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14.地獄の業火で蒸してやる(4)

 幼い子ども――のなりをした倶生神が、むぐむぐと煮豚を頬張るのを見て、みのりは相好を崩した。


(繁さんも、こんな気分だったのかな)


 あまり母性だとか、慈愛の精神だとかを持ち合わせた覚えのないみのりだが、そんな自分ですら、小さな子どもがほっぺいっぱいに肉を詰め込む様子というのは、微笑ましい。


 先ほど繁を侮辱したことは、この姿に免じて水に流してやろうと思うくらいには、瑠璃たちの姿は愛らしかった。


(なんか、可愛いのよね。こういうツンツンした子って)


 素直で愛嬌のある弟の玻璃の方が、一般的には可愛がられるのだろうが、みのりからすれば、毛を逆立ててシャーっと威嚇してくる猫のような瑠璃の方を、ついつい構いたくなる。

 こんな風に、強がりながらもチラチラと煮豚を求める素振りを見せられてしまっては、なおさらだ。


(ちょっと、昔の自分と重なるのかも)


 苦笑しながら、お代わりがいるかと問えば、瑠璃は逡巡の末、顔を真っ赤にして、いると答えた。

 可愛い。


 みのりは煮豚を多めに切ってもらって、二人に渡すと、自らも椅子を引き寄せて、にこにこと瑠璃たちを眺めた。


 ――……ちゃん。どう、おいしい?

 ――おいしい、です。

 ――そっかあ。嬉しいなあ。ふふ、可愛いなあ。


 もうずっと昔、繁と交わした会話が蘇る。

 養子に迎えられたばかりの頃は、自分が誰かと食卓を囲んでいるということも、大人が笑み崩れながら自分に「可愛い」と言うことも、信じられなかった。


 それを、繁はまるで呪文のように、染み込ませるように、みのりに言い続けたのだ。


 ――嬉しいなあ。可愛いなあ。


 それは、あの美貌の鬼のような、人を小馬鹿にする「可愛い」とは違う。

 あったかくて、素朴な感情が滲み出たものだ。


「瑠璃ちゃん。可愛いなあ」


 しみじみ呟いてしまうと、瑠璃はぎょっとしたように顔を上げ、それから警戒するように目を細めた。


「……だから、その手のおだてなら、効かなくってよ……」

「おだててなんかないわ。本心よ。瑠璃ちゃんを見てると、存在が疑問視されてた私の乙女心が、きゅんきゅん疼くわ。小動物を見ているみたい」

「だとしたら、あなたの基準がおかしいのだわ。私がそんな可愛げのある存在なはずないでしょう」


 やけにきっぱりと言い切るので、みのりは首を傾げる。


「どうして? 瑠璃ちゃんは見た目も可愛いし、行動の端々も愛らしいじゃない」

「見てくれは、それは私だって神のひと柱なのだから相応でしょうけれど、どうせ私は『悪行担当』ですもの。心は玻璃に比べて、だいぶ煤けていてよ」


 だから、あなたの下心などお見通しなの。

 そう続けた瑠璃に、玻璃は悲しそうに眉を下げている。

 どうやら、こうした役割分担に、二人とも思うところがあるのだろう。


 だがみのりは、あっけらかんと言い切るだけだった。


「やあね。そこが可愛いのよ」

「……は?」

「善良度百パーセントの相手なんて、私ならご免だわ。ちょっと捻くれているからこそ、懐いてくれるのが嬉しいんだし、そこに醍醐味を感じるんじゃないの」


 瑠璃が、なんとも反応に悩んだ表情を浮かべる。

 みのりは肩を竦めて続けた。


「それに、世の中の汚い部分をみたことのある人のほうが、話していてほっとするもの。私は、瑠璃ちゃんのこと、可愛いと思うし、魅力的だと思うわ」


 清濁併せ呑む、なんて言うが、清いものなら誰だって飲めるのだから、結局それは、濁ったものを飲み込むことを言うのだ。

 そうした覚悟と度量を持った人の方が、みのりは好きだった。


「……その方が、自分のことも受け入れてもらえる気がするし」

「なんですって?」

「ううん、なんでも。瑠璃ちゃんは可愛いな、ってこと」


 強引にまとめると、瑠璃は戸惑ったように口を噤む。

 けれど、赤く染まった耳が、彼女の心を表してしまっていた。


 やはり、可愛い。


「――で、下心はお見通しだ、と言われてしまったから、あっさり白状してしまうんだけど、瑠璃ちゃん、玻璃くん。私はね、あなたたちに協力してほしいの。彼の――繁さんの地獄行きという沙汰を、覆すために」


