三十一話:図書庫で希う
「ここだ、巫女」
昂覇王の案内で訪れたのは図書庫。
高い天井と太い柱の間には、巻物を修めた棚が林立している。
収蔵されてる巻物自体は人間の大きさに見合った物だけど、棚の数とそれを埋める書籍の数に圧倒された。
「すごい…………」
「上ばかり見ていると転ぶぞ。ここが金丹に関連した棚だ。好きに見るといい」
「は、はい…………」
すごいし、用意してもらってありがたい。私だけのためにと思えば申し訳ないくらいだ。
けど、今は金丹作りをしていられない気持ちがある。
「昂覇王、ありがとうございます」
「礼を言うならもっと晴れやかな顔で言え」
「…………すみません、私、宮城へ行きたいです」
「呪いを負ったままか?」
まるで予想していたように、昂覇王は私の考えのなさを指摘する。
人間の元へ行くなら、確かに金丹で呪い解くほうが先決だ。
わかってる。わかってるけど、窮状を知って知らないふりはできない。
私はおかしくなったという献籍と、軟禁されているという春嵐を助けに行きたかった。
「昂覇王に迷惑はかけません」
せっかく用意してもらって申し訳ないけど、あ、よく考えたらこれだけの準備を無碍にする時点で迷惑かけてる。
でも今なら師匠もいる、河鼓もいる。王都には他にも旅の仲間がいるらしい。
せっかく今まで尻尾の掴めなかった蘇三娘の居場所がわかった。だったら甄夫人のふりをした蘇三娘を捕まえられれば、きっと龍もここに籠ってなくて良くなるはず。
「巫女よ、分を弁えて助けを求めるのは弱者の分別だ」
「はい。それでも」
私が動く必要はないし、危険なのはわかってる。それでも弱者だからと膝を抱えて隠れてるなんてできない。
そう言おうと思ったら、頭を撫でられ止められた。
「急くな。どうせ助けを求められるなら、自らの可能性を早々に諦めた者より、なお抗いそれでも諦めきれずに希われるほうが、甲斐があるというものだ」
頭を撫でた昂覇王は、最近括ることの多くなった私の髪を指に絡める。
だいぶ伸びたけれど、まだ結い上げるには足りない長さだ。
「我を見くびるなよ? すでに宮城の様子は調べさせている」
「え? な、なんで?」
「そなたが仲間の窮地を知って見ないふりをするほど臆病だとは思っておらん」
私が動くとわかっていたから、昂覇王は先に動いたらしい。
「何より人間が大地を移動するよりも、我らが空を駆けたほうが早かろう」
「確かに。空なら山とか川とか気にせず移動できますもんね」
「今朝一番の報せでは、どうやら彼の武官は無事であるようだ」
献籍の無事を聞いて肩の力を抜くと、手を引かれて読書用の場所に座らされる。
「ただ例の武官は王太子派にいる」
今まで国王派だった献籍が、王太子派に鞍替えした。
しかも昂覇王に届けられた報告では、献籍の様子は一目でわかるほどおかしいそうだ。
「離宮の侵入者から王太子妃をも守ったという建前で、王太子派に移動したようだ。越西を訪ねた方士は、王太子妃を襲ったとして罪に問われている」
献籍と河鼓の仲の良さは、武官と方士という特異な組み合わせから宮城でも有名だったらしい。
その二人が袂を別ったような状況に、何があったのかと、宮城では憶測ばかりが飛んでいるそうだ。
「その、献籍はやっぱり蘇三娘に操られているんでしょうか?」
「意思を感じさせぬ目に、生気のない表情。極端に言葉数が少なくなっている様子からも、その可能性が高かろう」
昂覇王曰く、河鼓はすでに調べて蘇三娘の術はかかってないことを確認しているそうだ。
「我はこのまま静観することを勧める」
「静観って、助けないってことですか?」
「そうだ」
見つめる昂覇王は冗談でも思いつきでもなく、私に考えを告げた。
真っ直ぐに見返す昂覇王には、きっと何か理由がある。
「何故、そう考えるのか教えてください」
私にはわからない。
だから聞いたのに、何故か昂覇王は満足げに笑った。
「どうやら我はそなたの信頼を得ているようだ」
「は、はい。それはもちろん」
今さらどうしたんだろう?
あ、もしかしてここに連れてこられた時に怖がってたのまだ気にしてたのかな?
実際攫われたけど、助けられたことはわかってるし。ちょっと近寄りがたいところもあるけれど、いいひとなのももう知ってる。
「私は、昂覇王が私のことを考えて止めているのは、わかってます。ただ、その理由が私には思いつかないだけで」
「では、忌憚なく言わせてもらおう」
笑みを消して、昂覇王は真面目な顔で言った。
「近く人間と戦争となる」
「え?」
予想外過ぎる言葉に、私は思考が真っ白になってしまう。
「ど、どうして!?」
「すでに戦争を引き起こす土壌は整っている。今から止めるよりも、戦争がはじまる時期を調整するほうが現実的だ。そなたが静観するなら戦争までの時を稼げる。動くならば、向こうも行動を速めるだろう」
「そんな…………。向こうが行動を速めて、戦争が早まる? ということは、戦争を起こすのは蘇三娘?」
「そうだ。良いか、巫女。感情に惑わされるな。敵の目的と味方の現状を客観的に考えろ。戦う武力に乏しいのならば、知恵で戦え」
言われて私は頭の中を整理する。
蘇三娘の目的は今も復讐だ。復讐対象は龍とこの国の人間と私。
これだけ対象がいると面倒だし、時間もかかる。じゃあ、三者を一番効率的に狙うには?
