五話:空くんの不思議
師匠と二人で使った器具を洗うため、外へと出た。
「私もこういう身の丈に合った部屋が欲しいなぁ。自分で大抵のことは自由になる感じの」
「広くて綺麗な部屋で、なんでもやってくれる宮女がいるんじゃ嫌なのか?」
盥に水を張ったり、洗剤を用意したりしながら何げなく会話する。この時間も、私が師匠に錬丹術を習う楽しみの一つだった。
「慣れないんですよ、落ち着かないんです! 旅の間は気を使われることもあったけど、基本的にみんなで分担して野営したりしたじゃないですか。一方的にお世話されるなんて、こう、罪悪感がですね」
「貧乏性だな。ま、わからなくもないが」
「やっぱり師匠ならわかってくれますよねぇ。姜妃さまはさすがにこの感覚は理解してくれなくて」
もちろん宮女さんもわからないみたいで、良い物に囲まれることの何が不満なのかとか、よくわからない返しをされる。
「最近よく聞くな。もしや王太子よりそっちと仲いいのか?」
「えへへ、仲良くしてもらってます。ここでの生活でわからないこととか教えてもらえますし。何よりもう、物語のお姫さまが目の前にいるって感じが楽しくて」
「自分もそうなれると思って、ここでの暮らしを満喫すればいいだろ」
「いえ、同じ人間とは思えないくらい姜妃さま完成されてますから。だいたいあの綺麗な黒い瞳! 私のこのぼんやりした茶色の目とは全然違いますし! 生まれからして違うと、完成形も違うんだなってよくわかりますよ」
「そこで卑屈にならなずに笑ってるのがお前さんだな」
「…………それって褒めてます?」
「褒めてる褒めてる。能天気で悩みなさそうに笑ってるのが良く似合う」
それ褒めてない!
私が文句を言おうとしたら、師匠は赤い目でじっと私を観察していた。
「お前さんのその能天気な精神状態が、呪いの進行を抑えてる可能性もある。きついことがあったらすぐに言え。俺が対処してやる。そのためにこんな所までついて来たんだ」
師匠は、たぶん私を巫女にしてしまったことに、責任を感じてる。
旅の途中で会ったのも、私がろくに戦闘訓練も受けられずに実戦に放り込まれたと知ったから助けに来てくれたんだ。
もう弟子は取らないとか言っていたのに、結局こうして師匠と呼ぶことを許してくれているのは、私が旅の足手纏いにしかならないことを気にしていたと知ってるから。
「師匠…………普段からそれだけ素直でいてくださいよ」
「うるさい。年取ると色々考えて発言しなきゃいけなくなるんだよ」
「え、師匠って考えた上でその口の悪さなんですか?」
「悪気のない顔で言えば何でも許されると思うなよ?」
不穏な笑みで忠告されたので、私は黙って洗い物に戻る。
あ、最近ちょっときついこと思い出した。
「そう言えば、今度宴があるの知ってます? 師匠って参加するんですか?」
「あぁ、お前さんのお披露目な。話は来てるが、断るつもりだ」
「いいなぁ。私今、絶賛特訓中なんですよ」
「宴の主役が何言ってんだ」
これはさすがに師匠もわかってない!
重い衣を何枚も重ねて、重い飾りを頭に乗せて、重く感じるほどの化粧を施して、笑顔を振りまかなきゃいけないこの苦痛が!
その上それだけ頑張っても、基本的には男女の間に目隠しが置かれるからほぼ雰囲気だけで意味を成さないとか!
「男の人はいいですよね。身分さえ守れば動き回っても怒られないんですか。こっちは宴の間ほぼ座りっぱなしなんですよ!」
私の訴えに師匠は他人ごとのような顔して聞いてる。
と思ったら、どうやら昔のことを思い出していたようだ。どれくらい昔かはわからないけど。
「まだ西にいた頃、向こうも向こうで王の名の下に開かれる宴はうるさくてな。男ばっかりだとただの飲み比べになって、果ては食事台の上転がっての乱闘に発展したりしてな。女がいるといるで、自制が効かなくなって男女の乱闘始める奴もいたり」
「えぇ? 突っ込みどころが多すぎるんですけど?」
「まぁ、乗りだ。乗りなんだが、結局それで死ぬ目に遭う奴も出るわ、宴会で粗相したのを末代まで笑われるわ。…………俺のいた国じゃないが、派手さを求めすぎた王が頭上から大量の花びら宴会場に落として、何人か窒息したって話あったな」
「はぁ…………。上か下かは言いませんけど、果てを見ると切りがないですね」
この国の宴が男女は完全に別の席にされてることを喜ぶべきかも?
と言うか、西の人は酒癖が悪いのかな? 実は師匠も悪かったりする?
それはそれで笑い話にするため見てみたいかも。旅の仲間へのいい話題になりそうな気がする。
「あれ、そう言えば…………師匠、西のほうの王さまの宴とか行ったことあるんですか!?」
「なんでそこまで驚くんだよ? 俺だって昔は宮仕えしたことあるんだぞ。…………合わなくて辞めたけど」
でしょうね。
「そんな残念な物を見る目を俺に向けるな」
「ふが…………!」
鼻を摘ままれて慌てる間に、師匠は洗い物の水を捨てて器具を拭き始める。
何百年も生きてる師匠からすれば私は赤ん坊も同然なんだろうけど、もう少し年頃の女の子であることを意識して扱ってほしい。
…………なんでもしてくれて丁寧すぎる宮城の人たちと、すごく雑で荒い師匠って、私の回り極端すぎない?