 ずばっと切り出しても、瑠璃は何も言い返さない。

 代わりに、弟の玻璃の方が眉を下げた。


「僕たちに、閻魔帳を有利に書き換えてほしいということなら、申し訳ないけどできないよ。担当じゃないし、なにしろ改ざんは倶生神最大の禁忌だから。それに、倶生神の数は膨大だから、繁さんの担当が誰なのかを調べることも、難しいと思う」


 物腰柔らかながら、きっぱりと否定する。

 想定内だったみのりは特に動揺せず、にこやかに煮豚を指さした。


「そうね、そうだと思う。だからあなたたちには、この煮豚をお土産として持って帰ってほしいの」

「お土産……?」

「そう。大量にあるし、薄くスライスしてあるから、何百人にだって『お裾分け』できるわ。それを巣に持ち帰ってもらって、なるべく多くの倶生神に配ってもらえば……いずれ倶生神全域が、現世飯の魅力に囚われてくれるはず」

「みのりちゃん……なんだか蟻の巣をコロリんするみたいな説明になってるよ……」


 ちょうど片付けを済ませ、食卓にやってきた繁がぼそっと呟くが、みのりは気にしない。

 とにかく自分は、繁のことが救えればそれでいいのだ。


「そうすればきっと、繁さん担当だった倶生神も興味を持つはず。そうしたら、その倶生神に、繁さんの行いが本当に悪行に傾いていたのかを確認してもらって――」

「べつに」


 とそのとき、黙って話を聞いていた瑠璃が、つんと顎を反らせて口をはさんだ。


「そんなことまでしなくても、今この場で、そこなる亡者の悪行量を見ることくらいなら、担当でなくてもできますわ」

「そうなの!?」

「ええ」


 瞠目したみのりに頷き、瑠璃はすうっと目を細めた。

 途端に、黒色だった彼女の瞳が、徐々に赤みを帯びてくる。


「詳細まではさすがに見えないけれど。量だとか、どの程度の悪行だったのかくらいは、わかってよ」


 そうして彼女は、じっと繁を見つめる。繁はどきどきしたように、「お、お手柔らかに……!」と両手を胸の前で組んで硬直した。


「ああ……あなたの名前が見えたわ。悪行は――」


 だがそこで、彼女はふと首を傾げた。


「……随分と少ないですわね」

「え?」


 繁もみのりも、思わず聞き返す。

 瑠璃は困惑したように首を傾げた。


「悪行は、少ないですわ。程度もかなり軽い。普通なら極楽に行くべきほどだけれど……善行が極端に少ないのかしら?」

「ううん。善行は逆に、かなり多いよ」


 同じく、目を細めた玻璃が答える。

 こちらは、黒い瞳が今は青みがかっていた。


「なら、どうしてかしら……未確定とはいえ、こんな亡者が、どうして地獄へ――」


 呟いた瑠璃は、自分の言葉にはっとしたように、周囲に視線を転じた。


 統制の取れた動きで、片付けを進める亡者たち。

 地獄には似つかわしくないほど、和気あいあいとした彼らのことを。


「……嘘でしょう」

「みんな、善行が、多い……?」


 二人は、真たちのことを凝視したまま青褪める。

 彼らの目に、一体どうやって行いが映っているのかはわからないが、その言動から、不穏な雰囲気は感じ取れた。


「ねえ、それってどういう――」

「みのり」


 尋ねようとしたみのりを、瑠璃が呼ぶ。

 初めてまともに名を呼んでもらったわけだが、強張った顔で亡者たちを見つめる瑠璃は、そのことに気付いていないようだった。


「みのり。もしかしたら、今代は、私たちが思っていた以上に、腐敗しているのかもしれませんわ」

「え……?」

「あなたたちだけが声を上げたところで、沙汰が覆るかどうか……。いえ、もしかしたら、再審そのものを、難癖を付けて実現させないかもしれない」


 とんでもない発言に、みのりは目を見開く。


「それって、いったいどういうこと?」

「だからね、今代がもし――」


 瑠璃は急いたように振り向き、それから、赤いままの瞳でみのりを見て、怪訝な顔になった。


「……あなた」

「もう、今度はなに?」

「……みのり、という名前では、ありませんの?」


 突然の、指摘。

 みのりは、ひゅっと息を呑んだ。


「――……え?」

「倶生神はね、目を凝らせば、その者の行いのほかに、真の名前が見えますの。読むべき音も聞こえる。あなたの名前、みのり、とは読まないのね?」

「――みのりよ」


 反射的に、答えていた。


「みのりと読むの。私は、みのりだわ」

「けれど、親が本来あなたに与えた響きは――」

「あれは親じゃない」


 反論する声は、必要以上に大きくなってしまった。


「あの人は、親じゃないわ。私の親は、繁さんだけ」

「みのりちゃん」


