二話:二年前のお城暮らし
私、施伯蓮は、地方都市で算術専門の役人をする父の下に生まれた。
父の仕事道具である嘉量という秤は、私のお気に入り。
ずんぐりした嘉量の形も好きだったし、寝る前に母と磨いて、父と一緒に容量を計るのも好きだった。それが私のなんでもない一日の終わり。
秤が好きな私に父は計算を教えてくれた。町娘として女の子たちとお喋りに興じることもあったけど、私は父に計算を教わるほうが楽しかった。
そんな、ちょっと変わった趣味があるだけの娘だった。
十四歳のあの日まで。
妖婦の侵攻で龍が劣勢に立たされ、国は異邦の仙人を頼った。
すると仙人は私の育った町に、妖婦の力を祓う聖なる力を持つ者がいると預言したそうだ。そして祓邪の力を持っていた私が、巫女として宮城に上がることになる。
正直、別世界だと思った。
宮城という場所も、そこに当たり前に暮らす人たちも、衣食住の全てが。
「はぁ、またお城暮らしかぁ」
二年近くかけて妖婦討伐を果たし、早三カ月。
私は市井では見たこともない大きく澄んだ銅鏡の前で、思わず溜め息を吐いた。
私のお世話をしようとしていた宮女さん五人は、部屋の外で待っていてもらっている。
だって、多すぎるでしょ?
それに髪くらい自分で整えられるし、練香も人につけられるのは恥ずかしい。
あと、宮廷風のお化粧は町娘の感性には派手すぎた。
「こんなぼんやりした顔と茶色っぽい髪。…………私より綺麗な宮女さんたちに褒められてもねぇ」
無理に褒めようとしてお世辞を言われるのは正直辛い。
つややかな黒髪の王太子を、興奮気味にほめそやす姿を見たことあると余計にだ。
「それと、この呪いも…………」
私は鏡に映った自分の胸元を見ながら撫でる。
そこには血のような赤い痣が浮かんでいた。
花のような痣は胸から首元まで伸びてるけど、常人には見えないんだとか。
これは妖婦が最期に残した呪い。穢れが強すぎてこんな形になってるらしい。
祓邪の力を持つ私に見えるし、それなりの実力を持つ方士にも見えるそうだ。
「聖なる力使っても取れないんだよねぇ」
聖なる巫女にも解けない呪い。
見えなくても、宮女さんたちは私が呪われていると知って怖がってる。
呪われてから三カ月、色々調べた結果、効果も解呪方法もわからないけど、どうやら私には害はないらしい。その上で、今のところ他人に悪影響が出ている様子もない。
「経過観察でお城に住むのはいいんだけど。私一人にこんな広い部屋いらないのに」
決して貧しくはなかった実家が丸々入りそうな部屋は、前室、寝室、衣裳部屋と三つも大きな部屋が連なってて落ち着かない。
今いる衣裳部屋一つで十分なくらいだ。
「幼馴染みに狭い隅っこ好きな子いたけど、今ならその気持ちわかるなぁ」
一人だからこそ好きなことを口にして、身嗜みを整える。
「髪、こんなに短くなって、お母さん知ったら驚くよね」
私のぱっとしない色の髪は、今肩口までしかない。
旅の途中で敵に切られたり、燃えたり、傷んだりして、宮城に住むことになって整えたら、こんな短さになってしまった。
髪を結い上げるのが成人女性の嗜みの世の中。こんなに短い髪は、お城の中で私だけ。
「…………お母さん、それにお父さん。元気にしてるかなぁ?」
巫女として宮城に招かれ、祓邪の力を修得した途端、妖婦に存在が露見してしまった。
逃げるように旅に出て、妖婦に追われ、時には追って、一年以上をかけて私は使命を果たせた。
けど、それで元の生活に戻れるなんてことはなかった。
私はこれからも、巫女として生きて行かなきゃいけない。もう、町娘には戻れないし、役人の娘なんて名乗れない。
私は家を出た存在だから。特別な理由がなくちゃ、両親にも幼馴染みにも会うことはできない立場になっていた。
「こんなことになるなんて思わなかったなぁ。もっとしっかりお別れしてくるんだった」
「クー?」
私の溜め息に引かれるように、何処からか真っ白な動物が姿を現す。
「空くん、何処から入ったの? 本当に君は神出鬼没だね」
「クー、キュキュ」
真っ白な空くんは、猫のような動きで私の前にある台に上る。
けどその姿は犬のようにも、兎のようにも、狐のようにも見えた。
旅の間、時折見かけたこの空くんは、私が餌付けしたせいかいつの間にか宮城にまでついて来てしまっている。
賢いのか、私一人の時しか姿を現さず、旅の間も武官たちの警戒網を抜けて私に寄り添って寝ていたことがあった。
「クー、ククー」
何かを訴えるように鳴く空くんに、私は他には言えない胸の内を零す。
「巫女になることは嫌じゃなかったんだよ? 私にしかない聖なる力って、なんだか特別感があって、正直聖なる巫女ってわかった時には浮かれてたもの」
「クー、キュキュ、キュ」
「あ、笑った? いいじゃない、十四歳の夢見るお年頃だったの。それにまさか、妖婦に見つかって実戦で経験積むしかないって、お城追い出されるとは思わなかったし」
正直、宮城での暮らしは堅苦しくて、浮かれたのは最初だけ。
だからって、過酷な旅のほうがいいなんてことも言えない。人間、我儘なものだ。
