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4.地獄の業火で揚げてやる(2)

 視線の先、ひび割れた土の上に佇んでいたのは、先ほど宴の場で見かけた、美貌の女鬼だった。


 緩く波打つ銀髪を片方の肩に流し、露わになった額には二本の角が覗く。

 人間界ではまずお目に掛かれない髪色もあいまって、かなりの存在感だ。


 豊かな胸元を大きくはだけ、花魁のような着物を身に付けた彼女は、細い指先で牛の面をくるくると弄んでいた。


「あなたは――」

牛頭鬼ごずきの一、麗雪。この東第十六小地獄を統べる獄卒だ」

「そう。なら麗雪さんは――」

「名を呼ぶ許可など与えておらぬ」


 みのりが早速話を切り出そうとすると、麗雪はぴしゃりと遮る。

 彼女の苛立ちと同期するように、いい湯加減だったはずの血の池が、ごぼりと泡を吹き、不穏な蒸気を立ち上らせた。


「やけに獄内の亡者の数が少ないと、河原まで来てみれば……。屑どもが揃ってなにをしておる。分を弁えて、いつも通り滑稽な『責め苦』ごっこでもしておればよかろうに」


 あまりの傲岸不遜さに、死者たちが剣呑な表情を浮かべてざわめく。

 みのりもまた、思わず眉を顰めた。


 いくら亡者を責め立てる役割なのだとはいえ、その言い様はどうだろう。

 そもそも、彼女たちが獄卒としての役務を果たしていないからこそ、真たちは手探りで獄内生活を送っているというのに。


「ちょっと、そんな言い方しなくても――」


 しかし、みのりの抗議は最後まで紡がれることはなかった。


 ずん……っ!


 麗雪が背負っていた棍棒を一振りし、地面に打ち付けただけで、たちまち烈風が吹き渡ったからである。


「うわあ……!」

「ひ……っ!」


 やはり足が無いぶん踏ん張りが利かないのか、亡者たちの幾人かが輪郭を火の形にぶれさせ、吹き飛ばされていった。

 ある者は釜にぶつかって落ち、またある者は血の池に落ちてもがきと、途端に風景が凄惨さを帯びる。


 真が険しい顔ながらも、「黙っていろ」と合図を送ってきたので、みのりたちはなんとか悲鳴や怒声を飲みこんだ。


「おお、いやだ。獄で燻るしか能のない屑風情が、鬼神の一柱にも数えられようという獄卒にたてつこうなど。屑は屑らしく、地に吹き溜まっておればよいのに」


 どうやら獄卒にとって、亡者というのはかなり格下の存在という認識らしい。


「まったく、ただでさえ腹が減って苛ついているというのに、阿呆面の亡者どもばかり見ていたのでは、なおさら胃に障る。許可さえ下りるなら、獄内まるごと吹き飛ばして、屑どもを一掃したいものだが――……はは、見ろ、吹き飛ばされた奴ら、利口に地を這いずっておるぞ。あれがあるべき姿だな」


 苦しむ子分たちを嘲笑されて、いよいよ真も「てめぇ……」と唸り声を上げはじめる。

 みのりは「落ち着いて」と囁きながらその腕を押さえ、努めて冷静な声で切り出した。


「あなたが亡者を屑扱いするのは勝手だけど、再審の話はどうなっているの? 日取りはいつ? 沙汰はどうやって下されるの?」

「知らぬ」


 だが、それは取り付く島もない声で一刀両断される。


「既になされた沙汰に抗議する人間など、分を弁えぬ愚か者だし、仮に罪なくして地獄に落とされたのなら、それだけの阿呆だということだ。そんな阿呆のために、なぜ私が段取りを整え、おまえに知らせてやらねばならない?」

「はあ!?」


 繁を阿呆だと断じられて、今度はみのりがいきり立った。

 それを今度は繁が「まあまあ」と囁きながら押さえ、丁重な姿勢で麗雪に声を掛けた。


「そのう、お考えはごもっともなんですが、再審の日取りがですね、決まっているならその、それまでどうやって過ごせばよいものかと……。僕たちはともかく、この子は食べないと生きていけないもので、その辺りのケアをしてほしいといいますか――」

