楽しいです。時間を忘れるくらい……本当に楽しくて……」
一生分の贅沢を、今日一日で味わっているような。
それくらい充実した時間を過ごすことができているということを、なんとか雨依様に伝えたい。
誤解しないでほしい。
雨依様は何も悪くないということを分かってほしい。
「良かった」
雨依様の声を、好きだと思う。
私が好きだと思う、その声で奏でられた言葉に私は反応を示す。
恐る恐る顔を上げたけれど、そこに待っていたものは私に幸福感を与えてくれる雨依様の優しい笑顔。
「羽乃架さんの幸せに繋がるような思い出を、どうやって作ればいいのか……どうやったら素敵な思い出を送ることができるかなって、ずっと考えていたから」
私は雨依様を不快にさせるようなことしかしていないのに、雨依様はいつも私の心を幸せにしてくれる。
雨依様は、私に幸せという感情しか与えてくれない。
「心臓のあたりが……」
雨依様に、甘えたい。
普段は主と従える者だって言い聞かせているのに、こんなときばかり都合がいい。
家族という立場を利用して、私は雨依様に縋りたい。
「……心が、痛くなってきてしまって……」
こんなにも幸せを感じているのに、こんなにも心が人の温かさで満たされているのに、素直に笑うことができない。
「雨依様のお話……たくさん聞きたいのに……」
いつもみたいに感情を抑えつけているから笑うことができないときとは明らかに違うのに、今の私は笑うことができない。
雨依様に笑顔を向けることが、できない。
「羽乃架さん」
手に、ぎゅっと力を込める。
もうこれ以上、手に力を入れることはできない。
手が赤らんでくるほどの力を込めて、雨依様の次の言葉を待っていると……。
「自惚れてもいいかな」
椅子から立ち上がった雨依様が、視線を下げつつあった私の視界に映り込んでくる。
そして、これ以上握ることができなくなっていた私の両手を優しく包み込んでくれた。




