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19.地獄の沙汰もメシ次第(2)

「神も仏も。もしかして『閻魔大王も』、かな?」


 宗は、玉座に腰を下ろした閻魔にちらりと視線を送ると、こつ、と広間に向かって足を踏み出す。

 広間へと伸びる短い階段を下ると、それだけで宴の間は、しんと静まり返った。


「……あ、あの! 彼女は別に、あなた方を侮辱するつもりで言ったわけでは――」


 近付いてくる宗に何を思ったか、繁は青褪めて庇い立てる。

 が、


「うん。別に怒ってないよ。だって――その通りだなと思うから」


 思いもよらぬ言葉を続けられて、ハトが豆鉄砲を食らったような顔をした。

 宗はみのりたちのもとへとやって来ると、神妙な表情で二人を見つめた。


「つまり、死者――大沢繁雄は、かつて飢えて凍えていた幼子を保護した。情に流され理を弁えぬその娘に、温かな飯と、厳しくも正しい教えを授けた。娘もそれに感謝しているが、師である本人としては、他にやりようがあったのではと自省している、と」


 それから、呆れたように両手を広げた。


「なんかもう、はいはい極楽に行ってらっしゃい、って案件だよね」

「え……っ!??」


 繁は目を剥いた。


 みのりも息を呑んだ。

 即座に「ええ、その通り!」と頷きたいところだったが、あまりに突然風向きが変わったように思えて、沈黙を保つ。


「ただ――」


 そこですっと表情を戻した宗を、だからみのりは、最大限に警戒を引き上げて見つめた。


「ここで重要なのは、なぜそんな人間が、地獄行きにされてしまったかだ」


 宗は、端正に整った顔に、いつになく厳しい表情を浮かべていた。


「それは、君たちがこの場に落ちてきたときに語った内容から、追究されるべきことだった。なぜなら君たちは、火車に乗って、いきなり閻魔庁へと連れてこられたというのだから」

「…………?」


 みのりたちとしては、その何に違和感を覚えるべきなのかわからない。

 顔を見合わせていると、宗は丁寧に説明してくれた。


「閻魔王と言うのは、冥府を統べる十王の一でしかないんだよ。通常、亡者は賽の河原を渡り、そこから秦広王、初江王、宋帝王、五官王の審議を経て、三十五日忌にようやく閻魔王の順となる。その後も残りの十王の沙汰を経て、四十九日忌にようやく判決――沙汰となるんだ」

「え…………?」

「例外的に、悪事が明確であり、地獄行きが必至とされる亡者に関しては、火車で速やかに閻魔王の元へと運ぶことが認められる。そこでの沙汰を以って結審し、地獄に送ることもね。ただしそれは、繰り返すけど、ごくごくわずかな例のはずだった。つまり、閻魔王だけに審議され、地獄に送られる亡者というのは、本来少数であるということだ」


 宗はそこで踵を返し、ぐるりと宴席を見渡した。それから、その最奥の玉座に掛ける、閻魔王のことを。


「だというのに、陛下。あなたが即位されてからというもの、僕に隠れて随分と、火車を使用されたようですね。黄泉路みちが疲弊しきって崩落するほどに」


 崩落が、まさかそこに繋がるとは。みのりは目を見開いた。

 そういえば、あの迎えに来た鬼猿は、やけに忙しいとぼやいていた。


「しかも、陛下はご自身ですら、誰に、どういった罪状を理由に火車を手配したのか、覚えていないご様子でした。つまり、ご自身でも把握しきれぬほど――手当たり次第に、亡者を地獄に落としていた」

「い、いや、これは……――」

「陛下が即位されてから、五官王から回ってくるはずの亡者の数が、やけに減りました。引き換え、いつの間にか地獄送りにされている亡者はやけに増えている。等活や黒縄に、やけに初心な亡者ばかりがやってくるものだから、僭越ながら、僕でこれと思った者については、黒縄の東第十六小地獄を整えて、そこに転送しておきましたよ。あなたは、落とした亡者の行き先になど、かけらも興味がなかったようですが」


 東第十六小地獄。

 おんぼろ地獄のことだ。


 人を刺すことなどできぬ、錆びつき丸まった刀林処。

 人を煮ることなどできぬ、ぬるい血の池。

 人を甚振ることに興味を持たぬ、弱く、あるいは無関心な獄卒。


 あの場所は、そうあるべくして「おんぼろ」だったのだと、みのりはようやく理解した。


「閻魔庁における陛下は絶対。陛下から要請されぬ限りは、沙汰に口を挟むことはおろか、閻魔帳を覗き見ることも許されない。さらには不思議なことに、地獄送りにされた亡者たちからも、なんの不満も出てこない。おかげで、あなたがどうやって亡者を選別し、沙汰を下してきたのか、なかなか掴めずにおりましたが――」


