トラブルの処理は粛々と~気性が荒いと評判な年上令嬢と光り輝く美貌を持つ第二王子の婚約話~
具体的な描写はありませんが、王子が過去に性的暴行未遂に遭います。苦手な方はご注意ください。
「どうして分かってくださらないんですか、殿下! 貴方は騙されているんです、きっと汚い手を使って婚約を結んだんだわ! でなければ、あんな年増で気性の荒い人が殿下のお相手に選ばれる筈がありません!」
ステファニー・ドロワはその絶叫に足を止めた。
今年二十歳になる侯爵令嬢のステファニーは、古代文字の研究者として王国の最高学府に講師として呼ばれていた。学者としては若すぎるが、十八歳までの王侯貴族が通う最高学府がその若さこそ子どもたちの刺激になると何度も頼み込んでくるので、仕方がなく訪問をしたのだ。
冒頭の絶叫は、講習の会場へ向かう途中の渡り廊下で聞こえてきた。ステファニーの周りの者たちが護衛を除いてわたわたと慌てだすが、問題が起きてから慌てるのなら遅すぎると彼女は息を吐く。固有名詞が出されなかったものの、あの絶叫の主が言っている「年増で気性の荒い人」とは確実に彼女を指していた。
この学園に通っている「殿下」は十七歳のウィリアム・エトワール第二王子殿下ただ一人で、ステファニーはその婚約者だったからだ。ステファニーは渡り廊下から絶叫の音源を辿る。それはすぐに見つけられた。
「ふうん、それで?」
渡り廊下と接している庭園の道の真ん中で、ウィリアムは美しく肩まで伸ばした髪をさらりと揺らしながら綺麗に微笑み楽しそうにそう聞いた。彼の前には女子生徒一人と男子生徒三人が立ちふさがっている。ウィリアムの後ろにも二人の男子生徒が控えているが、彼らは王子の護衛兼側近候補だ。
女子生徒は、エルフィン伯爵家のザラだ。ステファニーも何度かお茶会で彼女を見たことがある。しかし彼女は無作法な娘で、次期王子妃のステファニーに対して不躾な視線を隠そうともしないと悪評が付き、ザラは裕福な伯爵家の娘であるのにステファニーが呼ばれるようなお茶会には次第に呼ばれなくなっていた。
ザラは興奮気味にウィリアムに一歩近づく。ウィリアムの後ろに控えている男子生徒が足を踏み出そうとしたが、それは彼に「いいよ」と止められた。
「あの人は意地悪で性根が曲がりくねっているんです。私は何度も嫌がらせを受けましたわ。そんな人が第二王子妃になるなんて間違っています。王族の恥になってしまいます。そうでなくても、まかり間違って殿下と結婚をしてしまったら、殿下はきっとご心労で倒れてしまいますわ!」
「うんうん、だから?」
「だから、あの人との婚約を今すぐ取りやめて、私と婚約をし直しましょう!」
ウィリアムはどの宝石よりも輝いていると称される顔を手で半分押さえ、ザラを見ていた。彼のことをよく知らない人であれば、ザラの言葉を反芻し熟考しているのだろうと勘違いをするかもしれない。けれど、ステファニーには真実が分かる。あれは、ものすごく面白がっている。
「……婚約を取りやめるなんて、どうやってやるんだい?」
「私のお父様に頼みますわ。それにこちらの方たちも私の考えに賛同してくれているんです。今は三人しかいませんが、ほかにも多くの協力者がいますわ。きっと陛下も民意をご理解くださる筈です」
「ではそのあと、何で君と婚約し直すことになるの?」
「何を仰っているのですか、殿下。私程、貴方の妃に相応しい者はおりません。貴方と同い年で、今年の妖精祭でも主役の妖精役を演じましたわ。美しい貴方の隣には、同じくらい美しい私が一番に似合いです」
よく恥ずかしげもなくあんなことが言えるなと、ステファニーは心の底から感心した。しかもあのウィリアムの前で、だ。相当に自信があるらしい。それ自体は素晴らしく、度胸もあるとステファニーは小さく頷いた。
しかし、暫くしてウィリアムが吹き出してしまった。もう耐えられなかったらしい。
「あっはははは! ふっげほげほっ、ふは! はははっ!」
「で、殿下?」
「ウィリアム様、下品ですよ」
「外なんですから、もう少し顔に見合った笑い方してくれませんか」
「はははは! 無理、無理だって、あっはははは!」
ウィリアムが端正な顔に合わない豪快な笑い方をするので、ザラは踏み出した一歩を半歩だけ引き下がった。護衛たちがいつもの調子でハンカチを差し出しながら背中をさすってやっている。あーあーと、ステファニーも額を押さえた。
「ええっと、誰だっけ。ああそうだ、エルフィン伯爵家の子だっけ? 僕のことが好きなの?」
「えっ、えっと、は、はい。お慕いしておりますわ!」
「そうなんだ、分かるよ。僕、綺麗だものね。綺麗なものを好きになる気持ちはすごくよく分かる」
「え? は、はあ……」
さっきまでの勢いがなくなってしまったザラは、それでもウィリアムの言葉にどうにか返事をしていた。ステファニーは少し彼女が可哀想になってきたが、それでも彼女が自分で始めたことだ。行動には責任が発生する。
「でもさ、君の言い分で行くと、君あと三年で年増になって美しくなくなるみたいだ。つまりその時にはまた婚約破棄をして、僕は年増じゃない人を探さなくちゃいけなくなるの?」
「え、なっ! 違います! 私はずっと美しいままですわ!」
「そう? ならどうして、ステファニーが年増になるの? たった三歳の年の差でそうまで言うなら、そういうことだろう? ちなみに僕は年を取っても美しいよ。皺が刻まれてシミが現れたって、胸を張って僕は自分が美しいと確信している。他人の物差しでどうこう言われようと、そんなことはどうでもいいからね」
「そ、そうでしょう。なら、私だって……」
「だからそれじゃ、矛盾してるんだって。三歳年上のステファニーを年増と呼ぶなら、君の価値観では二十歳を過ぎた人は皆年増になる。五十近くなっても王国の花と呼ばれている王妃だってそうなる。……すごいこと言うよね」