「知らぬ」


 だがそれも、氷のような返答にあっさり遮られてしまった。


「我らは既に誠意を尽くした。再審は明日か、それとも百年後かもしれぬが、それまでに息絶えてしまったのなら、そちらの勝手ではないか?」

「そんな言い様は――」


 繁もさすがに眉を顰めたが、麗雪はいっそ無邪気にも見える微笑みを浮かべ、言い切った。


「長官殿の言いつけ通り、我らはおまえらに責め苦を加えぬ。同時に、一切の干渉を持たぬというだけだ。おまえらが喚こうが、飢え死のうが、な。我らの気を引こうと暴動など考えているなら、無駄なことだ。……ま、しょせん屑には地を這う以外のことはできまいが」


 彼女は棍棒を担ぎ直すと、くるりと踵を返した。


「では」


 そんな短い言葉を残して、ふっと宙に掻き消える。

 その場には、怒りに震えるみのりや繁、そして真たち死者が残った。


「こちとら真面目にお務めしてるってぇのに、あんの女……舐め腐ったこと抜かしやがって……」

「し、真さん、プロのドスが滲み出ちゃってるよ……!」


 低く呟いた真に、横にいた由がぶるりと身体の輪郭を揺らして突っ込む。

 由は、この場で唯一の女性であるみのりに、助けを求めるように身を寄せかけたが、その顔を仰ぎ見て「ひっ」と声を上げた。


「繁さんを、阿呆ですって……?」


 そこには一体の般若がいた。


「ちょ、……お、おじさん、繁さんだっけ!? この人たちを止めて……!」

「ごめん、由くん。この子、一度怒ったら爆発するまで止まらないんだ」


 慌てて繁に取り縋るが、遠い目とともにそんな答えが返るだけだ。


「え、えーと、みのりちゃん。牛頭鬼さんもああ言ってることだし、やっぱり、飢えないうちに一刻も早く君だけ帰る方法を――」

「繁さん大好き。黙ってて」

「あ、はい」


 一応、繁が形ばかりの仲裁を試みるが、即座に封じられる。

 息苦しいほどの沈黙。

 ややあって、おもむろに切り出したのは、みのりだった。


「……提案なんだけど」

「討ち入りだな。任せとけ」

「やっと帰る気になった? よし、頑張ろう」


 真と繁はそれぞれ食い気味に身を乗り出したが、みのりは首を振り、言い放った。


「料理しましょう」

「………は?」


 一同はぽかんとする。

 みのりは、彼らの顔を順に見つめた。


「真さんは――私もだけど――、あの女をぎゃふんと言わせたい。繁さんは、再審の日まで私に飢えないでいてほしい。そして私は、繁さんの地獄行きの沙汰を覆したい。その三つの願いを、すべて解決する方法があるの。この地獄で、料理してやればいいのよ」


 死者でも、責め苦を受ける以外のことができると証明できれば、あの牛頭鬼は驚くだろう。

 みのりも、食べることさえできれば、生きてゆける。


 それに、今代の閻魔は大の宴好きだと言っていた。

 奈落に落ちたときに垣間見た宴の席には、みのりたちが食べているものと同じ――けれど、かなりシンプルな食事ばかりが並んでいたから、調理方法を研究し、精通すれば、閻魔の胃袋を掴むことも可能なのではないか。