「クー? クゥ」
「あれ、空くん?」
声のほうを見ると、庭の花壇の中から空くんの空色の瞳が覗いていた。
手を差し伸べて呼ぶと、警戒心も露わに耳を立てて寄って来る。
「そいつが、噂の白い幽霊か。なんで空なんて名前にしたんだよ?」
「やっぱり目の色に合わせて蒼天とか天空とかにしたほうが良かったですか? なんとなく鳴き声から取ったんですけど」
「ふーん…………? あながち間違ってねぇかもな。お前は真実を見抜く素養がある」
「言われても実感ないですけどね。ねぇ、空くん?」
「キュキュ? フキュー…………」
なんか師匠に対してすごく不満げな声を出す空くん。
他の人がいると出てこなかったのに、どうして今出て来たんだろう?
「そこの花壇から出て来たってことは、俺の害獣避けの罠にかかったな?」
「クグー、ルルル」
あ、犯人はお前かって言わんばかりに怒ってる。
師匠が設置した害獣避けに引っかかった空くんは、後ろ足に赤い色がついていた。
「引っかかった獣が本能的に嫌いな臭いが出るように作った薬だ。三日は取れないから洗い落とすために出て来たんだろ」
そう言って、師匠は家の中から緑色の薬液を持ってきた。
「水と半々で薄めて洗い落としてやれ。さて、その生物はいったいなんだ? 施娘、お前さんにはなんに見える?」
「害獣避けに引っかかる動物…………鼠?」
「クギュ!?」
あ、なんか初めて聞く鳴き声出した。
完全にこっちの言葉を理解してる空くんに、師匠は胡散臭そうな顔をしている。
「なんにしても、こりゃ確実に妖の類だぞ。見る相手によって印象が違う。だから幽霊なんて噂が立つんだ。俺が今獣に見えているのも、お前さんから動物だと聞かされていたせいかもしれん」
「そんな妖いるんですか?」
「普通はそうして触れば術が効果を失くして正体を現すもんだが、こいつはどうやら違うな。既存の妖じゃない? 誰かの作り出したものか? となると使い魔…………いや、それにしては自由すぎる。それにこの気配は…………」
一人で考え込んでしまった師匠。
私は空くんの後ろ足を洗って赤い薬液を落とした。
そうして触っても、なんの獣なのかわからない。
肉球はあるような、ないような? 爪は鉤状で、ともかく毛が長い。
「よし、ちょっと貸してみろ」
言いながら、師匠は指を鳴らした。
途端に、空くんの首に光の輪がかかる。
「師匠、それってなんですか? 方術じゃないですよね、仙術ですか?」
「違う違う。魔法っていう西の技術だ。これでも昔魔法を齧っててな」
「かっこいい詠唱とかないんですね。こう、方術みたいにお札飛ばしたり」
「杖なんか使う奴もいるが、俺は独学で魔法身につけちまってな。詠唱も道具も使わない。後から学んでも身についちまった魔法のほうが使い勝手が良くて、学問的に俺しか使えない魔法系統になったんだよ」
どうも、師匠が魔法を使わなくなったのは、そういう発展性のなさかららしい。
「グルルルルゥ」
「とは言え、それなりのもんだったからな。独自に魔法作ってたもんだ。相手の本性見通す魔法作ったり」
捕まった空くんは威嚇しながらも逃げられないのか、師匠に脇の下を持ち上げられる。
私に説明しながら師匠が意識を逸らした一瞬。
「クゥーー!」
空くんは渾身の力で前足を前に突き出した。
真っ白な前足が、吸い込まれるように師匠の眼球を覆う。
「あっーー! 目が、目がぁー!?」
空くんを放り出して目を庇う師匠の叫びが庭に響く。
身軽に着地した空くんの首からは、光の輪が溶けるように消えた。
「クキュ、キュキュ」
「空くん、危ないことしちゃ駄目でしょ」
「クフゥ」
不満そうな声を上げて、空くんは私たちから距離を取る。
「よーし、わかった。こいつは害獣だ。今すぐ排除する」
「師匠! 大人げないですよ!」
私は空くんと距離を詰めようとする師匠の裾を掴んで止めた。
「そうだ、特別授業をしてやろう。生き胆から薬効成分を検証するための薬液だ。まずはこの害獣を捕まえてから、薬液の調合を教えてやろう! もちろん生き胆はこの害獣から取ってやる!」
「あー! 師匠!」
特別授業という言葉に手を緩めた途端、師匠と空くんの追いかけっこが始まってしまった。
魔法と錬金術の合わせ技で庭は破壊して回った師匠は、結局、小さくてすばしっこい空くんを見失ってしまう。
「ちっ、次に会った時は覚えてろ」
「だから師匠、大人げなさすぎますよ。あんな小さな空くんに」
「本当に呑気だな。曲がりなりにも仙人と呼ばれる俺の手から逃げ果せたんだ。あいつはただの妖じゃない。これだけ追い駆けて本性を表さないなら、今は大人しくしているつもりだろうが、気を許しすぎるなよ」
「え、は、はい…………」
どうやら師匠なりに考えての行動だったみたい。
半分は空くんに攻撃された私怨なんだろうけど。
「それで、この庭どうするんですか? さすがに物音で離宮から人が出て来てますけど」
「…………庭師の爺さん、うるさいんだよなぁ。用具小屋改造したことも未だにグチグチ言うし」
「師匠って、自由人ですよね」
私もこんな風に生きられたら…………。
もう少し常識は保持していたいかもしれない。うん。
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