 宗はそこで、形のよい唇に、凄みのある笑みを浮かべた。


「今回の件で確信しましたよ。あなたは、亡者の罪悪感だけで、善悪を判じているとね」

「――……!」


 視線を泳がせた閻魔王のもとに、宗は靴音を立てて一歩近付いた。


「なるほど確かに、罪を犯せば、人の心にはなんらかしこり(・・・)が残る。それを手掛かりに罪人をあぶり出せれば、倶生神の膨大な記録を読み解くよりも、随分と簡便で済みましょう」

「そ……そうとも……」

「けれど、悪事に手を染めてなお、胸を痛めぬ大悪党はどう裁くのです?」


 また一歩。


「それは……それほどの悪人なら、他の十王が勘付くだろうから、そこで……」

「なるほど。では逆に、善を成してなお、己の未熟を責め立てる、突き抜けた善人は?」


 また一歩。

 いよいよ眼前に美貌の鬼が迫ってくると、閻魔王は目に見えて狼狽しはじめた。


「それは……――それはそれで、よいではないか。本人が呵責を感じ、本人が罪を生み出しているのだ。亡者はむしろ嬉々としてそれを償う。ならば、どこに問題があるのだ!」

「……へえ」

「控えよ、越権ぞ! 長官ごときが、王の沙汰に口を挟もうなど、烏滸がまし――」


 だが、泡を飛ばしながら叫んだ言葉は、突然途切れた。


 ――がんっ!


 宗が、きらびやかな玉座を、右足で勢いよく蹴飛ばしたからだった。


「うお……っ」


 重心を失った王は、よろけ、石の床に叩き付けられる。

 咄嗟に立ち上がろうとした彼の豪奢な服の裾を、宗は踏みつけることで動きを封じた。


「問題大ありですよ。それじゃ、愚かしいほどに善良な――僕好みのかわいい(・・・・)亡者たちが、一向に浮かばれないじゃないですか」

「…………!?」


 どこまでも勝手な理由をぶつけられ、王がたじろぐ。

 ころ、と髷から転がり落ちた冠を、玉座の向こうに蹴りやって、「それと」と宗は続けた。


「長官ごときと仰るあなたに、質問です。もしこの場に、あなたと同格か、それ以上に尊い方々がいらしたら、あなたはどういう理由を持ち出して、僕の口を封じるんでしょうね?」

「…………っ!?」


 まさか、と瞠目する王から視線を剥がし、宗は宴席を見渡した。

 それを合図に、隅の方で腕を組んだり、壁に背を預けていた幾人かが、身を起こす。


 先ほど瑠璃に酌をしに行かせた彼らが、かぶっていた面をずらすと、一様に、この爛れた宴には見合わぬ高貴な顔が現れた。

 宗は静かに微笑むと、玉座の横ですっと膝を突き、両手を合わせた。

 

「――奏上の、許可を」

「許す」


 短く請えば、即座に、白髪と白髭を蓄えた老年の男性が応じる。

 宗は「感謝申し上げます」と再び頭を下げると、次に凛と顔を上げた。


「申し上げます、いとも尊き十王諸陛下。恐れ多くも閻魔王の冠を戴いていたこの男は、その責を怠り、罪の意識のみをもとに――つまり亡者の言い分のみをもとに、沙汰を行っておりました。その分、滞りがちだった閻魔審理は、随分早く進むようになりましたが――」


 それから、皮肉気に口の端を持ち上げ、宴の場を見下ろした。


「生まれた余暇を、何に充ててきたかは、ご覧の通り」


 未だ床に磔にされている閻魔王は、焦ったように声を上げた。


「ち、長官……! おまえ――」

「死とは聖なる事象であり、冥府は神域。にもかかわらず、この男は、その冥域で酒におぼれ、淫行を愛で、邪で俗なるあらゆる催しを愉しみました」

「おまえとて、宴に毎度侍っておったろうに……!」


 必死で反論する王を、宗は頑是ない子どもを見るような目つきで眺め、肩を竦める。


「しょっちゅう宴を切り上げ、獄の様子を見に行っておりましたよ。誰より善良な魂と行いを持ちながらも、地獄の泥で頬を汚し、恐ろしい刃で衣を裂かれた、哀れな亡者の様子をね」

