三十三話:戦場からの侵入者
龍の住む山に向かって、人間が行軍してくる。
私はその様子を山の上で見ていた。
見せてくれているのは野邪で、不思議な光の陰影で描かれた絵が動いている。
師匠が野邪と合わせて中継器なる物を設置しての実験だとか。
何か言われたわけではないけど、戦場の様子は見せてやるから、無闇に動くんじゃないぞって圧を感じる。
「あの動いてるのが軍なんだよね? 背景の山ってそこの窓から見える山でしょ?」
『うむ、今から布陣するのじゃ』
「大丈夫よ、施娘。この城に軍は来れないわ」
落ち着かない私よりも、甄夫人はずっと冷静そうだ。
この城は基本的に龍が飛行して出入りしている急峻な山の上。
山肌を登ることはできるけど、軍は進めないし展開できる広い場所もない。
わかってるけど、上手くいくかどうか。
『見るのじゃ。あやつら対空兵器を持ってきたのじゃ』
野邪が大写しにするのは、形からしてたぶん、投石器。
攻城兵器と呼ばれる大型の武器で、弾にする岩も荷車を押して運ばれている。
『龍の飛来を想定しての陣形なのじゃ。持ってきた弓もずいぶん大きいのじゃ』
「方士が固まってるのはどうしてかわかる、野邪?」
『竜巻でも起こして龍を落とす気やもしれんのじゃ』
「竜巻で、龍は落ちるのかしら?」
『昂覇王ならば無理なのじゃ。他の龍ならば可能じゃが、あまり供回りも連れて行っておらん。この方士たちの活躍はないのじゃ』
そもそもこの城は守りが手薄だと野邪な言う。元から働き手が少ないと。
「そう? 千人くらいいたの見たよ」
『王のいる城なのじゃ。女も併せて千人程度は少ないのじゃ』
「そこはそれぞれが人間よりもお強い龍だからではないの?」
『無きにしも非ずじゃが、考えるに、妖婦の被害で動ける者が少ないのじゃ』
ただの人間に倒せるほど龍は弱くない。
けれど妖婦は龍を倒す準備をして攻めた仙女だ。
昂覇王の兄である、当時の龍王も怪我を負って療養中。それほどの傷を負わされた龍が、他にもいるはずだと。
「…………野邪、師匠はどうしてる?」
『まだ仲間とは合流しておらんのじゃ』
「あの仙人さまは戦わないのよね?」
『別にやることがあるらしいのじゃ』
あくまでこの戦いは、宣戦布告したとおりは龍対人間のもの。
仙人であり、遠い西の出身の師匠は面倒だと言って噛まずにいる。
といっても、私の安全のために動いていてくれてる時点で、全くの無関係ではないと思うけど。
ともかく戦場には行かないと、師匠は言っていた。
『む、龍が来たのじゃ』
野邪は光で描いた陰影を空だろう景色に移す。
そこに映るのは、見るからに大きな龍。
空飛ぶその威容は、きちんと色が見られるなら黒に近いほど深い赤をしているだろう。
「昂覇王、大丈夫かな?」
『余裕を見せて投石器の組み立てを待った今現れ、その上でやられたのなら笑うのじゃ』
「野邪、本当に笑っては駄目よ?」
「クー、キュキュ」
甄夫人が釘を刺したら、空くんが笑うような鳴き声を上げた。どうやら昂覇王が失敗した時には、分身であるはずの空くんも笑うつもりらしい。
そんな話をしている内に、昂覇王を狙って投石器が動く。
弓兵や方士も、近づいてくる昂覇王に狙いを定めて動き始めた。
『どうやらあの方士たちは、風を操って飛距離を稼ぐつもりなのじゃ』
匙のような形をした投石器から、人間よりも大きな石が飛ぶ。
長大な体をくねらせ、昂覇王は石を避けた。
次の石には方士による札がぐるりと張られており、宙を飛ぶと火の玉となって昂覇王を襲った。
龍の姿の昂覇王は体が大きく、動きはあまり早くない。それでも悠然と動いて火の玉となった石も避けてしまう。
人間側は必死に当てようと、休む間もなく投石器を動かした。
「あ、掠った! ねぇ、昂覇王に掠ったよね!?」
「落ち着いて、施娘。大した怪我じゃないわ。龍の鱗は硬いのよ?」
甄夫人に言い聞かせられて、頭は納得するのに心臓が嫌に早い。
何か、わからないけど、何か悪いことが起こりそうな予感がした。
『見よ、龍王が何かするのじゃ』
野邪が映す昂覇王の動きが、確かに変わった。
悠然と上空を移動したはずが、突然自ら下に降りる。
射程距離に入った昂覇王に向けて、弓兵が矢を放つ。その間に投石器は狙いを調整しようとしていた。
そうして動いている間に、新手の龍が現われたことに気づくのが遅れたようだ。
上空に現れた数体の龍は、雲を引っ張るように暗雲と共に移動する。
『方士が晴れ乞いで雲を散らそうとしているのじゃ。しかしもう遅いのじゃ』
「あ、昂覇王が昇った。…………すごい」
まさに昇竜。
昂覇王が天へ昇ると、他の龍から雲が離れる。
昂覇王に集まる雲は、まるで一個の生き物であるかのように一つにまとまると、大きな雲になって黒く垂れこめた。
