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12.地獄の業火で蒸してやる(2)

 倶生神・瑠璃は、幼く整った顔立ちに、憤怒の表情を浮かべていた。


(まったく……! 大切な翔透衣を、獄卒風情にダメにされてしまうだなんて……!)


 翔透衣とは、倶生神が対象となる人間を観察する際に、己の姿を隠すための衣のことである。

 ひとたびまとえば姿が透け、宙に浮いて自在に動き回れる。

 閻魔大王とて目視できぬという翔透衣を、まさか獄卒ごときに裂かれてしまうとは。


(さすがは元・無間地獄勤務といったところかしら……。ええい、それにしたって腹が立つわ! ちょっとこのおなごの様子を見てやろうと思っただけなのに!)


 弟の玻璃が言う通り、翔透衣など使わず正々堂々と獄に訪れればよかったのだが、みのりとやらは、まがりなりにも恋敵。

 盗み見したほうが真の姿を――というか、宗が呆れるような欠点を見られるのではないかと、そう思ったのだ。


 おんぼろ地獄に「落下」させられてから、わずか五分ほど。

 瑠璃たちは、恋敵の姿を盗み見るどころか、賽の河原へと連行され、獄卒と亡者に取り囲まれる、という、予想だにしなかった展開を見ていた。


「瑠璃ちゃんに玻璃くん、って言うのよね。さっきは豪炎さんがごめんなさい。痛むところはない?」

「あ、いえ、僕たち体が軽いので……」

「よかった! でも心配だから、痛みが完全に取れるまで、ここで少し休んでいってね。獄内よりは河原のほうが、冥府の方には心地いいんでしょう?」


 気さくに話しかけてくるのは、瑠璃が観察する予定だった恋敵、みのり。


 宴のときに見たよりもだいぶ柔らかな表情を浮かべて、いかにもとっつきやすそうに見える。

 善行担当であるがゆえに、人の善い面しか見ようとしない弟の玻璃など、ころりと笑顔に騙されているようだ。


(ふん、いくつもの悪行を見抜いてきたわたくしの目は、ごまかされなくてよ。どうもこのおなご、優しく接して、わたくしたちを懐柔しようとしているようだわ)


 瑠璃たちは倶生神、人の善悪を記録する神。

 これまでにも、知恵のある人間が彼らを脅したり、逆にもてなしたりして、沙汰を甘くしてもらおうと企んだ例は、ときどき聞く。


 瑠璃は心のガードを最大限引き上げて、目の前のみのりをじっと見つめた。


「瑠璃ちゃんも、大丈夫? 痛いところがあったら、ちゃんと言ってね」

「……あなたに馴れ馴れしくちゃん付けされる覚えなんてないわ」

「あっ、ごめんなさい! あんまりに可愛らしくて、お人形みたいにきれいなものだから、つい。中身は偉大な神様なのにね、ごめんなさいね」

「…………」


 少なくともこのおなご、正常な審美眼は持ち合わせているようだ、と瑠璃は認めた。

 まあ、この娘も、大きな瞳が印象的な、なかなか可愛らしい顔立ちをしている。


「倶生神って、人の善悪を記録する、偉大な神様なんでしょう? それがこんなに姿もきれいだなんて、すごいなぁ。冥府でもモテるんじゃない?」

「おだてようったって、そうはいかなくてよ。……まあ、倶生神同期の中では、長官様の覚えはめでたい方ね」

「やっぱり! 長官様って、あの長官様でしょ? なかなか周囲に心を許しそうにないタイプに見えたけど、きっとあなたのことは信頼しているんでしょうね」

「ふ、ふん……! そうやって、私を懐柔しようというつもりね?」


 おだてだとはわかっていても、憧れの君まで引き合いに出され、瑠璃の機嫌は上昇してしまう。


(このおなご、さてはこうやって媚びるタイプなのだわ。まあ、私は騙されないけれど……!)


 瑠璃はつんと顎を上げて、必死に気を引き締めた。


「……ねえ、君のお姉さん、だいぶちょろくない? 大丈夫なの?」

「瑠璃ちゃんは、悪行ばかり見てひねくれてしまった分、ストレートなおだてに弱くて……」


 背後では、由と玻璃がいつの間にかひそひそ話を始めていたが、それが耳に入る瑠璃ではなかった。


(よし……! いける……!)


