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17 不運令嬢 花を育てる

「奥様が? そんな……」

「あら、アルバンカ家の令嬢は庭師の仕事なら問題なくできるわ。まぁ、貴方の様に素晴らしい仕事はできないかもだけれどね」

「ですが、奥様。俺は……」

「いい、アトリム。勉強をすることで貴方はもっと庭師として成長ができるの。どうしてだかわかる?」

「わかりません。学園では庭師に必要な勉強はしないと父から聞いたことがあります」

「えぇ、確かに学園では古文に数学、魔法学に歴史学。頭が痛くなる様な分厚い辞書を暗記したり、暗号みたいな数式を覚えたりね。けれど、重要なことが一つ」

「重要なこと?」

 アトリムは首を傾げた。

「そう。読み書きができるようになること。読み書きができる様に慣れば、偉人たちが残したさまざまな本を読むことができる。そうすれば、植物図鑑や珍しい植物の育て方なんかも自ら学ぶことができるようになるかもね?」

「そっか……俺は父さんから教えてもらったことしか知らない。だけど、勉強をして読み書きができる様になったら……この庭をもっといいものにできるかもしれないってことか……」

「そう、だから私に任せていってらっしゃい。ほら、置いて行かれちゃうわよ」


 アトリムは大きく頷くと中庭から駆け出した。屋敷へと続く扉では、学園指定の制服姿のルナが待っている。二人は深くルミティに礼の挨拶をした後、学園へと向かっていった。


 ルミティがヴェルズ宛に出した手紙への返信はなかった。返信はなかったが、その代わりに通達書と言う名の書類が届いた。そこにはルミティが希望した「使用人たちが学園に通うこと・講義を受けること」を指示する内容が書かれていた。それから程なくして、外商のジョエンヌ一行が屋敷にやってきて十八歳以下の使用人たちの採寸をし、学園指定の制服や教材一式を発注した。

 その他、学園側にもボルドーグ公爵家からの寄付金が送られ、ボルドーグ公爵家所属の生徒に関しては最初の1ヶ月は読み書きの授業に加え、年齢が低い学生はすぐに通常のクラスに合流できる様に初等科クラスからの特別授業と課題が用意された。


「奥様、使用人たちのことありがとうございます」

「ブルーノ。貴方は読み書きができるのね?」

「えぇ、私は執事ですから先代公爵様の補佐として書類仕事も行っておりましたので」

「そう。まさか、こんなに早く旦那様が動いてくれるとは思わなかったから……もちろん、お義母様のことは旦那様には黙っておくわ。さっ、庭師のお仕事をやっちゃうわよ!」

「奥様、重いものもございますのでエリアス殿が到着されてからでよいのではないでしょうか。朝食後のティータイムはいかがですか? 今朝はハチミツを使用したスコーンが焼きあがっておりますよ」

「あら、そうしようかしら。そういえば、エリアスもお義母様のことすごくショックを受けていて……ブルーノは彼とも長いの?」

「あ〜……えぇ、エリアス殿は旦那様の良き友人で相棒のような人ですから、幼い頃から存じ上げております。それこそ、私のことをブルーノ爺なんて呼んだりするほどです」


 アールグレイの香りが漂い、中庭の小さなティーテーブルにスコーンが運ばれてくる。朝の爽やかな日差しを避ける様にパラソルが立てられ、ルミティは腰を下ろした。


「そう。エリアスのことで困ったらブルーノに頼っちゃおうかしら」

「えぇ、このブルーノ。エリアス殿にゲンコツくらいでしたらまだできますので……」

「あら……うふふ」


 ルミティは紅茶を一口飲み、それからスコーンを食べる。ほんのり甘いスコーンは紅茶によく合ってもっと食べたくなってしまいそうだった。


「そういえば、シェフが『読み書きができる様になったらレシピ集をかき集めるんだ』って嬉しそうにしていたわ。すごく楽しみ」

「えぇ、まずは毒キノコ全集を買っていただきましょう」

「まぁ」


 ブルーノが紅茶を注ぎ、ふわりとアールグレイの香りが広がった。


「おや、奥様。ここでお茶かな?」

「あら、エリアス。お早う。貴方を待っていたのよ」

「え?」

「エリアス殿、荷物運びですぞ」

「は?」

「まずは、倉庫にある腐葉土でしょう? それからそれから……」


 ルミティがあまりにも楽しそうに話すのでエリアスも段々と笑顔になる。すぐに二人は園芸用の倉庫に向かうと新しく花を植える中央の花壇に腐葉土を撒き、スコップを使ってよく混ぜる。


