6話
御前試合は一種のお祭りである。
王城を中心として囲うように広がる街には出店が並び、王都全体が活気に溢れている。
闘技場の特別席にはすでに王族や貴族が並んでいた。その他の観客席にも庶民が大勢入っている。
これから行われる素晴らしい戦いを心待ちにしている観客達は、まだ試合前だと言うのにすでに高揚した熱気を放っていた。
それも仕方ないことだろう。
今年の御前試合は王族直轄の親衛騎士団と剣術で名を轟かすロマネス騎士団との対戦。期待値は否が応でも高くなってしまう。
彼らの声に応えるようにして、初戦を戦う騎士が両陣営から歩み出た。
同時に「わあーっ!」と闘技場を揺るがすほどの声援が包み込む。
ロマネス騎士団の先鋒はグラード。無骨なブレストプレートを着ている。左胸にロマネスの紋章が描かれている。
対して王族親衛騎士団側からは大柄の騎士が堂々たる態度で歩いてきた。
彼は親衛騎士団の副団長。やたらときらびやかな装飾が施された鎧が太陽の光を反射した。
二人は闘技場の中央で出会う。まさに騎士らしく一礼を交わした。
そして審判員からいくつかの言葉が告げられ、
「始めっ!」
端的かつ歯切れのよい開始合図と共に試合が始まった。
この二人は似たもの同士だったのかも知れない。お互いにまどろっこしい様子見などということはしなかった。
一気に間合いを詰め、そして模擬刀を幾度も激しく交わし始める。
それに合わせて観客席まで聞こえてくる気合のこもった声。
観客はまさにこれを見たかったと言わんばかりに大いに湧いた。
二人の実力は伯仲した。
お互いに一歩も譲る気はないことが伝わってくる。
壮絶な戦いが王族や貴族、庶民観衆の前で見事なまでに繰り広げられる。
そして――――。
「そこまでっ!」
審判員の声が轟いた時、そこに立っていたのはグラードだった。
跪く相手に息遣いも荒々しいまま、剣先を向けていた。
しかし流石は王族騎士団の先鋒を務めるだけはある。なんとも正々堂々たる戦いっぷり。
王国に聞こえし剣士ダルナスに日頃から稽古をつけてもらっているグラードであっても決して楽勝と言える戦いではなく、満身創痍と言った体であった。
だが、ここが本物の戦場であれば王族親衛騎士団の騎士の首は次の瞬間には落ちていたであろう。
この差が生死を分かつ。
グラードは観衆の声援に応えながらロマネス騎士団の控室へ帰った。
控室と言っても闘技場の直ぐ裏手。冷めやらぬ歓声がよく届いている。
しかしそこにはそんな歓声とは無縁とでも言える、浮かない顔をしたロマネス騎士団長のダルナスが座っていた。
強敵を相手に初戦を見事勝利で収めたグラードに他の騎士団員からは褒めの言葉が掛かかるが、領主であり団長であるダルナスは俯いたまま黙っていた。
明らかにダルナスの様子はおかしかった。
普段ならば大いにねぎらいの言葉を掛けるところであろうが、どこか落ち着かない様子で会場を気にかけてばかりいる。
グラードもその理由は察していた。
「団長」
「……グラードか……。勝ったか」
「ええ」
端的に答えたグラードは切り出した。
「マリア様。まだいらっしゃっていないようです」
「ああ……」
「……道に迷うということも無いでしょうに」
「貧民街へ寄ってからここへ来ると言っていたんだ……御前試合と知っているマリアが時間に遅れるとは考えられん」
「私もそう思います。マリア様が不要だと言って聞きませんでしたが、無理にでも護衛をつけるべきでした」
「……くそっ……何かあったのでは……!」
ダルナスは顔を手で覆って悔しがった。その姿に普段の豪胆さは欠片もない。
マリアを愛するダルナスを普段から見ているグラードは、その気持を汲む。
「団長、俺を捜索に行かせてください。貧民街なら先日行っております」
「グラード……お前は試合が終わったばかりだろ……」
「大丈夫ですよ、団長のシゴキはこんなものじゃない。そんなヤワな訓練はしてませんよ」
「…………」
「大丈夫ですから」
「だめだ。やはり俺が……」
「何をバカなことを言ってるんですか! マリア様のことが心配なのはわかりますが御前試合ですよ。さすがにマリア様だって陛下や殿下を前にして逃げ出す団長を望みはしないでしょう!?」
「……しかし……! マリアの行方が分からないんだ! 試合などしていられるか!」
我を忘れたかのようにうろたえるダルナスの肩にグラードは手を掛けた。
「しっかりしてください! マリア様を妻とした男でしょう!? ロマネス領の領主であり誉高きロマネス騎士団の団長でしょう!?
