七話:異変の予兆
妖婦討伐から半年が経ち、私、施伯蓮は初めて宴という華やかな場へと足を踏み入れた。
「うひぃ…………」
「こら、変な声を出すな」
つい心の声が漏れた私は、師匠に怒られて口を引き結ぶ。
閣と呼ばれる四方の壁を取り払った広い宴会場。
一段高くした所には国王が座り、左右に並んだ柱の間には、人々が腰を屈めて控えている。
そんな人たちの間を通り、私は今から国王に挨拶しなきゃいけない。
「お前さん、凱旋の時にはもっと堂々としてただろう」
「あの時はみんなに帰りの間中、練習手伝ってもらってましたもん。それに、王さまに挨拶する時もみんな一緒だったですし」
「だから俺を引っ張り出したのか」
「一人じゃ不安なんですよ。師匠、助けてくれるって言ったじゃないですか」
「こういうことじゃねぇんだよ…………」
私たちはこそこそ言い合いながら、着飾った臣下や位の高い女性の間を進む。
いや、今日は私もこの中の一員だ。
なんせ、床を引き摺るほどの立派な衣装を着てる。
宴会の華やぎに合わせて赤や橙、黄色で彩られた衣は、王太子妃である姜春嵐が似合うとお墨付きをくれた。
髪型やお化粧も、宮女さんたちが試行錯誤して工夫してくれたんだもの。
私は浮いてない、はず!
「引き受けたからにはちゃんとエスコートしてやる。だから跪く時にこけるのだけはやめろ。俺も恥ずかしい」
「えす…………? あ、危なかったら支えるくらい言ってくださいよぉ」
真顔で注意する師匠も、今日は仙人風のずるっとした衣じゃない。
いつも流しっぱなしの長い白髪を纏めて、額を露わにしてるのは新鮮だ。
刺繍の施された礼装を着こなす姿は、小慣れた感じがあって、本当に宮仕えしたことあるんだと頷けるもの。
「見た目何処かの王侯貴族なのに、中身はいつもの師匠とか詐欺だぁ」
「はいはい、わかったからそろそろ黙れ」
おざなりにあしらわれた。
けど、確かに王さまと王族方の近くまで来てしまってて、無駄口を叩いていられる場面ではなくなる。
主賓扱いの私が、一番最初に挨拶に行く段取りになってるんだから。
緊張で心臓がバクバクしてる中、王族の列に並ぶ姜妃と目が合った。
こそっと顔をあげて、片方だけ眉を上げると笑ってくれる。
きっと、私の緊張を見て励ましてくれたんだろう。
そんな目だけのやり取りが、なんだか親しみを感じられてちょっと嬉しくなる。
「やれたじゃないか」
なんとか転ばずに王さまに挨拶した私に、師匠はそう言って笑った。
まず移動も挨拶もずっと頭を下げて王さま直視しないとか、頭に冠や玉の飾り乗せてる人たちに無茶ぶりし過ぎだと思う。
けど、そんな不満は今言えない。
まだ宴は始まったばかり。私は次、挨拶される側に回る。
正直、決められた言葉をお互いに言い合って終わった王さまとの挨拶で、気力を使い果たした。
「ほら、しっかり歩け。この後は座ってればいいんだから」
「うぅ、簡単に言わないでください。聞き逃したりしたら教えてくださいよ? そのための師匠なんですから」
「お前さんなぁ」
女性と同じ座に入れる男性は、目上の身内か社会的に許される身分の人。
俗世を離れた仙人で師匠という、許される範囲に入ってるからには宴の間中つき合ってもらう予定だ。
「危なっかしくて、社交界入ったばかりの令嬢を見るみたいな気分になるな」
「なんですかそれ? 西のほうの話ならわかるように言ってください」
「膨れるな。その顔も見られてるってこと、自覚しろ」
今は宴を本格的に始めるための移動中。私のように所定の位置に行く者、宴が行われる庭園に出る者などみんな動いてるけど、主賓の私が通ると頭を下げてくれる。
それだけ私の姿にみんなが注目して意識を払っているってことだ。
「もう帰りたい…………」
「早いな。旅してた時の体力何処いった?」
「華やかな場にいるってだけで、すっごく体力と気力を削られるんです。平民を舐めないでください」
「きれいなおべべ着てんだ。楽しめ」
「おべべ…………」
師匠って、たまに言葉遣いがお爺ちゃんになる。
なんて思ったら、見透かされてたみたいで、赤い瞳がちょっと怒ったように細められた。
「言いたいことがあるなら言ってみろ」
「言ったら怒るくせに」
「言っていいとは言ったが、怒らないとは言ってないからな」
「大人って狡いんだぁ」
そんなやり取りをしている私たちに、近づく足音があった。
「ずいぶん、仙人さまと仲がいいんだね、施娘?」
「姜妃さま、太子さま」
「俗士の身ながらお招きいただき感謝いたします」
私が何も言えない間に、師匠は位の高い二人に挨拶をする。
咄嗟に意味がわからない私と違って、姜妃はまごつくことなく微笑み返した。
「まぁ、ご謙遜を。仙人越西の名は広く海内に轟いておりますのに」
「あなたほどの方を我が城に招けたこと、誉れとせずにいられましょうか」
さすが王太子。姜妃と並んでそつなく師匠に返す。
私、置いて行かれてます。師匠が謙遜とか、誉れとか、よくわかってません。
下手に口を挟んでぼろを出さないよう黙ると、何故か王太子が心配そうに見て来た。
「楽しげな様子に声をかけてしまったけれど、会話の邪魔をしてしまったかな?」
