二十三話:遅れた救出
夜、寝台に横になっても昂覇王の口に合うものを作る方策は浮かばないまま。
「うーん、まず龍の味覚ってどうなってるんだろう? そもそも昂覇王さまのことよく知らないしなぁ。龍太子に味見お願いしてみようかな?」
寝台の上で一人考え込んでいると、敷布の端が引っ張られる。
見れば、音もなく真っ白な空くんが灯のない寝室にやって来ていた。
「空くん、一緒に寝る?」
「クー」
返事をして寄って来る空くんは、横になる私の鼻先で伏せて白い毛並みでくすぐるようだ。
妖婦討伐の旅をする朝、鼻先にこの感触を始めて感じた時は驚いて飛び起きた。
「そう言えば、空くんだったら覚えてるかな?」
「クキュ?」
「私…………昂覇王と何処で会ったか思い出せないんだよね」
「ナニ…………!?」
「うん?」
空耳にしてははっきり聞こえた声に驚いて上半身を起こすけど、寝室には誰もいない。
暗い中に目を凝らすけど、ぼんやり空くんが見えるだけ。
「あれ? 空くん今目の色が」
驚いて抱き上げると、空くんは珍しく抵抗した。
それでも捕まえて目を覗き込んでみる。
…………うん、暗くてわからない。
「灰色っぽく見えるし、いつもの色、だよね? 一瞬金色に見えたんだけど…………」
「ク、クキュー…………」
なんだか空くんが普段よりも甘えるような声を出す。
「気のせいかな? もしかして思ったより私眠いのかも。ごめんねいきなり掴んで。空くんも寝よう」
「ク!? キュキュ! キュキャ!」
何かを訴えるように横になった私の頬に額を押しつけてくる空くん。
「なぁに? まだ寝ないの?」
「キューキュー。クキャ、クフー!」
「うん、ごめん。何言ってるかわからな…………ふぁ…………眠い」
いきなり襲ってきた睡魔に目を閉じると、頬に当たる空くんの毛並みがいっそ心地いい。
なおも諦めずに鳴く空くんに、ちょっと申し訳ない気持ちも湧く。
「私じゃ、わからないからねぇ。空くんの言葉、野邪ならわかるんだけど…………あ、そうだ。料理も甄夫人のほうが上手だったし、杏仁豆腐、一緒に作ったほうが滑らかだったし…………今度、作るなら、甄夫人と…………くぅ…………」
「クー…………」
不満そうな空くんの鳴き声を最後に、私は眠りに落ちていった。
そして翌日。私は思いついて龍太子に聞くことにする。
「私がいた離宮、今どうなってるかわかります?」
「何か気にかかることでも?」
私は処刑の時、人質に取られていた甄夫人のことを話す。すると、龍太子は難しい顔をした。
「巫女さまを処刑しようとした離宮の長官と近い関係にあったのなら、場合によっては罪に問われているかもしれませんね」
「え!? 人質にされてたのに? 甄夫人は悪いことしてないですよ! 一人で私のことお世話してくれて!」
「お、憶測で不安にさせて申し訳ない。すぐにその甄夫人の行方について調べますから」
思わず龍太子詰め寄ってしまった私は、気恥ずかしさに俯いて調査をお願いした。
「いない…………?」
「えぇ、離宮について調べたところ、女官に甄真という者はおりませんでした。巫女さまへの冤罪は長官一人の暴走として処理されており、人質の有無など何も話が出てきません」
「そ、そんな! 甄夫人は確かに離宮にいたんです! …………わ、私捜してきます!」
「お待ちください、巫女さま!」
走り出そうとする私を、龍の宮女たちが抱き込んで押さえる。
細い人間のように見えても元は龍。私は固められたように動けなくなった。
「何をしているのだ」
ちょっと不機嫌そうに眉をひそめて昂覇王が現われる。
最近なんだか機嫌が悪い。
それは龍太子もわかっているらしく、無駄口を叩かずに聞かれたことだけ答えた。
「あぁ、離宮で親しくしていたあの者か。単純に考えれば人質とは名ばかりに、すでに処分されていたと考えるべきだろうが…………一つ心当たりがある」
浮沈する私の表情を眺めて、昂覇王は意地悪くつけ加えた。
思わず睨むように見ると、睨み返すように見据えられる。
「…………心当たりを教えてください」
「教えてそなた、どうする気だ?」
「甄夫人を捜します」
「蘇三娘のみならず、人間の国もそなたを捕らえようとするだろう。それこそ、少々乱暴な手を使っても」
脅すように言う昂覇王だけど、そんなことで怯むくらいなら龍を操る妖婦を討伐しろなんて命令受けてない。
「生きている可能性があるなら、何処へだって行って助けます。それで怪我するなら、それは私の選んだ道なので後悔はしません」
友人を見捨てるような選択をするより、危険だとわかっていて向かうほうが気は楽だ。
もちろん戦う力なんてほとんどないし、行方不明状態の甄夫人を助け出す方策もないけど。
その辺りはやり方を後で考える。助けないなんて選択肢、私にはない。