「違いますわ! 当てはまる人と当てはまらない人がいるんです! 殿下たちや私はそれには当てはまらないんですわ!」
ザラの無茶苦茶な理論に、ウィリアムはまた口に手を当ててぷすーと笑った。護衛たちも失笑している。ザラの後ろの三人の男子生徒たちはステファニーの位置からは表情が読み取れないが、ウィリアムの反応にびくりと肩を揺らしていた。
「ふっははは……。じゃあえっと、君は僕の婚約を決めたのは誰か知ってる?」
「国王陛下ですわ。ですが、あの人が無理を言ったのでしょう。私は分かっていますから……!」
「ああ、つまり君は、国王陛下はたかが国内の侯爵令嬢が無理を言った程度で僕の婚約を決めたって思ってる? そんなに陛下は立場が弱いと?」
「そ、そういう、訳では……」
「じゃあ、どういう訳?」
「ですから、あの、侯爵が、そうです。侯爵がきっと、卑怯な、手、を……」
「だから、我が国の国王陛下は、臣下に無理を通されてそれをよしとするような方だと?」
「それは……」
ウィリアムに強く詰められて、ザラの声と体がしぼんでいく。国王への侮辱は、貴族子女であれば最も避けなければならないことだ。平民のぼやきとは意味合いが全く違ってくる。さすがにそれはまずいと理解できる頭をザラは持っていたようで、ステファニーは他人事ながらほっとした。
「それと同じ理由で、どんなに君に協力者がいようと僕とステファニーの結婚は揺るがない。国王陛下の命令は絶対だ。それに皆って誰?」
「皆は、皆ですわ。私のお友だちで……」
「つまりこの学校の生徒ってことだろう、お話にならない。民意って言葉を辞書で引いてくるといいよ。あとさ、君さっき、僕と同じくらい美しいって言った? 鏡見たことある?」
「え」
「それとも誰かにそう言われて本気にしちゃった? 確かに整っているとは思うけど、君くらいの子なんていっぱいいるよ? 周り見たことある?」
「……な」
あまりにもあっけらかんとウィリアムがそう言うので、護衛たちは咳払いを始めた。ステファニーはまた額に手をやるが、彼女の傍でこのやり取りを一緒に見ている学校関係者は顔を真っ青にしている。
「ひ、ひどい……」
「酷いことじゃないさ、事実だよ。僕は特別に美しい。だから外見だけでいろんな人が寄ってくる、君みたいな人もね。でもまあ人の価値観なんてそれぞれだから、自分に自信を持つのは悪いことではないよ。ただ自分を客観視できないようじゃあ、今後貴族として生きていくのは大変だから改めた方がいい」
「私は、ただっ、殿下のことが心配で……!」
「うん、いらない心配だ。勘違いも甚だしいよ。地位って分かる? 僕はこの国で、王太子である兄の次に貴いとされているんだ。その地位に相応しいだけの知識も精神も養っている。僕のことをよく知っている人たちに『まだまだだ』って言われるのは、悔しいけれどまだ伸びしろがあるってことだと思うことにしてるんだ。でも君みたいに僕の偶像だけを見てる人が『心配です』とか言いながらすり寄ってくるのはすごく気持ちが悪い」
笑いながらそう言うウィリアムは、ぞっとするくらいには美しい。
「ただここが学園内でのことだったからまだよかったよ。ほら喜劇なんかではさ、公的なパーティーや祭事で騒ぎを起こすことが多いじゃない? さすがにそうなったら僕も内々に処理するのが難しいからね」
「しょ、処理とは、なんの……?」
始めの勢いはどこへ行ったのか、ザラは既にウィリアムの雰囲気に呑まれてか弱く肩を震わせている。
「思い出したんだ、君のこと。ザラ・エルフィン。僕の愛する女神を睨んでいた忌まわしい子だね」
「な、わ、私は……!」
「これから僕の前で君の発言は一切許可しない、黙りなさい」
「っ」
「お茶会でステファニーを執拗に睨む変な子がいるって聞いたから、彼女が出席するような場には呼ばないようにしたんだ。まだ子どもだからとそのくらいで留めておいてあげたのに、感謝もせずに勘違いを引き起こして第二王子である僕の通行の邪魔をするなんて不敬にも程がある。君、今すぐ帰ってもう領地から出ない方がいいよ。第二王子である僕が、直々にそうご両親に伝えておいてあげよう」
ザラは顔を青くして黙り込んだ。抗議する気力は残っていないようだ。ウィリアムの言葉がそれだけ重いことを理解したらしい。
この国の領地を持つ貴族の娘は、跡取り娘でない限りは大抵どこか別の領主に嫁ぐことがほとんどだ。息子であっても、次男以降は出て行くことが多い。理由は簡単で、長子の邪魔になるからだ。
地方の下位貴族であれば、都会の上位貴族の屋敷で行儀見習いとして働き、そこで縁を繋ぐこともある。病弱であったり領内で商売をしていたりなど、何かしら理由があって留まることもあるが、基本的には出て行くのが主流だ。しかしウィリアムの先程の言葉は、それすらも禁じるものとなる。王族としての発言は、命令だ。無視することも反故することも認められない。エルフィン伯爵家はそれなりの家門だが、跡取り娘でもないザラをいつまでも領内に留めておくのなら、いらない噂が多く立つだろう。
ステファニーがそろそろ介入しようかと一歩踏み出そうとした時、ウィリアムはまた楽しそうに口を開けた。
「それで、後ろの君たちは何なんだい? ずっと黙って立っているだけだけど、君たちも僕に何か?」
「えっ、い、いえ……」
「わ、我々は、別に何も」
「そうです。あの、彼女についてきてと言われただけで、こんなことになるなんて思っていなくて……。そう、私たちは騙されたんです!」
「ん?」
ザラの後ろにいた男子生徒の一人が「騙された」と叫ぶと、ウィリアムはこてんと首を傾げた。ザラも驚いてその男子生徒を見る。
「私たちはこの女に騙されて、連れて来られただけです。何の関わりもありません、なあ!?」