「草木を見て。すごい風じゃないかしら?」
『天候の操作は天より龍王が任された権能なのじゃ』
見る間に渦を巻く分厚い黒雲ができあがる。
昂覇王が吠えると、途端に雷鳴が轟き雷光が走った。その様子は山の上のここからでも確認できる。
木々がたわむほどの風は、遅れて私にも吹いて来た。
「まぁ、昂覇王さまが雲に入ったわ」
重そうなほど黒い雲に、昂覇王の姿が飲まれる。
もう投石器も届かない空でのできごとを、軍もただ見守っているだけ。
すると突然、赤い光が大地へ走った。
赤い雷光にも見えたそれは、昂覇王。
昂覇王が大地へ真っ直ぐ駆けると、雲が崩れるようにほどけて突然の豪雨が軍を襲った。
私たちの見る映像も、視界が真っ黒になって何もわからなくなる。
それはまるで、昼が夜になったような急激な変化だった。
『うーむ、映像の調整が…………む、また龍たちが来たのじゃ』
「この動いてる影? ねぇ、もしかして地面を泳いでる?」
「きっと一気に降った雨水を濁流として泳いでるのよ」
龍は直接人間たちに触れることなく、会敵の直前に天へと昇った。
突然の暴風雨に混乱する中、今度は襲ってくる濁流に足を取られ、兵は統制を失くしていく。
濁流の勢いに呑まれて転ぶ者やそのまま流されていく者もおり、止まない雷鳴で指揮する声さえ届かない混乱状態へ陥った。
雲を連れて来た龍が、作動させる者もいなくなった投石器を狙う。
人間からすれば大きな投石器も、龍からすれば爪をかけて引き倒せる程度の物。
『趨勢は明らか。これで継戦は不可能なのじゃ』
「はぁ…………お見事。最短で本当に最小限の被害ね」
野邪と甄夫人の言葉に、胸が震える。
まさに私の我儘を、願いを昂覇王は確かに叶えてくれた。
「次は私が…………。野邪、これだけ早いともしかして」
『うむ、越西から仲間と合流して情報が来たのじゃ。すでに蘇三娘の姿は軍に見えぬ』
「布陣する前に姿を消していたってこと?」
『仙人でも龍には勝てぬことをよく知っているのじゃ。ならば軍に留まるなど無駄なのじゃ』
「じゃあ、蘇三娘は」
私が確認を口にしようとしたら、悲鳴が聞こえた。
次いで争いの音が断続的に響く。
状況を確認するために耳を澄ませていると、報せが走って来た。
「巫女さま、蘇三娘です! 侵入してきました!」
「やっぱり早い! 蘇三娘は一人?」
「いえ、人間の男を二人! 一人はお国の王太子ではないかと!」
「そんな、軍にいなかったの!?」
軍を率いてきたはずの王太子が、戦場にいなかったらしい。
総大将が不在で戦わされた軍が可哀想だ。
「来ました! うわ…………!?」
報せてくれた龍が、抵抗する間も与えられず斬られる。
それほどの剣技を見せたのは、私も実力をよく知る相手。
「献籍…………!」
まさかもう再会することになるなんて。
聞いてはいたけど、本当に様子がおかしい。目が虚ろで、見るからに意思がない表情をしている。
「献籍…………」
返事さえしてくれないことが信じられずもう一度声をかけると、嘲笑う声が献籍の後ろから上がった。
「どう? 私のお人形はぁ?」
「誰!?」
現れたのは薄絹を着た女。
見たことのない顔だけれど、一度見たら印象に刻まれるとわかる琥珀色の目をしている。そして言葉を喋るごとに怪しく蠢く紅い唇。
反射的に聞いたけど聞く必要は、たぶんなかった。
「…………蘇三娘」
「さすがに知ってるのねぇ、聖なる巫女さま?」
「そんな…………顔が違う…………?」
離宮で蘇三娘と顔を合わせていたと言う甄夫人は、困惑の声を漏らす。
「それはこの顔ぉ? それともこの顔かしらぁ?」
蘇三娘は馬鹿にしたように言いながら、袖に隠して出す度に違う顔になってみせた。
二度目に聞いてきた顔は、私も知ってる。
宮城で王太子の側にいた宮女の一人だ。
「その顔、あの時から太子さまに…………!?」
「あははは! 愚かな娘! 今頃気づいたのねぇ!」
悪意に満ちた笑い声をあげる蘇三娘の後ろから、王太子がふらりと現れた。
面やつれしてしまってるその顔は、何処か夢見るような不安定さがある。けれど私と目が合った途端、不自然なほど高揚した様子を見せた。
「施娘! あぁ、やっと会えた!」
迷いなく駆け寄って来る王太子。けれど手には刃物が握られている。
「施娘、こっち!」
危険を感じた甄夫人に手を引かれて、私は龍の城の中を逃げる。
「私と施娘の間を邪魔する者がまだ…………!?」
訳の分からないことを叫んで、王太子は殺気立つ。
「あらあら、お可哀想な太子さまぁ」
面白がる蘇三娘も、追いかけてくる王太子に続いた。
そして追い駆けっこが始まる。
昂覇王がお膳立てした、狙いどおりの追い駆けっこが。
一日二回更新、全四十話予定
次回:罠にかける