「――――!」


 みのりたちは咄嗟に俯き、表情を隠した。

 繁の頬を腫らし、装束を汚すよう指示したのは、他でもない宗だ。

 どの口がそれを、というツッコミが喉元まで込み上げていたが、それをこの場で披露するのは得策でないと、わかったからだった。


 実際、宗による印象操作の効果は抜群で、十王と呼ばれた人物の多くから、労し気な溜息が漏れた。


「彼らは、本来ならふさわしくない地獄行きを嘆くどころか、それを真摯に受け止めておりました。こちらの遣わせた獄卒が責め苦をせぬとなると、自ら苦役を課すほどに」


 彼ら、というのには、真たちのことも含まれているのだろう。


 そう、たしかに真たちは、まじめくさって地獄の責め苦を自らに課していた。

 嘘ではない。

 ただ、煮えたぎっているはずの血の池が、熱めの風呂くらいの温度であったことや、人を突き刺すはずの剣の山が、健康青竹くらいにしか肌を刺激できなかったことを、省略しているだけだ。


「そこなる娘が加わってからは、地獄の釜を使って煮炊きし、腹を満たし合ってもおりました。その和やかな光景には、獄卒とて心を許すほど。真に善なるものにかかれば、亡者を甚振るための器具すら、その腹を満たすための鍋釜に代わる――。まさに、『三尺三寸箸』の説話の描く光景と言えましょう」


 みのりたちは俯いたまま、とうとう細かく身を震わせ始めた。

 もちろん、込み上げる笑いを抑え込むためだ。


 この鬼――なんといけしゃあしゃあと!


 しかしその姿は、傍目には、苦労を重ねた弱者が優しくそれを労わられ、感涙しているようにしか見えないのだった。

 美貌の鬼は、己の顔を最大限活用し、切々と訴えた。


「そのようにして、彼らは温かな料理を作り続けました。これはもはや、功徳の一種に他なりません。不相応にも獄に堕とされ、それでいてなお徳を積む彼らを、どうか救いたい。いえ、救わねばなりません。東第十六小地獄に匿った亡者、すべてを。たちどころに」


 宗はそこで、閻魔王を除く十王を、一人一人見回した。


「亡者をひとりずつ十王陛下に再審いただいたのでは、救済が遅れます。また、閻魔庁の不明を諸陛下に拭っていただくのも忍びない。そこで申し上げます。――願わくは、卑小なる我が身の閻魔王即位と、恩赦発令の、ご許可を」


 麗雪に豪炎。瑠璃に玻璃。

 宴席に集った者たちが一斉に息を呑む。


 それは紛れもなく、反逆。

 王権転覆の瞬間だった。


 だが――。


「……我らからも、伏して」


 すっと、瑠璃と玻璃が両膝を突き、頭を垂れる。

 それを見た麗雪と豪炎も、互いに視線をやり、次の瞬間にはその場に跪いた。


「伏して」


 酔いを残したまま成り行きを追っていた者たちが、驚愕に目を見開く。

 しかし、美しい姿勢で跪拝を続ける四人の姿と、見苦しく倒れたままの王、そして酒でふらつく己の体を見比べると、彼らも、一人、また一人と、床に膝を突きはじめた。


「……我らからも、伏して」


 気付けば、その場にいたすべての者たちが、十王へと跪いていた。


「――是」


 やがて、最年長と見える白髪の老年男性が、髭を撫でながら短く応じる。

 すると、武官風の男や老年の女性、物静かそうな青年や年若い少年などが、次々とそれに続いた。


「是」

「是」

「是」


 閻魔王を除く九人分の「是」の声が響き渡ると、再び白髪の老人が告げた。


「許す。冥府の鬼、宗よ。閻魔王の冠を戴き、天地の理に従うて、亡者を裁け」

「――御意」


 宗は深々と、床に額が付くほどに頭を下げると、やがて身を起こし、玉座の横に転がっていた冠を手に取った。


「お、おまえ……! この、不届き者めが……! 獄卒上がりの鬼風情が謀反など、天より必ずや誅を付され――」

「はてさて」


 唾を飛ばす男の言を聞き流し、ひょいと冠を被る。


「それはどうかな。それよりも、僕があんた(・・・)を裁く方が先だと思うし――」


 そうして、道服に包んだ右手を、すっと天に掲げた。


「天から与えられるのは、救いのようだよ」


 舞うように挙げられた手は、天井よりもはるか先、現世すら越えて、天を指す。

 みのりは思わずその指先を視線で追い、それからはっと息を呑んだ。


 宗が指し示した天井が透き通り、気の遠くなるような高さの岩壁を通り抜けたその先に、輝く空間が見えたからだ。

 雲が浮かんだその場所は、空のように見えた。


「あれは……?」


 赤黒く不気味な地獄の空とは違う。

 現世うつしよの青い空ともまた違う。


 遥か彼方に見えたその空は、真珠の表面のように虹色を帯び、力強い光を方々に放っている。

 それを頬に受けた宗は、静かに口の端を持ち上げると、ひゅっと右腕を振り下ろした。


 ――どん……っ!