「もしかして…………龍と人間で戦争をさせることが復讐? 龍が負けなくても、戦争となれば人間は弱るから?」
「それもあろう。また巫女が人間を見捨てられないのは離宮での処刑騒動で確認済みのはずだ。我らが守る限り、そなたに蘇三娘の魔の手は届かせない。ならば人間を窮地に追い込んでそなたを誘い出すのが戦争の目的となろう」
「それが、昂覇王さまが考える蘇三娘の動きですか?」
「一度は離れた宮城に戻り、王太子を操っているからな。権力者を掌中に収めてすることとなれば、逆にやることは絞られる」
「一度は離れた…………?」
どういうこと? 蘇三娘って離宮だけじゃなくて宮城にもいたの?
「巫女が現われたことがばれて、宮城が襲われたであろう? あれは宮城の中から蘇二娘に報せた者がいる。我も当時、蘇二娘がその報せを受け取り襲撃を画策した姿を見ていた」
蘇三娘は宮城に潜んでいた?
でも、言われてみればあの時の襲撃は誰かが情報を流さなければありえない。
…………昂覇王の言うとおり、私はもっと考えなきゃいけないみたいだ。
今のままだと、答えが目の前にあっても気づけない。
それじゃ駄目だ。誰かを助けるなんてできる前に、私は敵に倒される。
「太子さまを操って、戦争をするには…………、太子さまが国王にならなければいけない?」
「そのとおりだ。今は宮城を二分する状況だが、いずれ国王に譲位を迫るだろう」
譲位を迫るまでの時間は稼げる。
けれど、時間を稼いで私が金丹を作ったとして、それで蘇三娘が止まるとも思えない。
「…………解呪とは別に、蘇三娘を止める手を、考えなきゃ」
「言っておくが、そなたが直接蘇三娘の元に行くのは許可できない」
「どうしてですか? 私妖婦討伐しましたよ。だったら今度も」
「以前とは状況が違う。蘇二娘は術で我ら龍を操っていた。その邪法を解く力をそなたは持っていた。故に蘇二娘の守りを削ぐことが可能だった。だが、今回はどうだ?」
言われて考える。
蘇三娘の側にいるのは王太子だ。そして王太子の兵。
操られてるのは王太子でも、王太子の兵は命令されて自ら動いてる。だったら、私の聖なる力なんて通じない。
「太子さまを…………、操る力から解放すれば、どうでしょう?」
「宮城の最奥に暮らす王太子と、どう接触する? 解呪ができていない場合は蘇三娘が操るまでもなく暴走するぞ?」
昂覇王の指摘に対して、全く手が浮かばない。
自分が天才だとは思ってないけど、こうできることがない状況だと自分の凡才が悔しくなる。
俯こうとする私の顎を、昂覇王は指先で持ち上げた。
「そろそろ、そなたの口から我を求める言葉を聞きたいものだな」
助けを求めろと昂覇王はつまらなさそうに言う。
そう言えば、このひとは空くん越しにその時を待っていたんだ。
「守られて妖婦討伐をして、申し訳なかったんです。だから今度こそ自分で誰かを助けたかった。でも、まだ無理でした」
錬丹術も上手くいかない。金丹も作れてない。呪いのせいで迷惑ばかりかけた。
聖なる巫女と呼ばれて恥ずかしくない存在になりたかったのに。守ってくれた人たちのように、誰かを守れるようになりたかったのに。せめて、守ってくれた仲間くらいと思っていたら、呪いで私が…………。
「きっとこんなことをあなたに願うのは我儘なんです。だから、もう少し、方法を考える時間をください」
「ふむ、ここにきてまだ助けを求めぬとは、そなたなかなかに頑固よな」
「はは、自分でもそうかなって最近思いました」
「だが、我を見縊るなと言ったであろう?」
昂覇王は私の背中を抱き寄せた。
「我が伴となる者の我儘くらい、聞き届ける度量はある」
「はん…………?」
「む、人間たちは違う呼び方か? 生涯を伴にする者、位としては妃、あぁ、あの方士が言っていたな。嫁だ」
「よ…………!」
そう言えばそんなこと言っていた。
固まる私の頬を、昂覇王は優しく撫でる。
「人間からそなたを守る口実であることは確かだが、その気もなく嫁にするとは言わん」
「え、それって、え…………? 親愛表現って、もしかして…………?」
「故に、我儘を申せ。余人には見せぬその胸の内を我が前にさらけ出して見せよ」
迫るように身を寄せられ、なんだか顔が熱い。
っていうか、よく考えたらすごく近い!
「い、言います! 話しますから、放してください!」
「それはそれで惜しい」
「そんなー!?」
これってからかわれてるよね!?
恥ずかしいんだけど、けど、なんだか楽しそうに笑う昂覇王から、私は目が離せなくなっていた。
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