 いや、可能でなくては困る。

 ほかに、人間の小娘が鬼を懐柔する方法など思いつかないのだから。


「幸いここは地獄で、火力なら業火がある。それに、牛っぽい獣もいたし、肉もあるわ」

「それならよう、刀林処の外れに獄卒ども用の食糧庫があるのを見つけたんだ。俺たち亡者は食わずともやっていけるから、それを食おうだなんて思いもしなかったが――」


 真は閃いたように告げ、それからにやりと笑った。


「意趣返しに、思いっきり食料を使ってやんのも、楽しそうだなァ?」

「燻る能力には定評があるようだから、期待に応えて火を熾してやらないとね。ふふ……」

「気持ちのいい嬢ちゃんだなァおい、はははっ」


 怯えて手を取り合う繁と由をよそに、みのりたちはどす黒い何かを滲ませながら、がっちり握手する。

 すでに、心は決まった。


「でも、みのりちゃん、君そもそも――」


 繁は困惑顔で何かを言いかけたが、みのりは遮るように宣言する。


「見てなさい。地獄の業火で、おいしく料理してやるから……!」


 獄卒のそれよりも、よほど物騒な笑みだった。





***





「おお、肉塊! これたぶん、牛肉じゃないかしら!」

「塩に、砂糖に、酢に、醤油かこりゃ……? 調味料も一通り揃ってんな」


 牛頭鬼絶対ぎゃふんと言わす、の思いで握手を交わしてから、数刻。

 刀林処の岩陰に隠れた鉄扉をこじ開け、目当てのものを手に入れた真とみのりは、爛々と目を輝かせ続けていた。


 「封」と書かれた札が張り巡らされたその洞窟は、どうやら獄卒たちの倉庫のような場所であったらしい。

 氷室のように寒い広大な空間には、廃品と思われる古びた拷問器具や、往時の隆盛を偲ばせる地獄絵図、そして獄卒用であるらしい大ぶりの肉塊などの食料が、大量に詰め込まれていた。

 食材は、どれもやたら大きいということを除けば、みのりたちも見慣れたものばかりである。

 二人は理解しやすい食材に、喜色の色を浮かべた。


 一方の繁はといえば、巨大すぎるおろし金やすり鉢を見つけるたびに、その用途を察して青褪めている。

 ちなみに由は、来たがったものの、河原から動けないので不参加だ。


 この場で唯一の良識派となった繁は、勢いづくみのりたちに必死に呼びかけた。


「あ、あの、やっぱり考え直さない? ……ってあああ、みのりちゃん! そんな正体も賞味期限もわからないような瓶詰を、舐めたりしないで!」

「やだ繁さんたら、それを判断するために舐めてるんでしょ。ねえ真さん、この白い粉はなんだと思う?」

「ん? ……――お、こいつァ片栗粉だな、間違いねえ」


 繁の制止も虚しく、真はぺろっと粉を含んでからぷっと吐き出す。

 やけにプロっぽい行為だ。


「へ、俺はあらゆる白い粉を噛み分けてきた男だぜ」

「さすが地獄。反社会的なスキルが光るわね」


 真が胸を張ると、みのりは真顔で拍手する。やんちゃな祖父と孫のような意気投合ぶりだ。

 やがて二人は、すべての食材を検めると、満足げに頷いた。


「豚肉、牛肉、鶏肉、調味料に、小麦粉、片栗粉、卵にパンに米に野菜各種。量も種類もこれだけあれば、なんでも作れるわよね、たぶん」

「おう、あとは調理器具の類だな。待ってろ、刀林処の外れに行けば、何本かましな刀が残ってるはずだ。そいつを探して包丁に使やいい」

「私も行くわ」

「ま――待って!」


 くるっと踵を返しかけた二人を、今度こそ繁が呼び止める。

 彼は必死の形相で叫んだ。


「みのりちゃんは行っちゃだめ! 刀林処の探索なんて……君の場合、包丁に刺されにいくようなもんじゃないか!」

「もう、そんなこと大声で言わないでよ」

「あん?」


 怪訝そうに振り返った真に、繁は手を振って説明する。


「この子はね、口ばっかり達者で、さっきから料理が得意そうに振舞ってるけど、実際のところ、すごい不器用なんですよ。特に包丁の扱いは絶望的。みじん切りは5センチ角以下にできないし、皮を剥けば必ず立方体になる。それだけならまだしも、狙ってるとしか思えないくらい刃傷沙汰を必ず起こすんですよ!?」

