第1話「神様のいない世界は眩しさが広がっていた」
今日は、幼い頃から守り続けてきた約束から解放される日。
幼い頃から交わし続けていた約束を破る日。
約束を破ることを、許された日。
「それにしても、制服を着る日が来るなんてなー」
「そうだね」
夜舞病棟の敷地から外の世界へ。
たとえ一歩でも、踏み出すことは許されていなかった。
敷地内なら自由に動き回ることができたけれど、夜舞病棟で育った子どもたちは外の世界というものを知らない。
「少しは学生らしく見える?」
「見える、見える」
この門の先に、出てはいけない。
この門の先には、何も待っていないから。
だから、夜舞病棟から出て行かないでほしい。
それが、医院長たちから子どもたちに託された願いだった。
「行こっか」
扉を開けると、そこには大きな窓があった。
向こう側の景色がすべて見渡せるくらい大きな窓には、私が大好きな蒼い空も一緒に映し出されている。
「空の色、深いな」
「うん」
空が蒼に見える理由を、いつの頃だったか調べたことがある。
調べたところで、当時は意味の分からない言葉の羅列だったことにがっかりしてしまった。
それなのに私は今も、綺麗すぎる蒼に手を伸ばしたくなる。
触れることはできないと分かっていても、遠すぎる空の蒼に触れたいという願いはいつまで経っても捨てきれない。
「夜舞病棟で見る空とは、なんか違う感じ」
「青が濃い、ね」
夜舞病棟で育った私たちだからこそ、交わすことのできる会話。
まさか、国立魔法学院の文化祭に参加させてもらえることになるなんて誰も想像していなかった。想像できるわけがなかった。
「あのね、遥叶」
「ん?」
「学校って、時刻を知らせるチャイムが鳴るらしいんだけど……」
国立魔法学院の校舎の中を歩かせてもらうと、どこからでも空を見渡せるような設計になっているところが凄いと思った。
「空から鳴り響く鐘の音と勘違いするなってこと?」
「うん……」
もちろん校舎の全部が全部そんな造りになっているわけがないけれど、私たちの歩く道筋に空も一緒に付いてきてくれる。
そんな不思議な心強さに、幸福感を抱いてしまう。
「遥叶……人前とか気にしないで、私の耳を塞ぎそうだから……」
空から鐘の音が鳴り響く世界。
そんな世界を生きていることを怖いと思ってしまう特異な体質だけど、蒼の美しさに惹かれてしまう自分がいるのも本当。
「俺は鐘の音を怖がってる羽乃架のことを思って、耳を塞いであげてたんですけど」
「……それは……ありがたいと思っているけど……」
遥叶と離れたあと、私は空に向けて何を想うのか。
夜舞病棟で過ごした日々のことばかりを思い出してしまうのかもしれない。
どう頑張っても触れることのできない空に向けて、永遠の憧れを抱き続けるのかもしれない。
「でも、空から鳴り響く鐘の音と勘違いするなって言っても……」
「遥叶?」
遥叶に守られてばかりだった日々と、見えない未来に想いを馳せていると、遥叶は足を止めて傍にあった窓の向こうに視線を向ける。
そして、私は遥叶と一緒に空の蒼を眺める。
「そもそも最近、空から鐘の音って鳴ってないなーと思って」
遥叶に指摘されることで、私たちが生きる世界の名物とも言える『空から鳴り響く鐘の音』を耳にしていないことに気づかされる。
「神様も、疲れちゃったのかな」
鳴り響く鐘の音には、この世界を生きる誰かの記憶が消されているっていう噂もある。けれど、誰かに幸せを運んでいる証とも言われている。
幸せを運ぶたびに鐘が鳴っていたら煩いと感じるだろうし、誰かが幸せになるたびに鐘の音で祝福していたら神様も疲れてしまうのかもしれない。
「神様っていうよりは……」
「遥叶?」
「魔法の類なのかなって思ってた」
「…………」
私が考えたこともない発想を遥叶に聞かされて、なんだか脳が大きな衝撃を受けたような気がする。
さっきまでは物語の世界を生きているような感覚だったけれど、急に現実に戻りなさいと諭されたような気持ちになってくる。
「神様には会ったことないけど、魔法なら存在するから」
「……そうだよね」
「まあ、魔法は衰退している力だから……科学的な仕組みも開発されているかもしれないけど」
魔法や科学の力で、鐘の音が鳴っているという遥叶の発想。
もちろん、どうして空から鐘の音が鳴り響くのか仕組みが分からない。
だから、遥叶の発想は当たっているかもしれない。
私の神様が鐘の音を鳴らしている説も、決して否定はできない。けれど……。
「あ、悪い。羽乃架は本が好きだったよな……」
何かが、心の片隅で引っかかっている。
「遥叶は、ほとんど本を読まないよね」
「新聞だけは、ちゃんと読んでいるからいいんです」
「たまには空想の世界に浸るのも楽しいよ」
「んー……」
正確には、何かが心の片隅で引っかかり始めた。
(遥叶って、夜舞病棟の図書室を利用したこと……あるのかな……?)
二十四時間ずっと遥叶の傍にいるわけではないから、もちろん遥叶に関して知らないことはたくさんある。
それを承知した上で過去の出来事を振り返ってみるけれど、遥叶が小説や童話といった物語の類に触れているところはほとんど見たことがない。
(遥叶は、思考が現実的っていうのかな……)
空想や妄想といった、物語の世界が大好きな私とは正反対。
夜舞病棟での生活を振り返ってみると、遥叶が読んでいる書物は事実に基づいたものや科学的根拠が云々といった難しい内容のものばかり。
(やっぱり、あの夢は夢だったってことだよね……)
雨依様が夜舞病棟に私を迎えに来てくれた日に見た夢は過去の回想ではなく、夢を見ていただけだったという確信に変わる。
いくら私の面倒を見るついでと言っても、遥叶は私と一緒に絵本を読んでくれるような人ではないことを思い出す。
遥叶が優しくないという話じゃなくて、遥叶は物語の世界に関心がなかったことを思い出す。




