四話:師匠の仙人
「施娘は本当に白が良く似合う」
「ありがとうございます」
絵に描いたような美男子の王太子が、ちょっと頬を染めながら褒めてくれるのは、悪い気はしない。
この国の次代を背負う王太子である姫悧癸は、綺麗な花を見つけたと言って、突然来訪して来た。
突然と言っても、ちゃんと先触れの人がいつ頃来るかを事前に報せてくれた上でのこと。
それでもその日に先触れを出すのは急で無礼と取られることもあると、宮女さんが教えてくれた。
「ただ、垂絹で君の顔が良く見えないのは残念だ。たまには、その…………私の贈った華やかな装いも」
私が今着ているのは、白を基調にした巫女装束。頭から顔を隠すように薄い布が垂れた姿は、力は眼光に宿ると言われる巫女である証だった。
「私は巫女として使命を持って過ごすため、この衣を纏っております。どうぞ、ご理解ください」
この切り返しは姜妃に教わった。
巫女なんだから、着る物に困るくらいなら巫女装束を着ればいいと!
これなら垂絹があるから髪の色や長さも気にしなくていいし、巫女装束なら派手な化粧も必要ない。
しかも、巫女装束は他の方士や祭礼関係者と違って特別に作ってあるから、誰の前に出ても許される格式があるんだって。
うん、知らなかった。
そう言えば祭礼関係、祓邪の力の使い方覚えて以来、ほとんど関わってない。
祭礼関係者で旅に同行した人はいないし、各地を回る時に寝泊まりする場所を提供してもらったり物資を補給したりさせてもらったくらい。
祭礼関係者の誰かに何かしてもらったんじゃなく、祭礼を司る古都という街の組織に助けてもらったようなものだ。
「施娘、今度ある宴のことは聞いているだろうか?」
「えぇ…………。他国の方々を招いての、妖婦討伐を大いに広めるためのものと」
妖婦の呪いが今のところ何も害をなしていないため、私も参加するように言われている。
呪いのお蔭で会う人はほぼ制限されてたんだけど、呪いの影響がないと判断されれば、私は巫女として色んな催しに参加しなくちゃいけなくなるらしい。
これも、姜妃から聞いた。聖なる巫女を名乗る私が、妖婦を倒した後の巫女の仕事を知らないことに呆れられたけど。
後で姜妃が調べたら、呪いという想定外の事態で伝え忘れられていたそうだ。
「その、宴に、私と…………」
「ごきげんよう、悧癸さま、施娘さま」
王太子が何か言いかけた時、黒髪に良く映える簪を靡かせ姜妃が現われた。
うん、まぁ…………宮女さんが呼んだんだけどね。
私の所に王太子が来たら報せて欲しいって、姜妃に言われたからそうしたんだけど。
なんか、王太子がすごくばつの悪そうな顔してる。
どうしたんだろう? 喧嘩中だったりするの?
「よく、会うね。春嵐」
王太子妃の姜妃だけど、実は王太子と一緒に住んでるわけじゃない。輿入れの途中、よりによって妖婦の宣戦布告が行われしまったそうだ。
そのまま戦況は悪くなる一方で、名目は王太子妃だけど、慶事を行える雰囲気じゃなく、今も王太子とは別に宮城の中の離宮に仮住まいしてる。
そのせいで王太子と朝を迎えたことないんだって。だから余計に、私と王太子が近くなってるってことにやきもきしたらしい。
っていうか、私も春嵐って呼びたい! あと、伯蓮って呼ばれたい!
呪いの安全性がわかったら、姜妃が住む立派な離宮に行く約束取りつけたんだけど、友達としてはやっぱり親しく呼び合いたいよね。
「聞いておりますの、施娘さま?」
「え、はい!」
あ、姜妃が絶対聞いてなかったでしょって顔してる。
「錬丹術に興味を持たれるのは結構でございますけれど、換気を小まめになさらないと臭いがつきましてよ。はっきり言いますと、ついておりますわ」
もう一回言ってくれる姜妃の優しさを感じながら、私は衣の袖を嗅ぐ。
うーん、自分じゃわからない。
「こういう時こそ香を使うべきでしょう。数だけはお持ちよね?」
「はい」
言われてみればそうだね。
王太子に貰った香も、こういう時に使うのか。
町に住んでた時、香なんてつけたことなかったし、妖婦討伐の旅には不要な物だった。
何がわかってないかもわからないから、姜妃みたいにはっきり言ってくれると助かる。
どうも宮女さんも私が何をわかってないかわからないから、今まで話が通じてないことすら気づいてなかったらしいし。
私も姜妃に言われてわかったくらいだから、宮女さんを責めることはできない。
「もっと身嗜みには留意なさいませ。袖の内側、何かが跳ねた跡がありましてよ?」
「え? あ、本当だ」
姜妃って目がいいなぁ。
細かいことにもよく気が付くし。
「服装の乱れは心の乱れと言いますのよ。ご存じ?」
「春嵐、もういいだろう」
姜妃の言葉を遮って、王太子が私たちの間に入って来た。
「いつまで続けるつもりだ。施娘が可哀想だ」
「悧癸さま、指摘しないまま気づかずに恥をかくのは施娘さまなのです」
「そんな虐めるように上げ連ねなくても」
あ、私が至らないせいで本当に喧嘩しそうになってる?
