5、変わっていく自分
それから何度かレナード様と顔を合わせたが、その日以降私に話しかけてくることなかった。今までは周りを見る余裕がなかったから気づかなかったが、彼女も少し周りから遠ざけられているようだ。公爵という立場があるから周りに人はいるものの挨拶が終われば皆、彼女のもとを立ち去っていく。
『変人』といレッテルを貼られた彼女もまた独りだった。私と同じように。それでも、一緒にいることはできなかった。
そんなある日屋敷に帰ると、すでに帰っていたらしい姉さんが意気揚々と話しかけてきた。
「ねえ、あなたのおかげで伯爵様のお屋敷に招かれたわ。今日はなかなかよかったわよ」
そういう姉さんの顔は幸せそうだ。私はその顔を見ていると姉さんに酷いことを言ってしまいそうで、気持ちを抑えるために手のひらに爪が食い込むほど力強く拳を握り締めた。
「そうですか。おめでとうございます」
私はそれだけ言うと足早にその場を立ち去った。
「えっ、ちょっと、ジュリアナ?」
私を呼ぶ声を無視して自室へと向かった。今の私に姉さんの幸せを祝う余裕なんてなかった。最初は姉さんの幸せを願っていた。でもいつしか姉さんのためにどうして私がこんな辛い思いをしなければいけないのかわからなくなっていた。自分の幸せは自分で掴めばいいのに。私を利用して幸せになるのが許せなかった。私にこんな思いをさせる姉さんが憎い。
そこまで考えてふと我に帰った。
今、私何を思っていた?
私の心の中に前はなかった黒い感情が渦巻いている。さっきだって、姉さんにあんな態度をとるなんて私らしくない。今までの私だったら心の底から姉さんの幸せを喜んでいたのだろう。
そもそも私らしさって一体なんだろう。どれが本当の私なんだろう。
「ねえマリー、私ってどんなだったっけ?」
昔からずっと私のそばにいるマリーに聞いてみたけれど、マリーは急にこんな訳のわからない質問を投げかけられて困惑している。
「ごめん、なんでもない。私、そろそろ寝るわ」
姉さんをいじめたあの日から私自身もだが、マリーにも笑顔が少なくなっている。私がマリーの笑顔を奪ってしまったのだ。
最後にマリーの笑顔を見たのはいつだったか。
最後に私が心から笑ったのはいつだったか。
そんなことを考えながら寝たからか、その日は初めてマリーと出会った頃の夢を見た。
マリーがこの家に来たとき私は7歳、マリーは16歳だった。
あの時の私はわがままでめんどくさい少女だったと思う。今思えばマリーにはたくさん迷惑をかけた。両親に構ってもらえなくて、その分マリーにたくさんわがままを言った。いや、意地悪と言った方が正しいのかもしれない。
「あれが欲しい」「あそこに連れて行ってほしい」「こうしてほしい」
無茶なお願いを何度もした。でも、マリーはどんなに無茶なお願いも可能な限り叶えようしてくれた。どんなに意地悪をしても嫌がることはなかった。もちろん私が悪いことをしたらきちんと叱ってくれた。年齢で言えばマリーは私の姉ぐらいの歳だが、私にとっては母のような存在だった。実の母より愛情を注いでくれた。
そんな彼女の姿を見て育ったから、私も人に優しくすることができるようになった。マリーは私のことを優しいと言うけれど、私の優しさはマリーの優しさだ。彼女がいなければ今の私はいないだろう。
夢の中にいるマリーはよく笑っていた。そして、私も笑っていた。いや、正確には笑っている私を見て、マリーは笑っていたのだ。
そこで私は目を覚ました。
今の私はあの時のマリーと同じ歳だ。もし、私がマリーと同じ立場だったら、同じようにできるだろうか。7歳のわがままな少女を無条件に愛せるだろうか。
その日の朝、私はマリーに夢の話をした。
「私ね、今日マリーと初めて会った時の夢を見たの」
「それはまた懐かしいですね。もう10年近く前になりますか」
私の着替えを手伝いながらマリーは昔を思い出して、微笑んでいた。
「そう、それで私、マリーみたいになりたいなって思ったんだよね」
「私みたいにですか? それは嬉しいですけど、私はそのままのジュリアナ様がお好きですよ」
「マリーなら絶対そう言うと思った」
「あら、見透かされてましたか」
マリーがそう言った後、私たちは顔を見合わせて笑った。
今、気づいた。マリーが笑っていると私も嬉しくなる。きっとあの頃のマリーもこんな気持ちだったんだろう。この先、私がどんなに変わろうとこの気持ちだけは絶対に忘れない。マリーと私の幸せは誰にも壊させない。
私は朝食を食べ終えた後、姉さんの部屋に向かった。私たちの幸せを守るために。
「ノエル姉さん、私だけど今いいかしら?」
「ええ、どうぞー」
私は扉を開けて部屋に入った。
「朝からどうしたの?」
今日は機嫌がいいらしく、私の知ってる姉さんだった。おそらく伯爵にお呼ばれしたからだろう。タイミングが良かった。
「この前、姉さんが伯爵家に嫁げたら私にお礼をするって言ってたよね?」
「ええ、確かに言ったわね」
「そのことなんだけど、私とマリーが一緒に住める家を用意して欲しいの。住めれば小さくてもいいし、場所はどこでもいいの。誰も私たちのことを知らないところなら」
「そのくらい別にいいけど。本当にそれでいいの?」
「うん。それが私の願いだから」
「わかったわ。約束する」
「ありがとう」
私は噂のせいで結婚できないだろう。すでに私の悪い噂は広まっている。こんな私に婚約が申し込まれることもなければ、受けてもらえるはずもない。
それなら誰も私のことを知らないところでマリーと2人で生きている方が幸せになれる。夢で見たように笑い合って過ごせる。それだけでいい。それ以上は何も望まない。
私は自室に戻り、姉さんと話したことをマリーに伝えた。
「本当ですか! それは良かったです」
あの頃の幸せがもう一度手に入るならこの辛さも我慢できる。幸せになるためなら悪役だってやりきってみせる。
しかし、そのとき私は考え事をしていたので気づかなかった。
マリーが複雑な顔をしていることに。