一話:妖婦と呼ばれて
私は施伯蓮。
大体の人は施娘、親しい人は伯蓮と呼んでいた。
私は今、離宮のある街の広場に作られた処刑台に縛りつけられている。
高い位置から見下ろす人々は、好奇心や恐怖心を浮かべて、木で作られた柵の向こうで私を眺めていた。
「この者は、天の命に逆らい、王の家に潜り込んで不徳を広めんと画策した妖婦である!」
二年近くお世話になったはずの離宮の管理長官が高らかに宣言した。
長官は何処か切羽詰まった顔で、緊張している。
その隣で神妙に俯く離宮の女官は、見ない顔だけど赤い唇がちょっと笑ってるのがわかった。
きっと、これが長官の悪事を隠すための茶番だってわかってるんだ。
知っているなら止めてほしい。
せめて人質に取られた私の友人を助けてほしかった。
「不埒な企みは露見し、今ここで、この妖婦は罰を受ける! 見よ! これが天の怒り、天の断罪を示す漆黒の炎!」
長官の声に応じて、真っ黒な炎を灯した金の器が運ばれる。
普段離宮の奥深くで封印された炎に、民衆は見世物に感心するような驚きの声を上げた。
二年近く住んでいた場所だけど、私はほとんど外に出なかったから、集まった人たちに訴える言葉もない。
身の潔白を訴えようにも、口枷をされてるから喋れないんだけど。
「この漆黒の炎はいかなる邪悪も燃やし尽くし、その魂にさえ安息を与えぬ神聖なる裁きである! 消滅こそが邪悪な意志に穢された妖婦の魂を救済する、唯一の方法でもある! この炎は天からの慈悲でもあることを知れ!」
違う。
慈悲なんかじゃない。
私は知っている。
だって、その漆黒の炎を妖婦に放ったことがある。
あの異郷の瞳をした妖婦の魂はどうなったんだろう? どんなに妖術を放っても、走って逃げても食らいついて獣のように放さなかった漆黒の炎。
体のように、魂まで燃やし尽くされてしまったんだろうか?
私は、知らない。
聖なる巫女として見出され、国を危機に陥れた敵である妖婦を倒したけど、本当はただの町娘だ。
穢れを祓う聖なる力はあるけど、そんなの四年前に初めて知った。
妖婦を倒した二年前から、ほとんど使ってもいない力。
私は、ただの町娘でしかない。
「まずは妖婦の使い魔たる、この醜悪な妖に断罪を!」
「んー!? んんーー!」
長官の声で掲げられた金属の籠を見て、私は声を上げた。
「なんだあれ? 白い毛玉じゃないか?」
「動いてるから何かの動物だろ」
「いや、妖の物だって。ほら、今ちらっと爪が見えた」
「んーん! んーー!」
違う! その子は私について来ただけで、何もしてない!
なんの動物かわからない見た目で、妖じゃないなんて断言できないけど、けど! いつも私を助けてくれるいい子なのに!
あの子を助けたい。
でも、私がここで無茶をすると、捕まってる友人に危険が及んでしまう。
どうすればいい?
あの子を助けて、友人も助ける? 私にできる?
妖婦を倒す旅でもほとんどお荷物だった私が?
聖なる力以外にとりえもない私に、本当にできる?
使える力の量は多くない。体力も人並み。剣術なんてできない。
妖婦を倒すっていう役目が終わった途端、宮城からこの離宮に回されたような私に?
駄目だ。考えたら駄目な所しか出てこない。
やるんだ。私がやらなきゃ。
あの子も友人も私と親しくしていたせいで巻き込まれただけなんだから。
「その処刑待て!」
民衆の向こうに、騎馬と馬車が駆け込んで、場は騒然となる。
混乱して右往左往する人たちの向こうに、日の光に輝くような凛々しい姿が見えた。
「彼女が妖婦などと、何を考えている! この処刑は不当だ!」
怒りも露わなこの国の王太子の姿に、長官は慌て始めた。
「どきなさい! 処刑などさせない!」
強引に前に進むのは、妖婦を倒す旅を共にした武官だった。
普段は真面目で柔和ささえある武官が、今は必死の形相で人を掻きわけてる。
長官は乱入して来た者たちを見定めて、唾を飛ばすほど怒鳴った。
「獣はもういい!すぐに! すぐに妖婦を断罪するのだ!」
「そんなものを巫女さまに近づけるな」
私に近づけられた漆黒の炎は、方士の放った札に阻まれる。見えない壁があるかのように、札は宙に浮いて接近を拒んでいた。
その不思議の力のために引っ込み思案だった方士が、今は迷いなく術を使って私を助けようとしてくれていた。
「ぼうっとするな! お前もそこから逃げろ!」
そう私に喝を入れるのは、師匠と呼んだ仙人だ。
「何をしているの、伯蓮! お逃げなさい!」
宮城での友人だけど、私のせいで嫌な目に遭ったはずの麗しの王太子妃が馬車から飛び出して叫んだ。
