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13.地獄の業火で蒸してやる(3)

(な、なんですの、なんですの、なんですの!)


 瑠璃は、刀林処付近に用意された食卓に着かされながら、先ほどから続く異様な光景を唖然として見守った。

 宗から、地獄の拷問器具を使って調理をしているとは聞いていたが、その調理ぶりは、想像よりもダイナミック過ぎた。


「ではまず、常温の塊肉の形を整え、火の通りをよくするため、フォークで念入りに刺します。フォークが無いので、豪炎さん、よろしく!」

「任せろ。針で代用してもいいか」

「ええ、そう思って煮沸消毒済みよ。お願い!」


 ――しゅとととととと!


 眼の前では、みのりが指示を飛ばすや否や、馬頭鬼が刀を振るい、大量の針を肉塊に向かって投擲し、ついで目にも止まらぬ速さでそれを引き抜いている。


 瑠璃はつい、あの肉塊が、責め苦を受けている自分だったら、と想像してしまい、顔を強張らせた。


「う、現世飯とは、こんな拷問的な動きで作る食べ物だったというの……!?」

「落ち着いてよ、瑠璃ちゃん。僕たちが観察してきたどの人間も、あんな風に料理なんてしてなかったよ」


 両手を握り合わせて震えていると、隣の席に着いた弟の玻璃が、のんびりと答える。

 そうだ、この弟は、善良で気弱なわりに、妙に泰然としたところがあるのだ。


 姉として、それも、弟よりもよほど世の中の邪悪な事象を見つめてきた者として、ここで動揺を悟られるわけにはいかない。

 瑠璃は居住まいを正した。


「そ……そうね。そうだったわ。獄卒が手伝うからああなるだけよね」

「うん、それに、あの馬頭鬼の出番はこれで終わりみたいだよ」


 言い聞かせるように呟けば、玻璃が調理場を指さして頷く。

 そこではちょうど、あの馬頭鬼が一仕事を終えて、みのりから「どうもありがとう。はい、これご褒美」と、労いの品を受け取ったところだった――なにか、真っ赤な食べ物のようである――。ということは、以降はこのような、度肝を抜く展開もあるまい。


 瑠璃は、びくついてしまった自分をごまかすように、肩を竦めて強気に告げた。


「本当に亡者たちが、地獄で調理しようと言うのね。……ふん、いったいどんな料理ができるというものかしら。三尺三寸箸の話にあるように、地獄の亡者たちに共同作業などできないはずだもの」


 三尺三寸箸とは、地獄と極楽で、それぞれ手に長い箸を括りつけられた亡者たちが、どう食事するかを描いた寓話だ。

 地獄では、箸が長すぎて料理を掴めなかった亡者たちが、苛立ちのあまりそれを振り回して争いとなり、極楽では、箸の長さを活かした亡者たちが、向かいの者に食べさせ合うことで平和を得る。


 そして、倶生神として人の悪行を見つめてきた瑠璃は、骨身にしみて理解しているのだ。

 地獄の亡者として描かれる行動こそが、人の本質なのだと。


「ただでさえ、人は自分本位な生き物。地獄に堕とされた者ともなれば、その横暴さは一層ひどいことでしょう。そんな彼らに、調理器具の名目で武器を持たせて、大丈夫なものかしら」