「え、いえ、そんなことないです。大した話してませんでしたし」
同意を求めて師匠を見れば、どうだったかなとはぐらかすように肩を竦められた。
そんな気軽なやり取りが無礼だったのか、王太子の表情が曇る。
と思ったら、なんだか師匠の雰囲気も硬くなった。
「おいおい…………」
「師匠?」
師匠が私の呼びかけに目を向けるのと、姜妃が王太子に声をかけるのは同時だった。
「悧癸さま、わたくしたちもそろそろ座へ移動すべきかと」
「まだ早い気もするけれど?」
「どうか、あちらで待つ父から、最初にご挨拶をさせていただきたく」
「あぁ、すでに待たれているのか。それでは施娘。楽しんでいてくれ」
「は、はい」
何故か不服そうな王太子を連れて、姜妃は私たちから離れた。
肩越しに振り向いた姜妃は、初めて会ったはずの師匠に気遣うような視線を向ける。
「…………聡い姫君だ」
「姜妃さまのことですか? やっぱり師匠もそう思います? すごく気遣いのできる方で、物を知らない私にもめげずに教えてくれるんです。挨拶が不安だって言ったら、一日練習につき合ってくれたこともあるんですよ」
今日の姜妃は、妃の礼装である青い衣を着ていた。
深い色合いと銀糸の刺繍の豪華さに負けず、着こなしているのがすごいと思う。
「なるほど…………。あの姫君が抑止力になってた、か」
「師匠? 顔つきが険しくなってますけど?」
「施娘、あの王太子とは親しいのか?」
「え? いいえ」
「王太子妃とは仲がいいと言っていただろ?」
姜妃とは友達だけど、王太子は偉い方って言うだけで。なんだろ? 顔見知りではあるんだけど。
「妖婦討伐までほとんど顔を合わせることもなかった人ですし。ここに戻って来てから、褒賞的に贈り物が多いだけで。断るのも失礼かと思ってもらってたんですけど、正直使わない物が多くて…………。姜妃さまには、太子さまへの対処も相談に乗ってもらってます」
「お前さん、俺と王太子以外の異性と長く顔を合わせることってあるか?」
「ないですね。一番は師匠で、その次が太子さまか…………私つきの従者ですね」
基本的に部屋にいるのは宮女さんなんだけど、一人は必ず室外に男性の従者さんが控えてる。
師匠は私の周囲について尋ねながら、目は挨拶を受ける王太子と姜妃に固定されてた。
「つまり、あの王太子と関わるようになったのは妖婦討伐以降。そして基本的に向こうから訪ねてくる形で関わってる」
「そうですね。呪いのせいで軽々しく出歩かないようにって、師匠が言いましたし」
「あぁ、だから引き篭もって部屋で実験して小火起こしたんだったな」
「一回、一回だけですよ。その後は姜妃さまにも注意されて換気なんかも小まめにしてますし」
「あの王太子の様子が変わったってことはないか?」
「さぁ? ここ半年の付き合いとは言っても、一時間一緒に居るかどうかですし。最近は姜妃さまのお蔭ですぐ切り上げてもらってますし」
「お前、王太子への対応雑だな」
「正直、何話していいかわからないんですよ。しかも太子さまだから下手なこと言えないですし。私小役人の娘なんで、王族と一対一とか無理です」
なんて話しながら見る王太子は、やっぱり姜妃のようなお姫さまの隣にいるのが相応しいと思う。
初めて会った時、王さまのすぐ側に控えた王太子はとても遠い存在だと感じた。
その思いのまま再会したら、感謝なんだろうけど妙に距離を詰めて来てちょっと困ったんだよね。不敬なことに、私は王太子に苦手意識を持ってしまった。
ただ姜妃の隣にいる間は、立派だな、恰好いいなと素直に思える。
姜妃も雲の上の存在なんだけど、同性という気安さと、初めて言葉を交わした時の赤面した可愛らしさから、親近感があった。
「面倒臭いことになったな…………」
「師匠? え、なんですか、この手?」
突然師匠に肩を抱き寄せられる。
なのに、師匠は私を見ずにこっちに足を向けた王太子と姜妃を見ていた。
「…………やっぱりか。施娘、俺はちょっと用事ができた。あの王太子妃から離れないようにしてろ」
「え? いつ戻るんですか?」
「最悪、宴が終わるまで戻らん」
「そんなぁ。一緒にいてくれるって言ったじゃないですか」
「だから、お前さんのフォローしてくれそうなあのお友達から離れるなよ」
私の耳元で囁くように言うと、師匠はさっさと私から離れる。
「えぇ…………?」
誰かを探すように人の中を歩く師匠は、目的の人物を見つけた様子で、私を振り返ることなく行ってしまった。
一人にされた心細さに縋るように姜妃に顔を向ける。すると、何故か王太子が足を急がせ始めた。
姜妃置いて行く勢いだけどどうしたの?
「施娘」
後ろから声をかけられてから、ようやく私は他にも知人がいることに気づいた。
「献籍? わ、久しぶり」
「何処の姫君かと見間違いましたが、お変わりないようですね」
「ふふん、馬子にも衣裳って言うでしょ」
「それは自分で言うことではないでしょう」
一人の私に声をかけてくれたのは、妖婦討伐の旅を共にした仲間、武官の斉献籍だった。
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