二十七話:空くんの生まれ
師匠が天井を突き破って乱入して来た夜、私は昂覇王の寝室を訪ねた。
執務室も兼ねてた私室のほうは天井に穴が開いてるから、寝室でお仕事をしていると聞いたから。
「遅くにごめんなさい」
「そなたはこちらから招いた客だ。好きにせよ」
お仕事が終わったと聞いたから来てみたんだけど、昂覇王は控えていた官人っぽい龍に巻物を渡して下がらせた。
「お仕事の邪魔でしたか? その、聞きたいことがあって…………」
手招かれたので用件を言おうとすると、昂覇王はじっと私を見つめる。
「…………夜に訪れる意味は分かっているか?」
「意味、ですか?」
夜にって限定するってことは、夜だけにすること?
昂覇王がこう聞くなら人間にとっても一般的なことだろうけど。
「あ! 晩酌でもするつもりでしたか? お邪魔でしたら明日、出直します」
「どうしてそうなる」
怒ったような声に驚いて、私は考えついたままを口にした。
「父が…………夜はお酒を飲むので…………」
途端に、まだ室内にいた他の龍たちに笑われる。
むっとした昂覇王は、追い払うように手を動かして官人を部屋から下げた。
「出直す必要はない。今日の内が良いから来たのだろう?」
「はい。…………その、謝っておきたくて。思い出せなくてすみませんでした」
「何を言う。覚えてはいただろう茹でた沢蟹と」
「お、美味しいんですよ!」
勢いで、言い訳にならない言い訳を叫んでしまった。
は、恥ずかしい…………。
私は昂覇王の前でうつむいたまま動けなくなる。
「はぁ…………。そういうことは越西がいる所で言え。そうだな。巫女が沢蟹が嫌いでないのなら、明日は越西と共に食してみるか?」
私はここに来る前、師匠に会った。
その時、わざわざ茹でた沢蟹を皿に山盛りにされ食べるよう強要されたと愚痴っていたのを聞いている。
食事抜きよりましだが、笑いの発作が起きそうで気が気じゃなかったと師匠は言った。
「あの、師匠のこと、嫌いですか?」
「好く理由がない」
迷いなく言い切られて、私も言葉が続かない。
師匠に尻尾切られて、妖婦に操られてるところを笑われて、うん、確かに好きになる要素ないよね。
私がうつむいたまま考え込んでいると、何処から現れたのか、空くんが膝に乗って来た。
思わず撫でると、上から影が差す。近づいて来た昂覇王は、私を空くんのように膝に乗せた。
「あの、どうして撫でるんですか?」
「いきなりだな。今まで気にも留めなかったというのに。…………友と師と、見知った顔に出会えて考える余裕ができたか?」
図星を指された気分になりながら、私は甄夫人に聞かれたことがきっかけだと伝えた。
「離宮の頃より気の付く女性とは思っていたが」
そう呟く昂覇王に、ふと別の疑問が浮かんだ。この龍は、いったい何処で私を見守っていたのだろう?
考えながら下を見ると、空くんと目が合った。違和感とも予感とも言えない何かを感じて、私は昂覇王の目を見上げる。
「どうした、巫女?」
すぐ近くで聞こえる声に、覚えがある気がする。夜中に光って見えた空くんの瞳は、今見上げる昂覇王の金色の瞳によく似ていた気もした。
「もしかして、空くんって昂覇王さまに関係ありますか?」
「ようやく気づいたか」
「クー!」
笑って肯定する昂覇王に相槌を打つように、空くんも元気に鳴いた。
「本当に!? 空くん龍だったの!?」
「ククー」
「それはもはや龍ではない」
首を傾げる空くんに、昂覇王は空くんという存在が生まれた理由を話してくれた。
「我は放浪中、蘇姉妹に目をつけられ幾度となく戦いを挑まれた。最初の内は撃退していたが、その内龍を堕す邪法が完成してしまい、最初に囚われた龍となった」
手短に話す様子から、詳しく語りたくないという姿勢が見えた。
昂覇王は最初に捕まるという屈辱を味わったものの、妖婦の邪法に抵抗し続けたそうだ。
「邪法から逃れようと抗う内に、混濁した意識で己から自由になる部分だけを切り離し、自ら行動する一個の生命体を生み出していた」
「それが空くん、ですか?」
「クフゥ」
肯定するように空くんは顎を逸らして鼻高々だ。
昂覇王も無意識で生み出した空くんに関知せず、邪法から逃れる意思しかなかった空くんも妖婦に囚われた昂覇王から離れて逃走した。
「聖なる巫女を見つけて側に寄ったのは、ある種の本能であろうな。そなたの聖なる力に触れて、我が身にも浄化の影響が及んだ。たまに正気に戻れるようになり、同朋を逃がすこともできた」
龍太子も、正気に戻った昂覇王が妖婦を妨害する間に魔の手から逃げたそうだ。
何故正気に戻れるのかは、その時の昂覇王も知らなかったので妖婦もわかりようがなかったとか。
持て余した妖婦は、昂覇王を拠点の深部に封印してしまったらしい。
「封印? …………ごめんなさい。私、昂覇王の苦難を知りもしないでお世話になって」
「我はそれで助かった。あやつらが手間を惜しんで封印しなければ、いずれこの分身にも気づかれていただろう」
「クキュ!」
空くんを撫でると昂覇王も私を撫でる。
なるほど、分身だからなんだか連動して撫でられてたんだ?
