三話:お城での暮らし方
つやめくほど色の濃い黒髪に、はっきりとした黒い瞳の王太子妃。白い肌には濃い化粧も派手な装いも驚くほど似合い、気品と言うべき空気感を作っている。
その姿は私が想像するお姫さまそのものだった。
「世俗の理を離れた巫女であっても、今はこの宮城に住まう者のお一人。であるならば、相応の慎みというものをお持ちいただかなければ」
どうやらこの姜春嵐は、私をお叱りに来たようだ。
みすぼらしいと言われた姿がよほどお気に召さなかったのか、挨拶もそこそこに座った途端怒られた。
慎みを持てって怒られる理由?
ほとんど部屋に引きこもってる私にそんなの…………ないとは言えないんだよね。
この間、失敗してちょっと小火騒ぎ起こしちゃった。
うん、あれは全面的に私の不始末。私が悪い。
ここは何も言わずお叱りを受けよう。
「巫女さまが市井のお生まれであることは重々承知しております。わたくしたちとは違う価値観でいらっしゃることも。だからと言って、婚姻を軽んじるような行いは恥知らずの謗りを免れません。もう一つ言わせていただければ、あなたのその姿や態度に問題がございます。ひいては従う宮女たちの評価にも繋がると言うことをもっと意識なさいませ」
「え? えっと…………なんの話ですか?」
「…………わたくしの話など、聞くに値しないと仰る?」
思わず聞き返すと、周囲の気温を下げたようにすら感じる冷ややかな声を出された。
「いいえ! そんな意味じゃないんです!」
「では、どのような意味で仰ったのかしら?」
臨戦態勢と言わんばかりの威圧を籠める姜春嵐に、私は勘違いされないようできる限り短くわかりやすく伝えようとした。
「わ、私にはお話が難しすぎて、何を言っているのかわかりません」
「はい?」
「もっと、要点だけを、短く、簡潔に、お願いします」
力みすぎて言葉が不自由そうな喋り方になってしまった。
ただやる気だった姜春嵐は、気概を削がれたみたいでゆっくり息を吸って落ち着いてくれる。
「あなたの生活態度についての改善を要求いたします」
「はい」
「宮城では暗黙の了解というものがございます。自らの価値基準に合わないからと言って、軽んじられては困ります」
「はい」
「ご存じないのならお聞きなさい。他人の忠告には相応の意味があるのです」
「はい」
一つ一つ確認するように言ってくれる姜春嵐に、私はちゃんと聞いているという意思表示で返事をする。
すると、姜春嵐は小首を傾げた。
「聞いていた話と…………。そうして頷いてくださるなら、今この場で謝罪があってしかるべきかと思いますけれど?」
まるで切り込むような鋭さを声に宿して、姜春嵐は言った。
私たちを見守っていた宮女さんたちは息を呑む。
ごめんなさい、やっぱりちょっとついていけてない、私。
「えーと、これからは、火から目を放しませんし、きちんと可燃物を遠ざけた上で実験をしようと思います。申し訳ありません」
誰も何も言わない沈黙が流れる。
たっぷり十を数える間、私と姜春嵐は身動きしなかった。そして意図せず、同時に首を傾げる。
「何を仰っていらっしゃるのかしら?」
「この間の小火騒ぎの謝罪をしました」
答えた途端、姜春嵐は耐えきれない様子で私たちの間に両手を突いた。
「確かにそれは謝罪と反省が必要な事柄ですが…………! 違いましてよ! 悧癸さまのことです!」
「りき…………? あ、太子さまがどうかしましたか?」
「ふ、ふふふ。なるほど、はっきり言わなければなりませんのね?」
名前で呼び合えるほど親しんだぁ、そっかお妃って奥さんだよね。なんて思ってたら黒い瞳が鋭さを増した。立ち上がる姜春嵐は、私に指を突きつける。
「悧癸さまほどの眉目秀麗、文武両道、温厚篤実な方に惹かれるのはわかります! ですが、あの方はわたくしと婚姻を結んでおりますの! 国を背負う者としての立場あるお方の醜聞など、宮廷雀の餌にしかならないと忠告をしに参りました!」
ぽかんとする私に、姜春嵐は通じていないことを理解して、椅子に座り直した。
「言葉、ご理解なさってますわね? 市井でも一夫一妻が当り前ですわね? …………言っておきますが、王侯貴族だからと言って理由もなく第二夫人や妾を無尽蔵に増やすなどできませんことよ?」
「えっと、はい…………。ちょっと難しいところもありますけど」
「難しい? 何がわかりませんの? いえ、この場合はわたくしの言葉はどれだけ理解できましたの?」
「…………王太子妃さまが太子さま大好きなことくらいです」
「なぁ、なな、なに、なにを…………!?」
真っ赤になった姜春嵐は、わなわなと震えて宮女さんたちを見る。
「わ、わたくしには、もう無理です…………!」
「姜妃さま! お願いします!」
「巫女さまがこんなに話をお聞きになっていることが珍しいのです!」
え? 宮女さんたち?
「姜妃さまと王太子さまのご成婚の旨はお伝えしたのです!」
「ですが、私どもの言うことなど一考もされないご様子で!」
「王太子さまからほいほい物をもらってはお礼のお手紙さえ、うぅ…………!」
な、泣くほど?
王太子本人がお礼はいいって言ったと思うんだけど? っていうか、お礼の手紙って何?
