三十八話:愛おしむ心
師匠は蘇一娘に手を貸して雲から降ろすと、私たちを振り返る。
「悪いな。こいつを連れてくるために時間がかかった」
「越西師の手を煩わせてしまい、申し訳ございません」
妖婦と呼ばれた蘇二娘と蘇三娘に、何処となく似た顔をしている蘇一娘。けれどその低姿勢な物腰は全く似ていない。
そんな蘇一娘は、袖から縄と金属の鐘のようなものを取り出す。
師匠は野邪の所へ行き、蘇一娘が頷くと、妖婦を捕らえていた野邪をどかした。
「おのれ、巫女! それに下女如きがよくも!」
「やめない、妹たち。これ以上は私が許しません」
「ね、姉さん!?」
蘇二娘と蘇三娘は、姉の姿に驚き罵声を飲み込んだ。
「あなたたちはやりすぎました」
言って、蘇一娘は鐘を蘇二娘に向けて放る。
途端に大きくなっ鐘は、真上から蘇二娘を漆黒の炎ごと覆い隠してしまった。
次に投げた縄は、逃げようとした蘇三娘を背後から縛り上げ、口にまで猿轡のように纏いついて逃げられないよう捕らえてしまう。
その間に、蘇二娘を捕らえた鐘は、手に乗るくらいの大きさに縮んでいた。
「これで、こいつらは逃げられない。こういう道具、仙界から持ち出すにはちゃんと仙界に所属する仙人じゃないと許可が下りないんだよ」
鐘を持ち上げ、縄の端を掴んだ師匠は、愚痴っぽく説明して妖婦を捕らえたことを周囲に見せた。
「こっちの鐘のほうが、泥人形よりよっぽど丈夫だしな」
『わしの雄姿に対する賞賛はないのか! 見よ、内側がぼろぼろなのじゃ…………』
燃えていたり、削れていたりと、お椀型になった野邪は確かに頑張ってくれた。
様子を見ていた昂覇王は、急に私を庇うように背後へと回す。
「越西、その罪人をこちらに渡せ」
「身内いるんだからもう少し言い方考えろよ」
「いいえ、越西師。龍王のお言葉ごもっとも」
蘇一娘はその場に膝をつくと、瓦礫が転がる床に這わんばかりに頭を下げる。
「そして、そのお怒りもごもっとも。大変、申し訳なくぞんじます」
蘇一娘は頭を下げて昂覇王に謝った。
「ここへ来られましたのも、越西師のお声かけあってこそ。わたくしは、妹の死体が確認されないことを聞き、生きている可能性を感じて地上を彷徨っておりました」
姉だからこそ、蘇一娘は妹たちの行動の予想がついたらしい。
生きていたならまた復讐を掲げて暴走する。そうなる前に、今度こそ止めようと仙界から地上へ降りていたのだとか。
「何より、巫女どのが妹によって呪いを受けたと、とある異相の治癒師に聞きました」
それは妖婦討伐を共にしたかつての仲間のことだろう。
仙界で修業中に、蘇一娘と会って話をしたようだ。
「わたくしは妹を捜しながら、『狂愛の呪い』と名づけられた呪いの解呪のため、治癒師にも手伝ってもらい霊薬を作っておりました」
修業も共にした姉妹ながら、解呪には蘇二娘の呪いを解明する必要があった。そのために妹たちのいた場所を回っていたところ、同じく解呪法を求めて旅をしていた師匠と会ったのだとか。
「霊薬? 師匠、聞いてませんよぉ?」
「できたのは『狂愛の呪い』の影響を受けた男を正気に戻す薬が一つだ。材料が足りない上に収穫まで十年を待たなきゃならん。報告できるような成果じゃないだろ」
「それでも言って欲しかったですって…………」
「解呪としては内丹のほうが確実だから、そっちは教えただろ?」
私が何を不満に思ってるかわかってない師匠に、溜め息が出る。
そんな私を庇う昂覇王は、厳しい声で繰り返した。
「我は、罪人を渡せと言ったのだぞ。そのような言い訳でそれらの罪が免れると思うな」
「わかって、おります。ですが、どうか…………お願い申し上げます」
蘇一娘は震える声で言い募った。
「どうか、命だけは。妹たちをこのまま私の手にお預けください」
「ならん」
「妹たちを殺せば、呪いで繋がった巫女どのに悪影響も考えられます。それよりも生かして呪いを解くよう改心させます故」
「すでに呪いに全ての力を注いだとその妹が言ったのだ。今さら死んで、巫女に手出しなどできん。生かすほうが不埒な企みを抱こう。そのような愚昧のために命を懸ける価値があると言うのか?」
「…………罪を犯した愚か者でも、私にとっては愛しい妹。その命あることを願うは、損得など越えた肉親への愛なのです」
「なるほど。妹に似て貴様も愚かだ」
冷たく言い放つ昂覇王の言葉にも、蘇一娘は頭下げたまま。
昂覇王は動かない蘇一娘から、甄夫人へと目を移した。
「元は龍と仙の争い。これもその延長と思えば、勝敗の決め方をこそ話すべきだ。そして、被害に対して真に貴様が謝るべきは、そこにいるような巻き込まれただけの人間であろう」
蘇一娘は少し顔を上げて、甄夫人を窺う。
「この者は、貴様の妹たちが起こした争いによって夫を殺されている」
「さようでございますか。それでは、罵りたければどうぞお気の済むまでわたくしを罵ってくださいませ。ただ、妹の命だけはどうか、ご勘弁を」
蘇一娘の言葉に、甄夫人は目を見開いて震えた。
「あなたを罵って、夫が戻る訳もない。この憂さを晴らすには、その二人が死んでくれたほうがよほどいいわ」