「えぇい! 札など漆黒の炎で焼き崩せ! 妖婦さえ焼ければそれでいい!」
長官は焦って漆黒の炎が乗った金の器を奪うと、自ら私に火を放とうと距離を詰めて来た。
私は、なんだかひどくゆっくり時間が流れる感覚で、もういいかと思ってしまった。
聖なる巫女なんて言われても、結局はこうして迷惑をかけて追いやられて。
物語のように駆けつけてくれた、生まれついて特別な人たちが、きっと友人も助けてくれる。
だったら、もう私の役目は終わってる。
私は、倒した妖婦の最期の力で呪われた。
生きているだけで、迷惑だ。長官も、私の呪いに当てられたのはわかってる。なのに私には呪いをどうにかできるだけの才覚はない。
きっとこういうのを、自業自得と言うんだ。
そう思えてしまうほど、この二年で周りに迷惑をかけて、大切な人を悲しませてしまった。
私はここで、呪いごといなくなったほうがいい。
そんな諦めで目を閉じると、耳元に囁くような声が聞こえた。
「いらぬと言うなら、我がもらおう」
「んん?」
私が目を開いた途端、広場全体に強風が吹きつける。
あまりの風圧に、ほとんどの人が倒れ伏して地面に膝を突いた。
跪いて頭を垂れる人々の上に、影が差す。
見上げた先には、一体の龍が降下してきていた。
私の故郷のこの国には、龍が住む山がある。
神聖にして獰猛な龍は、他国から侵攻という魔手を防ぐ最大の防壁であり、最強の戦力でもあった。
けれど私が倒した妖婦は、気高い龍を隷属させる恐るべき妖術を行使した。そしてこの国の守りをはぎ取った上に、龍を味方にして人々を追い詰めてしまったのだ。
「ひぃー!? 何故龍がここに!」
「た、助けてくれー! 殺されるー!」
「逃げろ! 逃げるんだー!」
迫る龍は金属のような光を放つ黒っぽい鱗を持ち、赤く照り返す不思議な美しさがある。
金色の瞳は獣のように縦に割れて恐ろしいけれど、確かな理知を孕んで光っていた。
目の前の龍は妖婦に操られた暴虐の化身ではない。それでも長大な生き物が迫る重圧に、誰もが恐怖し、過去の辛酸を思い出す。
必死の逃走は、私に近づこうとしていた人たちを邪魔して足を止めさせた。
龍を取り巻く風に漆黒の炎を抱えて尻もちをついていた長官は、最後の好機とばかりに動く。金の器を投げつけるように、私に火を放とうとした。
龍の登場で方士の札は何処かへ消えてしまっている。
「不遜だぞ、下郎」
尊大な物言いで長官を見下ろした龍は、灯火を吹き消すように雷光を吐いた。
岩をも穿つ龍の吐息を受けた長官は、大きく後ろに吹き飛び、きっと跡形もなく燃え尽きたのだろう。
縛られて後ろを見ることのできない私に、恐怖と混乱の声だけが聞こえる。
長官に一抹の申し訳なさを覚えて視線を下げた途端、羽ばたきとは違う風が吹き荒れた。
私の視界に黒味を帯びるほど深い紅の髪が映り込む。
顔を上げると、秀麗な容貌を持つ、長身の男性が私の頬に手を伸ばしていた。
「わからぬな。何故、己を害そうとした者を憐れむ?」
触れられた手は思いの外冷たいことに驚いて、拘束が解かれたことに気づくのが遅れた。
上手く立てずに倒れそうになると、たぶん龍だろう男性は私を受け止めてくれる。
「えっと…………?」
「この期に及んでまだ状況がわからぬか? それもまた不敬よな」
不機嫌そうに眉を顰める龍は、それでも私の腰を抱いたまま。
「施娘!」
王太子の声が聞こえた。龍の体で見えないけど、声の響きには心配の色があった。
答えるため口を開くと、邪魔するように龍から顎を掴まれる。
「三年前、そなたに救われた」
「え?」
「受けた恩は返す。そのためにこれまでそなたを見守って来た」
「は、はぁ?」
助けた龍?
三年前なら妖婦討伐の旅の途中。
龍に会う機会は何度かあった。敵として戦ったこともあったけど、なるべく殺さないよう注意したから、恩と言われて思い当たることはある。
でも、こんなに綺麗な紅い龍に会った覚えはない。
「人違いでは?」
「戯けたことを。まぁ、いい。人がいらぬと言うなら、我がもらい受ける」
「え?」
近づく人の気配に龍は背後に顔を向け、私の返事など聞かずに飛び上がる。
また強い風が吹いて目を閉じると、次の瞬間には龍の鉤爪の中にいた。
「我が城へ案内しよう、聖なる巫女たる施伯蓮よ」
「お待ちください! 施娘をお返しください!」
王太子が地上で叫ぶのを無視して、龍は意気揚々と空高く舞い上がって行った。
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