十五話:離宮での一年
「あー…………焦げた…………」
『失敗なのじゃ。換気の徹底を申しつけるのじゃ』
丸くずんぐりした野邪は、火鉢の上の鍋の中身に腕を伸ばして言った。
ゴーレムという泥人形だから熱くはないんだろうけど、熱した金属の溶液なんて、素手で触るものじゃない。
『計って混ぜるだけが錬丹術ではないのじゃ。火加減が決め手なのじゃ』
「別名煉丹術は、伊達じゃないなぁ」
湖水地方の離宮に移って、そろそろ一年が経とうとしてる。
私、施伯蓮は今日も今日とて玉鈴館で金丹作りに励んでいた。
「ククゥ」
「あ、空くん」
窓を開けると待っていたかのように真っ白な動物が飛び込んで来た。
妖婦討伐の旅から宮城にまでついて来た空くんは、当たり前のようにこの離宮にもいつの間にか現れるようになっている。
『むむ!? 現れたな、毛玉の妖め!』
「クフゥ! クグルルル」
「こらー。また火鉢の片づけしてないんだから、二人とも喧嘩しないで」
換気をしつつ、私は失敗した金属の溶液を慎重に土を敷いた容器に移す。
金丹作り、行程の難しさもさることながら、こうした失敗作の処理も手間がかかる。
「生薬とは全然違うなぁ」
『当たり前なのじゃ。本来なら初級、中級、上級と進んでようやく最上級の難易度を誇る金丹作りに手をつけるのじゃ。お主は初級から中級に手をかけたところで、一気に最上級を押しつけられたようなものなのじゃ』
「押しつけたとか言わないで。師匠は私を思って用意してくれた課題なんだから」
「クゥウ? キュキャ」
私が処理する金属の溶液に近づこうとして、空くんは臭いに驚いた様子で大きく飛び退る。
どうやら妖かもしれない空くんにとっても、この失敗作は毒物に等しいようだ。
『ふふん、考えなしの獣なのじゃ』
「クルルルル!」
「野邪、空くんをいじめちゃ駄目」
「クキュウ」
『施娘はもっとわしを可愛がってよいと思うのじゃ』
「うーん、形は可愛いと思うんだよ。嘉量みたいで。けど、中身が意地悪なお爺ちゃんって言うのがなぁ」
「クキュキュキュキュ」
『笑うでないわ!』
結局この二人は仲が悪いようだ。
伸縮自在の腕を伸ばして空くんを捕まえようとする野邪。空くんは火鉢には近寄らず部屋の中を走る。
言葉が通じるだけましかなぁ。
なんて思っていたら、外から声をかけられた。
「施娘? 危ない実験は終わったかしら?」
「はーい! 入って大丈夫だよ、甄夫人」
一年近く毎日顔を合わせた結果、私と甄夫人は友人のようになった。
そんな気安さで答えた私は、甄夫人の後ろに続く人の姿に慌てて身嗜みを整える。
「…………異臭の原因はやはりここですか」
「長官、どうなさったんですか?」
まくり上げていた袖や裾を直しながら聞くと、離宮の管理を任された長官は、いつもの仏頂面で自分の腕を見下ろした。
甄夫人と並んだ二人は、両手に壷や包みを持っている。長官の持つのは金属や石という重量のある物だった。
「あ! 錬丹術の材料持ってきてくださったんですね!」
「何処へ直せば良いですか?」
「そこに置いててもらえれば、私が自分で片づけますから!」
「いえ、女性には荷が勝ちすぎる。気を遣うのでしたら、指示を」
「は、はい…………。だったら、こっちにお願いします」
引く気のない長官の圧に負けて、私は続き部屋の所定の場所へ収納する手伝いまでしてもらうことになった。
「ありがとうございました」
腰を折ってお礼を言うと、長官は素っ気なく頷くだけ。
威圧感があって慣れないけど、こういう気遣いをしてくれるから悪い人ではないと思う。
「異臭や不審な話し声、騒音など報告が上がっています。自重なさってください」
「はい」
お小言をもらって、私は錬丹術の材料を運んでくれた長官の背中を見送った。
「怒られちゃったよ、空くん、野邪」
「クフゥ」
『不審な話し声とは失礼なのじゃ』
反省はなし、と。
「材料受け取りに行ったら思ったより重くて困ってたのよ。そしたら長官が手伝ってくださったの。材料の発注を代行してくださってるのも長官だから、難儀するだろうと思って手伝いに来てくださったみたい」
「いい人なんだけど、やっぱりあの仏頂面はちょっと身構えちゃうなぁ」
「いい人なんだけれどねぇ」
甄夫人とそんな軽口を交わしながら、私は火鉢の始末に手をつける。
生薬の材料を整理する甄夫人の姿を、目の端で窺っていると、顔を上げた瞬間に気づかれて申し訳なさそうにされた。
「ごめんなさい。都からの手紙はなかったわ」
「ううん、甄夫人が謝ることじゃないよ」
言って思わず俯いてしまう。
離宮に来てから落ち着くとすぐ、私は王太子妃の春嵐に手紙を書いた。
返事を心待ちにして一月。手紙の運び手が事故にでもあったのかと心配して二月。もう一度手紙を出し直して三月。待ちぼうけをして四カ月。