「あ、ええ、ああそうです。僕たちは何も知らなくて」
「本当です、殿下。本当に、はい……」
ザラは恐ろしい形相で男子生徒たちを睨んでいるが、それでもウィリアムの「発言は一切許可しない」という言葉に従っていた。その頭があるならどうしてもっと早く使えなかったのかと、ステファニーはため息を吐く。
「あー……、そういうこと言っちゃうんだー……。僕さあ、君らみたいなの一番嫌い」
「えっ」
「え、じゃないから。知ってるよ、君たちがその子の周りで楽しそうにしてるの何度か見たもの。まあその子も、僕よりは劣るとはいえ可愛いものね。君たちみたいにまだ婚約者が決まっていない遊びたい盛りにはいい遊び相手だったんだろう?」
「や、そんなことは……あの……」
「エルフィン君、君もさあ、もてはやしてくれる要員が欲しかったからってこういう奴ばっかりを傍に置いとくからこうなるんだよ? 彼らって君の言うこと何でも聞いてくれてたんだろう。微笑むだけで言うことを聞いてくれる奴のほとんどが、君が顔とかに怪我でもして今と違う見た目になったら手のひら返してくるからね? 今だって疑似的にそういう状況だよ、君もう見捨てられてるの」
「……」
「おおかた、自分の方が第二王子妃に相応しいって思い込んでそれをそういう奴らに肯定してもらって楽しんでいたんだろうけれど、普通に考えてね、無理だから。ちなみにそいつらも無理だって分かってたから、さすがに君が実行に移すなんて思ってなかったみたいだし。で、そうなったら嘘吐いて君だけが悪いんだって売りつけて、自分たちは助かろうとしている訳」
ウィリアムはまた美しく微笑みながら男子生徒たちを見据える。凍えるような笑顔とは、彼の為に作られた表現かのようにぴったりと合っていた。男子生徒は氷漬けにでもされたように動けず、恐怖に顔を歪めている。
「僕が、一番嫌いなやつ。忠義とか信頼とか信用とか全部捨てて逃げる感じ、卑怯で幼稚で短絡的で享楽的。貴族なら貴族らしくそれなりに準備でもしておけばまだよかったものを、それすらもしていない。本当に虫唾が走る」
そう言って、ウィリアムはパンパンと手を叩いた。すぐに近衛がやってくる。
「この四人全員懲罰部屋に。あとついでに彼女の取り巻きの中で目に余るようなのもいたら一緒に処罰したいから、彼らに聞き取りしておいてよ。きっとすらすら話してくれるだろうから」
「畏まりました」
ザラと男子生徒たちは、最初の勢いなどなかったかのように静かに連れて行かれる。一応内々で収めてあげようという慈悲はあるようで、ステファニーはほっと息を吐いてやっと彼に声をかけた。
「ウィル様」
「えっ、あっ! ステフー!」
ステファニーの声は小さかったものの、ウィリアムはそれを瞬時に察知して渡り廊下の彼女を探し当てた。これはもう特技と言っても過言ではないだろう。庭園からぶんぶんと大きく手を振っているその姿は、先程の冷ややかな美しさとはかけ離れていた。
「そろそろわたくしの講習が始まりますが、お受けにはならないのですか?」
「受けるよ、絶対受ける! 一番前の真ん中で受ける!」
「それは控えてください」
「ええっ? ああ、僕が目の前にいたら集中できないか……。じゃあ、ステフの後ろに椅子を置くよ」
「控えてくださいね。では、わたくしはもう行きます」
「分かった、あとでねー!」
例えるならば、大型犬の子犬のような人懐こい調子でウィリアムは笑う。ステファニーはそれに苦笑しながら会場へ向かった。彼女を案内する係の者もやっと動き出して、自らの仕事を全うした。
───
講習が無事に終わり、ステファニーはウィリアムを生徒会の応接室で待っていた。最高学府の生徒会は歴代の王族や高位貴族の子女が担ってきたので、彼らの使用する部屋は全て最高級仕様で専属の使用人も付いている。ステファニーも在学中は生徒会役員をしていたので、その空気感に懐かしさを感じながらお茶を飲んだ。暫くそうしていると使用人が「いらっしゃいました」と静かに扉を開けた。
「ステフ、お待たせ。君の講習は最高に素晴らしかったよ」
「そう言っていただけて光栄ですわ。もう次はありませんから」
「何で!? 明日にでもまたやってよ!」
「やりません」
「えええー……」
ウィリアムはステファニーの隣に座りながら、がくりと肩を落とした。そんなウィリアムに反応することなく、使用人はしずしずと彼の分のお茶を用意して部屋を出て行く。
古代文字は歴史を学ぶ上で重要だが、魔法を使うのにも必要な学問だ。本職の魔法使いたちは呪文を唱えるだけで魔法を発動させることができるが、そうでない者たちは魔導書を諳んじてそれに魔力を込めることで初めて魔法が使える。
この国の貴族の識字率はほぼ十割であるが、それでも古代文字の理解度は高くない。特定の古代文字だけを覚え、一部の魔法が使えればそれでよいと考える者が多かった。とはいえ、使える魔法は多ければ多い程よい。魔法使いを雇う手間を省けるし、何より自身の糧となる。そういった意味で、ステファニーは古代文字の研究にのめり込んでいった。しかし人気のない学問であることも確かだった。そんな学問の講習を連続でやる意味などない。
「ウィル様、あの方々はどうされるおつもりですか?」
「あの方々って?」
「わたくしの講習会前にお話をされていた方々です」
「……あっ。あー、見てたんだ。声をかけてくれたらよかったのにー」
「ウィル様がお話し中に割って入ることなどいたしませんわ」
「それはそう、君はとても思慮深い人だからそうするだろうね」
ウィリアムはうっとりとしながらステファニーを見つめた。その視線に居心地の悪さを感じながらもステファニーは貴族としての姿勢を崩さず、背筋を伸ばしてウィリアムを見つめ返す。無言で、質問に答えろと言っているのだ。国中の美女が逃げ出すとまで称されたウィリアムにこういった態度が取れる人は、彼の血族以外には彼女だけだろう。