「きゃあああっ!」


 途端に居室の外で、爆発でもしたかのような轟音と、閃光が炸裂する。

 下ろしていたはずのしとみも、同時に巻き起こったらしい風によって吹き飛ばされてしまい、部屋は、壁の一面だけが取り払われたような形になった。


 その先に広がるのは、薄闇に閉ざされた賽の河原と、鬼火の揺れる百二十八の地獄――のはずだったが。


「これ……――」


 例えば、河原のひと隅に。

 山を成す焦土の一角に。


 今、地獄中の至る所に光が降り注ぎ、常夜に包まれているはずの冥府は、まるで朝を迎えたかのようだった。


「見事、見事」

「天神どもも、随分と気前よく糸を降ろしたものよの」

「いやあ、新王の器が、それだけ認められたのでしょう」


 十王と呼ばれる者たちの会話から――いや、それを聞かずともわかる。


 天から真っすぐに降り注ぐ白い光。

 これこそ、地獄に堕とされた亡者たちを天へと導くための、救いの糸だった。


「実に重畳(ちょうじょう)。天糸に応え、励めよ」

「期待しておりますよ」


 糸を見ても動じぬ十王たちは、口々に寿ぐ。


「感謝いたします。――じきに、また土産(・・)を持って、改めてご挨拶に伺いますよ」

「楽しみにしておる」

「では、我々はこれにて。そこの元閻魔王の身柄は、一度、秦広庁でお預かりしますよ」


 宗が、先ほどまでより幾分くだけた口調で応じると、十王たちは思い思いに姿を消していった。

 床に踏みつけられていた大傲も、「ひっ……」という悲鳴ごと掻き消えた。


 後には、玉座で微笑む宗と、感極まったように空を眺めている冥府の住人、そして、事態に追い付き切れていない、みのりと繁が残った。


「あの……これ、って……」

「ちょっと待ってね。役人と獄卒諸君も、しばし待機。瑠璃、玻璃、浄玻璃鏡をここに」


 だが、状況を確認しようと話しかけたみのりを宗は遮り、近くに控えていた倶生神たちに、大きな鏡を持ってくるよう命じた。

 瑠璃たちは、はっとしたように顔を上げ、頬を紅潮させながら玉座へと鏡を運んでくる。


 枠もない、透き通った湖面のようにも見える巨大な鏡。

 宗が長い指を持ち上げ、そっとなぞると、たちまち鏡面が水のように揺れ、なにかの映像を結びはじめた。


「君も見るかい、みのり?」


 小首を傾げる宗に釣られて、みのりはおずおずと玉座に近付く。

 大人の身長よりも大きな鏡なので、階段を上りきらずとも、なにが映っているかは理解できた。


「あ……」

「由――いや、ゆたか、か。彼が世話になったね」


 穏やかに微笑む宗が、視線を向ける先。

 そこには、賽の河原に佇むゆたかの姿が映っていた。


 彼は、自分の目の前まで降ってきた輝く糸に、眩しそうに目を細めている。

 そこまで驚いていないのは、先代閻魔の即位時に見たことがあったからだろう。

 利発そうな顔には、静かな表情だけが浮かんでいた。


「取って……。糸を、手に取って……」


 つい、みのりは小さく祈ってしまう。

 その声が聞こえたわけもなかろうが、不意に、ゆたかは動き始めた。


 右手を伸ばし、糸に触れる。

 その弾力を確かめるように緩く引っ張ると、


『――…………』


 ふと、笑みをこぼした。


 もう、寂しそうではない。

 期待しないと嘯きながら、感情を押し殺すような、自制の利いた笑顔ではない。

 ただただ、晴れやかな笑顔だった。


 彼は、ゆっくりとした動きで糸を掴む。

 右手で掴むと、その上に左手を重ねて。

 それから、浮くようにしてぐんと持ち上がった体に、一瞬だけ驚いたように目を見開いた。


 咄嗟に周囲を見渡した彼の瞳は、なぜだか真っすぐにこちらを捉える。

 鏡越しに見ていることを、まるで勘付いたかのように、彼はこちらに向かって首を傾げた。


 ――もう、行くね。


 音は聞こえないが、唇が紡いだ言葉はわかる。

 彼は最後に、いたずらっぽい笑みを浮かべると、天を見上げ、そのまま真っすぐ糸に引っ張られていった。