 一方みのりはと言えば、確実に心を開きつつある瑠璃に、内心ガッツポーズを固めていた。


 この倶生神という双子、一見姉の方が手ごわそうに見えるが、むきになって反応を返してくるあたり、むしろ狙いやすい。

 一目見たときから、攻めるなら姉のほうだと当たりを付けていた。


 性格が悪いのは重々承知だ。

 だが、繁の沙汰を覆すためなら、にこにこ笑顔で世辞を紡ぐなど造作もない。

 みのりは顔面では気さくに微笑みながら、瑠璃のツボを探り出し、それをぐいぐいと押していった。


「えっ、今日は私たちの様子を見に? もしかして心配してくれたのかな。瑠璃ちゃんは優しいのね。よく言われない?」

「べ、べつに……。実のところ、あなたたちを心配するというか、あなたを見物にきただけで――」

「まあ、様子を見に? さすがは倶生神ね。人の一生を記録する神様って聞いたけど、そんなこと、人への尽きせぬ興味というか、相手を気に掛ける優しい心がないとできないもの。行動の端々にそれが現れるのね」

「い、いえそんな……」

「心配してもらえて嬉しいな。私、もっと瑠璃ちゃんとお近づきになりたい。よかったら、一緒にご飯を食べていかない?」


 相手がもっと賛辞を聞きたそうにしているところに付け込み、滑らかに飯方向へと誘導していく。

 が、相手はそこできょとんと眼を見開いた。


「ご飯ですって? 地獄で?」

「ええ。あなたたちが言うところの、現世飯。豪炎さんに良質な食材を手に入れてもらって、この地獄の釜だとかをうまく使ってね、料理上手な繁さんのレシピを元に、みんなで作るの。おいしいわよ。どう?」

「現世飯……」


 やはり倶生神に対しても、高級料理の誘惑は有効らしい。

 現世飯、の言葉を聞くや、瑠璃たちがごく、と唾を飲みこんだのを見て、みのりは密かに笑みを深めた。


「ふふ、気になるでしょ?」

「べ……べつに……っ」


 が、追い込んだのがよくなかったのか、瑠璃がつんと顔を背ける。


「おんぼろ地獄の貧乏獄卒風情が手に入れてくる食材など、たかが知れているわ。特に、そこの馬頭鬼が仕入れてくる食材など、獣臭くて食べられないのではなくて? ああ、それとも飼い葉でも持ってくるのかしら」