「勿論、全員即退学だよ。あの場にいなかった者も厳重注意、悪質な奴は半年間の謹慎。ただし、未成年だからそれで手打ち。でも三年間は領地からの外出は禁止ってところだね。こそこそとやっている分には見逃してあげていてもよかったんだけれど、わざわざ僕の前に出てきてしまったのなら見せしめくらいにはなってもらわないと」
「妥当ですね。素晴らしいご判断ですわ」
今後の人生に大いに傷がつくものの、王族に不敬を働いたとしてはかなり甘い処罰だ。しかし目を付けられたのも事実である。これを恩義と思い更生し国家に貢献できるならいいが、そうでなければ次はないという警告でもあった。
「正直さあ、そろそろ僕の生誕祭とか来年の卒業パーティーとかで騒ぎが起きるんじゃないかなってちょっとだけ期待してたんだけど、ああいう見せしめを作っちゃったらきっと二番手は出ないよねぇ」
「そういう期待はお持ちになるべきではありませんわ、不謹慎です」
「だあってー」
ウィリアムは猫なで声を出しながら、ステファニーにしな垂れかかった。十七歳になった彼はもう随分と体が出来ていて、それなりに重い。それでもステファニーは昔のようによしよしと頭を撫でてやった。
「勘違いしている輩が多すぎる。僕も喜劇のように大立ち回りをして、僕の隣に立てるのはステフ以外いないんだって大声で宣言したい」
「わたくしは嫌ですわ」
「知ってるよ、ステフは目立つの嫌いだからなあ……。でもさ、鬱陶しいんだ。あの子くらい分かりやすく馬鹿をやる子ばっかりじゃないだろう? また変な子に目を付けられてない? 虐められたらすぐ言うんだよ?」
「……ウィル様、わたくしの方が年上ですのよ?」
「もう関係ないよ。今は僕の方が権力をよく使える。ふふ、十二歳の頃とは違うんだよ」
そう言うと、ウィリアムは体勢を戻してステファニーの肩を寄せた。今度はステファニーがウィリアムに頭を預ける形になるが、こちらの方が安定をしている。
「ね、もう僕の方が大きい」
そう微笑むウィリアムは、あまりにも美しかった。五年前から婚約者として隣に立っているステファニーでも、眩いくらいでいっそのこと目を逸らしたくなる。
「いっそのこと僕の卒業を待たず、先に結婚しちゃう?」
「しちゃいません。物事には順序というものがございます」
「うんうん、その融通がきかないところも可愛くて好きだよ」
ステファニーはぎゅうと口を閉じて、どうしてこうなったのかと無駄なことを考えながら少し現実逃避をした。けれどウィリアムは彼女がそうしていることを理解して、それすらも楽しんでいる。
「でも、早く結婚したいのは本当だよ。卒業まであと一年と半年もあるなんて辛い……」
「……わたくしにも、心の準備というものが必要なので、ちゃんと一年と半年待ってください」
「え!?」
「え」
「え、嘘、やっと僕のことちゃんと意識してくれたの!?」
「え、ええと……」
「よかったあ、もう一生弟としてしか見てもらえないんじゃないかって心配してたんだ!」
ウィリアムはステファニーを抱き寄せた。乱暴なくらいのその抱擁は力強くて少し驚いたものの、ステファニーはそっと身を委ねる。
「あんなのがきっかけだったからさ、でも、僕も君のおかげで変われたと思う。……変われたよね?」
ウィリアムの言う「あんなの」とは、彼が十二歳の時に起きた事件のことである。
───
ウィリアムは生まれた時から素晴らしく美しかった。国王夫妻や兄である王太子も整った顔をしているが、ウィリアムは別格だった。そういうふうに生まれてしまったからか子どもの頃から変な輩に言い寄られることが多く、それに怯えて内向的な子どもだった。この国には「男児たるもの泣き言を言うな」という風潮があり、彼の怯えは理解されることなく「やられるのならやり返せ」と無茶で返されることが多かった。唯一王妃だけはウィリアムを慰めたが、その王妃でさえも「もっと強く育てるべきだ」と小言を言われていた。
そんな中、事件は起きた。十二歳になったばかりのウィリアムの寝室に、メイドが侵入し彼を性的に乱暴しようとしたのだ。必死に抵抗したウィリアムが逃げメイドは捕縛されたが、しかし彼女はこう言ったのだ「想いが募ってやってしまった。情けをかけてもらいたかっただけで、殿下に危害を加えるつもりはなかった」と。
本来、王族の寝室に侵入するなど死刑となってもおかしくはない大罪だ。けれどさめざめと泣く若いメイドを不憫に思う者も多く、ではこのままウィリアムの閨教育の講師にすればいいのではないだろうか、などというふざけた案まで飛び出した。
一応本当に危害を加えるつもりがなかったのか、毒や凶器を持っていなかったか、他国や怪しい組織と繋がりがないのか、などをあらかた調べてからではあったが、やはりおかしな案だったとステファニーは今でもそう思っている。そのメイドが伯爵家ゆかりの出身で美しく、護衛たちの中では人気だったというのもあっただろう。その案はまさかの国王にまで奏上され、国王も「ウィリアムがよしとするなら」と許可を出したのだ。
そこで護衛や教育係、王室を取り決める役職を持つ者やメイドを推薦した伯爵が勢揃いしてウィリアムに伺いを立てることとなった。「このメイドを閨教育の講師としてもよいですか」と。ウィリアムは激しく動揺し、泣きながら「嫌だ」と訴えた。けれど何故かその場の者たちは皆、メイドの味方だった。
『殿下、この者はまかり間違っても殿下の妃にはなれぬ者です。けれど、貴方を真に恋い慕っているのです。だからこそ清らかな身を貴方に捧げたいと、こう言っているのですよ。それを泣いて嫌がるだなどと、身分ある男性のすることではございませんぞ』
