タイトル未定2025/06/01 20:42
黒霧の脅威、龍哭への道
「――今回の依頼は、お前たち二人を中心としたチームで当たってもらう。成功すれば、ウチの評判はさらに確固たるものになる! 報酬も、それに見合うだけのものは約束しよう!」
ダイヤ・ヴェスペラの力強い言葉に、デューク・ケストレルは静かに頷き、ダダは「はい!」と元気よく答えた。クレッセントワルツにとって、正念場とも言える任務が始まろうとしていた。
出発前の準備は、対照的だった。
デュークは、自室で愛用の長剣を丹念に手入れし、革鎧の紐を締め直し、携帯食料や砥石、傷薬といった必要最低限の装備を、無駄なく背嚢に詰めていく。その一連の動作は、長年の騎士としての経験から来る、洗練された機能美に満ちていた。
一方のダダは、特にこれといった準備をする様子もない。腰にはリリスから贈られた短剣「ノクティス」を下げ、あとは普段通りの獣皮の服だけだ。彼にとっては、自分の体と、森羅万象が武器であり、道具なのだ。
そんなダダのもとへ、そっと近づく二つの影があった。
「ダダ……」
リリス・フォン・アストレアが、心配そうな顔で小さな刺繍袋を差し出した。
「これ…気休めかもしれないけれど、アストレア家に古くから伝わる、魔除けの薬草を詰めた匂い袋ですわ。どうか、これを持って行ってちょうだい。そして、必ず……必ずご無事で帰ってきてくださいましね」
彼女の声は震え、その瞳にはダダの身を案じる切実な想いが浮かんでいた。以前の彼女からは考えられないほどの、純粋な気遣いだった。
「ダダさん、デューク様」
リーフ・フォレストもまた、小さな包みを手にしていた。
「これは、お父様から教わった、怪我にとても良く効く薬草を練り合わせた軟膏です。お使いになることがないのが一番ですけれど、もしもの時に、きっとお役に立てると思います」
彼女もまた、不安を隠せないながらも、健気に二人を励まそうとしていた。
「リリス、リーフ、ありがとう」
ダダは、二人の少女からの贈り物を、両手で大切そうに受け取った。「大丈夫だよ。デュークさんもいるし、それに、僕、強いから。ちゃんと帰ってくる」
その言葉には、いつものように何のてらいもなかったが、二人を安心させようとする優しさが込められていた。
ギルドの受付では、イレーザ・ウィローブルックが、二人のために簡単な携帯食と水筒を用意してくれていた。
「デューク様、ダダ君、どうかお気をつけて。ご武運をお祈りしております」
彼女は深々と頭を下げた。
ダイヤは、ギルドの入り口で二人を見送った。
「いいかい、二人とも! 失敗は許されないよ、でもね、無理は禁物だ。生きて帰ってこその手柄なんだからね! それからデューク、ダダのこと、しっかり頼んだよ!」
「言われるまでもない」デュークは短く答え、先に歩き出した。ダダもダイヤに一度頷くと、デュークの後に続く。
アルトゥンを出発し、龍哭山脈の麓を目指す旅は、決して楽なものではなかった。街道を外れれば、そこはもうモンスターの領域だ。
「小僧、移動中も周囲への警戒を怠るな。敵はいつ、どこから現れるか分からん。特に、お前のように無防備に見える子供は格好の的だ」
デュークは、馬上から(彼はギルドの共有馬を使っていた)あるいは徒歩で、常にダダに実践的な注意を与えた。
「デュークさん、あっちの岩陰から、何か獣の匂いがします。でも、小さいみたいです。お腹空かせてるのかな?」
ダダは、その鋭敏な五感で、デュークよりも早く周囲の異変を察知することがあったが、その認識はどこか呑気だった。
デュークは、その度にため息をつきながらも、ダダの報告を無視せず、慎重に周囲を警戒し、時には迂回路を選んだ。それは、ダダの「勘」が、しばしば正しいことを彼自身も認め始めていたからだ。
道中、何度か小規模なモンスターの群れや、追い剥ぎに近い盗賊に遭遇したが、それらはデュークの剣技と闘気の前に敵ではなかった。ダダは、デュークの無駄のない動きと、一撃で敵を沈黙させる闘気の威力に目を見張り、デュークもまた、ダダが時折見せる人間離れした反応速度や、危機的状況での冷静さに内心で舌を巻いていた。
数日後、一行は龍哭山脈の峻険な山々が間近に迫る、寂れた地域へと足を踏み入れた。空気は冷たく、木々はねじくれ、時折、遠くから不気味な風の音が聞こえてくる。街道には、黒ずんだ大きな獣の足跡や、何かを引きずったような跡が残っており、尋常ではない雰囲気が漂っていた。
やがて、木々の合間に、粗末な木の柵で囲まれた小さな村が見えてきた。しかし、村からは煙一つ上がっておらず、まるで廃村のような静けさだ。家々の壁には、巨大な爪で引き裂かれたような傷跡が生々しく残っている。
村の入り口で、痩せこけた顔の老人が、数人の村人たちと共に、絶望と僅かな希望が入り混じった表情で二人を迎えた。
「おお……! よくぞ、よくぞご無事で……! アルトゥンのガーディアン様ですな!? もう、我々は生きた心地も致しませぬ……!」
村長と名乗った老人は、震える声でそう言うと、その場に崩れ落ちんばかりに深々と頭を下げた。
ダダとデュークは、村を覆う深い絶望と恐怖の匂いを、肌で感じ取っていた。
「黒霧の狼」の脅威は、彼らの想像以上に深刻なもののようだった。