 あからさまな侮蔑に、豪炎は特に表情を変えるでもない。

 ただし、


「今日の昼飯は、倶生神の釜茹でにするか――」


 ぼそりと呟いたので、みのりは咄嗟に大きな声を上げた。


「倶生神『と』釜茹でパスタにするか? ああ、いいわねー、おいしそうねー」

「違う。倶生神『の』釜茹でだ。たれを絡めて薄切りにしてだな……」

「あー、なにを作ろうかなー。繁さんのレシピはなんでも美味しいから、悩んじゃうなー」


 みのりは微笑みをキープしたまま、すみやかに豪炎の足を蹴り飛ばす。

 少し馬鹿にされたくらい、なんだ。

 変に拷問をちらつかせたりなんかして、倶生神の機嫌を損ねることなどあってはならない。


 が、


「ふん、それに、そこの亡者が教える料理ですって? 養女に地獄まで付いてきてもらっている、そんな頼りのない男に、いったいどんな料理が教えられるものか」


 が、続く瑠璃の言葉に、ぴしっとみのりの笑顔が固まった。


「み……みのりちゃん! 落ち着いて! 黒い! なんか黒いの出てるから!」

「なんと……っ、みのりは人間だというのに、鬼気を放出できるのか!」


 繁や麗雪が横でぎょっとしたように叫ぶのを見て、みのりは失礼な、と思った。

 普通の娘が鬼気なんか発せられるものか。自分は至って冷静だ。


「まあまあ、そう言わず、騙されたと思って、ちょっと食べてみてよ。なにがいいかなぁ……瑠璃ちゃんや玻璃くんは、お肉とかが好きかな?」


 そう。

 子どものような姿をした二人の好みについて、きちんと気を回せるほどに。


「肉ですって? ……まあ、一般に嫌いな者はいないと思うけれど」

「お肉! 僕、大好きです!」

「よかった! ちょうど、ぴったりの料理を思いついたの」


 みのりはにこやかに手を合わせ、小首を傾げた。

 そういえば、先ほど豪炎が子豚を仕入れたと言っていたから、ますますちょうどいい。


 ほら、こうして在庫状況を考えられるくらいに、冷静だ。


「煮豚、って言うのよ。豚肉を釜茹でにしてね、たれを絡めて、薄ぅくスライスしながら食べるんだけど――」


 特に意味はないが、みのりは瑠璃たちの柔らかそうな頬や腕を、じぃっと見つめた。


「柔らかぁい、子豚の肉が手に入ったばかりだから、ちょうどいいかなあ、って……」


 無意識にどす黒い笑みを浮かべていたみのりの前で、瑠璃と玻璃は青褪め、ばっと両手を取り合った。





***





 さて、煮豚を作ると決めたはいいが、豪炎が担いできた「食材」を前にして、みのりは押し黙った。

 どさ、と転がされたのは、「子豚」という区分から逸脱したサイズの、巨大な獣だったのだから。

 大柄な豪炎が両手を広げて、なお余るくらいの大きさである。


「これが、『子豚』……?」

「ああ。冥界で飼われている豚の子だ。家畜化されているから毒もないし、人間のおまえが食っても問題ないぞ。俺は生でもいける」

「……三ツ目の獣を生で食べる趣味は、私にはないわね」


 人間界ではまず見ない、獰猛な牙や、「封」の札に隠れた三ツ目を眺めながら、みのりはさすがに肩を竦めた。

 そういえば、これまでは既に加工された塊肉ばかりを使っていたから、こうした獣を前にするのは初めてだ。


(捌くところから始めなきゃいけない、ってわけね)


 脳をフル回転させて、豚の解体方法についての記憶を引っ張り出そうとする。

 が、


(これまでに読んだどの料理本にも、食肉加工について触れたものなんてなかったわ……んもう、使えない)


 脳内ではすぐに「該当データなし」の結論が出た。

 当然である。


「こ、これ、本当に今から、この場で捌くの……っ?」


 隣では、繁が青褪めながら震えている。

 怯えた顔がまたかわいい。

 ここはひとつ、頼れるところを見せてやらねばと、みのりは闘志に燃えた。


「男性って、意外に女性より血を怖がるのよね。でも大丈夫よ、繁さん。私は高校時代の解剖で、怯える男子を尻目にメスを揮って、『血塗れ(ブラッディ)みのり』の称号を欲しいままにしたくらいには、こういうの平気だから。安心して任せてちょうだい」