『知らないことは最初は怖いかもしれませんが、やってみれば存外愉快なことです。何にせよ、男性が女性に恥をかかすものではありません』
『い、嫌だ! 絶対嫌だ! 何で僕がこんなにも嫌だと言っているのに、お前たちは僕にそれを強要するんだ!』
『殿下は王族でいらっしゃいます。現在、王室には国王夫妻と兄君である王太子殿下、そしてウィリアム殿下の四人しかいらっしゃいません。前国王夫妻は流行り病に倒れ、国王にはご兄弟がいらっしゃらない。王族が足りないのです。殿下には子をもうけていただかなければなりません。つまりいずれは知らねばならぬこと、それが早まっただけで……』
『違う! その女は僕をもののように扱おうとしたんだ! 僕の意思も聞かず許可も得ず、馬乗りになって!』
『殿下! 混乱されているのは分かりますが、そのようなことをあけすけに言うものではありません!』
その場は混沌としていたが、当のメイドはやはりさめざめと泣くばかりでそしてそれを何故か周りの皆が慰めるのだ。あれは異様な空間だったとウィリアムは今でもたまに悪夢を見る。意見は平行線をたどり、どちらも引かずに長引いた。そしてその無駄に長引いた議論を止めたのがステファニーだった。
『いい加減になさってください! 十二歳の子ども相手に大の大人が寄ってたかって恥ずかしくはないのですか!』
突然に開け放たれた扉の前で、当時十五歳だったステファニーはそう叫んだ。扉は閉ざされていたが室内の話は外に聞こえる程の音量だったので、その暴論たちは彼女の耳に確かに届いていたのだ。
『ス、ステファニー、何を……!』
焦ってステファニーを呼んだのは、黙して事の成り行きを見守っていた彼女の父ドロワ侯爵だ。ドロワ侯爵は王室の様々な事象の取り決めに立ち会い、それを書面に纏め国王に提出する役割を持つ者の一人だった。
対するステファニーはその日、王妃のお茶会に参加しておりこの部屋に立ち入る予定など本来はなかった。
『王妃殿下から、ウィリアム殿下をお連れするよう頼まれたのですわ。……このこと、王妃殿下はご存じありませんね?』
ステファニーの後ろには、王妃付きの護衛が三人付いている。男性も一人いるが、護衛対象が王妃であるからあとは女性だ。そしてその護衛たちの視線は軒並み厳しい。
『……王妃殿下はご存じないが、国王陛下は承知されていることだ。国家に関わることである。お前は王妃殿下の下へ戻りなさい』
『いいえ、できません。このような性犯罪者を容認し、あろうことか庇うような者たちの中に王子殿下を置き去りにするなど、臣下としていたしかねます』
室内がざわりとどよめいた。ウィリアムは涙でぼやける視界でステファニーを見た。まだ十五歳の彼女が、女神のように偉大で凛々しく輝いて見えた。
『せ、性犯罪者とは、手厳しいですな。しかし……』
そう言い募ろうとしたのは、メイドの遠縁の伯爵だった。しかしステファニーはぎっと伯爵を睨みつけ、その視線だけで黙らせる。
『手厳しい? 事実ですわ。ここにいらっしゃる方々が、それぞれどのような貞操観念をお持ちなのかはどうでもよろしいの。事実は、そのメイドが王子殿下の寝室に忍び込み、あろうことか殿下を犯そうとしたというものだけでしょう。それを憐れっぽく泣いて同情を買おうだなどと、汚らわしいにも程があります』
『し、しかしですな、やはり男たるもの女性に恥をかかせては……』
『お黙りなさい! そちらにいるのはまだ十二歳の子どもです! 大人の欲に晒して好き勝手していいものではありません! そこに男女の区別があるなど、我が国の法には明記されておりません!』
『ひぃ……っ』
ステファニーが正論を叫べば、ウィリアムを諭そうとしていた大人たちは皆竦みあがった。開け放たれた扉の向こうには野次馬たちが集まってきているが、それを処理できる者もいない。
『そしてそこの貴女、いつまで泣いているつもりです。この状況、どうするつもりなの』
『あ、あの、うぅ……』
『どうするつもりなのと聞いているのです。貴女に泣く権利などあると思わないで!』
メイドは震え、しかし泣くのを止めた。野次馬たちの視線も厳しく、さすがにこの状況では彼女を慰められる者はいなかった。
『貴女が起こしたことだわ。しかも本気で殿下の教育係になろうと思ったの? 強要を迫った貴女が何を教えられるというの? 無理強いの仕方?』
『そ、そんな、こと……』
『貴女、自分がしたことの恐ろしさがどうして理解できないの? 十二歳の時、見知らぬ人がベッドに入ってきて「愛している」と言ったら誰にでも体を明け渡したの? そんな考えで生きてきたの?』
『違います! 私は、殿下のことが、本当に……!』
『では何故、貴女は殿下を泣かせているの?』
『っ』
『貴女がそこにい続けるから、殿下は怯えて泣いているわ。貴女は自分の欲の為なら本当に好きだと言った人を泣かせていいとでも思っているの?』
メイドは縋るようにウィリアムを見るが、彼はびくりと震えて涙でいっぱいの怯えた目で彼女を睨んでいた。メイドは顔を真っ青にして両手を握って下を向き、固まってしまった。
『もう一度申し上げます。そこにいるのはただの性犯罪者です。そんなことは十五の小娘でも分かりますわ。皆様も、ご自身のご息女やご姉妹、母君などが子どもの頃に「慕っているから」などと言われて同じことをされたと今一度考えみてください。それでも受け入れろと言うのですか。ご自身であっても、まだ子どもの頃に見知らぬ人がベッドに入ってくる恐怖がどのようなものか、一つも想像できないのですか。先程も申しましたが、拒否されているのであれば男女の違いなどありません。どうかご一考ください。では、王妃殿下からの言いつけですので、ウィリアム王子殿下はお連れしますがよろしいですね?』
『あ、ああ、どうぞ……』