「包丁を数回、取り落としただけでしょ」

「大きく振りかぶって台所の壁に刺したでしょうが!」


 繁の叫びを聞き取って、真は目を丸くした。


「そいつァ……」


 ちら、と視線をやると、みのりは静かに膨れている。

 どうやら事実らしいと理解した彼は、なんとも言えない間の後で、ばしんとみのりの肩を叩いた。


「じゃ、まあ、刀林処の探索は、野郎どもで行ってくるわ! 食材も後で全部俺らが運び出すから、嬢ちゃんは……その、なんだ、あー、献立の考案を頼むぜ。な!」


 気遣いに満ちた戦力外通告だ。


「そんな、大丈夫よ。私だって本気を出せば野菜を刻むことくらいできるわ」

「本気を出した結果、まな板を割ったことだってあったでしょ!」

「でも、結果として野菜も切れて――」

「とにかくダメ! みのりちゃんが刃物を握ったら惨劇が起こる! 調理補助は許しても、僕の目の黒いうちは、刃物は一切握らせないよ。ここで大人しく待ってて」


 みのりは抗議しようとしたが、それを避けるためか、真と繁はぱっと倉庫を飛び出して行ってしまう。

 突然の展開にみのりは呆然とした。


 よもや、自分の包丁捌きが、繁にここまで警戒されていたとは。


(え、嘘、まさか私の不器用さが原因で、繁さん救出計画が頓挫しようとしてるわけ……?)


 ショックだ。

 みのりは表情を失ったまま、その場にずるずると座り込んだ。


(料理下手、ちゃんと克服しておくんだった……)


 養子として迎えられてからというもの、みのりは常に、繁の自慢の娘になれるよう、多方向での努力を惜しまなかった。

 運動神経にはあまり恵まれなかったが、成績や教師受け、ご近所受けのよさはピカイチだ。


 けれど、みのりがあまりに頑張りすぎると、繁は時々寂しそうな顔をする。

 逆に、しっかり者と評判のみのりが、台所を半壊させて途方に暮れたりすると、口では怒りながらも、「仕方ないなあ」といそいそ料理を振舞ってくれたものだ。


 それもあって、料理下手くらいの欠点は、まあ愛嬌のうちだろうと考え、放置していたのだったが――


(しまった。詰んだ)


 みのりは両手で顔を覆って項垂れた。


 思えば、先ほど剣で手首を掻き切ってしまったのも悪手だった。

 あれで過保護の向きがある繁は、ますます、みのりが刃物を持つことへの警戒を強めてしまったのだろう。

 故意であれ、事故であれ、みのりがまた自身を傷付けてはならないと、恐れているのだ。


(約束したのに、信じてないんだわ。私だってさすがに、うっかりで自分の指を切断することは……)


 ない、と言い切れないのが我ながら切ない。

 自分でもなぜかわからないのだが、野菜があると認識している場所に指があったり、力を込めたはずのとは別の筋肉が動いたりするのだ。

 みのりの不器用さは折り紙付きだった。


「最悪だ……」


 もはやこの不器用さは愛嬌どころではない。

 重大な瑕疵かしだ。


 いくらなんでも、調理器具無しに料理することはできない。

 では自分は、このまま手をこまぬいて、繁たちが料理をするのを見ているしかないのだろうか。


今度は(・・・)私が、繁さんを助けたいのに)


 なんとなく自分の両手を見下ろすと、そこに、あの日(・・・)見つめた自分の小さな手が重なった。

 寒い、寒い冬の日。

 枝のように細く、なにも掴めない、無力な子どもの手。


(……だめだ。繁さんのことを考えよう)