「あ、あの! 申し訳ありませんが、私、これから師の下へ行く予定で。教えてくれてありがとうございます!」
「まぁ、ごめんあそばせ。では悧癸さま、施娘さまを困らせない内に失礼いたしましょう」
「う、うむ。そうだな」
何故か後ろ髪引かれるような顔をして、王太子は私の部屋を出た。
出て行く直前、姜妃が詫びるように微笑む。
私は笑顔で答えて二人を見送った。
「では、お出かけになる前にお召し変えを」
「え、このままじゃ駄目ですか?」
「いけません。汚れたままの服で出歩かれるおつもりですか」
「姜妃さまは気づいたけど、太子さまは気づかないくらいだったし」
「お二人とも、供回りがおられたでしょう? それだけの方が汚れを知っているのです」
「汚れがあると指摘された服を着たままではあらぬ噂が立ちましょう」
「越西師の元でしたら、質素なお召し物で構いませんので。さぁ」
宮女さんたちに囲まれて説明を受け、私は巫女装束から着替えることになった。
師匠の所へ行っている間に、汚れ落としはしておいてくれるらしい。
私はお供に宮女さんを一人連れて、師匠が住む離宮へと移動する。
同じ宮城の敷地内だけど、離宮は大小幾つかあり、移動は馬車。しかも師匠が住むのは離宮の庭に設えられた小屋だ。
「師匠? 失礼しまーす」
離宮のほうに宮女さんを残して、私は徒歩で師匠の住まいにお邪魔する。
偏屈な師匠が、宮城に住まわせる気なら一番粗末な住まいを寄越せと言って明け渡された場所で、元は庭師の用具小屋だったそうだ。
「あれ、師匠ー? 私今日行くって言いましたよね?」
「あ!? もうきたのか、施娘?」
奥から水音と、慌てた師匠の声がした。
元用具小屋とは言え高い梯子や荷車を収納していた場所なので、それなりに広さがある。
布や家具で仕切りがされた中を進むと、濡れた髪に手拭を当てた師匠が姿を現した。
真っ白な長い髪に、血の色を映した赤い瞳。越西という名前は遠く西の異郷からやって来たという意味の呼び名で、これでも数百年を生きるちょっとすごい人だ。
かつて放浪の仙人として聖なる巫女の存在を預言し、妖婦討伐の旅の途中で出会って、今は私の呪い解除のためこうして宮城までついて来てくれた師匠でもある。
「こら、返事があるまで勝手入るな。実験中だったら石化の薬でも投げつけるところだ」
「この時間に行くって言ったじゃないですか。だから沐浴で潔斎してたんでしょう?」
「わかってるなら余計に潔斎中に近づくな、この呪われ巫女」
「師匠、ひどーい」
お互い市井に暮らした時間のほうが長いから、宮城の中では私が身分を気にせず話せる相手でもある。
それに私よりもずっと強いし、長生きな分警戒心も強い。
妖婦の呪いを楽観視せずに、私に会う前はいつもこうして潔斎をしていた。
「…………塩の臭いがするぞ、施娘」
「え? どういう嗅覚してるんですか?」
「馬鹿野郎。勝手に調合に手を出すなって言っておいただろうが」
「ちょっと炎色反応で遊んだだけですー。宮女さんが珍しく興味持ったから」
「ほう? つまり金属粉も燃やしたわけか?」
「あ…………」
私はその後、師匠の長い髪が乾くまで、金属から発する毒について繰り返し注意をされることになった。
「ったく、巫女が錬金術に興味持つとは。若い女ならもっと華やかな趣味を持て」
この辺りでは錬丹術と呼ぶ技術は、師匠の故郷では錬金術と呼ぶらしい。
「とか言って、時間作って教えてくれる師匠かっこいいなー」
「おもねるならもっと心を籠めろや」
「思うんですけど、師匠ってたまにすごく柄悪いですよね」
「俺のこの口調聞いてたまになんて言うのは、城の中でお前さんくらいだぞ」
「あぁ、常に口悪いですもんね」
「よーし、今日の授業はひたすら素材を磨り潰すだけで終わらせることに決めた」
「嘘うそ! 今日は呪いに効く生薬の作り方教えてくれるって言ったじゃないですか!」
そんなやり取りをしながら、私は師匠に新たな調合を教えてもらった。
秤好きだったから、調合って楽しいんだよね。
しかも師匠は西のほうの秤、天秤と呼ばれるこの辺りにはない道具を使わせてくれる。
分銅動かして地道に計るのとか、嘉量をくるくる回して計るのとは違う楽しさがあった。
私は祓邪の力しか使えないから、一緒に旅をした方士のように多様で心躍る術は使えない。
聖なる力って妖なんかには効果抜群でも、見た目、ふわっと私や私が力を与えた対象が光る程度。あんまりすごい力を使ってるって実感がないんだよね。
「やっぱり目に見える成果があるとやりがい感じるなー」
できた丸薬を乾燥させるために綺麗に並べると、師匠は薬草を木の皮に包んで作った煙草というものに火をつけて煙を吐いた。
「成果ねぇ。お前さんの呪いには効かないけどな、それ」
「えーと、呪いの元を体外に排出するための薬だから、命を使って刻まれた妖婦の呪いには効かないんですよね?」
「おう。…………その後、不調はないか?」
「ないです。やっぱり私の祓邪の力が呪いを打ち消してるってことなんですかね?」
「さてな。一番厄介なのは、お前さんが気づかない内にお前さんの精神に攻撃してる可能性だが…………全然呑気だしな」
煙で輪を作ってその中に煙を吹き込む師匠は、私が楽しんで見ているのを確認して呑気だと言った。
「あ、そうだ。施娘、王太子とわりない仲ってのは本当か?」
「わりないなか?」
「王太子と結婚する気があるのかってことだよ」
「あぁ、その噂ですか。ないですよ。なんでそんな噂広がってるんでしょうね」
「王太子妃が微妙な立場で面倒な話なのに、本当に呑気だな。別の意味でお前さんが心配だよ、俺は」
捻くれた師匠が素直に心配だと言うのは珍しい。
思わず照れると、盛大に溜め息を吐かれてしまった。
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