三十四話:罠にかける
私は甄夫人と一緒に龍王の城の中を走る。
目指すは広間。そこに仕掛けが施してあった。
『越西は少々戻るのに時間がかかりそうなのじゃ』
「えぇ!? そんな師匠…………」
「もう、仙人なら雲に乗って来てよ!」
野邪伝いに現状を把握している師匠が、まさかの遅刻宣言。
私は走りながら、甄夫人と一緒に文句を口にした。
そんな私たちの足元を跳ねるように走って、空くんが鳴く。
「クキュ!」
「昂覇王さまは来てくれるのね?」
「ククー!」
空くんの力強い返事に、焦りそうなった気持ちが落ち着いた。
すでに人間との戦いは決している。自然の猛威をとなった龍には打つ手がないだろう。
そう考えると、妖婦に操られ、長大な体で暴力的に振る舞っていた龍は本領を発揮できていなかったと言える。
「昂覇王さまは今戻って来てる途中ってことかな? だったら、戻る前にやらなきゃ」
昂覇王は私の願いを聞き入れてくれた。『私を使って』できる限り被害を少なくするという、我儘な願いを。
昂覇王に願った内容を聞いた甄夫人には怒られた。
蘇三娘に狙われてるなら、安全な場所に隠れて力ある者に委ねるべきだって。
けど私は、狙われてるからこそ甄夫人のような巻き添えを出したくなかった。もう離宮でのような、知らない間にことが進んで被害ばかりが出るなんてことは嫌だ。
そう言ったら、こうして一緒に居ることを強行されてしまった。
私のほうこそ、甄夫人には安全な場所にいて欲しかったんだけど。
「施娘! 太子さまは剣を抜いたまま追ってくるわ!」
後ろを窺うと、王太子が追って来てる。
怒りと焦りを浮かべた表情に余裕はなく、下手なことをすれば甄夫人共々剣の錆にされそうな危うさを感じた。
「蘇三娘よりあっちが厄介かもしれないわね」
「なんだか、お城にいた時よりおかしくなってる」
『蘇三娘がおかしくしたのじゃろ。離宮以前から側にいたのなら、施娘に都合が悪いよう術がかけられている可能性が高いのじゃ』
確かに最初の内は呪いにかかっていても、ここまで攻撃的じゃなかった。
『狂愛の呪い』が悪化したせいだと思ってたけど、蘇三娘が悪化させていたかもしれない。だったら王太子も被害者だ。
できれば怪我をさせないよう、穏便に済ませたい。
私は疼く胸の痣を押さえる。呪いになんて負けられない。今やれるべきことをやろう。
甄夫人と駆け込む広間には、事前の打ち合わせどおり誰もいない。
甄夫人を先に行かせて広間の柱の間を、私はあえて目立つように走った。
「龍の大きさに合わせてあるのかしらぁ? これだけ広ければ隠れる場所もないわね。お行きなさい」
蘇三娘の声に応じて、ついてくるだけだった献籍が剣を抜く。
走り出した献籍は、王太子よりも動きに無駄がない。
「まずは邪魔な女を」
蘇三娘は柱の陰にいる甄夫人を狙うように目を向けた。
関係のない甄夫人に危害を与えようとする性格の悪さに、私は足を止める。
「やめて! 甄夫人は関係ないでしょ!」
声を上げると、何故か献籍が急に止まった。
「え…………? 献籍?」
「ちぃ! 太子さま、今です! 施娘を手に入れるのでしょう?」
「私の施娘! もう放さないよ!」
『させぬのじゃ』
喜色満面に剣を持ったまま走り寄って来ようとした王太子。
野邪は丸い体を活かして足元に転がると、王太子の脛を強打した。
そのまま転がって離脱する野邪を確かめて、私は今が好機だと判断する。
「蒼天補! 四極正! 淫水涸! 冀州平! 狡蟲死! 良民生!」
決められた呪文を叫んで天へ手を掲げる。
私の言葉に答えるように、術を仕込んでいた柱が六つ光った。
呪文は、世界を正す過程を表すもの。転じて一切の災いを封じる結界を生成する合言葉だった。
光が六つの柱を繋ぎ、一つの大きな光の柱を顕現させる。
「これは…………!?」
柱の中に封じられたことに気づいた蘇三娘が抜けようとしても、すでに結界は完成してる。
逃げ出すどころか、結界に触ろうとした蘇三娘は光に焼かれたように手を赤く腫れさせた。
痛みに結界から離れる蘇三娘は、逃げ場を探す鼠のように忙しなく辺りを見回す。
その間に、王太子と献籍は私に近づこうと結界に貼りつくけれど、抜け出せない。
「こんな小娘の結界ごときでぇ!」
『無駄なのじゃ。聖なる巫女だからこそ作れる女神の力を降ろした結界なのじゃ』
野邪が教えると、蘇三娘は眦が裂けそうなほど目を見開いた。
女神の力を使った結界なんて、私一人では作れない。それは蘇三娘が思うとおりだ。
でも、天に通じる龍の手助けあるこの場所なら、巫女として半端な私でも可能だった。
「蘇三娘、あなたが私を狙ってるとわかってたから、こうして私を囮にしたの」
私は自分を餌に所在不明の蘇三娘を釣った。
それが今回の作戦。
「失礼」
甄夫人は結界の中の王太子と献籍に札を張りつける。