「エリアス、中にいるみみずを殺さない様に優しくね」

「みみず?」

「えぇ、これよ」


 ルミティは土まみれのみみずを手に取って手のひらの上に乗せた。小指ほどの太さのそれはうねうねと身を捩っていた。


「初めて見る?」

「あ、あぁ。そもそも騎士は土に触れる行為は『負け』を意味するからな」

「それ、ロビンお兄様もおっしゃっていたわ。剣と盾を落とし手を地面につき、土がつくことは騎士にとって負けを意味すると。だから騎士は掌に土をつくことを嫌がるって」

「その通り。まぁ奥様のためならなんでもないさ」


 エリアスは優しく土を混ぜながら、そう答えた。ルミティはそんな彼をちらりと見る。そして、


「じゃあ、これは見たことがある?」

「うわっ、びっくりした。奥様、ソレはなんです?」


 ルミティがつまみ上げたのは、口先の尖ったネズミの様な生き物だった。よく見ると目がほとんどなく、茶色い土に塗れた黒い体をうねうねと動かしている。小さく「きゅうきゅう」と鳴く姿は可愛いような奇妙なような。


「もぐらよ。きっと迷い込んだのね。痩せているところを見ると、花壇の中だけではきっと食べるものに困っていたのね。裏庭の方に移動させてあげようかしら、よしよし、もう大丈夫よ」

「僕もご一緒に」

「いえ、エリアスは園芸用の倉庫から花の種を持ってきてくれる? アトリムと朝選んだものが整理して置いてあるから……」

「わかったよ。気をつけて」


 ルミティがモグラを掌で挟む様に包んで裏庭へ向かうとエリアスは盛大なため息をついた。


「エリアス殿」

「ブルーノ爺。まさか、園芸をすることになるとは。お前の差金だな?」

「奥様が楽しそうでいらしたので。貴方様も随分と楽しそうでしたよ」

「そりゃ……」


 エリアスは顔を真っ赤にして手についた土を払った。ルミティは高価なドレスやアクセサリーを買っても申し訳なさそうに笑うばかりだったのだ。しかし、先ほどのルミティはすごく楽しそうでエリアスが初めて見る笑顔をしていた。


「旦那様が領地を花畑にしないか心配でございます」

「そ、そんなわけないだろ!」

「さぁ? 魔術研究所を作る予定だった場所は乗馬場になりましたからね」

「あぁ、そうだった。でも、領地はたくさんあるだろう?」

「奥様が戻ってまいりましたぞ。ささ、エリアス殿、サボってないでお戻りなさいな」

「へいへい」


 ルミティが中庭に入ってくるとエリアスは運んできた種を植える作業を始める。ルミティの指示で一つ一つ丁寧に土の中に落とし、土をかぶせる。


「エリアス、ここは古代魔術の力で花の成長が早いんですって。えっと……この区間は春の水ね」

「水は僕が。重いですよ」

「ありがとう」


 ルミティが持っていたじょうろの持ち手をエリアスが握った。不意に手が触れ合って、ルミティは耳を赤くする。


「こうですか?」

「もっと優しく水をかけないとダメ。まだ種は赤ちゃんなんだから、被せた土が流れない様にそっと、そっとよ。エリアス、持ちにくいわ。もう一人で持てる」

「だめです。奥様が怪我したら大変だ」


 エリアスがぐっとルミティの手を包むように握りなおし、いつもの軽薄そうな笑みを浮かべる。ルミティはそれをみて「もうからかわないで」とそっぽを向いた。


「明日の朝には満開になっているはずさ」

「そんなに早く?」

「あぁ、明日奥様の部屋のバルコニーからきっとよく見える」

「楽しみだわ。二人で頑張ったんだもの。エリアスも見にきてね?」

「もちろん、明日も明後日も、奥様のためなら」

「あら、じゃあアトリムが学校を卒業するまでは毎日庭仕事を手伝ってね?」

「奥様、勘弁してくださいそれは」

「うふふ、嘘よ。着替えて、昼食に向かいましょう? 動いたらお腹減っちゃった」


 ルミティの「花を育てたい」というわがままは、このボルドーグ家に少しの変化を与える結果となった。また彼女自身もこの家で起きた悲しい事件を知るきっかけとなり、公爵婦人として少し成長を感じるのだった。

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