十四話:狂愛の呪い
「こっからちょっと込み入った話をする。最悪斬首もあり得ることを受け入れるなら聞いてもいい」
「師匠!?」
師匠に見つめられた甄夫人は頷こうとした。
「だめだめだめ! 甄夫人は旦那さんの分も生きてなきゃいけないんだから、駄目です! そうだ、お茶! 師匠にお茶持ってきてください!」
私は甄夫人を押して玉鈴館の外へ出そうとする。
「施娘、仙人さまのちょっとした覚悟を問う脅しですよ?」
「駄目! 私の事情に巻き込んで甄夫人に不幸になってほしくないの!」
「妖婦の呪いに関する話だ。聞いて危険が増えることはあっても、専門の知識か力がなきゃなんの足しにもならない」
師匠の言葉を聞いて、甄夫人は体の力を抜いて、自ら玉鈴館から一歩外へ出る。
「わかりました。ゆっくりお茶を持ってまいりますから、その間にお話は済ませてくださいね」
「ごめんなさい、甄夫人」
「あら、謝るくらいなら今度は生皮剥ごうだなんて思い詰める前に話してほしいわね」
悪戯に笑って、甄夫人は玉鈴館の扉を閉めていった。
私が師匠の前に戻ると、野邪は竹簡を読んでいる。
泥でできた体の割に、器用なようだ。
「…………それで、師匠は何処に行くんですか? 西に、戻るとか?」
「馬鹿者。この状況でお前さんを見捨てるほど薄情じゃねぇよ」
『わしの元の人格からすると、相当な薄情者である思うがな。筆不精で出不精で人間関係の構築が下手なのじゃ』
「余計なこと言うな」
師匠は野邪の頭に拳を降ろして黙らせた。どうやら師匠のこの性格、昔かららしい。
そして咳払いすると、真剣な表情で私を見据える。
「お前さんにかけられた妖婦の呪いに仮称をつけた。調べてわかった性質から、『狂愛の呪い』と呼ぶ」
「『狂愛の呪い』…………」
「わかっているのは施娘に関わる異性が愛に狂うこと。本来の人格から逸脱はしないが、正常な判断を愛しいという思いが上回り、手段を選ばなくなっていくことが予想される」
検証する相手が王太子一人であるため、何処まで悪化するかはわからないそうだ。
「阿鼓は…………?」
「あいつは育ちの上で、最初から呪いに弱いのわかってたからな。王太子との比較で推察できることと言えば、急激であるなら己の変化を自覚することも可能、というくらいか」
一緒に妖婦討伐の旅をした方士の河鼓は、呪いに影響されたことを自覚して、自ら私と距離を取り師匠に報告したそうだ。
いつ呪いにかかったかは本人もわからないけれど、明らかに呪いにかかった後の行動が普段と違ったことを自覚していたんだとか。
「愛する対象は明らかにお前さんだ、施娘。ほぼ顔を合わせただけで河鼓の奴は呪いにかかった。ただし、愛しいと思うことを強制はしても、呪われた本人の人格を根底から変えることはないらしい」
呪いにかかっても、愛しい相手を手に入れようという恋愛行動は、呪われた本人の意思を大きく曲げることはないというのが師匠の見解だそうだ。
「王太子の行動を洗ったところ、河鼓のようにいきなり実力行使には出ていない。逆に河鼓はわかりやすく好きな相手を独占しようと動いた。この違いは本人の行動パターンから来る差異だろう」
つまり『狂愛の呪い』は、私と会って話をするだけでかかるもので、その後どんな行動に出るかはかかった人次第?
「あと、呪いによって植えつけられる施娘への好意は、元から持ってる好意が呼び水になるようだ。河鼓が急激に呪いの影響を受けたのは、呪いへの耐性のなさと好意を示すことへの未熟さ、そしてお前への好意が元から王太子に比べて深かったせいもある」
「確かに、そんなに親しくなかった太子さまに比べれば、阿鼓と仲は良かったと思いますけど…………恋愛感情じゃないでしょう?」
「そこは河鼓の胸の中だが、好意が厚いほど簡単に愛情へと変換して、暴走させるのが『狂愛の呪い』だと思え」
「暴走…………。そう言えば、師匠はこうして私と顔を合わせていて、呪いの影響はないんですか?」
潔斎してるとは言っても、一人だけいつもどおりっておかしくない?