途端に動かなくなる二人を横目に、甄夫人は光の中から何の抵抗もなく抜け出た。
「何!? く、結界は解かれていない」
「これは良き者であるならすり抜けられる結界なんだそうよ?」
手の痛みに呻く蘇三娘に、甄夫人は笑みを向けて教える。
この結界は呪いにかかってる私や王太子、献籍は抜けられない。邪悪な企みを持って天に認められた龍王と敵対する蘇三娘ならなおのこと。
けど、ただの人間で悪心もない甄夫人はすり抜けることができる。
だからちょっと危ないけど、こうして師匠の用意した金縛りの呪符で二人を拘束する役を果たしてもらうために同行してもらった。
「蘇三娘、あなたは戦争を起こして龍が出払ったら、私を狙ってくると昂覇王に予想されてたんだよ」
「龍王さまのお知恵のほうが、妖婦などより勝っているという証左でしょうね」
「おのれ、おのれ! こんな、こんな結界!」
蘇三娘は目に見えて焦り始める。罠にかかった今、昂覇王が戻って来ることも予想できるからだろう。
結界へ無闇に攻撃を仕掛ける蘇三娘は、気づいた様子で動けなくなっている王太子と献籍に目を向けた。
私への人質にしようとしたんだろうけど、触れた途端に札が光って蘇三娘の手を傷つける。
「呪符は二人を守るための物でもあるんだよ。もう観念して」
「小娘が、小賢しい!」
私を睨む蘇三娘のその表情は、かつて相対した妖婦、蘇二娘に似ていた。
そう思った途端、胸の呪いの痣が疼く気がする。
狙いどおり蘇三娘を捉えたのに、嫌な予感が消えない。
「元はと言えばお前が! お前がこうして呪いを振りまいたからこの二人は!」
ただの悔し紛れの雑言。そうとわかっていても、私は肩を震わせてしまった。
途端に蘇三娘は悪辣な笑みを浮かべる。
「この武官がなぜこうなったか、聞きたくなぁい?」
「そんなの、あなたが献籍に術をかけたから」
「私ではないわ。お前の呪いのせいだ」
蘇三娘はきれいに磨いた爪の先で私を指した。
献籍は『狂愛の呪い』にかかっており、蘇三娘はその呪いを増幅したに過ぎない。増幅した呪いで前後不覚になったところを操るだけだという。
けれど献籍は呪いに抗った。
「心を惑わす呪いに抗いすぎて、心までも壊れてしまった! もう二度とこの武官は元には戻らない!」
「…………そんな!」
「クークー」
前に出ようとした私の肩に飛び乗った空くんは、正気づかせるように頬に前足を押し当てる。
まるで、妖婦の妄言に乗ってはいけないと忠告するように。
深呼吸をして、自分を落ち着かせた私は、動かない献籍を見る。
「献籍はそんな弱い人じゃない! きっと、呪いに勝って元に戻るわ!」
「強いからこそ自壊したのにぃ?」
「それでも、それでも! 今のままで終わらない! 私はそう信じてる!」
「終わるさぁ。お前と一緒にな!」
そう叫んだ蘇三娘には、いつの間にか焦りがなくなっていた。
「甄夫人、戻って! 何か変!」
『この状況で何をする気なのじゃ?』
野邪も怪しむ言葉を言った途端、何かを感知した様子でその場から転がった。
途端に、床を炎が走る。それは光を飲み込むような真っ黒な炎。
目にした瞬間、私は自分の胸に爪を立てていた。
『おかしいぞ、この炎! 土でできたわしが燃える上に、消えんのじゃ!』
「そんな、野邪! それは燃え広がったら消えないよ!」
私の警告に、野邪は燃える腕を自切した。
床に投げ捨てられた野邪の腕は燃え続ける。土が燃え尽きて、ようやく火は消えた。
「あの、炎は…………どうして…………?」
「あらぁ、知っているでしょう?」
蘇三娘は戸惑う私を眺めて楽しげに言った。
「さっきの炎、蘇三娘からじゃないわ」
甄夫人は炎の来た廊下を見ている。そっちからは、いつの間にか足音がしていた。
近づく足音と共に、廊下から噴き出す黒い炎。炎の中を、焼け焦げて炭になった人が歩いて来ていた。
黒い人の形をしてるけど、炎に包まれた体は燃え続けている。
「あれは…………漆黒の炎…………」
妖婦退治のために託された、消えない炎。全てを焼き尽くすと言われたその漆黒の炎を纏って、生きて歩いているのは、どういうことだろう?
「あぁ、巫女。愚かな娘」
漆黒の炎を纏った人物は、一言ごとに炎を吐く。
声は掠れて聞き慣れない。炭のようになった顔かたちに面影はない。
それでも、私はその言葉を知っていた。
「…………蘇二娘?」
「えぇ、お久しぶり。会いたかったわ」
ありえない。
そんな思いのまま首を横に振ると、黒い炎の中で笑われた気がする。
「とてもね」
生きているとは思えない。異様な姿はもはや人間でも仙人でもない。
それでも確かにそこに立って、蘇二娘は現れたのだった。
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