 むきになって声を荒げると、繁がそっと声を掛けてくる。

 みのりははっとして、それから唇を歪めた。

 繁はそんなみのりを守るように、一歩前へ出て、瑠璃たちと向き合う。


「紛らわしくて、ごめんね。でも、べつに名前を偽っているつもりなんかなくて――」

「つもりではなくても、今代陛下にとっては、結果的に偽っていることになるようだよ」


 だが、紡ぎかけた言葉は、途中で遮られてしまった。

 不意に降ってきた、涼やかな声によって。


 一同はばっと振り返る。


 視線の先、宙に突然現れたのは、美貌の鬼――宗であった。


「今日の献立は何かな? 煮豚? すごく美味しそうだ」


 彼はするりと着地すると、そのままいつもの笑みを浮かべて、こちらに近付いてくる。

 身動きが取れずにいる皆の前で、彼はひょいと一切れを摘まむと、「うん、おいしい」と頷いた。


「酒を合わせたら、さらに美味いだろうなあ。味噌の匂いが酒に溶けて、ふんわり広がって……ああ、でも、白飯に乗せて食らうのもありだね」

「今日は……なにを……」


 宗とは、以前凄まれて以来だ。

 なぜか、いつものような憎まれ口が出てこず、掠れた声で問えば、宗はこちらを流し見た。


「閻魔大王陛下の、名代に」

「名代……?」

「そう。冥府長官らしく、陛下の伝言を仰せつかってきた」


 瑠璃たちが表情をこわばらせるのが見える。

 腐敗していると評された今代閻魔。

 不穏な予感しかしない。


 果たして、宗は、何ごともないかのように言い放った。


「再審は、取りやめだ」

「…………!? そんな、どうして――」

「なぜなら、名と血の元に誓われたはずの契約に、不備があると判明したから」


 即座に噛みつこうとしたみのりを、宗は柔らかな声で制する。

 押し黙ったみのりに、彼は憐れむような視線を寄越した。


「血盟約は、真実の名と血を捧げられて初めて成立する。だが、君の名はみのりではなかった。契約が不成立であるどころか、冥界の王を謀らんとする狼藉であると、陛下は断じられた。それこそ、地獄送りにしてもよい罪状だとね」


 ――ねえ。君の名前を教えてよ。

 ――君の口から聞きたいからだよ。


 何度もこの男から囁かれた言葉が、今になって蘇る。

 彼が尋ねてきたのは、このためだったのか。


「私は……誰がなんと言おうと、私の名前は、みのりよ……」

「いいや。姓は可変でも、残念ながら、魂に刻まれる名前は、最初に与えられた響きだけだ。ねえ、僕は本当に残念だよ。何度も何度も、君に手を差し伸べたつもりだったのに」


 ――君、お名前は?


 頭の片隅で、優しい声が聞こえた気がして、みのりは一気に時を引き戻された。

 寒い、寒い冬の日。

 枝のようにやせ細った手足。

 恐ろしくて、ひもじくて、部屋に残っていた小銭を掻き集めて、震えながら家を出た。


 ――……を、ください。


 一人で店に入るのは、ひどく怖かった。

 「コンビニ」や「スーパー」で品物を手に取り、「レジ」でお金を渡せばいいということまでは知っていたけれど、ガラス越しに見えたその場所には、母と同じ、素っ気ない顔をした大人がたくさんいて、とても踏み込んではいけなかった。


 そうして、自動ドアの前で突っ立っていると、やがて大きな人とぶつかった。

 その人は、みのりが尻もちを突くとびっくりした顔をして、それからすごく心配そうな表情を浮かべて、しゃがみこんだ。


 その時に合った目が、子犬のように優しくて、だからみのりは言えたのだ。


 ――たべものを……ください。


 言うと同時に、ぽろりと涙の粒がこぼれた。

 着ぐるみのような体をした彼は、ぽかんとし、それからみのりの全身を見回した。

 一瞬だけ、ひどく顔を強張らせ、それからすぐに優しい笑顔に戻った。


 ――お腹が空いたんだね。君、お名前は? お家がどこか、言えるかな?


 そのときみのりは、ごくわずかな時間、戸惑った。

 誰からももう長らく、名前など呼ばれていなかったから。


 ――……です。


 それから彼女は、口を開いた。

 狸みたいな体の、子犬みたいな目をした彼は、ほかの大人とは違うように思えたから。


 ――みき。

   森田……美紀みき、です。


 それが、みのりと繁の出会いだった。

この先の数話で、みのりの過去や、地獄の真相に触れる展開となりますが、それに伴いシリアスなエピソードを含みます。

予めご了承くださいませ…!

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