(13)夫は新婚生活がやや不満らしい−1
「旦那さま、今朝は一緒に温泉に入りましょう?」
「もう、僕はお風呂入ったよ」
「それは昨夜のお話ですわ。日付が変わったのですから、またお風呂をいただきませんこと? 朝日が昇るのを眺めながら入る露天風呂は最高ですのよ」
「……僕はいいや。お風呂は一日一回入れば、十分清潔だし。ベスだけ行っておいで」
湯治というのものは、朝から晩まで暇さえあれば温泉に浸かるものなのだ。それを散々に説明したはずなのに、旦那さまは興味がなさそうに二度寝しようとしている。
朝から何度もお風呂に誘っているが、悲しいくらいに撃沈中である。
やはり昨夜、温泉で鼻血を出したことでイヤになってしまったのだろうか。だが、日頃から血行の悪そうな夫だからこそ、お湯に浸かるのは大事なことに思えるのだが……。
「旦那さま、気持ちが落ちているときはもちろん休養が必要です。けれど、今の旦那さまに必要なのは睡眠ではなく、お日さまの光と運動ですわ」
「……僕なんか、お日さまにあたってぐずぐずに溶けちゃえばいいんだ」
「あら、それは困りますわ。可愛い旦那さま、私をおいていなくなってしまうおつもりなの?」
にこりと微笑んですり寄ってみたが、夫は眉をハの字にしたままベッドの中に潜り込んでしまった。どうやらよほど昨夜の出来事がショックだったようだ。やはり、夫にも夫なりのカッコいいシチュエーションを実行したかった……というような後悔や反省などがあったりするのかもしれない。
カッコいい行動をしようとしてここぞというときにキメられない夫こそが私は大好きなのだが。かわいそう可愛い。
それにしても、まったく残念だ。朝のお風呂では、旦那さまの見守りという名の下、せっかくふたりで同じ温泉に入るつもりだったのに。
もしかして下心を見透かされていたがゆえに、お風呂を拒否されてしまったのだろうか。困ったものである。
「それでは旦那さま、お買い物にいきましょう!」
だが私はいつまでも温泉にしがみついたりはしない。
できる女は切り替えが早いのだ。混浴でいちゃラブができなければ、お散歩デートに買い物デートに変更するだけのこと。
直接的な裸の付き合いではなく、普段の押せ押せとは違う可愛い私を見せつけて、ギャップ萌えで夫をメロメロにさせてやろうではないか!
***
「旦那さま、素敵ですわ!」
「ベス、別に僕のことを無理して褒めてくれなくていいから。ね?」
何を言っているのだろうか? 夫をメロメロにするつもりが、まず最初に私のほうがメロメロになってしまった。
もともと顔の造りが悪くない夫が、私が選んだ服を身に着けているのだ。私好みに仕上がらないほうがどうかしている。
温泉に来たときとはまた異なるほどほどに肩の力を抜いた服装の夫は、変わり者のお忍び貴族という雰囲気で、私の心をことさらにくすぐっていた。
「なにをおっしゃるのです、旦那さま。最高にお似合いですわ!」
「そうかな? ベスはいつも綺麗だけれど、今日はとっても可愛いね」
「ありがとうございます! 私、今日はいつもとは異なる可愛い系で攻めることに致しましたの。ちなみに旦那さまは、可愛い系と綺麗系はどちらがお好きなの?」
「……僕は、どんなベスでも好きだよ」
はい、百点満点! でも、私は当たり障りのない回答ではなく、夫の具体的な好みを聞きたいのだ。絶妙に話をすり替えられたような気がして、私はもやもやを抱えつつ、夫の腕に手を絡めて街へと繰り出した。
温泉の周辺には街が形成されており、中心部ではマルシェも開催されている。
ただ前世の記憶と少しばかり異なるのは、このマルシェに並ぶ商品の値段だろう。高級百貨店に並べられていてもおかしくないような代物が、青空市場に並んでいるのだ。
前世の私の感覚が「正気か? 誰が買うの?」と問いただしてくるが、今世の成金令嬢である私の感覚が「いいぞ、値段のゼロの数をあとふたつばかり多めに付け加えちまえ」と囁いてきた。
やはり王族をはじめとするお偉いさんが遊びに来ることを考えると、それなりのお品物を準備する必要があるのだ。
おかげさまでマルシェは一般的な青空市――お手頃価格の商品を売り買いしたり、物々交換を楽しむ庶民の生活の場――ではなく、そういう雰囲気を味わいたい上級貴族たちのためのごっこ遊びの場になっているのであった。
「ねえ、ベス。これ、ベスに似合うと思うんだけれど、どうかな?」
「わあ、ありがとうございます!」
夫の選んでくれた木彫りの人形は、何かの呪術に使えそうな凶悪そうな顔をしたものだった。どうしてこんなトンチキ商品を選んでしまうのか。そもそも、こんな商品を売る許可を出したやつは誰だ!
私は後から青空市の責任者を絞り上げようと心に決めつつ、夫のトンチキセンスと金銭感覚の無さを修正するべく、マルシェに立ち向かうことにしたのだった。