「…………まぁ、良かろう。そろそろ向こうでも動きがある頃合いよ」
そう言った昂覇王は、突然龍の本性に戻る。
「大人しく待っているなら連れてきてやろう」
「は、はい! お願いします!」
龍の大きな顔を寄せられた迫力にちょっと狼狽えてしまった。
そんな私を軽く笑った昂覇王は、深紅の鱗を光らせて去る。
「ちょ…………っと待ってください! お一人で行かないでくださいよ、昂覇王さま!」
龍太子は慌ててお付きの二人に後を追うように指示する。
その後、突然いなくなってしまった昂覇王の放り出した仕事を引き受けるため、龍太子は慌ただしくなってしまった。
正直、申し訳ない。けどすぐさま動いてくれた昂覇王の決断は嬉しい。
「戻ってくるまでに何かお礼を…………薬膳粥でも作ってみようかな? 確か素材の中に枸杞の実あったよね」
「クゥ…………」
昂覇王と同じくここのところ不機嫌な空くんが気乗りしない返事をする。
それでも大人しく待っているのが落ち着かなくて、私は料理の下準備を始めた。
けれど昂覇王が戻って来たと報せがあったのは、二日後のことだった。
「焼き入れまでまだ行ってないのに!」
粥をやめて肉料理に変更していた私は慌てる。熟成させた鳥肉を放り出して、宮殿の正面へと走った。
すでに昂覇王を出迎えるため、龍太子や兵士たちが揃っている。
私が駆けつけると、ちょうど黒くも見えるほど深い紅の鱗を持つ龍が降り立つ瞬間だった。
床に突かない前足からは、乱れた黒髪が零れ落ちている。
「甄夫人! 大丈夫!?」
「え…………? 施娘? 施娘じゃない!」
昂覇王の手の中から顔を覗かせた甄夫人は、這い出るようにして私に手を伸ばす。
龍の手から出て来た甄夫人を抱き合うような形で受け止めると、そのまま強く抱きしめられた。
「良かった! 生きてるって聞いてたけど、本当、良かった…………!」
「甄夫人…………私のせいで、人質に…………」
「そんなのどうでもいいわよ! お互い無事だったんだから!」
抱きついた甄夫人からは、土の匂いがした。
野宿してる人の臭いだ。私がここでのんびりしてる間、大変な目に遭ってたんだ。
「ごめんなさい…………」
「逃げ隠れするのもきつくなってたから、捜してもらえて良かったわ。龍のお方も、お手を煩わせて申し訳ございません」
「全くだな。我の姿に戦いて逃げるとは」
人間の姿になって答える昂覇王に、私はお礼を言いたくて顔を上げた。
ただ、喉に引っかかったように声が出ない。
思わず、甄夫人の腕から出て、そのまま昂覇王に抱きついて感謝の気持ちを伝えた。
「ちょっと、施娘!?」
「…………ふむ、悪くない」
呟いた昂覇王は、片手で私の顎を持ち上げる。
「が、その口は飾りか? 言いたいことがあるのならば言え」
「ありがとう、ございます」
「どうやらそなたは、喜びの表現として涙を流すようだな」
頬を拭われて、ようやく私は自分が泣いてることに気づいた。
その上、頬を拭われた時に感じたざらつきで、甄夫人についていた土が顔に付着していることにも気づく。
慌てて身を離す私に、昂覇王は面白がるように笑うと、龍太子に命じた。
「湯を用意せよ。その者は信のおける人間である故に、我が客とする」
「仰せのままに」
「巫女、そなたも土とその手の脂を落として来い」
「は、はい…………」
手に鳥の脂がついてることまでばれてた。
恥ずかしい。
「あの! その野邪をどうなさるのでしょう?」
甄夫人が昂覇王に気後れしながら声をかけた。
言われて、昂覇王の片手に見慣れたずんぐり体型の泥人形がいることに気づく。
「野邪!? 壊れたんじゃなかったの?」
『自己修復機能くらいついているのじゃ』
「この不審物は調べる必要がある。…………越西め、また面妖な術を編み出しおって」
『む、あやつを知る者か? 相変わらず妙な奴に好かれるのじゃ』
「好き好んで関わるわけがなかろう、あのような無礼者」
『…………うむ、きっと越西が悪いのじゃ。何をしたかは知らぬが』
そんな会話をしながら、野邪は昂覇王に連れて行かれる。
私は甄夫人と顔を見合わせて見送るしかない。
「どうぞ、巫女さまとそのご友人。積もる話もありましょう。まずは身を清めて楽になさってください」
私が来た時のように、龍太子から宮女に引き継がれ、私たちは一緒にお風呂に入ることになった。
用意された蒸し風呂で、私と甄夫人は磨かれた後、二人でゆっくり蒸気に当たる時間を貰う。
「それじゃ、まず私から話そうかしら? その後に施娘の話も聞かせてちょうだい」
そうして、甄夫人は人質として役目を終えたら殺すと宣言されたことを話し出した。
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