二十五話:師匠の強襲
白い裾と髪が着地の瞬間広がるように揺れる。
狭い杭の上という足場に揺らぐことなく、赤い瞳が真っ直ぐに昂覇王を睨んだ。
「面倒な結界張りやがって」
「師匠!?」
龍王の住まいの屋根に穴をあけてやって来たのは、私の錬丹術の師匠、越西だった。
「おう、無事か? 施娘、甄真」
『わしに言うべき労いの言葉はないのか?』
「よしわかった、黙れ」
『扱いが酷いのじゃ!』
師匠は野邪の抗議を無視して昂覇王を見据え続けた。
「ふむ、その泥人形を連れて来たのは間違いだったな」
「俺の造物を運んでくれてありがとよ。お蔭で内側からも結界に干渉することができた」
はっきり言って昂覇王と師匠は剣呑な雰囲気を醸し出してる。
実は仲悪いの? 知り合いだったみたいだけど?
「し、師匠? どういうことですか?」
聞くと私の肩を抱いていた昂覇王の指に力がこもる。
顔を見上げれば、無表情に見下ろされてた。元の顔が整っているせいで妙な迫力がある。
助けを求めて師匠を見ると、何故こっちは小馬鹿にするように昂覇王を見ていた。
「ま、俺はそいつの師匠だからな」
「根無し草が師匠とは片腹痛い」
「あのー、説明してくださーい」
口喧嘩を始めそうな雰囲気にお願いを口にすると、師匠が昂覇王を指差した。
「そいつがお前さん囲って逃がさないよう結界張ってやがったんだよ。だから国からの使者も俺も今までここに来れなかったんだ」
「下種の勘繰りだな。囲ったのではない。巫女を外敵から守っていたのだ」
「俺たちが敵だと?」
「我が見たあの市中の様子は、処刑ではなかったか?」
また不穏な空気が流れる。
侵入者である師匠の周りには龍の兵士が集まり始めていた。
けど、師匠は昂覇王以外気にしてない。
「っていうか、なんでお前さんがここにいるんだ? 家出はどうした」
「家出ではない。諸国漫遊だ。我が家出であるなら貴様はなんだ? ぼけ老人の徘徊か?」
「俺は他人に迷惑かけてないからいいんだよ。お前さんはよりによって最初に妖婦の手に落ちたくせによくもふんぞり返ってられるな」
「ひぇ…………」
師匠の言葉に龍太子が変な声を上げた。
師匠を囲もうとしてた兵たちも、恐れるように距離を取る。
私も無言で怒りの気配を放つ昂覇王から離れたいけど、肩掴まれたまんまだよー!
「一人でふらふらしてるから蘇二娘と蘇三娘に目をつけられて、龍を御す邪法の実験台にされるんだ。お前さんがもう少ししっかりしてたらこっちだって楽だったのによ」
「貴様…………」
静かだけどお腹の底から震えるような怒気の籠った昂覇王の声。
肩は放してもらえたけど、私は動けない。息を殺しているしかなかった。
「我を妖婦の邪法に堕したと指を差して笑ったこと、忘れはせんぞ!」
「まだ根に持ってんのか!?」
昂覇王は口の前に片手で筒を作り吹く。
すると長官を襲ったより小さいながら、龍の雷撃の息吹が走った。
言い返しながら杭から飛び降りた師匠に、昂覇王は息吹の追撃を放つ。
すると腰を据えて構えた師匠は、目にも止まらない速さの雷撃を受け流すように逸らしてしまった。
「ふぅ…………。お前さんまさか、蘇二娘を追い詰めた時、俺ばっかり狙ったのは根に持ってたからか? うわー、ちいせぇ。図体ばっかりで懐小さすぎだろ」
「くだらん挑発だ。…………が、乗ってやる!」
昂覇王が龍に変じようとした瞬間、私の頭にとある龍が思い浮かぶ。
妖婦の所在を特定し、その拠点に強襲を仕かけた。
逃げ場を失った妖婦は、「制御が効かないから出したくなかったけれど」と言って一体の龍を私たちの目の前に解き放ったんだ。
その龍は、赤かった。鱗も鬣も目でさえ全て。
そして怒り狂うような咆哮を上げると、師匠を狙って攻撃をしてきた。
その龍の顔が、今、昂覇王に重なる。
「あぁ! 思い出した!」
思わず声を上げると、昂覇王が龍化を止めて私を見下ろした。
「妖婦の拠点で最後に出て来た茹でた沢蟹みたいな色の龍!?」
高い天井に、私の声が木霊す。
みんな、息を詰めて私を見つめているのが痛いくらいにわかる。
私も自分の発言に息を止めてしまった。
そして怒りさえ顔から抜け落ちて、光のなくなった目で私を見下ろす昂覇王の圧がすごい!
そう言えば、忘れてたこと言ってなかった!
「ぶは…………!」
「え、師匠?」
「ぶふぅ、ぐ、は、はははは! さわ、沢蟹って、しかも、茹でた…………? ははははは!」
師匠は突然昂覇王を指差して笑い始めた。
普段やる気の低い師匠が、顔を真っ赤にして笑ってる。
突然のことに思わず昂覇王から目を逸らしたけど、変わらず視線が刺さってるのを感じた。
「巫女よ」
「ひゃい!?」
裏返ってしまった声に唇を噛んで羞恥と恐怖を耐える。
今度は私が昂覇王から処刑宣告されるのかな!?