 嫌な思い出に呑み込まれそうな時は、大好きな養父のことを思い浮かべるに限る。


 かじかんだ手を握りしめてくれた、温かく分厚い掌。

 狸のような、ぽっちゃりとした体型。つぶらな瞳。

 彼のことをイケメンと言う人はあまりいないけれど、みのりにとっては、かけがえのない、誰よりも格好いいヒーローだ。


 両手を握り合わせ、嫌な記憶を追い払う。


 ――ふ……


 頬に風を感じたのは、その時だった。


「――早速、お困りごとかな?」


 ぞくりとするような、低く美しい声。

 ばっと顔を上げると、目と鼻の先に、あの美貌の鬼が立っていた。


「…………っ」


 咄嗟にあとずさり、思わず武器になりそうなものを探してしまう。

 その行動に気付くと、鬼――宗というのだったか――は、愉快そうに眉を引き上げた。


「その反応、斬新だね。それとも、また手首を切って、血をくれるのかな?」

「それで沙汰が覆るなら、いくらでもそうしたいところだけど……もうしないわ」


 なにせ、繁と約束したばかりだ。

 つっけんどんに言い切ると、宗は「ふぅん」と頷いた。


「あの男――繁、というんだっけ。彼との約束は、律儀に守るんだ」


 約束、の言葉を聞き取り、みのりは剣呑に目を細めた。

 繁の名前も、二度と自傷しないという約束も、宗の前では口にしていなかったはずだ。


「……聞いてたの?」

「というより、見てたかな。三途の川は、地獄ではなく冥府の管轄。その飛沫しぶきは、閻魔王が使う玻璃鏡と同様、僕たちの命じるままに生者の姿を映し出すものだからね」


 みのりは眉間の皺を深めた。

 冥府と地獄の構造であるとか、三途の川の水飛沫が監視カメラ代わりになるメカニズムはさっぱりわからないが、とにかく、賽の河原は密談に向かないということだ。


「つまり、私たちのしようとしていることは筒抜けだ、って言いに来たの?」

「まあ、すべてを監視しているわけではないけど、君たちがなにか面白そうなことをしようとしているのはわかるよ。……あと、君がしょんぼりしているのも」


 だから出てきた、と、宗はいたずらっぽく微笑んだ。


「地獄で料理をして、閻魔王陛下の胃袋を掴むんだって? 君、ほんとに面白いよね。でも、どうやら料理は得意じゃない。それで落ち込んでいる、と。ここには、現世うつしよにあるような便利な調理器具もないしね。どうしようか?」


 彼は愉快そうに笑みを深め、一歩近付いてきた。


「考え直してみない? 再審を求める血盟約なんて破棄して、ただ一言、僕のものになると言えばいい。そうすれば、悪いようにはしないよ。捨てられた子犬のような顔をして、地べたに座り込む必要もなくなる」

