ep 4
最初の依頼
「よし! これで今日から、私たち『ガーディアン:クレッセントワルツ』の正式な船出だよ!」
アルトゥンの片隅、借りたばかりの小さな事務所で、ダイヤは胸を張り、満面の笑みで宣言した。壁には、三日月の下で踊るような優美な紋章(ダイヤが徹夜でデザインした)が描かれた看板が、真新しく掛けられている。まだガランとした室内には、期待と、そしてダイヤの野心の匂いが充満していた。
「人々の困り事をバッチリ解決して、たくさん! たーくさん儲けようじゃないか!」
ダイヤは札束を数えるような手つきをしながら、ギラギラした目でダダに同意を求める。
「はい!」
ダダも、これから始まる「人助け」に胸を膨らませ、にっこりと純粋な笑顔で応えた。彼にとって「儲ける」ことの意味はまだよく分からなかったが、ダイヤが嬉しそうなので、きっと良いことなのだろうと思っていた。
しかし、現実は甘くなかった。
――数日後。
クレッセントワルツの事務所の扉は、依頼者が訪れることもなく、静まり返っていた。
「はぁ……ガーディアンチームを立ち上げたってのに、依頼がさっぱり来ないねぇ……。やっぱり新参者は信用がないんかねぇ……」
ダイヤは机に突っ伏し、大きなため息をついた。壁の新しい看板が、なんだか虚しく見えてくる。最初は威勢が良かったものの、日々の家賃や食費だけが出ていく状況に、焦りが募り始めていた。
「そうなんですか?」
ダダは、事務所の隅で拾ってきた棒きれを相手に(ドラゴンの鳴き真似の練習は近所迷惑になるので控えている)、黙々と素振りの練習をしながら、不思議そうに首を傾げた。彼にとっては、依頼がなくても特に困ることはない。ダイヤが元気がないのは少し気になるが。
「そうなんだよ……このままじゃ干上がっ49ちまう……はぁ〜ぁ……ん?」
ダイヤが再び深いため息をつき、顔を上げた瞬間だった。
バンッ!と勢いよく事務所の扉が開かれ、息を切らせた一人の少女が飛び込んできた。年の頃はダダと同じくらいだろうか。簡素な服は土埃にまみれ、肩で大きく息をしている。
「はぁ、はぁ……! お願いします! 私を、デュフランの街まで送ってほしいんです!」
必死な形相で、少女は懇願した。
「お、おやおや〜? いらっしゃいませ! ようこそクレッセントワルツへ! ……って、チッ、子供じゃないか」
一瞬、待望の依頼者かと色めき立ったダイヤだったが、相手が幼い少女だとわかると、あからさまに顔をしかめ、小さく舌打ちをした。これでは、まともな報酬は期待できそうにない。
「デュフランまで? ……冗談じゃないよ! あそこらの街道が今どうなってるか、知らないわけじゃないだろう? モンスター共がうろついてる、危険地帯じゃないか」
ダイヤは腕を組み、威圧するように少女を睨みつけた。
「そ、そんな……! でも、あそこにはパパが……!」
少女は怯えながらも、涙を浮かべて訴える。その瞳には、父親を案じる強い気持ちが宿っていた。
「子供が行くような場所じゃないんだよ。悪いことは言わないから、さっさと帰りな。……ていうか、そもそもアンタ、依頼料は持ってるのかね?」
ダイヤは冷たく言い放った。金にならない厄介事はごめんだ。
「う、うぅ……」
少女は俯き、言葉に詰まった。やはり、十分な報酬を用意できるあてはないのだろう。
その時だった。
「待ってください!」
練習をやめたダダが、少女を庇うようにすっと前に出た。
「!?」
ダイヤは驚いてダダを見た。彼が口を挟んでくるとは思わなかった。
ダダはダイヤの鋭い視線を意にも介さず、少女の前にしゃがみ込むと、優しい声で話しかけた。
「えっと、君の名前は?」
「……リーフ。私の名前はリーフ。あなたは……?」
リーフと呼ばれた少女は、涙目でダダを見上げた。
「僕はダダ。デュフランに行きたいんだね? それで、パパに会いたい、で良いのかな?」
ダダはリーフの目線に合わせて、穏やかに問いかける。
「はい……! パパは、デュフランで働いてるんです。いつもはお家に帰ってくるのに、もう何日も……帰ってこなくて……。心配で……」
リーフの声は、不安で震えていた。
ダダはこくりと頷くと、迷うことなくリーフの小さな手を取った。
「分かったよ。じゃあ、一緒にデュフランへ行こう。リーフのパパに、会いに行こう」
「なっ!?」
今度こそ、ダイヤは素っ頓狂な声を上げた。
「ほんと!? ありがとう、ダダ!」
リーフの顔が、ぱあっと明るくなる。絶望の中に差し込んだ一筋の光に、彼女は心からの笑顔を見せた。
「な、何、勝手に決めてんだい、ダダ! あのね、デュフランまでの道がどれだけ危険か分かってるのかい!? それに、その子、お金持ってないんだよ!? 無報酬で、命懸けの護衛なんて、ふざけるんじゃないよ!」
ダイヤはダダの肩を掴み、詰め寄った。
しかし、ダダはきょとんとした顔でダイヤを見返すだけだった。
「ダイヤさん、どうしてそんなに怒るんですか? 危険じゃないですよ、ただ外の街道を行くだけじゃないですか。それに、これは困っている人を助ける『人助け』です。母上との約束ですから、報酬なんてもらいません」
その言葉には、何のてらいもなかった。彼にとって、街道にモンスターがいるのは日常であり、ドラゴンの鳴き真似で追い払える程度の「障害」でしかないのかもしれない。そして、「人助け」は何よりも優先されるべきことなのだ。
「はーーーっ!?」
ダイヤは、ダダのあまりの認識のずれと純粋さに、完全に言葉を失い、口をパクパクさせた。まるで理解不能な生き物を見るような目で、ダダを見つめる。
その隙に、ダダはリーフの手を引いた。
「ほら、行こう、リーフ! ダイヤさんの頭がパンクしてる今のうちに!」
「は、はい!」
リーフは力強く頷くと、ダダに手を引かれるまま、事務所を飛び出していった。
後に残されたのは、呆然と立ち尽くすダイヤだけだった。
「…………あいつら、マジで行きやがった……!!」
じわじわと怒りが込み上げてくる。そして、それ以上に、あの底抜けに純粋な少年に対する、言いようのない不安と、なぜか目が離せない奇妙な感情が、彼女の心をかき乱していた。