『……ああそれとお父様、わたくしこれまでお父様のことを尊敬しておりましたが、考えを改めますわ。殿下の大事に何もなさらないだなんて大変、軽蔑いたします』
『ス、ステファニー……』
『ご機嫌よう』
護衛の一人に促され、ウィリアムはステファニーたちと共にその場から去った。事の次第を聞いた王妃は激怒し、直後国王と離縁してウィリアムを連れ国に帰るとまで宣言して大変なこととなった。ちなみにあのメイドの教育係の件は流れ改めて裁判にかけられたが、未遂であったということも考慮され地方での無償奉仕を五年間することを命じられた。彼女を推した伯爵も一年間の謹慎を言いつけられている。無茶苦茶な意見を奏上した者たちは罪には問われなかったが、王妃派の貴族たちからは冷ややかな目で見られることになった。
けれど当事者たちの処分が決まっても、王妃の怒りはおさまらなかった。王妃は隣国の王女であったから隣国を巻き込んでの大騒動になりかけたところを、ドロワ侯爵の仲介で事なきを得た。そして国王がその功績に感謝しステファニーはウィリアムとの婚約を結んだのだ、というのが表向きの結末だ。
しかし本当に王妃を説得したのはステファニーで、彼女との婚約を願ったのはウィリアム本人である。こちらは公然の秘密で、この騒動を当時直接知っている者のほとんどはこの真実も知っていた。けれど、ステファニーが扉を開け放った状態で大人たちに説教をした事実も広く知られており、それに対して「気性が荒い」「身の程を弁えていない」「王子との婚約を無理矢理に迫った」などという不名誉な噂も流れ、どちらが本当か分からないという者も増えたのだ。
だからこそステファニーは、何度か婚約の解消を申し出た。そもそも婚約そのものですら、彼女は辞退していたのだ。三歳も年下の美しい王子殿下に、自身は見合わないと何度も断った。父であるドロワ侯爵もこれ以上、娘に嫌われたくないと固辞していたのにウィリアムが押し通した婚約だった。王族からの打診であり王妃もステファニーのことをすっかり気に入っていたので断れる縁談ではなかったが、それでもステファニーはウィリアムに向かって何度も「ほかにお相手を見つけていただけませんか」と願い出ていた。
『地位を利用して酷いことをしている自覚はあるんだ。でも、君じゃなくちゃ嫌なんだ。ほかの奴らなんて信用できない。僕が嫌なら、結婚しても指一本触れないと誓うよ。でもどうか、結婚は僕としてほしいんだ。絶対大切にするから僕と一緒にいて、お願いだよ、ステファニー……』
『殿下、貴方を嫌だという者はおそらくそう多くはないでしょう。わたくしも侯爵家の者です。家格だけを見れば、そこまで悪い縁談ではありません。けれどわたくしは殿下より三歳も年上ですし、悪評が多く付いています。同い年か年下の、まだそのような噂に晒されていない方を新しく選ぶほうがよっぽどよい選択かと』
ステファニーは、そうウィリアムを諭した。年上ぶって、教師のように導いてでもいるつもりだった。実際はまだ未成年だったステファニーもこの状況に少し辟易していて、もう領地に引っ込んでしまいたいと思っていたというのもある。美しい王子に姉のように慕われるのは悪くはなかったが、だからといって彼が頼りないのもまた事実で、しかも彼のこの熱病のような恋煩いがいつ終わるのかに戦々恐々としていなければいけないのも苦痛だった。けれど彼女はそれを隠して賢しらにそう言ったのだ。
しかしウィリアムはそれらを全て見透かしたような目をして、ステファニーを見た。
『君は?』
『え?』
『君自身はどう思っているの? 世論がどうとかじゃなくて、君の意見を教えてほしい。あの時みたいに』
あの時みたいにと言われ、ステファニーは一瞬だけ苦々しい表情を出してしまった。あれが大いにからかわれ話のタネにされ噂を広められたことは、つまらないことに惑わされず常に気高くあれと育てられた彼女であっても辟易していたのだ。けれどそこまで言うのであればと、ステファニーは多少意地悪な気分で口を開いた。
『では、恐れながら申し上げます』
『うん』
『わたくしも貴族の娘です。国や家から提示された婚姻を結び、子をなすことに否やはございません。ですが個人的な意見としては、頼りがいのない方と結婚をすることにひどく不安を覚えております』
『……それは、僕は年下だから?』
『そうかもしれませんし、そうでないかもしれません。わたくしとて、全てにおいて依存したい訳ではございませんわ。これでも学府では学年首席を何度か取ったことがありますし、古代文字の解読は特に得意ですの。魔力もそこそこございますので、これらは領地経営にも役立てられる筈です。しかし夫婦とは支え合うもの。……少なくとも、特定の女性以外には怯えて隠れてしまうような今の貴方では頼れませんわ』
ステファニーは、これで不敬罪となってももういいと自棄になる程度にはこの状況に嫌気が差していた。ウィリアムが被害者で、これまでも多くの被害に遭っていたことは理解して、それを不憫にも思っている。けれどまだ十五歳のステファニーには、彼を支え続けるだけの力はなかったのだ。
長い目で見れば、第二王子妃になれることは間違いなくよいことだろう。ウィリアムだっていずれは苦手を克服し、社交に前向きになる可能性もある。ステファニーはああ言ったが、むしろ徐々にその傾向は見られていて、生来の快活さが垣間見える場面も増えていた。しかしだからこそ、ステファニーを貶める噂が爆発的に増えたのだ。彼女を引きずり落とし、自家の娘をウィリアムの妃にしたい貴族が多くいた。
ウィリアムがくしゃりと愛らしい顔を歪めると、それだけでひどく残酷なことをしてしまった罪悪感が生まれたが、ステファニーはそれを言ってしまったことを後悔はしなかった。それだけ彼女が苦しんでいたことを、彼女自身もその時に気づいた。
『……じゃあ、ステファニーはどんな人なら結婚したいと思うの?』