「仙術で永らえさせることはできても、命は取り戻せません。だからこそ、わたくしは妹の助命を請いますこと、どうかご理解ください」
「なら…………、心臓の在り処を教えてください。私では仙女は殺せない。でも、次にその二人が自分勝手に復讐を掲げるなら、止める手段を知っておきたいわ」
甄夫人の言葉に、縄で縛られただけの蘇三娘が目を見開いて怒る。
その姿に現状への反省はないのが、見て取れた。
蘇一娘にもわかったらしく、諦めたように震える息を吐き出す。
「…………この子の胸の中に、心臓が二つ」
「ふぐぅ…………!?」
蘇三娘は信じられないような呻きを上げて、姉を見つめた。
その反応で蘇一娘が嘘をついていないことがわかる。蘇二娘が心臓を隠したのは、妹である蘇三娘の中。
そして蘇三娘が龍たちから今まで隠れていた訳がわかった。
「許しはしませんし、死を望み続けます。でも、それは今でなくてもいい」
そう言って蘇一娘に背を向けると、甄夫人は昂覇王に頭を下げた。
頷いた昂覇王は、蘇一娘に手を振る。
蘇一娘はもう一度深く頭下げ、師匠から鐘と縄の端を受け取った。
「天によって正しく裁け。人間からの文句は貴様が責任を持って対処せよ。我らは知らぬ」
「承りました」
どうやら、この場では殺さず天の裁きにかけるらしい。
蘇一娘はそこでも妹たちの助命を嘆願するんだろう。
蘇一娘に視線が集まる中、私は突然後ろに腕を引かれた。
「施娘、君は私と共に国に帰ろう」
「太子さま!? な、何を言ってるんですか?」
空気を読まない呪われた王太子の暴走に、私の後ろで昂覇王が怒気をみなぎらせている。
「ちょ、太子さま。落ち着いてください。ひ、引っ張らないでください!」
「なんという殺気! ここは危険だ、施娘。さぁ、私と共に」
献籍は何故か王太子の側から離れていない。
おかしな状況を察して、蘇一娘が袖から焼き物の壷を取り出した。
「あ、どうぞこの霊薬を…………、お二人とも、ですか?」
蘇一娘が出すのは薬一つ。呪われた人間は二人。ただ、他にも呪いの影響を受けている人がいる。
「師匠、阿鼓はどうしたんですか?」
「置いて来た。あいつ雲乗れないからな」
えーと、方士の河鼓は今のところ平気かな? 師匠も内丹のほうが確実って言ってたし。
王太子は国にとって大事な存在だ。何より元に戻れば春嵐が喜ぶ。
けど献籍もこのままと言うわけにはいかない。こんな人形のような状態じゃ、生きていると言えるかもわからないんだから。
「巫女から手を離さねば千切るぞ」
「昂覇王、落ち着いて! ちょっと考えてるので待ってください!」
「施娘、あんな危険な龍の側にいてはいけない。城も襲われた。妖婦に操られるような種族だ。信頼すべきではない」
龍たちが気にして、昂覇王も汚点とわかっていることをはっきり口にした王太子に、場の空気が凍った。
その空気を打ち破るように、凛とした声が響く。
「悧癸さま! お気を確かに!」
「ぐぅ…………!?」
突然の声に次いで、王太子の体に衝撃が走る。掴まれていた腕が離されると、私は昂覇王に取り戻された。
途端に、献籍はこっちに来る。どうやら私の側について来るようだ。呪いのせいかな?
「…………って、あれ? 今の声もしかして」
背中を押さえて痛みに震える王太子の後ろには、一抱えある瓦礫を置く春嵐の姿があった。
「お久しぶりね、伯蓮」
「春嵐! 無事だったのね!」
「えぇ、龍太子にお助けいただいて、ここまで連れてきていただいたわ」
「無茶だと言ったんですが、強気に迫られまして」
いつの間に戻ったのか、龍太子も春嵐の後ろから現れる。
「人間には龍との飛行は死の危険もあると言ったんですよ」
「夫が蛮行に走り、友が危難に遭う。わかっていてじっとしていられません」
春嵐は気丈に言うけれど、よく見ると足が震えてるのが衣越しにもわかるほど。
そして今度は春嵐が昂覇王に向かって床を這うように頭を下げた。
「勝手なお願いではございますが、どうか悧癸さまの助命をお願い申し上げます」
戦争の責任を問われるのは、総大将である王太子だ。
戦争があったことすら妖婦の存在で忘れていた私は、昂覇王を見上げる。
「此度の戦は我々が妖婦の手に落ちたことが起因している。その王太子の掲げた大義名分の中の龍への不信は、多くの人間たちが抱いた思いであろう。…………正しくことの顛末を周知するなら責めぬ。操られた上での凶行を責めるは己に唾を吐くも同じよ」
「寛大なお言葉、感謝の念に尽きません。…………その上で、もう一つお願いがございます」
覚悟を決めた様子で顔を上げた春嵐は、蘇一娘を見る。いや、その視線は蘇一娘の手にある薬を見ていた。
「春嵐…………もしかして?」
「ごめんなさい、伯蓮。斉武官はわたくしを助けようとしてくださった。その上で妖婦の手に落ちたのも見ました。わかっているのです、そうわかっていても、わたくしは…………それでも…………」
王太子を正気に戻したい。
春嵐は身勝手な自分に対する恥と怒りで、顔を真っ赤にして言い募った。
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