7、諦めたくないこと
お母様は病気になって家でも姉さんをいじめなければならない。話はそれで終わりだと思ったのに、まだ何かあるらしい。
「今までこの屋敷に仕えていた使用人は皆今日で解雇することにした。もちろんお前の侍女であるマリーも例外ではない」
「え? ど、どうしてですか? マリーがいなくなる必要はないはずです」
「落ち着きなさい」
取り乱した私を、お父様は一言で窘めた。
「今いる使用人は、お前がノエルをいじめていないことを知っている。それでは困るんだ。それにエミリアが病気になったことは隠しておきたい。他の貴族から何を言われるかわからんからな。うちみたいな弱小貴族は弱みを見せることは命取りになる」
「それはつまりマリーが言いふらすことを心配しているんですよね? マリーにはきちんと言いつけます。彼女は私に害のあることは決してしません。だから、どうか彼女だけは私のそばに置いておいてください」
「もう決めたことだ」
お父様は私の言葉に聞く耳を持たない。
「お願いします」
私は立ち上がり、地べたに座って頭を下げた。マリーのためなら、私はなにを捨てても、どんなことをしても取り戻す。私にプライドなんてものはない。
「そんなことをしても無駄だ」
しかし、お父様に私の願いが届くことはなかった。
顔を上げてお父様を見ると、私を冷ややかな目で見ていた。それはとても娘を見る目ではなかった。私は一瞬怖気付いた。しかし、ここで引き下がるわけにはいかない。ここで引き下がるとマリーと離れてしまう。
「お母様に叩かれても、怒られても文句は言いません。だから、マリーだけは連れて行かないでください」
泣きたくないのに涙が流れる。マリーがいなくなると思うと自然と涙が出てしまう。
「泣いても無駄だ」
しつこく食い下がる私に腹を立てたのかお父様は私をキツく睨み、部屋を出ようとした。
「マリーがいないなら私は姉さんをいじめません」
「好きにしろ。それでお前が後悔しないならな」
お父様がこちらを見ることはなかった。
もう何を言っても無駄だろう。私の言葉はお父様に届かない。これ以上何か言うとお父様を怒らせてしまいそうだ。もう諦めるしかないのか。
思い返せば諦めてばかりの人生だ。マリーでさえも私の手から離れていく。彼女がいなくなれば私は1人になってしまう。
お父様の後ろ姿を見ながらそんなことを考えていた。
すると突然姉さんが立ち上がった。
「お父様、私からもお願いします」
「姉さん!」
今まで黙っていた姉さんが、私を庇ってくれた。
「ノエルがこいつの味方をするとは意外だな」
「だって大切な妹ですもの。当然のことですわ」
「まあいいだろう。好きにしなさい」
「ありがとうございます」
私は後ろ姿のお父様に頭を下げた。
私が何度頼んでも聞き入れてくれなかったのに、姉さんの言葉はすんなり聞き入れてくれた。普段ならこの対応の差に悶々とするところだが、今はそんなことはどうでも良かった。マリーを諦めずに済んだのだ。彼女が私のそばにいるなら他はどうだっていい。
お父様が部屋から出ていき、私は膝から崩れ落ちた。お父様に反抗したのは生まれて初めてで、今になって体が震えてきた。
怖かった。でも、マリーがいなくなることの方が怖かった。
「姉さん、口添えしていただきありがとうございます」
「あなたには私をいじめてもらわないと困るもの。まあ、お父様もお母様も私の願いならなんでも聞き入れてくれるんだから私には逆らわないことね」
「ええ、わかってる。完璧に演じてみせるわ」
「それにしてもまさかこんなことになるとは思わなかったわ。でも、お母様が信じてくれた方が信憑性も増すし、悪いことではないわね」
姉さんは軽い足取りで、部屋を出ていった。
「ジュリアナ様、大丈夫ですか?」
姉さんとすれ違うように部屋に入ってきたマリーは床に座り込んでいる私を起こしてくれた。
「あの、一体何があったのですか? 他の使用人はみんな出て行ったようですし、私も出て行くように言われたのですが、部屋から出てこられた旦那様にこれまで通りジュリアナ様に仕えるように言われて何が何だか」
いつも冷静なマリーもこの状況に困惑しているようだった。私はマリーにここで起きたこと全てを話した。
「なるほど、奥様が病気に。それで、あのようなご様子だったのですね。しかし、それではあまりにもジュリアナ様の負担が大きすぎます。屋敷の中でもだなんて」
「お母様にあまり刺激を与えないようにするにはこれしか方法がないのよ、仕方ないわ。私が姉さんをいじめれば全て丸く収まるのだから。それにきっとここでの生活もすぐ終わるわ。だからほんの少しの辛抱よ」
姉さんが伯爵家に行くまでだ。終わりがあると思えば耐えられる。終われば幸せが待っていると思えばそれほど苦でもない。それに今までも姉さんのことはいじめていたのだ。だから今までとそんなに変わりはない。外でしていたことを家でもすればいいだけだ。お母様からは責められるだろうが、それさえ耐えればいい。
だからそんなに辛くはないだろう思っていた。
しかし、またしても私の考えは甘かったとすぐに思い知らされた。