気づけばそろそろ一年だ。
春嵐からの手紙は、一度も来ていない。
『社交辞令というやつだったのじゃろう』
「ちょっと嘉量は黙ってて」
野邪を上から押さえつけて、甄夫人は私に近寄った。
「手紙って、遅くなると一年前の物が届くこともあるのよ。大丈夫、何がなくても手紙をなんて言ってくれる人が、あなたの手紙無視するはずないわ」
「うん、ありがと」
甄夫人は年上なせいもあって、姉のように私に接する。
わかりやすく甘えやすいその気遣いは、長官と対照的だった。
「あ、そうそう。長官が仰ってたけど、どうも今、宮城のほうは忙しいらしいのよ」
甄夫人が言うには、妖婦討伐から二年が経とうとする今、戦時の後始末が本格的に動き出しているのだとか。
「だいぶ国の人間が妖婦を恐れて国外に流れてしまったから、その人たちの呼び戻しや、迷惑かけた隣国への補償が大変みたいなの」
「そうなんだ…………。やっぱり、敵を倒して終わりなんてこと、ないよね」
「まず倒さないと滅びるだけだったんだから、施娘はちゃんと国を救ってくれたわ。立て直しまで気にかける必要ないわよ。それこそ、妖婦を止められなかった国のお偉いさんたちの仕事を奪うことになるわ」
気にしすぎだと笑われてしまった。
『そう言えば、龍たちはどうしておるのじゃ? この国を守る役割があったが、今や妖婦に堕した危険生物なのじゃ』
「クキュ!?」
『言い過ぎではないのじゃ』
どうやら野邪は空くんの言葉がわかるらしく、抗議するらしい鳴き声に答える。
そんな二人を見下ろして、甄夫人は記憶を探るように頬に指を当てた。
「確か、龍からの使者は宮城に入ったとは聞いているわね。龍たちは住まいである西の山脈に籠ってるような状態らしいけれど」
「甄夫人。誰から聞いたの、それ?」
「家との手紙のやり取りの中に…………あ」
どうやら甄夫人の所には、都にあるおうちからきちんと手紙が届くらしい。
うぅ…………。思ったより胸が痛い。
「そんなに落ち込まないで。私も家の者に宮城の様子見るように言ってみるから。ほら、巫女さまからの手紙って気づかれずに、忙しさにかまけて後回しにされてる可能性もあるんだし」
「そう言えば、巫女とか何も書かず、自分の名前で送ってた」
聖なる巫女の名前は、知ってる人は知ってるけど、知らない人は知らない。
働く人の多い、宮城ではそんなものだ。
本当に忙しいなら邪魔はしたくない。
王太子に『狂愛の呪い』の影響を及ぼしてしまった私は、王太子妃の春嵐からすれば多忙の一因なんだから。
ここは確実に連絡が取れるらしい甄夫人の身内からの情報を待つほうが良さそうだ。
「ともかく今は、仙人さまから課された金丹作りに意識を集中しましょ? と言っても、失敗しちゃったみたいね。材料は新しく届いたけれど、また足りなくなるかしら?」
「えーと、作り置きの材料の数は…………」
甄夫人に聞かれて、私は続き部屋の溶剤なんかを確認する。
長官が運んでくれた材料の数と、今日失敗した分の残量を合わせて考えると、どうもまた作り置きを用意したほうがいいみたい。
「そうそう、施娘。この間、台所に出た鼠を駆除する薬、効果覿面だったみたいで今晩冷やした水菓子を回してくれるそうよ」
「良かった。野邪が金丹以外の錬丹術も知っててくれたお蔭だね」
『うむ、もっと褒めるのじゃ』
「クー、ククゥ」
『ふふん、小さな手柄さえも立てられない貴様に言われても片腹痛いのじゃ』
「クホウ!」
猫のように前足を繰り出す空くんを、野邪はずんぐりした体を左右に振って挑発する。当たっても痛くないみたいだ。
「こらー、喧嘩しないの」
注意しながらまた殺鼠剤が必要になった時のために材料を確認していると、どうも数が合わない。
「数え間違い…………? いや、足りないなぁ」
「どうしたの、施娘?」
「作り置きしてた生薬と、殺菌剤が記憶より少なくて…………。私何処かで他に使ったかな?」
『む、それなら侵入者が持って行ったのじゃ』
「あ、そうなんだ。それいつのこと、野邪…………って、え!?」
普通に聞き返してしまった私は、甄夫人と一緒に野邪を振り返る。
「侵入者ってどういうことかしら?」
『そのままなのじゃ。二人が沐浴で不在の時に良く来るのじゃ』
「一回じゃないの!?」
『三人ほどが三回ずつ来ておるな』
「思ったより頻繁だった!?」
「誰なの、それは?」
『一人しかわからぬのじゃ。何せ、わしはこの館に出入りする以外の人間を知らないのじゃ』
野邪を問い詰めても、返ってくるのはなんとも頼りない返答ばかりだった。
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