二十九話:龍王の花嫁
聞こえたのはこの場に居ないはずの方士、河鼓の声だった。
「どうして阿鼓が!?」
私が立とうとすると、昂覇王は腰を上げた瞬間狙って私を自身の背後に隠してしまう。
術をかけられる気配にわけもわからず戸惑っていると、安心させるような静かな声で命じられた。
「静かにしているように」
「阿鼓はまだ内丹できてないんだ」
師匠にも注意され、私は昂覇王の背中で黙る。
龍たちが道開けると、仮面で顔を隠した河鼓が現われた。
仮面にはひびが入り、服は汚れている。どう見ても尋常ではない様子に、私は声を出さないように口を押さえた。
「ここが何者の住まいか知っての狼藉か、無礼者」
「阿鼓、こいつは龍王だ。急いでるんだろうが従っとけ」
師匠の雑な説明に戸惑いながらも、河鼓はその場に跪く。
昂覇王越しに覗き込んでも、河鼓は私に気づく様子はない。どうやら目暗ましの術がかけられてるみたいだ。
「越西、何故この者がここにいる。先ほどの風花はなんだ?」
「妖婦討伐を共にした弓使いに預けた術で、俺のいる場所まで案内する緊急連絡用の物だったんだがな」
「弓使い…………いた気がするな。それで?」
「こいつに内丹のこと伝えるよう王都に走らせたから、会ったんだろうぜ」
「ほう…………?」
昂覇王は考えるように河鼓の姿をもう一度確かめる。争った跡の見える姿は、王都での異変を物語っていた。
私は思わず、昂覇王の着物を掴む。
昂覇王に気づかれて、肩越しに目が合った。河鼓に向き直った昂覇王は、龍王らしい威厳をもって命じる。
「方士、今だけは侵入の無礼に目を瞑ろう。越西への用件、申してみよ」
不安げに視線を泳がせる河鼓は、師匠に頷かれて答えた。
「斉さんが、敵の手に落ちました」
「え!?」
私が思わず声を上げると、河鼓はびくりと体を揺らした。
「阿鼓、集中しろ。敵とは何者だ?」
「わ、わかりません。たぶん普通の人間じゃない。けど、王太子の近くにいるようになった人、です」
宮城では処刑騒動以来、王太子派と国王派に二分したと言う。
簡単に言えば、龍から巫女を取り戻す派と、話し合いで解決すべき派らしい。取り戻せと言う王太子派は、戦争も辞さない構えだと。
「ずいぶんなことになっているな」
宣戦布告にも等しい河鼓の言葉に、昂覇王は驚いていない。
「呪いで王太子が暴走しているのは知っている。あの武官も呪いに呑まれたか?」
昂覇王の言葉つきから、河鼓も献籍の状況や呪いについて知っていると察したようだ。
「王妃と王太子妃が軟禁されてて、助けようと…………」
思わぬ春嵐の状況に、いっそ息が詰まって声も出なかった。
春嵐は暴走する王太子を止めようとして、動けない王妃と共に離宮から出られないように兵を配置されていたらしい。
王妃が動けないほどの怪我を負ったのは、妖婦に操られた龍のせいであり、王太子側の大義名分は、巫女の奪還と王妃と無辜の民の仇を打つというもの。
「否定はしないな」
「かと言って、肯定もしないんだろ?」
師匠の指摘に昂覇王肩を竦めるだけ。
龍と正面から戦っても人間は勝てない。だから国王は勝てない戦いで疲弊を避けたい。妖婦討伐が成功した今だからこそ、国力の回復に努めようというまっとうな考え方だ。
けれど人質取られたような形で、王太子派を強く諌めることもできない状況。
「骨肉の争いにしても不毛よ」
「話し聞くなら余計な茶々入れるな」
師匠の苦言に昂覇王は河鼓に顎を振って先を促す。
喋ることが苦手な河鼓は、一生懸命になっているけれど次の言葉が出てこないみたい。
「で? 軟禁の話するからには、それが献籍と関係あるんだろ?」
師匠に助け舟を出されて、河鼓はぽつぽつと説明を続けた。
要約すると、王太子を押さえるために軟禁された春嵐と王妃を救出に献籍が動いたそうだ。
献籍が助けて、外への手引きを妖婦討伐にも同行した女戦士を呼び出して協力させたらしい。そしてその女戦士が、献籍一人という状況を心配して河鼓に声かける。
二人での突入は成功したけれど、そこに謎の女が現われ献籍を篭絡した。
そんな話に、昂覇王と師匠が鋭く反応する。
「阿鼓、顔は思い出せるか?」
「は…………い、いいえ」
「方士、その女の特徴は?」
「確か、目が…………、あれ?」
覚えていると思っていたのに、霞を掴むように消える記憶。その戸惑いは、離宮の女官について話そうとした甄夫人と同じだった。
「な、名前は、わかります…………」
逃げる時に異変を報せる王太子側近が呼んでいたと河鼓は言う。
「甄真と呼ばれていました」
「え?」
甄夫人は自分を指し、私たちの視線も甄夫人に向く。
その反応に、甄夫人を知らない河鼓だけが首を傾げた。
