ep 30
市場の喧騒、盗人の影
リリス・フォン・アストレアが先導する形で、ダダとリーフ・フォレストはアルトゥンの市場でもひときわ賑わう一角へと足を踏み入れた。リリスが「品揃えが良い」と豪語する店は、貴族御用達の宝飾店や、エルフが営む魔法具の専門店など、ダダやリーフにとっては少々敷居の高い場所だった。
「ダダ、こちらの『月長石の髪飾り』、今のあなたには少し早いかもしれないけれど、いずれ似合うようになるわ。わたくしが見立てて差し上げましょう」
リリスは高価な品々を前にしても臆することなく、ダダに似合いそうなものを次々と手に取る。その様子は、まるで自分の持ち物でも選ぶかのように楽しげだ。
一方、リーフはきらびやかな商品に目を白黒させながらも、時折、ダダに素朴な木の細工や、可愛らしい動物の焼き物などを指差しては、小声で感想を囁き合う。
「ダダ、あの小鳥の笛、可愛い音色がしそうですね」
「うん! あの木彫りのクマさんも、なんだか眠そうだね、リーフ!」
ダダは、リリスが見せる豪華な品々にも、リーフが見つける素朴な品々にも、子供らしい好奇心で目を輝かせていた。彼にとって、高価かどうかなんて関係ない。ただ、見たことのないもの、面白いものがたくさんあるこの状況が、純粋に楽しかったのだ。リリスとリーフが、自分を挟んで時折ピリピリとした視線を交わしていることなど、今の彼には知る由もない。
いくつかの店を巡り、結局ダダはリリスが強く勧めた「魔除けの効果があるという黒曜石のペンダント(それなりに高価だったが、リリスが『これはわたくしからのプレゼントよ』と半ば強引に購入した)」を首から下げ、リーフからは「森の香りがする小さな匂い袋」を貰い、満更でもない顔をしていた。
そんな和やかな(ダダにとっては)雰囲気の中、事件は起こった。
三人が人通りの多い路地を歩いていた時だった。ふと、リーフが自分の腰に手をやり、はっと息をのんだ。
「あ! 私の……! お財布がありません……!」
彼女の顔から血の気が引く。中には、今日のささやかな買い物で使おうと思っていた銅貨と、父ツーリにもらった大切なお守りの小石が入っていたのだ。
「え? 本当に?」
ダダが心配そうにリーフの顔を覗き込んだ、まさにその瞬間。
彼の鋭い視線が、人混みの中を不自然な速さで遠ざかっていく、一人の小柄な男の背中を捉えた。男の手には、見覚えのあるリーフの小さな革袋が握られている。
「待てーっ!」
ダダは叫ぶと同時に、疾風のように駆け出した。彼の加速は凄まじく、周囲の人々が驚いて道を開ける。
「ダダ!? もう、何ですの、今度は!」
リリスは突然の出来事に一瞬眉をひそめたが、すぐに状況を理解し、その瞳に(面白くなってきたわ)と言わんばかりの好奇の色を浮かべた。
「リーフさん、しっかりなさい! ダダが行ったわよ!」
「ダダさん、危ないです! あまり無理をしないで!」
リーフはダダの身を案じながらも、リリスに促され、二人でその後を追おうとするが、ダダの足の速さには到底追いつけそうにない。
ダダは、市場の喧騒を縫うように、盗人を追う。狭い路地を抜け、屋台の間をすり抜け、時には露店の天幕を飛び越え、その姿はまるで熟練の狩人のようだ。盗人は、アルトゥンの裏道に詳しいらしく、巧みに逃げ回るが、ダダの驚異的な身体能力と追跡能力からは逃れられない。
やがて、盗人は市場の喧騒から離れた、薄暗く寂れた地区へと逃げ込んだ。そこは、崩れかけた建物や、打ち捨てられた倉庫が立ち並ぶ、いわゆる「無法地帯」に近い場所だった。
盗人は、一つの特に大きな廃屋の、半壊した扉の奥へと姿を消す。
ダダもためらうことなく後を追い、廃屋の中へと飛び込んだ。中は薄暗く、カビ臭い匂いが鼻をつく。
「どこだ!」
ダダが声を張り上げると、奥の部屋から、先ほどの盗人が顔を出した。その顔には、子供に追いつかれたことへの苛立ちと、ここが自分の縄張りであるという油断の笑みが浮かんでいる。
「へっ、しつこいガキだな!ここまで追ってきたのは褒めてやるが、運が悪かったな!」
その言葉と共に、盗人の背後や、廃屋の暗がりから、次々と屈強な男たちが姿を現した。その数は十人以上。手には錆びた剣や棍棒、短剣などが握られ、その目つきは凶暴な獣のようにギラついている。どうやら、ここは単なる盗人の隠れ家ではなく、もっと組織的な「盗賊団のアジト」だったようだ。
「さあ、どうするね、坊主? おとなしくお嬢ちゃんの財布を諦めて帰るなら、見逃してやらんでもないぜ?」
リーダー格らしき大柄な男が、下卑た笑みを浮かべてダダを見下ろした。
ダダは、数で勝る敵に囲まれながらも、少しも怯む様子はなかった。彼の小さな体から、先ほどまでの市場での無邪気さとは全く異なる、冷たく鋭い闘気が立ち昇り始めていた。
「リーフの大切なものだ。……返すまで、ここから一歩も動かない」
その声は静かだったが、絶対的な決意が込められていた。




