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第6話 それがアンタの…… 上


 第6話 それがアンタの…… 上


 決闘を申し込まれたドナルドはしばらく意味が飲み込めない、という顔で呆けていたが、突然腹を抱えて笑い出した。


「バカバカしい。決闘だと。身の程を知れ」

「尻尾巻いて逃げるんですか」

 外国映画のように大仰な仕草で肩をすくめる。


「挑発のつもりか? その手には乗らんよ」

 ドナルドはそれがどうしたと言わぬばかりに、首を振る。


「私が学生ならば貴様の手も有効だっただろう。だが、私は教師だ。生徒と教師が決闘など、前代未聞だ。あり得ない」

「貴族の端くれ(・・・)である先生が、決闘を挑まれて尻込みされるんですか。社交界でさぞ話題になるでしょうね」

「くどい! その手には乗らないと何度言わせれば」


「ほう、面白いじゃないか」

 凛とした声がした。ドナルドがぱっと声の方を振り返り、息を詰まらせる。


 諭吉たちを取り囲んでいた人だかりが自然と左右に分かれる。その間を颯爽と歩いてきたのは、白い祭服に金色の帯を着けた、金髪碧眼の美女だった。


 年の頃は二十七歳、だったはずだ。姿こそ女性司祭かと見紛う姿だが、他人の目を意識し、惹き付けるような歩き方に、諭吉はファッションモデルか女優を連想させた。


「校長……」ドナルドが呻くように言った。

 ローズマリー・スザンナ・アースクロフト。王立イースティルム学院の校長であり、伯爵位を持つ貴族である。

「話はきかせてもらったよ。なかなか興味深い話じゃないか」


 ハスキーボイスに男のような喋り方。校長の声を聞くのは編入時の面接以来だが、諭吉はあまり好きではなかった。

 声が、と言うより芝居がかった声の作り方に仕草が本音を隠しているように感じられたからだ。


「いいだろう。私が許可しよう。何だったら私が立会人を務めようか」

 その瞬間、人だかりから戸惑ったざわめきが起こる。


「校長、正気ですか!」

 たまりかねた様子でドナルドが食ってかかる。


「そう驚くことかね。学院内での決闘は初めてでもない」

「生徒同士の決闘では、です! 教師と生徒の決闘など、一度認めてしまえば学院の秩序が壊れてしまいます。成績が悪いから、叱られたから、そんな理由で決闘を挑む生徒が出ないと言い切れますか?」


「ふむ、それもそうだね」

 ローズマリーが困った、と言いたげに小首を傾げる。


「ではこうしよう」

 ぽんと手を打つと、いたずらっ子のような笑みを浮かべた。

「ドナルド・ベッカー先生。たった今をもって君を解雇する」

「な……っ!?」


「そしてユキチ四年生。君も現時刻を以て、退学処分とする」

「そうですか」

 校長の意図が飲み込めたので、諭吉はさして驚かなかった。


「これで君たちは教師でも生徒でもない。これなら文句はないだろう。決闘でも何でも好きにするといい。立会人として場所は提供してあげるがね。ああ、心配しなくてもいい。あくまで一時的な処置だ。決闘が終われば、君は今までどおり教師だ」


「あなたは……どうあっても私を決闘の場に引きずり出そうというお考えか」

 ドナルドが憎々しげににらみつける。


「イヤなら代理人を立ててもいいがね。君の周りに君より強い人間がいれば、の話だが」

「いいでしょう」

 不承不承という感じでドナルドはうなずくと手袋を拾い、諭吉に投げ返した。


「私に刃向かったことを後悔させてやる!」

「それより、今のうちに再就職先を探しておいた方がいいですよ。ミスター・ベッカー(・・・・・・・・・)

 受け止めた手袋をポケットにしまいながら諭吉は言った。


「決闘が終われば、あなたは学院にいられなくなるんですから」

「ほざいてろ、小僧!」

「そこまでだ」

 ローズマリー校長が両手を打つ。


「続きは決闘の場でやりたまえ。決闘は明日の朝四つの鐘(午前九時)、学院の広場で執り行う。武器はこちらで用意する。細かいルールはその場で説明する。言っておくが遅刻は厳禁だ。いいね」


 ドナルドは無言で学院の外へと去って行った。一時的とはいえクビになったのだから学院にいる意味はない、という意思表示のようだ。


「寛大な処置に感謝致します」

「礼には及ばないよ、ユキチ君。これは慈悲ではないからね」

 ローズマリー校長が妖しく微笑む。


「君のことはずっと気になっていたんだ。報告は聞いている。成績は優秀。だが、遅刻はするし、授業は居眠りばかり。熱意ややる気というものは全く感じられない。そのくせ、予想問題や奇妙な参考書を作って学生に売り捌いている。何のために編入してきたのか、疑問に思っていたのだよ」


