ep 29
市場の出会い、小さな火花
アルトゥンの市場地区は、昼下がりの活気に満ちていた。様々な種族の売り声、香辛料や焼きたてのパンの匂い、そして人々のざわめき。ダダとリーフ・フォレストは、そんな賑わいの中を、少しだけ浮き立つような気持ちで歩いていた。
「わぁ、見て、ダダ! あの仮面、面白い形をしてる!」
「本当だ! あの赤い鳥の羽飾りもすごいね!」
リーフが指差す露店には、祭りで使われるのであろう色鮮やかな仮面や装飾品が並んでいる。ダダは、辺境の村では見たこともないような品々に目を輝かせ、リーフもまた、久しぶりに会うダダとの時間に、自然と笑顔がこぼれていた。デュークに言われた「小物屋」がどこにあるのか、二人ともよく分かっていなかったが、こうして市場を散策するだけでも十分に楽しかった。
リーフが屋台で買った甘い果実水をダダに手渡し、二人で分け合って飲んでいた、その時だった。
「あら……ダダじゃありませんこと?」
鈴を振るような、しかしどこか有無を言わせぬ響きのある声が、二人のすぐ近くから聞こえた。
ダダが声のした方へ振り返ると、そこには、上質な仕立てのドレスを身に纏い、侍女のエララを伴ったリリス・フォン・アストレアが、興味深そうな、そしてほんの少しだけ眉を寄せた表情で立っていた。
「リリス!」ダダは驚いて声を上げた。「どうしてここに? 今日は別荘にいるんじゃなかったの?」
翡翠の丘からアルトゥンに戻って数日、リリスもアストレア家のアルトゥン邸に滞在しているとは聞いていたが、こんな場所で会うとは思っていなかった。
「わたくしも、少し市場に欲しいものがあって参りましたの」リリスは優雅に微笑んだが、その視線はダダの隣に立つリーフへと向けられ、値踏みするように細められた。「……そちらは? あなたの新しいお友達かしら、ダダ」
その言葉には、親しみを装いつつも、明確な棘が含まれている。
リーフは、突然現れた美しい貴族令嬢の威圧感に、少し身を固くした。しかし、ダダの友人として、そしてフォレスト商会の娘としての矜持から、勇気を出して挨拶をする。
「こ、こんにちは。わたくし、リーフ・フォレストと申します。ダダさんには、以前デュフランで、父共々大変お世話になりましたの」
彼女は丁寧に淑女の礼をとった。
「まあ、デュフランで。フォレスト商会の方でしたのね」リリスは小さく頷き、品定めするような視線をリーフから外さない。「ダダは本当に、誰にでもお優しいのね。わたくしの護衛として翡翠の丘まで来ていただいた時も、それはもう素晴らしい働きで、わたくし、すっかり彼を信頼してしまいましたわ。ねえ、ダダ?」
彼女はダダの腕にそっと自分の手を絡め、親密さをアピールするように微笑みかける。
ダダは、リリスの突然の行動に少し驚きつつも、「うん」と頷いた。彼には、二人の少女の間に流れる微妙な空気など、全く気付いていない。
リーフの胸が、チクリと痛んだ。リリスの言葉と態度から、彼女がダダにとって「特別」な存在であること、そして自分よりもずっと長い時間を共に過ごし、深い信頼関係を築いていることを見せつけられた気がしたからだ。しかし、彼女も負けてはいない。
「はい、ダダさんは本当に強くて、そしてお優しい方ですわ。わたくしと父にとっては、命の恩人でございますもの」
リーフもまた、リリスの絡められた腕とは反対側のダダの袖を、きゅっと小さく掴んだ。
「あらあら」リリスの口元がひきつったような笑みを浮かべる。「命の恩人ですって? 大げさですこと。ダダはわたくしの護衛ですもの、当然の務めを果たしたまでではなくて? それに、ダダは今、アストレア家にとって、そしてこのわたくしにとって、非常に『重要』な存在なの。あまり、つまらないことに彼の貴重な時間を割かせないでいただきたいものですわね」
その言葉は、明らかにリーフに向けられた牽制だった。
「つまらなくないよ!」
ダダが、むっとしたように口を挟んだ。「リーフは僕の大切な友達だ。今日は、これから一緒に小物屋さんに行くんだ。デュークさんも、そう言ってた」
彼にとっては、リリスもリーフも大切な存在で、そのどちらかを貶めるようなことは許せない。
「小物屋ですって?」リリスの目が、一瞬にして計算高い光を宿した。「まあ、奇遇ですこと! わたくしも丁度、面白い小物でもないかしらと探していたところですの。でしたら、ご一緒してもよろしくて? わたくし、この辺りで一番品揃えが良いと評判のお店を知っておりますわ。ね、ダダ、一緒に行きましょう?」
そう言うと、リリスは有無を言わせずダダの腕を引き、自分の行きたい方向へと歩き出そうとする。その手は、リーフが掴んでいた袖を強引に引き剥がす形になった。
「あ……」
リーフは、なすすべもなくダダの袖から手を離し、寂しそうにその場に立ち尽くした。
しかし、ダダは数歩進んだところで立ち止まり、リリスの腕をそっと解いた。
「リリス、待って。リーフも一緒だよ。みんなで行った方が、もっと楽しいじゃないか」
彼は振り返り、リーフに手を差し伸べた。「行こう、リーフ!」
「ダダ……!」リーフの顔が、ぱあっと明るくなる。
リリスは、そんなダダの行動に一瞬不満げな表情を浮かべたが、すぐに完璧な淑女の笑みを貼り付けた。
「ええ、ええ、もちろんよろしいですわ。三人で参りましょう。賑やかな方が、わたくしも楽しいですもの」
その声には、先程までの棘は消え、しかしどこか探るような響きが残っていた。
こうして、アルトゥンの市場の一角で、ダダを中心とした二人の少女の、声なき火花が散る「お散歩」が始まった。その先に何が待っているのか、ダダだけが全く気づいていないようだった。