「しょんぼりなんかしてないわよ。さっきのはただ……地面と対話しながら考えごとをしていただけだわ」


 気弱になっていたことを、この男に指摘されたくなどない。

 反射的に言い返すと、宗は片方の口の端を持ち上げた。


「可愛いなあ。この状況でも憎まれ口を叩いてくるところ、実に好みだよ」


 美貌の鬼は、本当に愛おしむように目を細めて、そんなことを告げてくる。

 そうして、また一歩距離を詰め、警戒するみのりの髪を掬った。


「考え事をしてたって? なにを?」

「それは……その、そう、献立を考えるよう言われたから、それを……ちょっと、近いんですけど」

「ふふ、可愛い。そう、それで、料理下手の君に思い付く料理はあった?」


 宗は滑らかに追い込んでくる。

 みのりは腕を振り払おうとし、意外にもそれができないことに気付くと、体を強張らせた。


 全然力は入っていないように見えるのに、なぜだ。


「答えがないってことは、思い付かなかったのかな。それとも、考え事をしていたというのが嘘?」


 低く甘い囁きはまるで蜜のよう。

 完璧に整った顔と、耳朶をくすぐる声が、兵器じみた色香を放っていることは、色恋に疎いみのりですら理解できた。見るだけで妊娠する的なアレだ。

 真実の愛(しげさん)を知らない人間なら、ころりと陥落してしまっていただろう。


「う……嘘じゃないわ。考えていたし、もちろん料理も思い付いたわよ」

「へえ。なにを作るの?」


 にこやかに首を傾げられて、言葉を詰まらせた。

 みのりが参加できる――つまり、刃物を使わずに作れる料理があるのなら、こちらが聞きたいくらいだ。


 視線を泳がし、たまたまその先に広がっていた地獄絵図をなんとなく見つめてしまう。

 そこには、獄卒にすり潰されたり、擦り下ろされてしまっている亡者の姿が描かれていた。


「それはもちろん……なにかこう……ひき肉を使った……」


 絵を見ながら、みのりは思いつくまま適当な言葉を紡いだ。

 ちら、と、すり潰されている亡者の隣に視線を移せば、今度は亡者が苦悶の表情を浮かべながら、煮えたぎった油の中に放り込まれていた。


「揚げ物の……そうね、メンチカツとか?」

「ねえ今なに見て決めた?」


 宗がぼそっと突っ込んだが、みのりはもはや取り合わない。

 不意に、とある閃きが彼女を襲ったからである。


(そうだわ……この拷問器具)


 首を落とせるような牛刀に、金棒、巨大なおろし金、碓、鉄板。

 人体を文字通り粉々にしてしまうそれらは、いかにも恐ろしい迫力をまとっていたが、しかし。


(見方を変えればこれって――調理器具じゃない!)


 それも、ちまちま包丁を揮うよりもよほど早く、ミンチ肉やみじん切りが作れる。

 みのりは、にわかに輝きだした瞳でぐるりと拷問器具を、そして地獄絵図を見渡した。


 「封」の札で時を止められているためか、やけに保存状態のよい器具。

 何百人分もの料理を一度に調理できそうな、巨大な釜。

 何十もの人魂。――可動式で、死者の思うままに操れる火力。


(いける……!)


 みのりはにわかに、力がみなぎってくるのを感じた。

 繁には刃物に触れることを禁じられてしまったが、これらの拷問器具は、「刃物ではない」。


 これだけ巨大な道具を操るのは、もちろんみのり一人では不可能だが、幸いここには、統率の取れた男手がいる。


 そしてまたみのりは、「ひどく不器用だが口だけは達者で」、集団に対し、偉そうに指示を飛ばすのは大の得意でもある。

 自分では作れないが、繁が愛用していた料理本は読んだことがあるし、レシピもおおよそ暗記している。


 これらを、総合すれば。


「ふふ、黙り込んじゃって、可愛い。そんなに思い悩んでいるようなら、諦めて僕の嫁に……もしもし? 目の焦点どこか行ってない?」


 宗が怪訝そうに、顔の前で手を振ってくる。

 が、みのりはぱっとその脇をすり抜け、庫内を駆け出していってしまった。


「え、ちょっと?」

「諦めない! あなたのものになんか、絶対ならないわ」


 驚きを滲ませた声を聞き取り、肩越しに振り返る。

 不敵な笑みを浮かべて言い切ると、宗は軽く肩を竦めた。


「随分と嫌われたものだなあ。可愛い女の子に、そんなにばっさり拒絶されたら、悲しい限りだよ」

「嘘ばっかり。だって、あなたの『可愛い』って、『馬鹿』って意味でしょ?」


 ついでに言い返してやると、宗は虚を突かれたように瞠目した。

 そう。

 だから、みのりは宗に「可愛い」と囁かれるたびに、違和感と反発を抱いていたのだ。

 繁ならば、その言葉に、そんな感情は絶対に込めない。


「あんまり、人間の女を舐めないでちょうだい」


 押し黙った宗に、みのりはぴしりと指を突きつける。


「でもって、閻魔王ともども、胃袋掴まれる覚悟をして待ってなさい。地獄の業火で、絶対おいしく料理してやるんだから!」


 そうして、今度こそ去っていく。

 残された宗は、しばしぽかんとして、数秒の後、腹を抱えて笑い出した。

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[一言] 調理器具は、食材を効率よく「適度に壊す」道具だもの 生かさず殺さずの拷問器具がその代用にならないわけもなく ……おろし金は刃物じゃないんですかねぇ
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