牢に入れられるのかそれとも帰れと激昂するのかと身構えていたのに、ウィリアムは淡々とそう聞いた。ステファニーは戸惑いながらも、その問いかけに答える。
『……わたくしが困った時に、寄り添ってくれる方、でしょうか』
『それは、今の僕じゃ駄目ってことなんだよね。具体的に、どんなふうならいいの?』
『具体的に、ですか? ……社交をきちんとなさって、怯えることなく自身の意見が言えて、理不尽に怒ることはしなくて、ああ、手を上げるような方は絶対にいけません』
『そういう当たり前のことじゃなくて。そうだな、どんな人を格好いいって思うの?』
『格好いい……?』
予想外のことを言われ、ステファニーは考え込んだ。ここまで言ってしまったのだ、きっとこの婚約は解消、いや破棄されるものだとばかり思っていた。家には悪いことをしてしまうだろうが、魔法使いとして馬車馬のごとく働くから許しを得ようというところまで飛躍していた脳内が、忙しなく別のことを考えさせられて困惑している。
『そう、ですね。お馬に颯爽と乗っていらっしゃる方や、力仕事をされる方などは格好いいと思います……?』
混乱した頭で、ステファニーは自分でもよく分からないことを言っている自覚をしながらそう言った。彼女は同年代の娘たちに比べて、あまり恋愛の話を好まなかったのだ。貴族としての役割があるのだから、あの人がいいとか悪いとか考えるだけ無駄なのに、と斜に構えてもいたからだろう。
その中でステファニーがどうにか思い出したのは、領地で馬の調練をしていた男性たちの横顔と大きな家具をテキパキを動かしていた大柄の家具職人の太い腕だった。おそらく彼女は働いている彼らの真剣な眼差しや、その職人仕事の手際のよさに感銘を受けていただけなのだが、それを聞いたウィリアムは真剣な表情で頷いた。
『馬と力仕事だね、分かった。一ヶ月だけ待ってくれないか』
『え』
『一ヶ月後にはそれができる男になるよ』
『はあ……』
よく分からないままで家に帰されたステファニーは、一ヶ月後に呼ばれるまで悶々とした毎日を送った。そして一ヶ月後、久しぶりに王城に呼ばれた彼女はウィリアムの姿に驚愕することになる。
『ステファニー、来てくれてありがとう! どう? 僕、ちょっとは格好よくなったかな!?』
何とウィリアムは厩舎で馬の世話をしていたのだ。端整な顔を汚し動きやすそうな服を着て大きな台車のようなものに飼い葉を積んで、にこやかにそれを運んでいた。美貌の第二王子が、使用人と肩を並べて力仕事をしていたのだ。馬丁と近衛たちが微妙な顔をしながらステファニーを見ている。気が強い、気性が激しいと言われ続けた彼女も、さすがに驚いて眩暈を起こしたが、けれどウィリアムの声が今までと違うことにも気が付いて冷静に話しかけた。
『殿下、何をしていらっしゃるのですか?』
『力仕事!』
『それは、馬丁らの仕事です。彼らが困りますわ』
『ううーん、でも、馬と仲良くなるには世話をしてやるのが一番の近道だって聞いたから。さすがにずっとは迷惑だし、これで終わりにするつもりだよ。でもね、僕、馬に乗るのすごく上手くなったんだ。見てて!』
ウィリアムは一頭の馬を馬場に連れ出すと、それは見事に乗りこなした。彼は元々乗馬を習っていたが、以前と比べても馬の呼吸をしっかりと読み取っているように見える。馬を返しステファニーの下へ戻ってきたウィリアムは晴れやかに笑っていた。
『どう、颯爽と乗りこなせていたでしょう?』
『……ええ、素晴らしくお上手でした。ですが殿下、それよりもお顔つきが変わられたように思います』
『そうかな。そっちはあんまり自覚はないけど、それは嫌な変化?』
『いえ……』
どちらかと言えば、自信が顔に現れているようだった。少なくとも、あのメイドに怯えて泣いていたか弱い王子の面影はない。ステファニーは自身の足元を見て、きゅ、と口を引き結んだ。
ウィリアムのこの奇行は、一ヶ月前のあの発言がきっかけだったのだろう。一国の王子にこのようなことをさせるなんてと、ステファニーは自身をひどく恥じた。更に彼をまだ子どもだと侮っていたことにも気付き、それも不敬であったことを理解した。
『ねえ、ステファニー。僕はさ、君より年下だからきっと君からしたらまだ頼りないかもしれないけど、頑張るから』
『え?』
『僕、君に見合うように頑張るし、頼ってもらえるように頑張るから。だから、僕、僕の……』
美しい顔を真っ赤にして、ウィリアムはもごもごと口ごもった。その姿を見てステファニーは決意を固めたのだ。
『……本当にわたくしでよろしいのですか?』
『勿論だよ、ステファニーがいい! ステファニーじゃなきゃ嫌だ!』
『では、わたくしも貴方に見合うよう努力いたします。もう泣き言は言いませんわ』
『それは、つまり、結婚してくれるってこと!?』
『はい、謹んでお受けいたします』
『やったー!』
ウィリアムはその場で無邪気に喜んだあと「でも、泣き言とか大歓迎だから。何かあったらすぐ言ってね!」「あ、そうだ。僕のことはウィルって呼んで。できれば君のこともステフって呼びたいな」とはしゃぎ、ステファニーはそれを少し笑った。しかし彼は宣言通りに頼もしい青年へと成長していき、今では彼女にちょっかいをかける者には文字通り容赦しないことで有名になりつつある。
おそらくウィリアムは生来、社交的で活発な一面を持っていたのだろう。しかしその特別過ぎる外見に振り回され、恐怖でそれを陰らせてしまったのだ。そんな彼を守り引き出したのは確実にステファニーで、王妃はひたすらに彼女に感謝をしている。国王や兄である王太子もそうで、過去の間違いを認めたくらいだ。
