その2
「ひっぐ、ぐす、うぇええ、おかーさぁん…!」
ああ、もう、格好悪い。何なの、子供みたいじゃない。
お母さんって言葉を何回重ねたら気がすむのかな!
えぐえぐ泣いてる自分を見ている自分が呆れた顔で見つめてる。
でもだってもうしょうがないじゃない!
もうわたしはだめなんだ。
言葉もよくわからないダークファンタジーの世界で飢え死にか奴隷にでもなって死ぬしかないんだ!
異世界転生なんてくそくらえだ!
ご都合主義な展開なんて所詮なろう小説の中だけだよチクショウ!!
あ”~~!!もう!!もう!!も~~~!!!
悲しいが行き過ぎてだんだん腹が立ってきて、馬鹿みたいに泣き叫んで拳を振り回す。
もうどうとでもなれ!!
「××〇〇」
ポンポンと軽い衝撃が私の頭に触れる。
はっとして顔を上げた。
へたり込む私の前には、しゃがんで顔を覗かせる謎の自衛隊のおにいさんがいた。
心配そうに私を見てる。
「✖××□???」
「………わ、わかりません」
「…A&rRROlppy?」
「???」
さっきの言葉と音が違う気がする。
もしかして違う言葉で話しかけてくれてるの、か、な?
いやでも結局わからないことには変わりないんだけども。
おにいさんの唇からまた違う発音が漏れるけれど、やっぱり私はへの字口で見上げるしかできない。
おにいさんは眉を寄せて顎に手を当てて悩んでいる。
もしかして私とコミュニケーションをとろうとしてくれてる…?
おにいさんは周囲を見回し、取り囲む人たちに話しかけている。
往来の人々は顔を見合わせて首を振っている。
おにいさんが立ち上がった。腕を組んでまた思案顔、をしていたのはほんの数秒。
ふいに私の身体が宙を浮いた…!?
「うぇああ!?」
おにいさんが子供を抱き上げるように私の両脇に手を突っ込み、ぐんと上に引っ張ったのだ。
私の背筋は伸びて、スニーカーの踵が地面にトンと着く。
私、特別軽いわけじゃないけど(標準体重だよ!?)、この人めっちゃ力強くない?!
やっぱり自衛隊の人だから鍛えてるのかな?!いや自衛隊なのかどうかわからんけど!!
「あ、あの」
「〇〇★」
おにいさんの手が私のスカートにへばりついた泥をぱんぱんとはたいている。
上から見下ろすのは笑顔だ。
見知らぬ他人でも優しい笑顔を見ると不安が少しだけ和らぐのはなんでだろう。
おにいさんはふっと指を動かした。
目で追う指の先には町往く人たちが歩く道。お店が立ち並ぶ先を指さしている?
そしてもう片方の手が私の手を優しく包む。くっと軽く引っ張る動作。
「あっちに、行く、ってこと、ですか?」
どこかに私を連れて行くつもりなのかな?
この世界の警察とか?
…あるいは奴隷市場、とか……?
オタク知識で仕入れた嫌な設定が頭の中を駆け巡った瞬間、身体が硬直して地面にへばりついてしまった。
このまま素直について行って、それでいいの?
ご都合主義な展開に期待したい。警察?に保護されたい。
でもこういう時に限って人生はいつだって嫌な方向に転がるものじゃない?!
1/100の確率で隕石が落ちるっていう博打ならそれを引き当てる未来しか見えやしない。
でも。
よくわからない子供に泣きつかれて、怒りもせず放置もせず、この場にとどまって言葉を何度もかけてくれるおにいさん。
笑顔を見せてくれるのは私を安心させようとしてくれているのかもしれない。
その優しさを信じたい。
その優しさに縋り付きたい。
「………」
私は小さく頷いた。
すると彼はホッと胸をなでおろしたような顔になる。
握った私の右手を軽く引っ張り、再度「行く」の合図を見せてくれた。
そうして私は彼に手を引っ張られて歩きだす。
興味深そうに私たちを見ていた人たちの視線はなかなか離れなかったが、取り囲む輪から抜け出しても特に何をするでもなく、去って行く私たちの背中を見送るだけ。
振り返れば、なんとなく、この流れに安心したような顔を見せている人もいたような気がする。
「あの場でわんわん泣かれ続けてもそりゃ迷惑だもんね……。
この人が対応してくれて安心したって感じなのかな」
おにいさんは背が高い。
私が155㎝でやや小柄なせいもあるかもしれないけれど、頭一つ分以上は身長差がある。
だから歩幅も当然違うけれど、私の歩調にあわせてくれてる感じだ。
気遣いが凄くできる人みたい。
手を握って私を先導する彼は、その服装をあいまって、災害救助で活躍している自衛隊員そのものに見えた。
――――――本当に自衛隊員だったらよかったのに。
うつむいて零れるため息。
だんだんと視線は足元ばかりを見るようになっていく。
前を見るのが怖い。
見慣れない文字に囲まれた街が嫌でもここが異世界だと自覚させて、自分がこのままどうなるのかわからない不安感に襲われるから。
と、唐突に私の右腕がくいくいっと引っ張られた。
顔を上げるとやっぱりそこにはおにいさんの笑顔がある。
そして彼の右手が目の前にあるお店?らしき建物を指さした。
ここが目的地?
「……なんか食堂みたい…」
そう、目の前にあるのはファンタジー漫画でよく見るような「冒険者の宿」っぽい外観なのだ。
二階建ての一軒家。一般サラリーマン家庭の持ち家よりちょっと大きめ?
坪数とかよくわかんないから、例えにだすなら、6LDK住まいの裕福な友人の家くらいの大きさだ。
ちなみに私の家は4LDK。一軒家だけど小さいよね。
それはともかくとして、正面にある大きな両扉は左右に開かれっぱなしで、街の人たちが躊躇なく出入をしている。そういうのってなんか冒険者の宿屋っぽいよね?
入り口にはこれまたそれっぽい立て看板も置かれていた。
文字は全然読めないけど!
それらの物的証拠を踏まえて私は確信する。ここは絶対食堂だ!
だって店の奥からふわぁあっとめっちゃ美味しい香りが漂ってきて鼻をくすぐるんだもんッ!?
「な、なんか焼きめしっぽい匂い…!?え、やば、しょうゆっぽい匂い美味しそう……!!」
そう呟いたのと同時にお腹の虫がぐぎゅるる~~と鳴っていた。
「ははは」
そのお腹の虫の声が聞こえたみたいでおにーさんが笑う。
あ、笑い声は日本語と同じだ。いや当たり前か…。
そして彼はもう一度「食堂」の正面を指さす。
彼が私を連れて行こうとしたのは警察署でも奴隷市場でもなかったっぽい。
泣く子には御飯で機嫌を取ろうってこと?
なんて、今の私が、上から目線で感想を言える立場じゃない!
――――――多分、ううん、絶対、この人は良い人だ!
後から考えてみればこれは雛鳥の刷り込みたいなものだったのかもしれないけれど、頼る人が何もない状況に、この時の私はすっかり目の前の彼を信用してしまっていた。