「私…………、甄真ですが?」
「違う人。離宮から来て、離宮で巫女さまのお世話もしていたと噂されてた人だと思う」
「それ、私です」
「え…………?」
河鼓の上げる特徴に合致するのは、確かに甄夫人だ。
けれど河鼓の反応を見る限り、献籍を制したのは別人。
「そういうことか。あいつ、甄真を騙って入り込んだな」
「なるほど。甄氏が行方不明でも騒がれぬはずだ」
師匠と昂覇王は状況を整理するように黙る。
どうやら離宮から姿を消した蘇三娘は、甄夫人を騙って宮城に入り込んでいたらしい。
妖婦が複数いたことを知らない河鼓に、師匠がその辺りの事情を教える。
「妖婦の、妹…………あ! 斉さん、何か術を使われておかしくなってた。意思がない顔で、僕を追って来て…………」
呼んでも返事がない。反撃しても反応はない。ただの人形のように無感動な様子は、術で幻惑された人間の特徴だと河鼓は言う。
「やられた。堕すほどの邪法は使えなくても、使えないとわかるくらいには鍛えた仙女だったな」
龍では相手にならなくても、人間なら操れると師匠は白い髪を掻き回す。
「宮城に入り込んでいながら全員を操らないのは、理由があろうな」
「王太子と来て献籍だ。考えられるのは姉の術の影響下にあることか」
つまり『狂愛の呪い』にかかっていることが、蘇三娘に操られる条件。
「…………私の」
「違う」
漏れそうになる自責の言葉を、昂覇王に否定された。
そっと手を握られ、言葉はないけれど励まされる。
「それで方士? この越西を捜してその状況を伝え、何を求めるつもりであった?」
「…………巫女さまを返してください」
たぶん当初の河鼓の予定としては、師匠に私を取り戻す手伝いをってこと、なのかな?
「あぁ、まぁ…………施娘の力なら蘇三娘の操作からは解放できるだろうが。呪いのほうが強化されることになるからその案は却下だな」
師匠から駄目出しをされて、河鼓は諦めきれないように唇を噛んだ。
「仙人さまは、いいんですか? 巫女さまが、龍王のお嫁になっても」
「え?」
「は?」
「へ?」
驚いたのは私、師匠、甄夫人。
河鼓は師匠が知らないことを察して、国のほうに伝えられた龍のお達しを告げた。
「国王さまが、巫女さま返してほしいと言ったら、龍王の花嫁になる儀式したから、返さないって」
師匠と甄夫人に見られて、私は昂覇王の背後で精一杯首を横に振る。
儀式なんてした覚えないよ!
私は顔の見えない昂覇王ではなく、龍太子に説明を求めて目を向ける。
すると龍太子は避けるように視線を下げて、気づかないふりをしてしまった。
私に心当たりがないことを見て、師匠は昂覇王を睨んだ。
「おい、どういうことだ。ことと次第によっちゃ、この場で俺の弟子は返してもらうぞ」
「ふん、強要するような無粋はしていない。互いに契りを望むという求婚の儀式の形式に則ったまで」
龍の求婚の儀式とは、人間でいう婚約のようなものらしい。
「男が住まいを整え、女が種子を得て訪えば、食せるよう手を加える。男が受け取り食み、女と別つ」
どうやらそれが儀式の概要らしい。
「施娘、こいつに何か食い物をやったか?」
「そんな餌付けしたみたいに言わないでくださいよ。お世話になったので、杏仁豆腐…………を…………あ…………」
あれか! 確かに種から作った!
そう言えばあの時も、龍太子が変な反応してたよ!
「け、けど! 昂覇王さま結婚してるんじゃないんですか!? 龍太子もいるし! 儀式と同じことしても、そんなの無効ですって!」
「阿呆! 龍太子はこいつの甥だ! 前の龍王が妖婦討伐後に負傷を理由に隠居して、こいつに龍王の座を譲ったんだよ! 知っておけ!」
師匠に想像もしてなかった事実を教えられて、ちょっと思考が飛んでしまう。
「なるほど。既婚者と思われていたから父で、あの無防備さか…………」
「そう言えば私、巫女さまと初めてお会いした時に龍王の息子だと名乗りましたね」
何やら昂覇王と龍太子まで納得したように頷いてる。
すると、師匠が昂覇王を睨みながら言った。
「おい、歳の差幾つだと思ってんだ? 小娘騙して恥ずかしくないのか?」
「ふん、歳の差など些事。だが、巫女の意思を軽んじる気はない。これは呪いに翻弄されるだけの人間の元へと戻さぬための処置であり、巫女がここに居続ける正当な理由だ」
えーと、つまり私を匿うための方便ってことでいいのかな?
お父さん、お母さん、驚かないでください。私、知らない間に龍王の花嫁候補になっていたみたいです。
…………私は驚いています。どうしよう? どうすればいいのかな!?
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