三十九話:心の在り処
「ちょっと試してみるか」
緊張を断ち切るように気軽に言った師匠は、献籍に近づいて手を伸ばす。
「野邪伝いに見てたが、どうもこいつ心は生きてるぞ」
「本当ですか、師匠!?」
「明らかに蘇三娘と施娘への対応が違ったからな」
師匠が言うには、蘇三娘には命じられたままのことしかしなかったのに、私には一緒に戦うという命令だけで身を挺して庇うことまでしていた。
今も側にいるのは、献籍の心がそれを望んでいるからではないかと。
「献籍? 聞こえてる?」
声をかけてみるけど、反応はなし。
「やっぱりな。からじゃない」
「からじゃない?」
「中身、心はまだある。蘇三娘が言うように心が死んだわけじゃない。なぁ、献籍?」
色々反応を見る師匠は、献籍に声をかけてみるけど、やっぱり反応はない。
「よし、施娘。俺の言うとおりに言ってみろ」
私は師匠の指示に従って、献籍に命令を出した。
「献籍、好きなことをしていいよ」
途端に動きだす献籍は、私に向かって腕を伸ばす。
すると昂覇王が無言で献籍の手を叩き落とした。
「おい、邪魔するな」
「昂覇王…………」
私と師匠に窘められて、昂覇王は不服そうに一歩下がった。
すると腕を伸ばす献籍は、おもむろに私を抱え上げる。
「え…………? ど、何処行くの!?」
「うーん、こりゃ人間のほうに連れ戻す気か?」
「ならば止めるぞ?」
「息の根をか?」
「そんな冗談やめてください!」
「本気だと思うが、よし、次の命令だ」
師匠は不穏なことを呟いて、次に出す指示を伝えて来た。
「献籍、私を別の人に渡して」
言った途端、何処かへ連れて行こうとするのはやめてくれたけど、長くその場に留まる。
その間、昂覇王は無言で渡すよう腕を開いていた。そして献籍が選んだのは、師匠だった。
「ぶはは、完全に本人の意思あるじゃねぇか」
「解せぬ…………」
「献籍は昂覇王を知らないから、たぶん、こうなったんだと思いますよ?」
昂覇王は、師匠から私を奪って抱え直した。
…………私、抱っこされる必要ないよね?
「これでわかったな。こいつの心は死んでない。自分で判断するだけの自我はある」
「献籍、元に戻せますか?」
「こいつの場合呪いが解けても無理だな」
心が体と離れたのは、呪いとはまた別問題らしい。そのため、蘇一娘の薬ではどうにもならないんだとか。
「が、施娘がいれば可能性はある。命令できて、意思を尊重する施娘ならな。時間はかかるが、お前なら献籍を元に戻せるだろう」
「よ…………良かった!」
私は可能性に喜びの声を上げ、春嵐に笑顔を向けた。
「太子さま、元に戻せるよ! 良かったね!」
「伯蓮…………」
春嵐は唇を震わせると、涙を零した。
そんな春嵐に、蘇一娘は霊薬を渡す。
「さ、悧癸さま。こちらをお飲みください」
「なんだそれは?」
「あなたは呪われています。これを飲めば呪いが解けるのです」
「呪われているのは施娘だ。さぁ、私が守るから共に帰ろう」
「太子さまが呪われているんです。その思いは呪いです」
思わず言うと、困ったように微笑まれる。
「私の思いを疑っているのか、施娘?」
「その思いは、これ飲めば忘れるでしょう。さ、飲んでください」
焦って迫る春嵐に、王太子は嫌そうに薬を見た。
「やめてくれ。私のこの思いは真実の愛だ! 忘れるなどもってのほかだ!」
「いいえ、それは呪いです!」
「ならば証明しよう! さぁ、施娘こちらに!」
「結構です! …………師匠、呪いで太子さまに命令ってできないんですか?」
「本来呪いにかかって異常をきたした人間を操るってのは至難の業だ。蘇三娘は呪いによって暴走する方向性を掴んで上手く誘導していた」
「つまり、私には無理と?」
「巫女よ、あの王太子を我が手ずから押さえつけて飲ませても良いぞ?」
「そうだな。もう無理矢理突っ込め」
昂覇王の乱暴な提案に、師匠が雑に同意する。
声の聞こえた龍たちが動こうとすると、春嵐は覚悟の顔になって私を見た。
「伯蓮、押さえてください。悧癸さまはあなたになら怪我はさせないはず」
「わかった。…………よいしょ。こう?」
「おや、どうしたのだ、施娘?」
これ幸いと昂覇王の腕から降りた私は、王太子の腕を後ろから押さえる。春嵐の予想どおり抵抗はない。
そして正面の春嵐は薬開けると、そのまま自分で霊薬を呷った。
「え? 春嵐?」
からになった焼き物を捨てると、春嵐は王太子の顔を両手で固定して口づける。
いくらか口の端から薬は零れてしまったが、王太子は喉を上下させて薬を飲み込んだ。
「ふぅ…………伯蓮、悧癸さまは薬を飲みましたね?」
「う、うん、飲んだと思う」
頷きながら、私は王太子の手を離す。拘束を解いても王太子は動かない。
かと思ったら、突然目の前の春嵐を乱暴に掴んだ。
「無事か、春嵐!」
「悧癸、さま…………?」
