九話:仮面の方士
宴の出席は許されたのに、何故かまた経過観察に戻された私、巫女の施伯蓮。
今日は宮城の中の薬草園に来ている。
「暇だろうし、東屋で座って待ってていいんですけど」
「いえ。今日の私の仕事は巫女さまの籠を持つことにあります」
いつもついて来るだけだった宮女さんは、最近仕事熱心で待っててくれない。
そんなきりっとした表情で言うことかな?
今日なんて師匠に指定された薬草を間違わず規定数集めるって課題だから、ひたすら地味なのになぁ。
「そうだ。あの、師匠が最近忙しそうなの、何か聞いてません?」
何種類もの薬草がもっさり生えてる薬草園は、草の迷路のようだ。
見通しが悪く葉影が多い。薬草園を管理する側は何処に何を植えているのかわかってるんだろうけど、私からすれば見分けが難しい。
「師匠、こういう薬草摘みとか、関連書物を読んで疑問点を十個上げた上で、自分なりに調べて持って来いとかばっかりで」
「越西師の教えが次の段階に移行したのではないでしょうか? 巫女さまがそれだけ錬丹術を修めた成果では?」
「その割には勝手に実験するなってうるさく言われるんですよ? 錬丹術の醍醐味って、回復薬から攻撃手段まで多種多様に作れることだと思うんですけど」
「…………先日絨毯の一部を溶かした溶液は、なんのためにお作りに?」
「…………その、まだ作り方習ってないけど、ちゃんと回復薬の過程で使う溶液でして、はい」
そんな話を気晴らしにしながら、私は薬草園を歩き回る。
ふと、他人の足音を聞いて、摘んだ薬草を片手に立ち上がった。
見れば、方士であることを表す大きな飾り帯と特徴的な冠の人物が薬草園に入って来ている。
長い黒髪を揺らして私を振り返った方士は、口以外を覆う無機質な仮面をつけていた。
「阿鼓?」
仮面の方士は風と共に姿を消したと思ったら、吹き付ける風と共に私の目の前に移動していた。
「巫女さま? 本当に?」
仮面をつけた珍しい風体に、宮女さんは警戒気味だったのが突然の接近で完全に怯えてしまう。
当の阿鼓こと河鼓は、気にしていない。あどけない声で私の実在を確かめるように言った。
河鼓は、妖婦討伐の旅に同行してくれた方士だ。私は阿鼓と親しみを込めて呼んでいる。
「久しぶりだね、阿鼓。その冠と帯って宮廷方士のものでしょ? お城で働くって聞いてたけど、初めて会えたね」
「うん…………うん…………会いたかった」
口元に微かな笑みを浮かべて、河鼓は仮面に手をかける。
現れたのはまだ少年らしさの残る整った顔。表情を作るのが下手で、普段はもっとむすっとしてるんだけど、今は笑ってるのがわかりやすい。
そんな河鼓の目は左右で色が違う。薄い茶色の瞳と、花のように淡く可愛い薄紫の瞳。
何より目を引くのは、薄紫の瞳を囲むように赤く浮かび上がる文様。
改めて見ると、私の胸の妖婦の呪いに似た色をしている。
「阿鼓、無理に外さなくてもいいよ?」
「ううん。巫女さまは、自分の目で見ていたい」
「そう?」
河鼓の顔の文様は、最強の方術を研究していた父親によって刻まれたもの。
方士自身を術の媒介に昇華させて強力な方術を容易に使用っていう、私にはよくわからない理論を実践したそうだ。
けれど施術後、父親は子供を犠牲にする実験の末に、苦痛に耐えられなくなった河鼓の暴走により亡くなった。
河鼓に残ったのは父親を殺した呪われた文様と、暴走で変質してしまった薄紫の瞳だけ。
「お仕事忙しいんでしょう? 周りの人たちとは仲良くやれてる?」
「業務に支障はないよ。それに、忙しくもない」
「そうなの? 妖婦の残した文献を研究してるって師匠に聞いてたけど?」
「うん、そう」
会話終了。
いや、終わらせないけどね。
河鼓は方術狂いの父親に育てられたせいか、会話が苦手だ。本人に悪気がないとわかるまで、旅の間、衝突もあった。
こうして笑いかけてくれてる姿に、感慨深いものを感じる。
「えーと、今度ゆっくり会わない? 半年の間の阿鼓の話聞きたいな」
「…………駄目」
首を横に振った河鼓は、俯き気味になる。
これは、たぶん駄目な理由があるんだ。
「どうして駄目なの? あ、お城って身分で行っちゃいけない場所あるから?」
「違う。仙人さまが、駄目って」
「師匠が? 確か師匠って、妖婦の呪い関係で宮廷方士と関わってたよね?」
「うん。…………僕は、呪いを感じやすいから、駄目って」
どうやら私の呪いのせいで、河鼓は会いに来ることを止められてたみたいだ。
申し訳なさそうに、色違いの瞳で私を上目に見る。
「なんだ、そっかー。仕事忙しいんだろうとは思ってたけど、誰も会いにも来てくれないから忘れられてたのかと思ってたぁ」
師匠もそれなら言ってくれれば良かったのに!