御前試合に勝利すること、それこそが団長のやるべきことです! マリア様への最高のプレゼントになるってもんでしょう!?」
「……っ!」
グラードの語気にダルナスは口ごもった。
ただ強気で言うグラードであっても試合による疲弊はかなりのものであった。
しかし自身のことは今はどうでも良い。マリアの行方が知れないことのほうが、グラードにとっても重要だった。
ダルナスとてロマネスの領主であり騎士団長であること。つまり御前試合を放棄するなどもってのほかだと言う事は当然わかっている。
ただマリアのことが気になって仕方がない。
「俺を行かせてください。かならず探し出しますから」
懇願するように真剣な目を向けるグラード。
ダルナスは苦渋の末、決断する。
「……わかった。頼む……」
「はっ! 必ずや!」
グラードは素早い返事をし、騎士の一礼。そして駆け足で控室を出ていった。
立場上マリアに対して何もしてやれない自分をダルナスは呪った。
「くそっ!」
叫んでテーブルに拳を打ち付ける。
「こんな時に何も出来ないなんて……夫として失格だ……」
打ち付けた拳がわなわなと震えている。
マリアに何かあったのかもしれないと思うと、いても立ってもいられないのだった。
*
ダルナスからの許可を得たグラードは闘技場の控室を飛び出した。
貧民街へ向けて馬を飛ばしていた。
マリアがどこにいるかは皆目検討は着いていないが、闘技場へ向かう前に貧民街へ行くとマリアが言っていたのは間違いない。
まさかこの王都でマリアの身に何か起こったとは考えにくい――――というよりもそんなことは考えたくなかった。
それは自分の主であり尊敬する騎士団長ダルナスの妻であるから、というだけではなかった。
マリアという一人の女性の人間性に惹かれるものがあったからでもある。
もちろんその心の内に淡く仄かに灯る想いがあったとしても、それをグラードは生涯表に出すことはないであろうが――――。
とにかく今言えることは、マリアの行方が知れないこと。それはダルナスだけの問題ではないということだった。
貧民街に着いたグラードは手近な者にマリアの事を聞いた。
「ああ、マリア様なら確かに来ましたな」
皆がしっかりと覚えていた。マリアは間違いなくこの場所に来ている。
しかし貧民街を直ぐに発ちどこかへ行ったという情報までは得られても、それ以上を知っている者は誰もいなかった。
それでもグラードは貧民街を彷い情報を集めるべく努めた。しかし有力な情報は何もない。時間ばかりが過ぎていく。
このままでは埒が明かない。焦りが募ったグラードは一旦貧民街を離れる決意をした。
貧民街から大通りに抜ける道。そこをまさに馬で駆けようとした。
その時だった。
街路の少し先で男の子がこちらに向かって手を振っていた。
気が焦っているグラードは普段らしからぬ少し厳しい調子で言った。
「危ないからそこをどくんだ!」
「ご、ごめんなさい……! でも、おにいちゃん! こないだマリア様と一緒に来た騎士だよね!?」
そう言われてグラードは気づいた。
この少年。そうだ。マリア様の手を引いていた子だ。
「そうだ! 悪いが今は急いでいる!」
「ねえ! おにいちゃん! マリア様が! マリア様が変な奴らに連れて行かれたんだ! どうしよう!」
「なんだと……!?」
グラードは子供の傍に素早く馬を寄せる。
「お前! マリア様を見たのか!」
「マント着た奴らがマリア様を馬車に乗っけて連れてっちゃったんだ! 僕、一生懸命走って付いていったんだけど、闘技場の近くの家に入っちゃって! マリア様大丈夫だよね!?」
連れさられた……? マリア様が……? 何者に……?
