二十六話:武官、斉献籍
私は斉献籍。将軍を輩出したこともある武門に生まれ育った。
鍛錬を重ねて心身ともに鍛え、国へ奉職する。
そのことに生涯をかけることを誓っていたのに。
私は、救国の巫女に無体を働いてしまった。
「はぁ…………」
「おいおい、また溜め息吐いてるぞ」
「あぁ、いや、すまない」
同輩の目を逃れるように、私は人気のない廊下へ向かう。
そうして静かになると、脳裏に浮かぶ怯えた目。
呪いによって離宮に避難した巫女である施娘に、よりによって私が呪いに翻弄されて怯えさせてしまった。
「不甲斐ない…………」
さらに恰好がつかないのは、私が逃げるように去る以外にできなかったことだ。
かつて妖婦退治のため、要となる聖なる巫女を守る大役を負った。なんの心得もなく、突然命の危険にさらされて震えていたのを覚えている。
私が抱えて逃げる中、悲鳴を噛み殺していた。そして王都を逃げ延びて状況を把握すると、一番に、ありがとうと言ったのだ。
「施娘は弱くない。今も自分で呪いに打ち勝とうとしているというのに」
『狂愛の呪い』と名付けられた、異性を誑かすというなんとも純朴な施娘には似つかわしくない呪い。
そんな呪いに侵されて、施娘に迫った私が逃げるという行動を取れたのは、施娘がその聖なる力で一時的に呪いを退けてくれからに他ならない。
「守ると決めた相手に守られるなんて」
簡単に呪いに流された自分が恥ずかしい。
そしてそのことを施娘が余人に訴えていないために、今も武官として勤めていられる現状が恥ずかしい。
「…………強くならねば」
瞼を閉じると、玉鈴館と扁額の掲げられた離宮の棟で、私を見て驚き、そして笑いかけてくれた顔が浮かぶ。
私は自分に喝を入れるため、運動着に着替えて修練場に向かった。
一人一心に剣を振り、邪念を切り払うように宙を睨む。
「ほどほどにしておけよ」
同輩がそう声をかけてくれたが、私は胸の内にわだかまる感情を張り払おうと剣を振り続けた。
この思いは、決して呪いによって生まれたものではない。
施娘を思う時に生まれるこの、焦燥にも似た、けれど何処か優しくむず痒い思いは…………。
「決して呪いの産物ではない…………!」
武門に育ち、女性が真にか弱い存在であると知ったのは、施娘が初めてだった。
同時に、その心は決して弱くはないと私に示したのも、妖婦討伐を成し遂げた施娘だった。
その志を守れるよう、側近くに上がる。そのために妖婦討伐の功で、政務に関わる安穏とした昇進を蹴った。
第一線に立ち、己を鍛えて、今度こそ龍が相手となっても施娘を守り抜ける力を。
そう、思っていたのに…………。
「斉さん? いる?」
「河鼓。どうしましたか?」
声に首を巡らせると、妖婦討伐の旅を共にした方士の河鼓がいた。
施娘と同じ年齢であり、共に旅した時にはまだ子供らしかったと思う。
けれど今は身長が伸び盛りなようで、一カ月会わない内に思いの外目線が近かった。
「越西師に呼ばれて城の外へ出たと聞いていましたが?」
「うん、仙人さまから、伝言」
仮面を取った河鼓は、色違いの瞳で私をしっかりと見る。
旅を始めた頃は仮面を外すどころか、目を合わせることさえしてくれなかったのに。
今では自らの力を振るうことに臆することなく、前を向いて行動することができるようになっている。
正直、個性豊かすぎた旅の仲間の調整役をしていたので、河鼓に対する気持ちは保護者のそれだ。
一人でお遣いができた子供を大袈裟に褒める親の気持ちがわかる気がする。
「越西師は、私にどのようなお言葉を?」
「…………だから言っただろう」
「!? …………越西師が、そう?」
「うん。言えばわかるって」
全くて厳しいお方だ。
きっと私が呪いに翻弄されて施娘の元へ馳せ参じたことを知っているのだ。
越西師には、施娘のお披露目を兼ねて開かれた宴の後、呪いの影響を受けていることを指摘された。
あの時は、そんなことはないと自信を持って言えた。
そんな私に向かって、越西師は言ったのだ。
『問題に直面したことのない楽観的な過信にしか見えんな。が、その時になれば嫌でも思い知るだろう。俺も軽減しかできていない呪いだ。…………お前は物腰柔らかく見えてその実、気位が高い。自分は間違わないと思っている』
その指摘を、私はもちろん否定した。
慢心が隙になるという教えは父から賜っていたから。
『今は受け入れないならそれでいい。だが、本当に自らの行いを誇るなら、過ちも受け入れろ。そして他人に助けを請え。お前は煮詰まると鍋に穴を開けるタイプだ』
今でも越西師の言い回しをはっきり理解したとは言いがたい。
それでも、あの時の会話を指して『だから言っただろう』と伝えたのはわかった。
「…………斉さん、大丈夫?」
「え?」
「顔、険しい」
河鼓にまで心配されるとは情けない。
私は強いて笑みを浮かべた。
「心配してくれるんですね。ありがとう。あなたも戻ったばかりではないですか? 疲れているでしょうに」
「…………僕、手伝うよ」
