六話:王太子、姫悧癸
別視点
僕は次期国王と定められた王太子、姫悧癸。
生まれの宿命に従い、周囲の期待に応えられる人間になろうと努めて来た。
そうなるよう生まれついたのだから、自らも目標を持って努力し認められる。これほど充実したやりがいのある人生はない。
そんな僕が初めて聖なる巫女として宮城に上がった少女を見た時の印象は、憐れなというものだった。
「巫女さま、ここに膝をついて…………。そう、そのまま視線を落として…………」
「は、はひ…………はい…………」
茶色で癖の強い髪を持つ少女は、緊張して陛下の御前で噛むほどだった。
一つ一つ指示しなければ、この宮城で何をすべきか礼節一つ教わっていない。
彼女には与えられた役割を果たすために、努力する時間さえ与えられていなかった。
それなのに突然国の命運を背負い、人々の希望となるべく不安の眼差しを突きつけられる。
強大な龍さえ従えた妖婦の面前に立たせるには、あまりにも細い肩をしていた。
僕はこの出会いで、王太子として、彼女が救ってくれる国の未来を担う者として、できる限りのことをしようと決意する。
と言っても、僕にできることなどなかった。
現在わかっているだけの妖婦の能力や旅の仕方を学び、巫女は生まれ持った力を使ったこともないまま、他に使い手もいない力を使うよう指導される。
施伯蓮という名の少女には、僕に関わるような余分な時間なんてなかった。
「武官の斉献籍? 若すぎるのではないか? 巫女さまに同行するなら、経験も実力も申し分ない将軍をつけるべきだ」
僕の不満に、巫女の護衛を選抜する政務官は気難しい顔で首を横に振った。
「将軍は陛下の守りに残ってもらわねばなりません」
「妖婦を倒さねば国も王もないだろう」
「だからこそ、です。確実に我が国の未来を守るため、戦後の混乱さえ視野に入れてお考え下さいませ、太子さま」
妖婦を倒しても確実に国力の衰える未来を見据えて、最低限の戦力は国王の周りに確保しておかなければいけない。
若手一番の使い手である斉献籍は、最悪巫女の盾となり妖婦討伐の犠牲となることも織り込まれての人選だった。
宮城にいる軍全てを巫女の護衛に帯同させないのも、まずは妖婦に巫女の存在を気取られないため。
巫女につけられるのは、若手で実力を期待される者たち。
それは同時に、今死んでも権力の勢力図に影響のない者たちということだった。
「わかった。…………だが、彼らが生きて帰ったなら、私は私の許す権限全てを使って彼らに報いよう」
「御心のままに」
せめて生き残れる護衛を。
僕はそう考えて、宮城の内外を問わず実力者を調べた。
方術に心血を注ぐあまり親に方術の実験台にされた方士。荒神の加護によって男より優位を取る女戦士。伝説に謳われる魔槍を操る少年兵。金さえ払えばいかなる難題も確実にこなす弓使い。妖との混血を噂される異貌の治癒師。
僕は彼らを説得し、巫女の護衛を引き受けてもらう算段をつけた。
憐れな施娘を助ける手応えに息を吐いたのも束の間、何故か宮城で匿っていた巫女の存在が妖婦に露呈してしまう事態が起きる。
「太子さま! 敵は退き始めています。今の内に手当てを!」
「将軍、私は平気だ! 巫女さまは、施娘は無事に逃げられたのか!?」
「はい、無事に王都の門を通過したとの報せが。太子さまが呼び集めた猛者たちは、期待に応える働きをいたしましたぞ」
「そう、か…………そうか…………。どうか、生きて戻ってくれ」
妖婦の手下と化した龍の襲撃を受けた宮城の中で、僕は祈ることしかできなかった。
そして、僕の祈りを天が聞き届けたのか、一年以上に及ぶ争いの末、巫女は妖婦を打倒して凱旋を果たすことになる。
「巫女たる施伯蓮、ここに。今一度ご尊顔を仰ぐことが叶い、光栄にございます」
もう噛みもせず、誰に指示されることもなく、そう言った施娘は、僕の中のか弱い少女という印象を鮮やかに塗り替えた。