王太子に手紙出せってそう言えば言われた気がするけど、何書けばいいかわからないし、手紙書く用事も思いつかなかったから書いてないけど…………。
宮女さんたちの嘆きに、姜春嵐は自分を奮い立たせた様子で私に向き直った。
「これほど宮女たちに心労を強いておいて、まだ知らないふりをなさる?」
「すみません、なんのことか、本当にわからないんです。宮女さんたちから怖がられてるのは知ってるんですけど」
「怖がられてる?」
姜春嵐に目を向けられた宮女さんたちは、大慌てで首を横に振る。
「えーと、私が何かすると、すごくおどおどてしてて…………。その、呪われてる私の側にいるのが怖いのはわかってるんですけど」
「いいえ、いいえ! それは巫女さまではないんです!」
「巫女さまのお近くに、いつも白い影が!」
「あ、あの、妖婦の呪いじゃなく、霊が憑いているのではないかと、噂に」
「身を尽してくださった巫女さまを蔑ろにするつもりはありません!」
「ぁあ…………! 今、窓の向こうに例の白い影が!」
私はすぐさま窓から身を乗り出して正体を確かめに動く。
途端に室内では恐怖の悲鳴があがった。
けど、私の目に映ったのは、真っ白な毛玉。その上、見つかったと気づいた途端、屋根の上へと身軽に逃げていく尻尾が呑気に揺れていた。
「巫女さま! 霊であった場合、どうなさるおつもり!? 危険な真似をなさってはいけません!」
「あ、大丈夫です。霊なら祓邪の力効きますし。あと、あれ幽霊じゃないですよ」
空くんのことを説明すると、宮女さんたちは大きく息を吐き出して安心したようだ。けど、姜春嵐は真剣な顔で考え込む。
「宮城の方士たちが張った結界に侵入? 動物なら可能なのでしょうか? いえ、確か室内までは動物と言えど侵入は不可能なはず」
考え込んでいた姜春嵐は、私が座り直すのを待って助言をくれた。
「なんの動物かわからないのでしたら、一度、城の結界を維持する術者、もしくは警備責任者に報告なさるべきです。城の守りに綻びがあれば、巫女さまも含めた城に住まう者たちの安全に関係する問題でしてよ。今は害がないからといって、軽んじてはなりません」
「はい」
「今回はわたくしから報告をしておきますが、もっと早く仰るべきだと忠告いたします」
そう言われてみればそうだ。
空くん自身が無害でも、どうやって入れないはずの場所に入り込むのか、その理由がわからないと、害意のある人も入り込める可能性が存在し続けることになる。
私が考え込んでいると、姜春嵐は私の今日の服装について宮女さんたちに経緯を聞き始めた。その上で、私にも何故この恰好を選んだのかを一から聞いてくる。
「胸元に、常人には見えない呪いの証? 服装も化粧も羽根飾りも、巫女さまの感性からはいっそ下品に見えるほど派手、と」
「と言うか、普通に似合わないと思うんですけど? 太子さまもなんであんな派手な物ばかりくれるんでしょうね?」
「悧癸さまは特に趣味が悪い方ではないはずですけれど?」
「今、王太子妃さまが着てるような服や装飾品をくれるんです。絶対私より、王太子妃さまのほうが似合いますよ?」
あれ? 贈り物の選択って、もしかして今まで王太子が同年代の女性に喜ばれた物を贈ってる? それはつまり、最も身近な姜春嵐に贈って反応の良かったものだったり?
「そうか。王太子妃さまに似合うものを、女性が喜ぶと思って太子さま贈って来てたのか」
「はい!?」
姜春嵐は声を裏返らせて驚く。宮女さんたちは納得した様子で頷いた。
なんか姜春嵐に話して色々腑に落ちた気分になる。
と言うか、姜春嵐ってすごく面倒見のいい人なんだろうな。私の話も宮女さんの話もしっかり聞いて解決を手伝ってくれるし。
「これはもう、お友達になるしかないと思うんです!」
「な、何をいきなり!?」
「姜妃さまって、私も呼んでいいですか?」
「そ、それくらい、よろしくてよ?」
「じゃ、私は施娘、いえ、伯蓮って呼んでください!」
「あなた、さっきまで黙り込んでた時と違いすぎませんこと!?」
「こんな市井の喋りでも姜妃さま気になさらないみたいなんで! 宮女さんたちには怖がられてると思って、喋らないようにしてたんです!」
「行動が極端すぎます!」
「改善するので、お友達として協力してください!」
私は勢いに乗って姜妃の両手を掴むと、身を乗り出す。
「わ、わたくしは、悧癸さまの妃で、あ、あなたの恋敵で!」
「呪いの経過観察してるのに、太子さまにうつつなんて抜かしてられませんよ! っていうか、正直使いどころのわからない贈り物されて困ってたんで、その対処法も教えてください!」
「遠慮がなくなりすぎですわ!」
「攻めると決めたら相手に立て直す余裕を作らせずに押しまくれって、戦士に教えられました!」
「その戦士連れてきなさい! 救国の巫女に何を教えているんですか!?」
「戦い方です! けど、もう結婚して王都離れてるから無理です!」
「わたくしは! あなたが悧癸さまと浮名を流さないと言うならそれで…………!」
「大丈夫です! その気があったとしても、姜妃さま見たらそんな気なくなります! 太子さまと好対照ですっごくお似合いですから姜妃さま以外に隣に並べる人いませんって!」
「は、はう!? な、何を仰って…………」
なるほど。
あの王太子が姜妃の弱点ね。
狙いを定めた私は、妖婦討伐の旅で覚えた戦法を駆使し、無事、姜妃と友達になることができたのだった。
「こ、これが、市井の友達の作り方?」
友達になることを了承してから、姜妃はそんなことを呟いていた。
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