「…………この呪い、なんなんだろうね? 妖婦がどんな人かわかれば、呪いの効果の予想もついたらしいけど」
もう妖婦はいない。
故郷を危機に陥らせる敵で、倒したことに間違いはないと思う。思うけど、私は良く知らない人を、良く知らないままに殺した。
『巫女! あぁ、聖なる巫女! なんて傲慢で幼稚な娘だ! お前には似合いの呪いをくれてやろう! 人の身勝手さ、愛の醜さを知るがいい!』
それが、妖婦の最期の言葉。
漆黒の炎に焼かれながら、哄笑を響かせて燃え尽きていくその最期は凄惨で、それでいながら強かった。
「妖婦は、どうしてあそこまでしたんだろう? 命をかけて、強大な龍にまで怨まれて、それでも絶対に国を滅ぼしてやるって、私たちに立ちはだかった」
「クークー」
まるで言葉がわかっているかのように合いの手を入れる空くん。
「クー? キュキュ?」
空くんは首を捻るようにして、空色の瞳で私を見上げる。
まるで、どうしてここに座っているのかと聞くように。
「今日はねぇ、王太子妃が私に面会を求めたんだって。妃だよ、妃。空くんわかる? 国王、王妃、王太子の次に偉い身分のお妃さまが、私なんかに会いに来るの」
町娘だった私には、貴族と言うだけで雲の上の存在だ。
役人の父は行政長官の下で働いていたけど、行政長官はあくまで貴族から任された代官。血縁の場合が多いけど、貴族本人じゃない。
「聞いた話だと、その王太子妃さまは姜春嵐さまっていうんだぁ。遡れば一国を治めた王の血筋っていう本物のお姫さまだよ、空くん」
「キュ、キュキュ?」
「序列っていうの? それで言うと巫女って世俗の偉さに関係ないらしいから、王家以外に膝つかなくていいんだけど。やっぱり王太子妃さまなら、王家の人って思っていいのかなぁ?」
「クー?」
どうでもいいと言わんばかりに、空くんは並べられた香に鼻を寄せる。
色とりどりに形も凝った香の入れ物の中から、空くんが反応を示したのは、まだ一度も使っていない一番豪華な装飾の香だった。
「それね、太子さまがくれたんだよ。命がけで国を救ってくれた巫女だからって、色々くれるんだけど…………。正直、もったいなくて使えないんだよね。どうせくれるなら、何処でどう使えばいいのかわかりやすいものにしてほしいな」
良ければ使ってほしいなんて言われても、町娘として育った私には、どう使うべきかがわからない。
知ってるだろう貴族出の宮女さんがいるんだけど、貴族の家の出って言うだけで、もうね。恐れ多くて何も聞けない。
こんな状況になって初めて知る、自分の庶民具合がいっそ笑えた。
「気軽に話せる相手がいてくれればなぁ。せめて一緒に旅した仲間が側にいてくれたら良かったのに」
旅の間に入れ替わりはあったものの、苦楽を共にした仲間とは、生まれや地位を気にせずつき合えるようになっていた。
中でも、こういう話をできた同性の戦士がいたんだけど、結婚して王都を離れてしまっている。
平和になったら結婚しようって約束してたの聞いてたから、全力で祝福してお嫁入りを見送ったけど。今さら引き留めておけば良かったとか身勝手に思ってしまう。
他にも武官や方士がいて、彼らは宮城に務めてる。けど、それぞれにお仕事があるから、旅の間のように気軽に関わることはできない。
「ここの暮らしは、ちょっと、寂しいな」
「クゥ、クー、ククー」
空くんは私にすり寄って慰めるようだった。
本当に私の言葉をわかっているのかもしれない。そうなると妖の可能性が高いんだけど、噛まれたことも引っ掻かれたこともないし、大丈夫だよね?
そんなことを考えている内に、待ちきれなくなった宮女さんに戸を叩かれ急かされる。
私が慌てて準備をしていると、空くんの姿は消えていた。
「こんなみすぼら…………質素すぎる装いではいけません」
「髪も結い上げられないのなら花や羽根を飾ればよろしいのです」
「重ねるのならもっと首元を緩めなければなりません」
「今の流行はこの深紅でございまして。合わせてお顔も白く」
「お似合いになるかではありません。要は権威を示すべき服装というものが」
「もういいから! 私はこれがいいの!」
宮女さんに囲まれて矢継ぎ早に言われ、私は抵抗して強く言った。
途端にびくついた貴族出の宮女さんたちは、一瞬の不満そうな表情を作り笑いに押し込めて引く。
いつもこの気まずさなんだよね。そんなに呪われてる私は怖いのかな?
正面から聞いて困らせるのもさらに気まずく、私は王太子妃の姜春嵐を迎えることになった。
「まぁ、なんでございましょう、その歓迎の意志も感じられないみすぼらしい恰好は? 王太子にさえ覚えめでたい巫女さまは、わたくしなど普段着であしらうに足る存在と侮っておられるのかしら?」
挨拶もそこそこに、姜春嵐は澄んだ瞳で私を睨む。
漆黒の髪の似合う気高く美しい王太子妃は、どうやら私の恰好を無礼と判断したようだった。
毎日更新、全四十話予定
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