…………師匠にそんな細かい気づかい求めるだけ無駄な気もする。市井で暮らした私が呆れるくらい人間関係に雑な時があるんだもん。
私を巫女として預言しておいて、大変なことになってるって聞いてようやく動くところとかさ。
師匠の実力の高さを知った旅の後半で、そんな実力あるなら最初から面倒見てよって、ちょっと思った。
「あ! ってことは今こうして会ってるのまずいんじゃない? 結局、呪いの効果わかってないんだし」
「妖婦、龍を従えた、精神干渉の術の研究ばかり。呪いも、その類かもって言われてる」
「そうなの? うーん、私は精神干渉されてる自覚ないんだけど?」
「まだ、検証も何もできてないから、言っちゃ駄目」
「今言ったよね?」
河鼓は相変わらず独特だ。
思わず笑うと、河鼓もつられて笑ってくれた。
「巫女さまの声、嬉しい」
「私も久しぶりに喋れて嬉しいよ」
「違う。声、気持ちいい。どうしてだろう? ずっと聞いてたい。力が抜ける。頭がぽわっとする」
「本当に忙しくない? 疲れてる?」
表情があんまりないせいで、うっとりしてるのか眠いのかわからない顔になってるよ?
私が手を出そうとすると、それまで黙っていた宮女さんが声をかけて来た。
「巫女さま、救国の功労者である方士どのとの再会で多めに見ましたが、そろそろお言葉遣いをお直しください」
「はぁい」
「間延びした返事ではなりません。それと、淑女たる者、異性への軽率な接触は避けるべきこととされております。そのために室も座も別にするという伝統があるのです。規律の意義を軽んじるようなことはなさいませんよう」
「はい」
わー、小言姿勢に入っちゃった。
私がいつまでも礼儀を身につけないのが悪いんだけどね。
けど、久しぶりに会えた仲間と気軽に話もできないなんて世知辛いなぁ。
河鼓も同じ思いなのか、ちょっと私の後ろの宮女さん睨むように目を細めた。
そんなことしたら宮女さんが可哀想だよ。話題を振って気を逸らさなきゃ。
「阿鼓、私この間の宴で献籍にも会ったの。献籍とは会うことある?」
「うん、僕が心配って言って。昨日も会った。けど、宴の巫女さま、聞いてない」
河鼓はなんだか不満そうに呟く。
献籍に子供扱いされるのが嫌なのかな?
面倒見のいいところあるから、もしかしたら献籍は他の旅の仲間とも連絡を取ってるかもしれない。
今度会ったら聞いてみよう。
そんなことを考えていると、不意に河鼓が私の袖を引いた。
引かれて前のめりになると、思いの外近くに河鼓の二色の瞳が並んでいる。
「もっと話して、巫女さま。その声を聞かせて」
「え? えーと、方術は、手加減できるようになった?」
「うん、少し…………」
少しかー。
天才的な方術への適性を後天的に与えられたことで、河鼓は方術を使うのが苦手な方士だった。
「どうして宮廷方士になろうと思ったの? やっぱり腕を磨くため?」
「それなら、方術好きに使う、用心棒になる」
「あ、そうだね」
「巫女さまのため」
「え?」
「巫女さまの、力になるため。僕は、あなたの、力になりたい。あなたを、守りたい」
うーん、気持ちは嬉しいけど、もう守ってもらわなきゃいけないような、命の危険がある状況にはなってほしくないんだけどなぁ。
答えない私を河鼓がより引き寄せた途端、背後から叱責のような声をかけられた。
「施娘!」
「あ、え、太子さま?」
「何をしている?」
いつにない険しい表情は、河鼓に向けられていた。
河鼓は普段の無表情になると、じっと王太子を観察するように見る。
その視線に王太子は上位者らしく堂々と立って河鼓に詰問した。
「宮女を方術で拘束して、何をしているのか聞いているのだ」
「え?」
言われて私は宮女さんを振り返る。
「…………は…………ぁ!?」
まるで今ようやく息ができたとでも言うように、弾む息を繰り返す宮女さんの姿に、王太子の指摘が正しいことがわかる。
「阿鼓?」
「巫女さまを、責めるし、話、邪魔するから」
「そんなことしちゃ駄目よ。方術じゃなくて、ちゃんと言わなきゃ。今までこんな乱暴なことしなかったじゃない」
叱ると河鼓は目を瞠った。愕然とした河鼓は、仮面をつけると宮女さんに頭を下げる。
そして王太子にも礼を取ると、結局王太子の質問に答えることなく背を向けてしまった。
「ちょっと、阿鼓? 阿鼓…………またね!」
立ち止まってくれないことを察して声をかけると、ちょっと振り向いたのがわかった。
たぶん、河鼓なりに応えてくれたんだと思う。
私は宮女さんの手を取って籠を受け取り、体に不調がないかを確かめる。
河鼓に代わって宮女さんに謝っている私を見下ろして、王太子はぽつりと呟いた。
「私と会う時に、またとは言ってくれないのに…………」
「へ?」
聞き直そうとした私は、宮女さんに押さえつけられるように腕を掴まれる。
「太子さま申し訳ございません、体調が優れませんので、今日のところは御前を失礼させていただきます」
「え、大変! それじゃ太子さま、これで!」
私は王太子の返事も聞かず、宮女さんを支えると急いで薬草園を後にした。
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*ちょっと解説
「阿鼓」の「阿」は日本語で言う「~ちゃん」に近い中国の古い呼び方。