「瑠璃ちゃん、そこまで悲観的にならなくても……」


 人の善い弟は眉を下げるが、瑠璃は改めない。

 万が一この場が乱闘騒ぎになったら、姉である自分が弟を連れて逃げ出さなくては。

 肉汁まみれの翔透衣を、隙を見て奪還できるよう、瑠璃は神経を研ぎ澄ませた。


 が。

 自分本位な悪人であるはずの亡者たちは、みのりの指示の元、思いもかけぬ動きを見せた。


「それでは皆さん! 今日もよろしくお願いします! 天冠、着帽!」

「天冠、着帽!」

「安全、第一!」

「安全、第一!」


 まず、高台に立ったみのりが叫ぶや、ずらりと整列した亡者たちが、一斉に声を上げ、天冠を締め直す。

 一糸乱れぬ集団行動に、瑠璃は少々口の端を引き攣らせた。


「……なるほど? 少なくとも統制は取れているようね。みのりとやらが、暴力で支配しているのかしら」

「瑠璃ちゃん。僕の目には、あの人たちみんな、目をきらきらさせているように見えるけど」


 善い面しか見ようとしない弟がそんなことを告げるが、瑠璃は騙されるまいと思った。


 ここは地獄。 

 彼らは皆、雑にとはいえ、閻魔王に裁かれた罪人たちだ。

 すぐに好き勝手を始めるか、乱暴な性質を露わにして、闘争でも始めるに違いない。


 しかし亡者たちは、みのりの指示の元、きびきびと連携の取れた行動を取り続けていた。


「肉の表面に油を塗ったら、左から順に、等間隔で鉄板に並べます。A班、はじめ!」

「おっす!」


 亡者たちは、それぞれの担当する塊肉を慎重な手つきで並べていく。

 ずらりと肉を配置し終えると、彼らは三列横隊に分かれ、右の列全部が素早く火の玉へと転じ、釜の下へと潜っていった。

 左の列は、「焼き部隊、開け!」の合図で、一斉に肉の上部へと飛翔、待機し、真ん中の列は賽の河原へと消える。


「どんな鬼軍曹がしごけば、ああいった一糸乱れぬ動きが実現するのかしら……」

「洗練感すらある動きだね……!」


 徐々に戸惑いの色を濃くしながら、瑠璃たちは調理過程を見守った。

 どうやら「煮豚」とは言いながらも、肉は最初に焼く必要があるらしい。


 みのりはすべての肉塊を睥睨しながら、側面を含む全面に、しっかり焼き色を付けるよう指示していた。


「表面を焼くことで、味を肉の内側に閉じ込めます。底面が焼けてきたようなので、まずは、天地をひっくり返しましょう!」


 肉塊は人の子ども一人分くらいある巨大さであり、しかも膨大な量なので、それらを一斉にひっくり返すのも一苦労だ。

 瑠璃は、亡者が各自の担当する塊肉をひっくり返そうとして、隣とぶつかり、乱闘騒ぎになるところまでを想像したが、現実に起こったことは、それとは違っていた。


「各自、相棒バディを組んで、対面!」

「まさかのバディ制!?」


 亡者たちは見る間に二人組となって向き合い、


「声を出して、息を揃えてください! 勝利、で返しますよ! 友情、努力――」

「勝利いいいいい!」

「どんな掛け声ですの!?」


 息ぴったりに、肉をひっくり返したのだから。

 彼らはバディを組んだまま隣に移動すると、そこで同じことをもう一度繰り返す。


 これで、短時間の内に、肉はすべてひっくり返った。


「ま……まるで組体操のように鮮やかな演技……!」

「僕、一斉に翻る肉がプラカードのように見えたよ……!」


 見事に肉の返し作業を終えると、亡者たちは誇らしげにハイタッチする。

 何組か、肉を取り落としかけたバディがあったが、それを隣のバディが肩を叩いて労う様子さえ見えた。


 極楽でも見られないだろう、連帯感と思いやりに満ちた亡者の姿。

 なぜか瑠璃たちは胸が熱くなるのを感じた。


 ――じゅぅうう……っ


 低く唸るような音とともに、肉の焼ける香ばしい匂いが、辺り一面に広がってゆく。


 バディでの作業を繰り返し、両側面までしっかり焼き目を付けると、みのりは賽の河原に控えていた亡者たちに合図を送った。


「水、投入!」


 凛とした叫びとともに、盥を手にした亡者たちが一斉に飛来してくる。

 彼らは滑らかに、上空から肉の焼ける釜へと、水を注ぎ込んだ。


 ――じょわぁあああああっ!


 熱された釜によって、水はたちまち白い蒸気と化し、龍のごとく宙へ舞い上がってゆく。

 それを押し込めるように、みのりが亡者たちに釜の蓋を閉めさせるのが見えた。


 どうやらここからしばらく、煮る――というか蒸す作業に入るらしい。

 釜の下の人魂が数を減らして弱火となり、あぶれた亡者たちはたれ作りへと回っていった。


 本当に、どこまでも協調性に満ちた働きぶりである。


「瑠璃ちゃん。地獄に落ちた人でも、こんなに生き生きと、他人と共同作業ができるんだね……! 僕、さっきから胸の高鳴りが止まらないよ……!」


 玻璃などはすっかり感動して、目を潤ませている。

 瑠璃もその驚き自体に異論はなかったが、素直に頷くのは癪な気がして、「ふん」と顔を逸らした。

 弟のようには、どうしたってなれない。


 だがそれも、蒸している時間を活用して、たれを作り、飯を炊き、一部で洗い物を始め、もう一部では食卓の準備を整え、と忙しく動き回る彼らを見ている内に、瑠璃もとうとう、自分の中に芽生え始めた感情を認めずにはいられなかった。


 ひとつは、どこまでも協調性に満ちた動きを続ける亡者たち、そしてそれを指揮するみのりへの、純粋な感嘆。

 そしてもうひとつは、


(――お腹が空いてきましたわ)