 鏡は、糸からこぼれた光の残滓が、きらきらと賽の河原に注ぐところまでを映し、やがてただの鏡面へと戻った。


「――感謝するよ、みのり」


 やがて、映像を見届けた宗が、みのりへと向き直る。

 彼はみのりの腕を取り、階上へと引き上げた。


「彼とは、昇天を見送る約束をしていたものでね。おかげで、果たせた」

「……おかげも何も、あなたが糸を垂らして、あなたが見届けたんでしょう」


 みのりは複雑な顔だ。

 ゆたかの肩を押す発言をした自覚はあるが、この男ならば、救いの糸で強制的に少年を天に送りつけるくらい、できそうな気もする。


「ちょっと展開に頭が追い付いてないんだけど……長官殿が、閻魔王を糾弾して、王の地位をもぎ取ったってことよね? それで、恩赦の糸が降りてきたのよね? それで……」


 みのりは、冠を戴いた宗を、じっと見つめた。


「あなたは……あなたが、私たちを、助けてくれた……ってことよね?」

「……んー、まあ?」


 相手はなぜか曖昧に言葉を濁すと、労わるようにみのりの頬を撫でた。


「でも、君も胸を張っていいと思うよ。僕は、あの子が天を目指す意志を固めない限りは、糸を降ろすつもりなど――閻魔王の地位を奪取するつもりなど無かった。彼を変えたのは君だし、僕を動かしたのも君だ。ついでに言えば、腰の重い十王たちを動かしたのも、ね」

「え?」

「秦広王はカルボナーラ。初江王は麻婆茄子。宗帝王は煮豚で、あとはなんだっけな、……そうそう、五道転輪王は真っ先に赴いたから、最初に作ったメンチカツだ。彼らは、すっかりそのファンになってしまったんだって」


 意味が取れず、目を瞬かせる。


 一拍遅れて、理解した。

 それらはすべて、これまでにみのりたちが作ってきた料理だ。


「……十王に、料理を貢いでいたの?」

「そう。あちらの宴に乗り込むたびに、君が取り置こうとしていた残り物を、土産にしていたんだよね。ちょっとしかなかったけど、それが飢餓感を煽ったようでね。珍しがって、欲しがって、とっても親身に(・・・)こちらの話を聞いてくれたよ」


 毎回、みのりが料理をするたびに、ふらりと現れては品を掠め取っていた宗。

 しょっちゅう酒の匂いを帯びていたし、なんと食い意地の張った鬼だと思っていたが、まさかそうした根回しをしてくれていたとは。


「いったい、……いつから謀反の計画を?」

「んーまあ、だいぶ最初の方から? 決意を固めたのはごく最近だけど」

「……もっと早く、事情を説明してくれれば――」

「名前も教えてくれない相手に?」


 悪戯っぽく囁かれて、みのりはうっと黙り込んだ。


「君から名乗ってくれれば――僕に君の名を縛らせてくれれば、僕はさっさと君を手籠めにして、ついでに血盟約の内容を真名で書き換えて、その履行を迫るって形で十王をさっさと説得できたのに」

「手籠めにする過程は必要なわけ!?」

「はは」


 宗は軽く笑うことでしれっと受け流し、話を戻した。


「まあそんなわけで、君は獄卒たちの胃袋を掴んで住環境を整え、十王たちの胃袋を掴んで恩赦をもぎ取ったわけだ。間違いなく、君は大沢繁雄を地獄から救い出した。それは、自分に認めてやっていいと思うよ」

「それは……」


 穏やかに諭されて、みのりはきゅっと口を引き結んだ。

 それから、ふいと顔を逸らした。


「その……ありがとう」


 耳まで赤く染まっている。

 宗は目を瞬かせ、苦笑気味に己の顎を撫でた。


「うーん。今更になって君の攻略法がわかった気がする。でも……もう、頃合いだ」

「え?」


 みのりはきょとんとしながら、宗が指で指し示した先を目で追いかける。

 階下に広がる光景を理解して、思わず肩を揺らしてしまった。


「――……あ……っ」


 宴席の隅、麗雪と豪炎を両脇に控えた粗末な茣蓙の上。

 玉座から少し離れた場所で、心配そうにこちらを見上げていた繁の前に、光の糸が降りていた。

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