「あ、もしかして私…………師匠に好かれてない?」
「阿呆なことを言うな。俺はどうでもいい相手に時間を割くほど暇じゃないぞ」
『こやつの好意の示し方はわかりにくいのじゃ。男女、恋愛、友情に関わらずのう』
「余計なこと言うなって言ってんだろうが」
泥人形の割に丈夫なのか、野邪は師匠に殴られたくらいじゃ平気なようだ。
『わかる者がわかりやすく説明せねば伝わらぬと、わしの人格の元になった者が囁いている気がするのじゃ!』
「ようし、こいつは欠陥品だ。一回停止して作り直してやる!」
『やめるのじゃ! 施娘とやら、助けるのじゃ!』
しょうがないので野邪を手元に引き寄せて守り、私は師匠のわかりにくい好意について聞いてみた。
「私、師匠に嫌われてない? 呪いが効かないのは師匠がお爺ちゃんだから?」
「おい…………」
『本人が言ったとおり、嫌うなら見捨てるのじゃ。これだけ世話を焼いているのは珍しいことなのじゃ。ただ恋愛経験はさほど積まず年齢ばかり重ねたせいで、害になるほどの行動も起こせないチキンになり果てておるのじゃ』
「ちきん?」
「やっぱりこいつは一度解体する! くそ! 屍霊術組み込んで相性重視で疑似人格選んだのが間違いだった!」
どうやら『ちきん』とは悪口だったようで師匠が怒る。
「師匠、それよりこの野邪を置いて行くつもりになった理由教えてください」
「それよりってお前さん…………。俺に好意向けられてることに対する感想はないのかよ」
「弟子として師匠に好かれてるなら嬉しいですよ。けど師匠は呪いの影響だって自覚してますよね? ってことは、その感情の元になったのは恋愛感情じゃなくて、阿鼓みたいな親しみからなんでしょう?」
「いや、阿鼓の奴は…………うーん、いいか。そういうことにしておこう」
『雑じゃ。他人を巻き込んだ上で雑な結論を投げよった』
野邪が何か文句を言ってるみたいだけど、師匠は無視して話を進める。
「妖婦の残した資料を調べてわかったのは、このままじゃ『狂愛の呪い』は解けないってことくらいだ。施娘も宮城を出たし、俺もあそこに留まる理由はなくなった」
「あ、本当に私を心配して宮城に上がってたんですね」
「なんで驚いた顔してるんだ。そこは礼の一つくらい言え」
「ありがとうございます、師匠。ついでに天秤貸してください」
「お前さんなぁ…………」
言ってみると、師匠は腰に下げた小さな袋に手を入れて探る。
ぬるっと取り出したのは、明らかに袋の大きさに合わない天秤だった。
「なんですか、それ?」
「仙人が作る不思議道具、宝具ってやつだな。如意…………なんとか袋っていうなんでも入る便利な道具だ」
「それ、錬丹術で作れますか?」
「目を輝かせるな。これは仙人として上位になってから作れるようになるもんだから、まずは金丹を完璧に作れるようになるところからだぞ」
「あ、ちょっとやる気が跳ねあがりました!」
「現金な奴…………」
苦笑した師匠は私に天秤を貸して話を続けた。
「で、俺は宮城を出て妖婦の足跡を辿る。『狂愛の呪い』を生み出すに至った経緯がわかれば、解呪の手がかりが得られるかもしれない」
「一人で旅に出るんですか?」
「いや、何処かの短気で皮肉屋で恰好つけの恥ずかしがり屋な弓使いが」
師匠があえて名前を言わずに人物特定ができる特徴を上げると、開けていた窓から矢が飛び込んできた。
飛矢は過たず師匠の耳を掠めて背後の柱に突き立つ。
「危ねぇ!? あいつ、絶対入らないとか言っておいて、声聞こえる範囲に潜んでやがるな!」
「え? こんな女ばかりの所なら、師匠より来易い」
言いかけた私の足元にも矢が飛ぶ。それ以上言うなという無言の圧力を感じた。
この狙いの正確さと矢の一本で意思疎通を図ろうとする横暴さは、かつて妖婦討伐を共にした仲間だと確信する。
私は師匠に顔を近づけて小声で聞いてみた。
「なんかさらに短気になってません!?」
「俺たちに女だってばれてるのが嫌なんだろうよ。正体不明の凄腕ってのが売りだったのに、うっかり胸まろび出しちまったなんてばれ方だったし」
なんて話してると、今度は連射で室内に矢が放たれた。
しかも一つには木の板がぶら下がっており『営業妨害』と書いてある。
「…………ま、だから俺は一人で旅するわけじゃないし、情報収集に長けた相方もいるから安心しろ」
「あの、雇うお金、大丈夫ですか? 結構高いって聞いたんですけど?」
金さえ積めばなんでも完璧にこなすという弓使いで売ってる元仲間。
お金に厳しく、打ち解けない間は食糧調達一つでも料金を請求された。
妖婦討伐の雇い主は国だったけど、師匠個人で雇えるような金額なのか心配になる。
「それがな、お前さんの窮状知って、あっちから声かけて来たんだよ、これが」
「…………ちょっと泣きそう」
「あの金にがめつい奴がなぁ」
頷き合う私たちの鼻先を、また飛矢が過った。
そろそろ袖や裾に矢で穴を空けられる。師匠と目で頷き合った私は、咳払いを一つして居住まいを正した。
「解呪方法、私も捜しに行くってできないんですか?」
「行く先々で痴情の縺れ引き起こす覚悟はあるのか?」
「ないです…………」
「俺もそんなの収束させる自信はないから連れていかないぞ」
「はい」
ごもっともです。
どうやら私はここで男性に極力会わず、金丹作成に勤しむしかないようだ。
…………天秤使えるし、それはそれで楽しみではある。うーん、完璧に師匠の手の上だ。
「他に聞きたいことは? 必要があれば戻るが、場合によっちゃこの国の外にまで足伸ばす」
「直ぐには帰ってこれないってことですね。…………じゃあ、愛ってなんですか、師匠」
私が倒した妖婦は言った。
『人間の身勝手さ、愛の醜さを知れ』と。
そして私に残された呪いには『狂愛の呪い』という名がついた。
だったら、愛ってなんだろう?
「…………それがわかったら、お前さんも賢者になれるぞ」
どうやら何百年も生きる師匠にさえ言い表せないものらしい。
そんな話をしていると、甄夫人が戻って来た。
「お話は終わりましたか?」
「うん、だいたい。ねぇ、甄夫人。愛ってどんなものかわかる?」
「あら、ずいぶん難しいことについて話していたんですね」
謎かけを解くように面白がって考える甄夫人は、ふと視線を落とす。
「私にとっては失くして初めて、それが愛だったのだと知ることになった感傷、ですね」
その声には確かな実感がこもっていた。けれど、私には理解が及ばない。
どうやら私には、まだ愛を知るには早いようだった。
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