自信なさげだった表情には、確かな意志と戦闘を経験した強さが宿っており、役目を果たしたという誇りが、瞳を輝くように美しく見せた。
施娘は、何処にいても目に留まる牡丹のようだ。華やかで強く美しい、匂い立つような魅力を備えて帰って来た。
「施娘には宮城に留まってもらうべきだ。彼女の功に報いることは、何をおいてもすべきだろう?」
「ですが、古都から巫女さまを正式にお迎えしたいと強い要望が出ております」
「呪いを受けたとの報せに、一度はその申し出を引いたくせに。今引き渡しても、呪いの効力がわかった途端、施娘を蔑ろにするのではないか?」
「ない、とは言えませんが。ですが、呪いの正体もわからないまま、宮城に置くのも…………」
「私は施娘に報いることを誓った。宗教権威を高めたいだけの古都に送るなど、もってのほかだ。龍が妖婦に屈した今、彼女は我が国の希望となりえる。違うか?」
僕は政務官たちを口説いて、施娘の残留を勝ち取った。
彼らとしては、聖なる巫女という新たな武力と権威を手放しがたかったからだろう。
そういう打算が、僕にもないとは言えない。
特に神聖視されていた龍が妖婦に支配され、民衆は不安を抱えている。妖婦が倒され龍の呪縛はなくなったと言っても、もはや一度向けられた牙を恐れないわけがない。
龍は、国の守護たりえなくなっている。
だからこそ施娘には、自らの意志で宮城に残ってもらえるよう気を配った。
宮城の中でも上位の部屋を与え、不自由がないように宮女も十分つけてある。旅の辛さを思い出さないよう、食事も豪華に、衣もふんだんに与えた。
服飾などの贈り物は、王太子妃が文句をつけられないほどの物を用意したので、きっと施娘も素晴らしさをわかってくれるだろう。
「巫女さまったら我儘で。また宮女にきつい言葉を放ったそうよ」
「ほとんど口もきかないのは、私たちを下に見ているんじゃないかしら?」
「え? けれど巫女さまは市井の生まれでしょう?」
そんな声が聞こえたのは偶然だった。
部屋の清掃を終えて立ち話に興じた宮女たちの声だ。
思わず、僕はきつい視線を向けて姿を見せる。僕の勘気を察して、宮女たちは顔色を変えた。
「君たちの口は、命をかけて国を救ってくださった方を誹謗するためにあるのか?」
「も、申し訳ございません!」
ひたすら謝る宮女たちを一瞥して、僕は歩を進めようとした。
その時、一人の宮女がじっと僕を見ているようだった。琥珀色の瞳が印象的だったせいかもしれない。
混血の無礼な宮女。その程度の認識だったけれど、この宮女はどうも噂話好きなようで、何度か似た場面に遭遇すると必ずいる顔となる。
「また君か。いったい何処からそんな不埒な噂を拾ってくると言うんだ」
「…………太子さまは、お聞きになったことが、ございませんか?」
「ない。施娘は城の暮らしに慣れていないだけで、巫女として申し分のない人物だ」
僕が言いきると、噂好きの宮女は少し考える様子を見せた。
「でしたら、この噂は、離宮で流れているのだと思います」
「お喋り好きの後宮ではなく? 何故?」
思わず聞き返すと、宮女は異様なほど周囲を気にし始めた。
「わ、忘れてください。このようなことを推測で申し上げるわけにはまいりません。私が、お叱りを、いえ、罰を受けることになってしまいます」
「なら、私が命じよう。君を罰そうという者がいたら、王太子の命令だと言えばいい」
彼女を罰するなら、命じた僕の意向に反することになる。そんなことができるのは、名目上国王陛下だけだった。
「じ、実は…………王太子妃さまの周辺から、聞こえる噂なのです」
「春嵐の周り?」
春嵐は僕の妃にして、三代ほど前に王家の姫を迎えた血縁者でもある。
幼い頃から知った相手で、僕が未来の国王として努力する姿を素晴らしいと言ってくれる。言うだけでなく、春嵐は自らも国母となる未来を見据えて、身を慎み勉学に励む女性だった。
そんな春嵐から、巫女に対する批判が出ている?