 空腹感である。


 折しも豚が蒸し終わり、蓋が持ち上げられると、ふわりとした湯気に乗って、得も言われぬ、旨みある香りが広がってくる。

 純粋な肉の匂いだ。


 他方、味噌に醤油、砂糖、オイスターソースなどを加えて作ったたれからは、がつんとしたにんにくの匂いがして、それがダイレクトに胃をくすぐる。


 蒸し上がった肉を、たれに漬け込むことしばし。

 やがて、油を塗って熱した鉄板に、たれごと肉を転がすと、たちまちじゅわっと音が響いて、たれの端が焦げはじめた。


 肉塊から、とろ……と滑り落ちるたれを、亡者たちは手際よく掬っては、再び肉に塗り直してゆく。


 とろ……、じゅわわっ、とろ……、じゅわわっ。


 肉の表面を流れるたれが、鉄板で焼かれるたびに、少しずつとろみを増してゆく。

 最後のほうには、もうほとんど肉から垂れず、てらりと輝きながら全体を覆うようになった。


 じゅ……じゅわわっ。


 気付けば、瑠璃も玻璃も、目の前の煮豚にくぎ付けになっている。

 時折、たれが脂と溶け合いながら、一滴だけ「じゅわっ」と鉄板に落ちたりすると、二人はごくりと喉を鳴らした。


 もう……。

 もう、いいのではないか。


 睨みつけるように凝視していると、それに気付いたみのりがふふっと笑う。

 途端に、見せつけるようにゆっくりと、亡者にたれを掬わせ、塗らせた。


(この、みのりとやら……! やはり、性格が悪いのではないの!?)


 瑠璃は思わず涙目になって拳を握ったが、その「焦らし」の効果は絶大だった。


「とろみ、よし! これよりスライス作業に移行します。A班より順に、煮豚をギロチンにセット!」


 不穏な調理器具名が飛び出すが――どうやら断頭台ギロチンをスライサー代わりに使用するらしい――、もう瑠璃たちは気にするどころではない。

 鋭い刃が、早く煮豚を切ってくれないものかと、そわそわと彼らの仕事ぶりを見守っていた。


「友情……」


 煮豚を断頭台に安置するなり、亡者の一組が、ぎぎ、と刃に括りつけられた手綱を引っ張る。


「努力……」


 残る亡者たちはじりじりと慎重な動きで、ギロチンと煮豚から距離を取った。

 そして。


「勝利――!」


 みのりの号令がかかるや、刃はざんっと音を立てて落下する。

 刃は煮豚の表面に食い込み、見事に半寸の薄さで肉を切った。


 記念すべき最初のひと切れとなった薄い肉は、たれの重みに負けたように、くたりとその場に倒れ込む。

 てらてらと茶色いたれとは裏腹に、しっとりと白い断面。


 吸いつくような舌触りが既に約束されたような、その佇まいに、瑠璃たちはとうとう、じゅわ、と涎を滲ませた。


「さ、どうぞ。めしあがれ」


 みのりは二枚だけ煮豚を切り終えると、さっそく皿に移し、瑠璃たちの目の前に持ってくる。

 二人は、ごくりと喉を鳴らしてそれを見つめた。


 なんということはない、ただの豚の肉だ。

 ただ、現世うつしよのたれをまとっただけの、蒸し肉。


「……僕、人の善行を記録してた時から、現世飯を食べてみたいなって、ずっと思ってたんだよね……。見るばかりで、手は出せないもどかしさがあったから、余計に……」

「ふ、ふん。見たとおりの味でしょうよ。肉を蒸して、たれを付けて焼いただけ。私は、味も食感も、あらかた想像が付いていてよ」


 強がってはみたものの、箸を取る手は、少し急いてしまったかもしれない。

 二人は鏡合わせのようにぴったり同じタイミングで煮豚を口に運び――同時に目を見開いた。


「おいしいいいい!」

「――…………っ!」


 玻璃は素直に叫び、瑠璃は絶句する。

 口を開けば毒を吐くと評判の彼女は、吐くべき毒が見当たらない場合、黙り込むしかないのだ。


 いや――。

 毒どころか、これまでに感じたことのない喜びと衝撃が、彼女の全身を襲っていた。


(な……なんですの、これ……!)


 真っ先に感じるのは、甘辛いたれの味。

 口に含めばたちまち、にんにくの香りが喉奥まで広がって、なんとか抑えていた獰猛な食欲を引っ張り出してしまう。

 夢中で噛み締めると、どこまでも柔らかな肉の感触を感じた。


 舌全体に吸い付くような、しっとりとした肉。

 歯で押しつぶせば、じわりと脂が滲み、それはたちまち周囲のたれと溶け合ってゆく。


(お……おいし……っ!)


 瑠璃はぶるりと身を震わせた。


 気付けば、一切れをもう呑み込んでしまっている。

 本能的に、煮豚を収めた断頭台に視線を向けてしまったとことで、みのりがにこりと微笑んだ。


「お代わり、いる?」


 それはさながら、魔性の微笑みだ。


 瑠璃は玻璃とは違い、対価無しの好意など信じない。

 求めてしまったが最後、この娘がとんでもない要求を突き付けてくるのだろうことは、想像に難くなかった。


 しかし。

 それでも、なお。


「く……ださい、ませ……っ」

「え? なあに? よく聞こえない」

「お代わりを、くださいませ! ……その、できれば、端っこを……!」


 今回、一番端のたれがたっぷりついている部分は、玻璃に譲ってしまっていたのだ。

 瑠璃が顔を真っ赤にしながら付け足すと、みのりはぷっと噴き出した。


「いいわ、端っこね。ちょっと待ってて」

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