ステファニーの為に体を鍛え勉学に励んでいるウィリアムは、まだ学生であるのにもう既に王族として公務をいくつかこなしている。国内外の評判もよく、兄との関係も良好だ。その自信がにじみ出ているのか、彼の容姿は更に輝きを増し留まることを知らない。子どもの頃と違うのは、彼自身がその価値に気づいたことだろう。
自分は美しく、だからこそ好かれ妬まれ狙われるということに気づいたウィリアムは、一時期護衛とほぼ同一の訓練を受けたことまであった。曰く「力があれば押し返せるし、対処のしようもあるから」だそうで、性懲りもなく彼に近寄ろうとしてくる者は容赦なく腕をねじり上げられていた。さすがに女性に対してはそこまでしないことが多かったが、彼にすり寄ってくるのは何も女性だけでなかったので結果的に彼の判断は本当に正しかった。
ステファニーもそんなウィリアムに相応しくあろうと、王子妃の為の教育に励んだ。噂好きの者たちやわざと足を引っ張ってこようとする者たちに煩わされることもあったが、それらは以前程は気にならずただただ努力を続けた。特に彼女の得意分野である古代文字の汎用性は高い。既に王城で必要な魔法に使用する魔導書やその簡易版である魔導紙の多くは彼女が書き写したものを採用しており、その出来のよさからそれらは他国との外交にも使われていた。そんな彼女を推す声も大きくなり、王城にも居場所は確立されている。
───
そんな昔のことを思い出しながら、ステファニーはくすりと笑った。
「勿論ですわ。ふふ、格好よくなられました」
「あは、照れちゃうな。ステフがどんどん綺麗になるから、見劣りしないように内面も外見も気を遣わないとね」
「……ウィル様、それ、外で言ってはいけませんと何度お伝えすればお聞きくださいます?」
せっかくのよい雰囲気が、ステファニーの一言でがらりと変わる。ウィリアムはぱっと彼女から顔を背け、冷や汗をかきながらもどうにか口角を上げ続けた。
「おっと……。えっと、ほら、今はもう誰もいないから、ね?」
「ね、ではありません。ここは王城の私室ではないのです。……次に言ったらもう知りませんと申し上げましたよね」
「ごめんなさいごめんなさい、もう言わないから許して……!」
ウィリアムはステファニーの手を握り必死に謝った。しかし彼女の目線は厳しい。
ウィリアムはあのメイド騒動の時にステファニーに恋をしたのだが、その影響からか彼女を女神のように美しいと感じるようになっていた。以前から王妃のお茶会に参加する年上の令嬢だと認識していたものの、あの日からウィリアムにとってステファニーは女神そのものだったのだ。恋は盲目の極みであった。
ウィリアムを支えていく決心をしたステファニーであっても、王国一の美貌を持つ彼に延々と、綺麗だの美しいだの花も恥じらうようだのと言い続けられて頭がおかしくなる寸前であった。ステファニーとて別段褒められることが嫌いだという訳ではなく、また年相応に気を遣い整えている。けれどそれを言っている人が類稀な美貌の持ち主で、しかも心の底から自身より彼女のことを美しいと思っているらしいので頭を抱えるしかなかった。
さすがにこの調子では世間から何を言われるか分かったものではないと、ステファニーはウィリアムに懇々と何度も伝えた。決して外で容姿の話をしないこと、不用意に褒めたりもしないこと、客観的に物事を見ること。この三つを何度も何度も繰り返しお願いしてやっと落ち着いてきたというにと、ステファニーはウィリアムを睨みつけた。
「そうですね、どうしましょうかしら」
「ステフ、ごめんね。本当にごめん、許して」
「……では、もう不謹慎なことを言ってはいけませんよ?」
「え、不謹慎?」
「喜劇のように大立ち回りをしたいだなんて、そんなことを言ってはいけませんわ。ああいうのは架空の出来事だから面白いのです。本当にあんなことになるなんて、想像すらも嫌ですからね」
「分かった。もう言わない、絶対。……だからさ、明日も学校に来ない?」
「何がだからなんですか、来ません」
「えええー、寂しい……」
甘え上手なウィリアムはまたステファニーの肩に頭を擦り付けるが、彼女もまた彼の頭を撫でてやった。
「あと三日で休暇でしょう。三日頑張ったら、休暇は一日一緒にすごしましょうね」
「……でもステフ、夜には帰っちゃうじゃないか。あれじゃあ一日とは言わないよ」
「言います」
「はあ、早く結婚したい……」
「……わたくしも同じ気持ちですわ」
「え!?」
「でも、だからこそまだ我慢ですよ。わたくしのこと、大切にしてくださるんでしょう? 下手に急かして、わたくしの立場を悪くするようなことはなさいませんよね?」
「……勿論だよぉ」
ウィリアムは美しい顔をこれでもかと歪め、首まで赤くしながら何かを一生懸命に耐えた。ステファニーはそんな彼を笑い、そっと頬にキスをする。たったそれだけのことなのにウィリアムは子犬のように高い声を上げて飛び上がって喜ぶので、ステファニーはまた笑った。
───
有能で美しい王弟とその王弟が溺愛した才女の話は、彼らの没後に多く演劇に昇華された。その中でも人気なのは十五歳の才女が大人たちを怒鳴りつけて幼い王弟を救った話と、王弟の卒業パーティーに才女を陥れようとした貴族たちが王弟の逆鱗に触れ全員の爵位が剥奪された話だ。また才女の古代文字の知識目当てに誘拐をされた話も人気が高い。美しい王弟もその美貌から多くの人につけ狙われたが、才女の機転と本人の立ち回りの上手さでそれらを解決し続けた。彼らの人生は物語の題材になりそうなものばかりで、劇作家はこぞってそれを書くのだ。
おそらく本当は目立つのが好きでなかった才女が聞けば目を回していただろうと、彼女の孫は穏やかに笑っていた。
読んでいただき、ありがとうございます。
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書きたいものだけ書いた感じが強いですね。楽しかったです。