ep 8
疾風の如く
翌朝、森には静かな夜明けが訪れていた。小鳥のさえずりが聞こえるが、昨夜の激闘の痕跡は生々しく残っている。焚き火の跡のそばには巨大なオークの亡骸が横たわり、周囲の地面は荒れ、いくつかの木にはオークの棍棒が叩きつけられた跡が残っていた。
「……おはよう、リーフ」
ダダは既に起きており、燃え残った焚き火の始末をしながら、まだ眠たげに目をこするリーフに声をかけた。彼の顔に疲労の色はほとんど見えない。
「……おはようございます、ダダ」
リーフは体を起こし、昨夜の光景を思い出して少し身震いした。それでも、隣にいるダダの落ち着いた様子を見て、少しだけ心が安らぐ。
「早速だけど、出発しよう。ゴブリン達は夜行性だけど、昼間でも油断はできない。日が完全に昇る前に、できるだけ距離を稼いだ方が良いと思うんだ」
ダダは手早く残りの荷物(といっても、ほとんどないが)をまとめながら言った。彼の言葉には、経験に裏打ちされた確信がこもっている。
「そうですね……。でも、私の足だと、あまり速くは……」
リーフは不安そうに自分の足元を見た。昨日の移動と恐怖で、足は棒のようだ。とても山道を速く歩けるとは思えない。
「うん、だからね」ダダはリーフの前に立つと、にっこり笑って言った。「僕がリーフを背負っていくよ。それで、一気にデュフランまで走る」
そう言うと、ダダはリーフの目の前に屈み込み、背中を向けた。
「えっ!? だ、大丈夫なんですか? 私、重いですよ……?」
リーフは驚いて、ダダの小さな背中を指さした。昨夜、あれだけの戦いをしたばかりなのに、自分を背負って走るなんて、信じられない。
「へっちゃらだよ」ダダは振り返り、悪戯っぽく笑ってみせた。「小さい頃から、よくモンスター同士をけしかけて、その隙に逃げ回ってたからね。体力と、特に逃げ足には自信があるんだ」
さらりと言われた言葉に、リーフは(またしても)驚いたが、彼の自信に満ちた表情を見ると、なぜか「大丈夫かもしれない」と思えてくる。
「……そうなんですね。じゃあ……お願いします」
リーフはおずおずとダダの背中に手を回した。
「うん、よっと。しっかり捕まっててね!」
ダダは軽い掛け声と共に、リーフをひょいと背負い上げた。思ったよりもずっと安定感がある。リーフは慌ててダダの首にしっかりと腕を回し、彼の服を掴んだ。
「はい!」
「よし、行くぞーーっ!!」
次の瞬間、ダダは地面を強く蹴った!
「え? きゃあああああっ!」
リーフは思わず悲鳴を上げた。まるで爆発したかのような加速! ダダはリーフを背負っているとは思えないほどの、凄まじいスピードで山道を駆け上がり始めたのだ。
木々が、景色が、猛烈な速さで後ろへと流れていく。風が唸りを上げて顔に当たり、息が詰まりそうだ。リーフは目を固く閉じ、必死でダダの背中にしがみつくしかなかった。ダダは、木の根が複雑に絡み合う悪路も、急な坂道も、まるで平地を走るかのように、軽々と、そして驚異的なスピードで駆け抜けていく。
どれくらいの時間が経っただろうか。リーフがようやく風圧に慣れてきた頃、不意にダダのスピードが少し緩んだ。
「あ、見えた! あの山の麓の街、あれがデュフランだよ!」
ダダの声に促され、リーフが顔を上げると、眼下に広がる谷の向こう、山の麓に城壁に囲まれた街が見えた。いくつか煙突から煙が上がっているのが見える。
「!……ほ、ほんとですね……はぁ、はぁ……着いたんですね……」
リーフは息も絶え絶えに答えた。一方のダダは、リーフを背負ってあれだけの距離を疾走してきたにも関わらず、少し息が上がっている程度で、ケロリとしている。
ダダは一気に坂を下り、やがてデュフランの街の城門の前にたどり着いた。門は固く閉ざされており、壁の上には槍を持った衛兵の姿が見える。
「すみませーん! グルンストラから来ました! 入れてくださーい!」
ダダは門に向かって大声で呼びかけた。
壁の上の衛兵が、訝しげな顔で二人を見下ろす。
「ん? 子供が二人……? お前ら、どこから来たんだ?」
「グルンストラの首都、アルトゥンからです!」
ダダは元気よく答えた。
「何ぃ!? アルトゥンからだと!? たった二人で、あの山道を越えてきたっていうのか!?」衛兵は目を丸くして驚愕した。「近頃は特に物騒だってのに……信じられん。よくまぁ、無事にここまで来れたもんだな……」
衛兵はしばらく呆気に取られていたが、やがて呆れたようにため息をついた。
「……まあいい。見たところ怪しい賊ではなさそうだしな。入れ、入れ」
ギィィ……という重い音を立てて、デュフランの街の門がゆっくりと開かれた。