いや王太子妃の周囲ということは、口性のない者が他にいるのか?
社交にも余念のない春嵐が、そんな低俗な者を近くに置くだろうか?
僕が考え込むと、噂好きの宮女は一つの提案を口にした。
「太子さまに曖昧なことをお伝えするしかないことが心苦しく…………その、できれば少しお時間をいただけないでしょうか? 噂の元を、私が調べますので」
「いや、それには及ばない」
「ですが、女性ばかりが住まう離宮での話を、太子さまがお調べになるのは難しいかと」
「…………確かにそうだ。では、少し調べてくれ。噂の出どころだけでいい。下手な追及などは一切するな」
名目上は僕の妃であるけれど、まだ正式に関係を結んだわけではなく、いきなり僕が出入りするのは憚られる。
噂好きであることに不安はあるものの、僕は釘を刺して宮女に調査を命じた。
そうして何度か宮女と会って話を聞く内に、春嵐が変わってしまったことを僕は知ることになる。
「巫女である施娘に嫉妬だなんて」
「ですが今日、太子さまもご覧になりましたでしょう? 意地悪く小さな染みまで見つけて責める王太子妃さまの姿を」
この宮女から、何度か春嵐が施娘の元を訪れ叱責を行っているという報告は受けていた。
その上、最近は僕が施娘に贈り物を届けに行くと、まるで見張っていたかのように現れている。
「私見ですが、王太子妃さまが直接接触なさってから、巫女さまの言葉つきは随分硬くなったようにお見受けします」
「た、確かに…………。最近は贈り物も何度か断られ、堅苦しい巫女装束ばかりを着るようになってる」
「きっと太子さまと親しいことを咎められ、王太子妃さまを恐れて遠慮なさっているのでしょうね」
言われてみれば、施娘は春嵐を前にすると口数が減って、委縮しているように見える。
まさか本当に、春嵐は嫉妬から施娘を虐めているのか?
「昔の彼女なら、そんなことしなかった」
「太子さまは巫女さまがいらしてから、お国を救うため日夜お忙しくしておりましたでしょう? もしかしたら王太子妃さまの悋気は、ここ最近のことではないのかもしれません」
確かに、妖婦の侵略を受けてから、華やかな宴などは自粛傾向にあり、婚姻も邪魔が入ったまま、春嵐と会う機会は婚前より減っていた。
けれど数年で、あの最上の女性となるべく自身を磨いていた春嵐が、嫉妬で他人を貶めるようになるのだろうか?
「太子さまが、巫女さまに近づかなければ、それが一番平和では?」
宮女の言葉に僕は思わずその琥珀色の瞳を睨んでしまった。
驚いたように目を瞠った宮女は、半端な笑みを浮かべて一歩引く。
「差し出がましいことを申しました。ですが、妃であられる姜春嵐さまを、お傍から離すことは無理ではないかと」
「僕の妃、だから、な…………」
「太子さまがご成婚前であらせられたなら…………、あぁ、また私は余計なことを」
口元を押さえて俯く宮女の言葉に、僕の心臓はいやに高鳴った。
結婚していなかったら? もしそうだったなら、僕はなんの障害もなく施娘を宮城に留めておけた。
国の権威も安全も約束される、最上の手を使えたんだ。
あぁ、でも結局今は使えない。
何故なら、僕の妃は春嵐なのだ。
施娘を王太子妃にすることなど、無理な話だった。
毎日更新、全四十話予定
次回:異変の予兆