「何を、ですか?」
「わからないけど、斉さん、ずっと根詰めてるって、まるで戦の前だって、武官の人がいってるの、聞いたから」
河鼓は胸の前で両手で拳を作り、やる気を示す。
戦う必要があるなら、一緒に戦うと言ってくれていた。
「ふ、ふふ…………。大丈夫、いえ、ありがとうございます。戦いと言っても、剣を振るようなことではないので。これは、癖ですね。迷う雑念を払っていたんです」
「迷う? 迷うようなこと、なの?」
「そうですね、迷う必要はなかったようです」
私は河鼓の言葉で迷いを振り切る。
自らの過ちで足踏みをしていた。何より、自らの思いと呪いの境の曖昧さに恐れてしまった。
王太子の暴走を苦々しく思うこの感情は、呪いによって引き起こされる嫉妬ではないのかと。何より龍に攫われた施娘を取り戻そうとする王太子の強硬な姿勢に、共感してしまっていた気がする。
「少々やることができました。河鼓もゆっくり休んでください」
「…………手伝うこと、あったら言って」
河鼓に頷き、私は修練場を後にする。
打つべき手は何かを考えながら、数日を過ごした。
「やはりここは、軟禁状態の王太子妃と王妃殿下にお出ましいただくべきでしょうか」
施娘の処刑未遂があってから、王太子は暴走を見せた。
それを強く止めていたのが王太子妃であり、その王太子妃を庇ったのが王妃殿下だ。
お二人は今、宮城内の離宮に見張りつきで軟禁されている。
王太子は慣例上、独自に兵を持っており、その兵に命令を下すことは国王陛下にもできない。故に陛下が動く時には王太子との武力衝突に発展する。
陛下はまだ、実の子と骨肉の争いをする決心がついていなかった。
「最悪、王太子妃には宮城からの逃亡をお願いし、庇うために動けない王妃殿下から諫言を上げてもらわねば」
「そのためにはまず、離宮を囲む兵をどけるんでしょう?」
突然の声に、私は剣を抜いた。けれど頭の隅で、知った声だと警鐘が鳴る。
咄嗟に止めた剣は、河鼓の首間近で止まった。
「お、驚かさないください…………!」
「手伝うって、言ったのに」
「え?」
「既婚者を軽々しく呼び出す武官を驚かせてやれって言われた」
どうやら、王太子妃逃亡のために声をかけたかつての仲間の一人に漏らされたようだ。
既婚というからには、妖婦退治を祝いとして結婚して行ったあの女か。
「驚きました、が…………正直、心強いです」
「それ、誘ってから言って欲しかった」
「すみません。一人くらいここに残ったほうがいいかと思ったんですが」
「僕いても、役に立たない。人の関係、まだ、難しい」
言われて初めて、河鼓が宮城で起こっている異常事態を把握していることを知った。
宮城では今、国王派と王太子派に別れて国の指針が定まらない状態だ。
人間関係を正しく把握していなければ、派閥対立に呑まれるだけだろう。
「では、頼りにさせてもらいます」
そう言って、私たちは王太子妃奪還を強行する。結果で言えば、侵入はすんなりいった。
「そうですか…………。わたくしはもう、宮城では無用の存在なのですね」
「王太子妃、そのような」
「いいえ、斉武官。慰めは結構です。外へ出てやれることはまだありますから。まずは越西師を捜しましょう。どうも、おかしな者が悧癸さまのお側にいるのです」
王太子妃は決して諦めてはいなかった。軟禁生活で面やつれはしていても、その目にはまだ光が宿っている。
「あの者は、悧癸さまの周囲にまで不穏な空気を広めています。悧癸さまを侵す呪いを利用するようなやり口。もしかしたらあの者は…………」
「妖婦かもしれない? とでもおっしゃるのかしら?」
突然の女の声に、私は咄嗟に側にいた河鼓を突き飛ばす。
瞬間、何かが私の身の内を貫いた。思考が乱れ、感情が暴走する。
これはまるで、施娘に触れた時のようだ。
「あら、すぐさま落ちないなんて。意志が強いのね。でも、あの西方の奇人を呼ばれるなんてしてもらっては困るのよ。せっかくいなくなってくれたんですもの」
「きさ、ま…………何者…………?」
「あらあら、あまり抵抗しないほうが身のためよ? 流されてしまいなさい。そのほうが楽だもの。さぁ、この手に堕ちなさい?」
私は酩酊にも似た惑乱状態で、それでも踏み止まった。
定かでない視線で捉えたのは、攻撃の構えを見せた河鼓の姿。
「逃げ、なさい…………! 報せを…………外に!」
河鼓が動こうとすると、私を篭絡せんとした女が腕を振る。無理に体を動かして盾になると、また身の内を貫かれる衝撃に襲われた。
そして、何かが壊れる音を聞いた気がする。
「あら、壊れてしまったわ。だから言ったのに。肉体の関節も無理に曲げては骨が折れるでしょう? あなたは今、無駄な抵抗をしたせいで、心と体の回路が壊れてしまったわ。…………それでも、その鍛えた体は使えそうね。いいわ、私が有効に使ってあげる」
差し招く女に、私はもはや抗うすべがなかった。
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