「あ、いや、違う。うぅ…………、父を、私は、幽閉…………? 戦で、龍に…………」
「薬が馴染むまで混乱があるでしょう」
頭を抱えた王太子の様子に、蘇一娘が状況を説明する。
その間に昂覇王は、私の腕を引いて王太子から離すと、また背後に隠してしまった。
そんな動きで、王太子は昂覇王の存在に気づき顔を上げる。
「あ…………私は…………なんてことを…………」
「戦を仕かけたことをわかっているなら今はそれでいい」
昂覇王の声に、王太子はその場で跪く。
「申し訳ございません! ここまで攻めて来た兵たちは命令に従ったのみ。国の決定ではなく私の暴挙による挙兵であります故、どうか贖いは私の命で済ませていただけないでしょうか!」
宣戦布告をして、戦争を起こして負けた。そう理解した王太子は、兵と国を庇って命をかけようとする。
私が思わず昂覇王の袖を引くと、春嵐も王太子の横に跪いた。
「一人で足りないと言うなら、わたくしも連座いたします」
「春嵐、君は…………!」
「私は、あなたの妃です」
「…………だが、私は、約束も守れなかったのに」
「妖婦の呪いのせいです。それに、わたくしは悧癸さまがそうして覚えていてくださるだけで…………」
皆まで言わなくとも伝わる様子が見てわかる。思い合う二人のこれが、愛と呼べる関係なんだろうか?
こんな二人を引き裂く『狂愛の呪い』の厄介さに、私は昂覇王の後ろにしっかり身を隠す。
霊薬で正気に戻ったとはいえ、また王太子が呪いにかかってはいけない。
そんな私の動きを肩越しに見た昂覇王は、小さく溜め息を吐いたようだった。
「呪いのせいであるなら、妖婦を打倒できなかった我らにも非はある。我らも操られて天に悖る行いをした。此度のことはその報いと受け入れよう」
「で、では…………?」
「人の国でそなたがどのような罰を受けるかまでは知らん。兵を連れ、己が国に帰れ」
「罪に問われても仕方ないこの身に、ありがたきお言葉! ご寛容に感謝いたします!」
寛大な処置に驚きながら頭を下げる王太子を見て、昂覇王は少し考える。
「そうだな、罪滅ぼしと言うなら巫女の身柄を完全にこちらへ寄越せ」
「それは…………巫女にも意思というものがございますれば」
「あ、私、呪い解くためにこっちにいたいです。龍は呪い効かないらしいので」
「そう、か…………。でしたら、私が言うことは何もありません。国内の声は、私の裁量の元で対処いたしましょう」
そうして蘇一娘は妹たちを連れて仙界へ戻るため、師匠が送ることになった。天の裁きを受けさせる段取りをするまで付き合うそうだ。
「龍王、並びに聖なる巫女どのの慈悲に感謝を」
蘇一娘は新たに向かう戦場を思うように、悲痛な表情ながら感謝を口にした。
そして王太子と春嵐は龍太子に送られて、瓦解してしまった軍の元へ。
「伯蓮! 手紙をちょうだい、今度こそ文通をしましょう!」
「うん! 送るよ、絶対!」
遠くなっていく春嵐に手を振った私は、見えなくなってから昂覇王に向き直る。
「お城こんなことになっちゃって、迷惑かけてばかりですけど、私、居ていいですか?」
「何を今さら…………。側にいろ。我が望むのはそれだけだ」
「それは、その…………お嫁さんとして、ですか?」
「そうであるなら喜ばしいが、無理強いはせぬ。落とす楽しみもあるからな」
「ひぇ…………」
恥ずかしい台詞を聞いて、変な声が出た。
「ただ巫女が気に病むと言うのならそうだな…………では、金丹を完成させよ」
「え、そんなことでいいんですか? あ、けど完成ってなると作るだけじゃなくて、完璧な物ってことですよね? そんなの、どれだけかかるか…………」
「どれだけかかろうと良い。そなたが長命となれば、それだけ共に生きられる。そうだな、完成せずに体が衰えるようなら、天より蟠桃でも取って来ても良いな」
「ひぇ…………」
ひぇー、心臓に悪い。
なんでそう当たり前のようにとんでもないこと言うの?
蟠桃って、天人が食べる若返りや不老長寿の果物でしょ?
私なんかのために取ってくるなんてそんな気軽に、恐れ多いにもほどがあるよ。
「巫女、返事はどうした? 我の傍らで、金丹を完成させてみないか?」
やぶさかではない…………けど! 残ってる人たち見てるから! 龍たちに交じって甄夫人もじっと見てるから!
こんな所で聞かないでほしいなぁ! と言うか、照れもせずにそんな、一生側にいるみたいなこと、聞かないでほしい!
「あ、後で…………! 二人きりの時に返事します!」
「ほう…………?」
あ、恥ずかしすぎて、もっと恥ずかしいこと言った気がする。
熱くなる顔を上げられなくなった私の頭を、昂覇王は機嫌良く撫で始めたのだった。
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