「先ほどは良く聞こえなかった。我をなんと例えた?」
やり直し命令来た!
これって慈悲? 慈悲なのかな? 言い直していいのかな?
えーい、ままよ!
「ひぃひ、、彼岸花みたいな赤でぇ」
「我は路傍の花か? しかも毒草だな」
「い、いいえ! えっと、えーとですね…………夕日のように輝く!」
「ほう、衰退の比喩に使われる斜陽だと?」
「違います、違います! も、紅葉で!」
「すでに枯れ落ちるだけの葉とはな」
わー! いい例えが浮かばない!
けど黙ったら何も浮かばなくなりそう!
「あ、あそこの柱の色とか!」
「幾つも同じような物がある、独自性もない存在と?」
「そうじゃなくて…………い、いい薪を使った時の炎の色に」
「似ていたのか? 燃え落ちて消えるさまが?」
「そんなつもりじゃないんです! あとはその…………赤錆び、じゃなくて…………赤土、も駄目だし…………えっと、た、旅の中で見た、綺麗な食べられない茸、本当に色は綺麗で!」
「見てくれだけの役立たず、か」
何言っても悪く取られるよー!
どうしよう!?
私が混乱して息苦しささえ感じた時、離れたところか何かが倒れる音がした。
見れば、師匠が苦しげに体を震わせて膝を屈している。
「え!? 師匠、どうしたんですか!」
私が慌てて駆け寄る中、龍太子が呆れたように昂覇王を見た。
「この仙道はともかく、巫女さまを困らせるのは如何なものでしょう?」
「ふむ、もう少しで世にも珍しい笑い死にする馬鹿を見れそうだったんだがな」
師匠を介抱しようとすると、どうやら上手く息ができなくなっているようだ。
甄夫人もやって来て、症状を見ると対処法を教えてくれた。
「吸ってばかりじゃ駄目ですよ。仙人さま、息を吐いてください!」
「ひ、ひ…………」
師匠は引き攣った呼吸音を漏らしつつ、なおも吸うことしかできてない。
私は昔近所で聞いたお産の呼吸を思い出した。
「師匠! 吐いてください! ひっひっふーです!」
「ひぃーー!?」
掠れた悲鳴のような音を上げて、師匠は意識を失ってしまった。
「む、止めを刺したか、巫女」
「え、えぇー!?」
昂覇王の言葉に、私は慌てて師匠の肩を揺さぶる。
師匠を仰向けにしてみても痙攣するばかり。
すると不穏な気配に置物のふりで微動だにしなかった野邪が、突然上へと跳んだ。
『退くのじゃ!』
「え、どうやって跳んだの!?」
聞く内に落下した野邪は、過たず師匠の腹部にどすんと着地した。
「ごふ!? がは、ごほ! …………はぁ、はぁ、まさか施娘に殺されかけるとは」
「修業して出直して来い。いや、いっそ西に帰れ」
息を吹き返した師匠に、昂覇王は冷ややかな声をかける。
「師匠…………妖婦に囚われてる時に指差して笑うなんてかわいそうですよ」
「可哀想だと思えるたまにみえるのか、あれが?」
こっそり咎めたら、すごく不審そうに聞き返された。
改めて見ると、同情したら逆に怒りそうだとも思える。それでも指差して笑うのは絶対怒るってわかると思うんだけど。
「そう言えばなんで色違うんですか? 今まで誰かわかりませんでしたよ」
「お前さん…………能天気もそこまで極まるか? 誰ともわからん奴に攫われて危機感なかったのか? あいつは蘇二娘の龍を支配する邪法の実験台にされてて、俺たちが倒す直前まで抵抗し続けたせいで、体おかしくなってたんだよ」
「そんな頑張ったひと笑うなんて…………」
私が非難の目を向けると、師匠は弁明した。
「俺この国ちょっと離れてて事情知らなかったんだよ。で、国に入ったら蘇二娘が国の軍と戦ってるところで」
その時には龍の劣勢に伴って国も方士を揃えて抵抗していたそうだ。
巻き込まれたくなくて隠れて見ていた師匠は、結局乱戦の中に巻き込まれてしまったらしい。
「蘇二娘に攻撃されたからやり返したら、あいつ出してきて。知った顔だし、普段偉そうなのが首輪つけられて操られてるなんて見たら、ざまー! って笑うだろ?」
「師匠って案外屈折してるんですね」
「あいつには昔、雪山で雪崩起こされて殺されかけたって因縁があるんだよ」
「師匠が何かしたからでしょう?」
「雪男に尻尾掴まれて困ってたから、尻尾切って助けてやっただけだ」
雑! 助け方が雑!
「どうせ切るなら助けるほうじゃなくて、雪男の腕切ったほうが良かったんじゃないですか?」
「あ…………!」
それだ、みたいな顔しないでくださいよ、師匠…………。
なんだかちょっと、恩とか関係なく昂覇王に優しくしようと思えるできごとだった。
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