「時折夢で見ていた」
昂覇王は封印された状態で、空くんの目を通して私たちの妖婦討伐の旅を観測していたという。
私たちが逃げながらも奮闘する姿や、龍太子と龍を解放しているのも知っていたそうだ。
「妖婦の邪悪な術を打ち破ることのできる者がいる。それは、我が希望だった」
今までに聞いたことのないくらい優しい声で囁かれる。
「夢うつつの中、そなたが来るのを待っていた。なんとも待ち遠しく、期待に胸躍る時だった」
それどころではない状態だったはずなのにと、昂覇王は楽しげに自嘲する。
そして話は、私たちが妖婦を追い詰め、昂覇王が封印から放たれた邂逅の時に。
「我を持て余していたからな。最大限の自我を封じられた状態だった。意識だけはあったが、体は操られ狙いを逸らすくらいしかできなかった」
「だから、私じゃなくて師匠を狙ったんですか?」
妖婦の拠点に踏み込んで追い詰めた時、昂覇王は戦えと命じられて最初に師匠を襲った。
私の質問に答えないのが、昂覇王の答えなんだろう。
「あの時は、強すぎて殺すしかないと思いました」
「ふふん、本来人間に遅れは取らん」
得意げに言う昂覇王だけど、その本来の状態じゃなかったからこそ私たちの手で倒されてる。その上、瀕死でなんとか生きてる状態だ。
当時は重傷を負った師匠と残して、私たちは妖婦追討に移った。
「昂覇王に食いつかれた時、師匠のこと死んだと思いましたし」
「あれくらいで死ぬなら、あやつはこの地に来る前に死んでいる。そなた、越西の肩ばかり持つな」
「それはだって師匠ですから」
「なるほど。奴を嫌う理由が増えた」
「なんでですか!?」
「わからぬか?」
からかうように聞いて、昂覇王は私を撫でる。
私たちが妖婦を追う間に、また師匠が何か昂覇王を怒らせるようなことしたのかな?
けど聞き方からして、私にもわかる嫌う理由があるってことだよね?
悩む私に昂覇王は小さく溜め息を吐いた。
「念のために言っておくぞ。はっきり言ってしまえば嫌いだが、越西を結界で排除したのは別に理由がある。あやつにたいする嫌がらせでそなたを囲ったわけではない」
「そうなんですか?」
聞き返すと、ちょと眉間が険しくなった。
べ、別に本気で嫌がらせで結界を張ってると思ってたわけじゃないんですよ!
ただ少しくらいは師匠に近づいてほしくないくらいの嫌悪を含んで結界入れないほど強くしてたのかなって思って。
「そなたを守るためだ」
「え?」
「蘇三娘は兄の仇と龍を狙った。ならば、姉の仇であるそなたを狙うことは容易に予想がつく」
離宮で処刑寸前まで行ったことを思えば、昂覇王の杞憂なんかじゃない。
師匠ほどの仙人を排除できる結界なら、蘇三娘も入れないってことなのかな?
私の安全のため、私が狙われてるから、蘇三娘を近づけないために…………それって。
「…………私が結界の外に出れば、蘇三娘は現れますか?」
昂覇王に向き直って聞くと、慈しむような目を向けられた。
「命を狙われているとわかって自ら立ち向かうか。そなたはそういう人間だったな」
子供のように撫でられ、まるであやされている気分になる。
長命な龍からすれば、私なんて赤ん坊よりも未熟な存在に映るのかもしれない。
「そなたを尊重しよう。だが、まだ待て。こちらも漫然と籠っているわけではない」
何か昂覇王にも考えがある。そうとわかって詳しく聞こうとしたら、元の話題に戻された。
「そう言えば何故撫でるかという話だったな。…………龍は本来長大な肉体持つ。そのため親愛表現には体をこすり合わせるというものがある」
昂覇王の説明を実践するように、空くんが私の手にすり寄って来る。これっていつもの「撫でて」の行動だ。
「これが親愛表現?」
「クー」
空くんが肯定して鳴くと、昂覇王が私の手を取って頬をすりつけた。
「そう、親愛表現だ」
うわ、恥ずかしい! 人間の姿でやるのは合ってるんですか!?
いや、うん。けど撫でられる理由はわかった。
つまり昂覇王は私と仲良くなりたいんだ!
恐れ多いけど、そう思ってもらうのは素直に嬉しいと考えることにした。
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