 学院の生徒はみんな『高等官吏試験』に合格するために猛勉強をしている。

 熱意や成績の差はあれど、最終的な目標は変わらない。唯一の例外が、諭吉だ。


「俺のやる気を引っ張り出させるために決闘の許可を?」

「可能ならね。だが、私はもう少し君という人間の奥底が知りたい」

 諭吉の顎に手を添える。香水でも使っているのか、薔薇の匂いがした。


「私には学院を守る義務がある。君の行為は学院の秩序を著しく乱している。もし君が勝てば私の権限でリリー君の退学は取り消そう。だがもし敗れた場合、君は除籍処分とする」


 退学と違い、除籍となれば学院にいたという履歴そのものが抹消される。はじめからいなかった人間になるのだ。


「構いません」

 もとより覚悟の上である。リスクを恐れて教師にケンカを売れるものか。


「では、楽しみにしているよ」

 校長は来た時と同じように人だかりを左右に割って去って行った。

「明日は遅刻しないように。遅れたら君の負けとする」

 

 去り際に聞こえた声に、諭吉は大あくびをした。

「どうせなら午後からにして欲しかったな」

 昨日は予想問題と参考書作りで夜更かししたせいで眠くて仕方がない。


「ユキチ、何を考えているのさ! 決闘なんてムチャだよ」

 夢の国に旅立とうとしていた諭吉を叩き起こすかのように、トムが肩を揺さぶる。


「知らないのかい、ドナルド先生は、剣術大会で優勝したこともあるくらいの腕なんだよ! その上魔法まで使うんだ。勝てっこないよ」

「へえ」


 あの性悪教師、そんなに強かったのかと感心する。確かに体格はいい。諭吉もこの世界に来てから体が引き締まったような気はするが、純粋な腕力で勝てるとは思えない。腕相撲をすれば十回やっても十回負けるだろう。


「まあ何とかなるって」

「ならないよ! 第一、ユキチ決闘なんてしたことあるの?」

「一回もない」


 決闘どころか、高校に入ってからは殴り合いのケンカすらやっていない。そもそも日本では、法律で禁止されている。


「今からでも遅くないよ。決闘なんて止めて」

「そして彼女をこの学院から手を振って見送ろうってか?」

 顔を向けた先には、リリーが魂が抜けたように座り込んでいた。


「でも、だからって……」

「確かに俺は不真面目な奴だ。正直、学院に未練もなければ役人になる気もさらさらない。だから、たいていのことはどうでもいい」

 試験問題を盗み出そうが、カンニングしようがその人の問題だ。興味はない。


「でも、許せないこともある。ああいう教師だ」


 歪なプライドの高さで生徒を侮蔑し、成績が悪いという理由だけで罪もない学生を貶め、学院から追い出そうとする。一番嫌いなタイプの教師だ。いや、教師ですらない。


 教育を受ける権利は誰にでもある。そいつを理不尽に奪い取るのは、名前に掛けて見過ごせない。


「だからやる。こいつはリリーさんだけの問題じゃあない。俺の問題でもある」

 あの手合いの男は一度ガツンとやっておかないと、また同じ事を繰り返す。


「えーと、リリーさん」

 諭吉はリリーの前にしゃがみ込むとハンカチを差し出した。


「必ず、君の退学は取り消してみせる。だから、安心して待っていてくれ」

「……ユキチ君」

 代わりにケイトがハンカチを受け取り、妹の濡れた頬を拭き取る。


「お願いしていいかな」

「今度、神学の勉強見ていただければそれで」


「まかせて」ケイトは胸を張って言った。

「みっちりしごいてあげるから」

 勘弁してくれ、と諭吉がうめくとケイトが笑った。リリーも微笑んだ。


「でもユキチ、どうして手袋を投げたの?」

「そりゃあ、あれだよ。決闘の」


「ユキチのところではそうなんだ」

 トムはむしろ褒め称えるような声音で言った。


「決闘の合図なら確か、相手の目の前で白い鳥の羽を燃やすんだよ」

 諭吉はびっくりしてケイトを見た。


 ケイトもリリーも気まずそうにうなずいた。どうやら、やらかしてしまったようだ。決闘と映画や小説のイメージで手袋しか思い浮かばなかったのだが、そもそもこちらの世界とは文化が違うのだ。方法が違っても当たり前だ。


「ま、まあ。あれだ。意図は通じたんだからよしとするさ。それにあの先生には必要だろ? 汚い手ばかり使うような奴だから」


 冗談めかして言ったが、誰も笑わなかった。



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