グラードは少年に手を差し出した。
「乗れ! 俺をそこに案内しろ!」
うん!と頷いた男の子をぐいとひっぱり自分の前に座らせる。
「しっかり掴まれ! 飛ばすぞ!」
「闘技場の方だよ!」
グラードは馬の腹に拍車を当てた。ヒィン!と鳴いて馬は勢いよく走り出す。
*
男の子の案内してくれた場所は闘技場の直ぐ裏手側だった。人通りの少ない街路の奥。古びた家があった。そしてその傍に確かに馬車が置いてある。
「あそこか?」
「うん。あの家だよ。僕、マリア様があそこに連れていかれるの見てたもん。ねえ、マリア様大丈夫? あいつら武器持ってたし、すごい強そうだったよ」
男の子は泣きそうな顔を向けてきた。
グラードはその頭に手を置いて優しく撫でた。
「よくやった…………なあ、お前。もう一つ頼めるか」
「なに?」
「俺はロマネス領の騎士。マリア様に仕える騎士だ。あそこの闘技場にはいま俺の仲間がいる。そいつらにもマリア様の居場所を教えてやって欲しいんだ」
「いいけど……おにいちゃんはどうするの? 仲間が来るのここで待ってる?」
「まさか。俺は先にあの家に行っているさ」
「えっ!? 嘘でしょ!? 一人でなんて危ないよ!」
「ありがとうよ。でも俺はこうみえて案外強いぞ?」
そう言ってグラードは笑顔を見せた。
少年を馬から降ろし、自身も下馬すると男の子の頭をぽんぽんと叩いた。
「頼むぞ。お前も立派なマリア様の騎士だ」
マリアに命を救われたことがある少年。
マリアの騎士――――そう言われて嬉しくないはずがなかった。
男の子は眼を輝かせた。
「うんっ! 任せて!」
グラードは走り出す男の子の背を見送った。しかしそれは一瞬。
マリアが連れ込まれたという家屋に振り向いた時。
すでにその目はひどく鋭いものに変わっていた。
それは御前試合の時ともまた違う。
グラードは少年が教えてくれた家の前まで行く。そこで一度立ち止まった。
扉の前で「ふぅ」と深く息を吐いた。
それは気持ちを落ち着かせる為ではあったが、決して緊張や恐怖を鎮めるためのものではなかった。
連れ去った男達がもしもマリアを傷つけるような事があったとしたら――――。
そう考えると自身の怒りが抑えられなかったからだ。
しかし吐いた深い息の効果はまったくなかったと言える。
激昂した感情が止めどなく溢れ出る。先程の試合の疲れなど、もうどこにも感じなかった。
ガンッ!
グラードは今一度睨みつけると、扉を勢いよく蹴り飛ばした。
古びた扉ではあった。しかしグラードの蹴りの勢いは凄まじかった。
鍵が破壊され扉は室内に吹き飛ぶ。ガンガンッ!と跳ねるようにしてから、やっと部屋の中で横たわった。
グラードの視界に飛び込んできたのは、驚いた顔をした男3名。
そして藁の上に縄で手足を縛られているマリアだった。
マリアのその姿を発見した瞬間――――安堵。そしてざわざわとした黒い感情がグラードを染めていった。
「なんだてめぇ!」
一人の男が叫んだ。
しかしグラードの耳にその声は届かない。
その代わりにキィンと甲高い音がグラードの腰元から鳴る。
鞘から剣を抜き放つ。
「前に出ろ」
剣先が男達に向けられた。
血に染まるのを待ちわびるように剣身が怪しく光っている。
「マリア様に指一本でも触れたヤツは前に出ろ―――俺が死をくれてやる」