「むしろ安心材料が一つもないよ! 学校の解剖くらいでどうして血塗れになるの!?」

「要は、いらない部位を取り除いて、必要な部分――肉だけを残せばいい、ってことよね?だからたぶん、頭と、内臓と、骨を除いて……」


 繁の絶叫を聞き流し、みのりは唇に指を当てて考えた。


 魚と同じく、締めてから捌く、という順でよいのだろうか。

 いや、そうでないとさすがに、ハードルが高そうだ。

 そういえば、「血抜き」という言葉を聞いたことがあるから、血もどこかの段階で取り除くのだろうが、いったいそれはいつなのか。


「豚には毛皮があるわけだけど、この毛はどうやって毟れば……待って、皮ごと剥ぐの? いつ? どうやって……?」

「み、みのりちゃん、やっぱりやめよう。素人が豚を捌くなんて無理だよ」

「ちょ、ちょっと、あなた……! こんな、幼気いたいけなわたくしたちの前で、酸鼻な光景を見せつけるつもりですの……!?」


 みのりが唸る横では、繁が冷や汗を滲ませ、さらにその隣では、すっかり縮こまった倶生神ツインズが、待ち構える惨劇を予想して涙目になっていた。

 それを見ていた豪炎は、小さく溜息を落とした。


「おまえに任せていては日が暮れそうだな。捌くところまではこちらでやっていいか」

「え?」


 思ってもみない申し出に、みのりは目を見開く。


「できるの?」

「無論。獄卒をなんだと思っている」


 豪炎は無表情のまま応じると、傍らの麗雪に顎で合図する。

 麗雪が「うえ……私は、解体は好かぬ……」と零すのを、「雷を呼ぶところだけでいい」の一言で封じ、二人は刀林処の開けた場所に、子豚を引きずり横たえた。


「解封」


 豪炎が呟き、豚の顔面に貼られていた「封」の札をぺりっと剥がす。

 死んでいたかと思われた豚が、わずかに身を震わせたその瞬間、


「呼雷」


 麗雪が顔を逸らしながら右手を振り下ろし、


 ――どぉおおおおおおんっ!


 辺り一面に、爆音と閃光が炸裂した。

 黒いシルエットとなって浮かび上がった豚が、宙を舞う。


「なにこれ……っ!?」

「豚を感電死させたのだ。豚よ、安らかに揚げられろ……私がすべて食らうから……」


 驚愕したみのりが叫ぶと、麗雪がよよよと泣き崩れながら答えた。

 さりげなく揚げ物にしてくれとアピールされた気がしたが、それよりも突っ込むべき事象が、次々に起こった。


「よくやった、麗雪。後は俺が」


 今度は豪炎が、長剣を掲げ、上半身を低く沈める。

 気合い一閃、全身をばねのようにして宙に飛びあがると、彼は縦横無尽に剣を振るった。


「はっ!」


 ――びしゅっ……! ざしゅしゅしゅしゅしゅ!


 風を切るような鋭い音だけが聞こえるが、一体なにが行われているかがわからない。


「は……さすがは元・無間地獄勤務……。見事よの」

「き、君、豪炎がなにをしているのかわかるというのかい麗雪!?」

「わかるとも、繁。やつは今、一太刀の内に、豚を血抜きして皮をこそいで内臓を切り取って頭を落として骨をすべて外して肉をブロック状にしているところだ」

「まじ!?」


 予想外の有能さに、つい繁の口調が乱れた。

 倶生神ツインズも、ぽかんとして宙を見上げている。


 てっきり、モザイク指定が発動するようなグロテスクな光景が展開されるのかと思いきや、彼らの目には、未だ獣の輪郭を維持したシルエットが見えるだけだ。


「え……? ええ……?」


 怪訝な顔でいるうちに、豪炎はしゅっと剣を振り下げ、それで大地を貫くようにして着地した。


「ぶ……豚は……?」


 瑠璃と玻璃が恐る恐る呟く。

 その答えは、すぐに明らかになった。


 ――ばらららららっ!


 宙から、いつの間にか美しくブロック状に分けられた塊肉が、一斉に降ってきたからだ。


「えええっ!?」


 そしてそれらは、いつの間にか地面に敷かれていた翔透衣の上に、整然と着地した。


「ちょおおおおおおおっ!」


 瑠璃が両手で顔を挟んで絶叫する。

 麗雪もさすがに、「あやつ……さては根に持っておったな……」と顔を引き攣らせたが、ただ一人、みのりだけは、塊肉を視界に入れるや、満面の笑みで繁を振り返った。


「やった、繁さん! 塊肉が降ってきたわ!」

「みのりちゃんはいろいろ順応力高すぎ!」


 繁がすかさず突っ込むが、みのりは気にしない。

 だって、三途の川で食材を洗い、地獄の拷問器具を使って調理している時点で、常識とは別れを告げたも同然だ。


 今更、皮を剥いだり肉をばらばらに解体したりという、獄卒らしいスキルを獄卒が披露したところで、「ははあ、こりゃ便利」と思うだけである。

 大切なのは、繁の沙汰を覆すに足る料理が作れるか否か、その一点だ。


 そんなわけで、みのりは渋る繁から煮豚のレシピをしっかり聞き出し、調理に臨んだ。


 ここからは、自分の出番だ。

 みのりはすっかり定位置となった高台へと昇り、整列を始めた亡者軍団に向かって微笑みかけた。


「皆さん、今日もご協力をありがとうございます」


 真たちが、愉快そうに片手を挙げて応じる。

 それを見て取ると、みのりはぐっと拳を天に突き上げた。


「今日は、煮豚を作ります。皆さん。地獄の業火で――美味しく蒸してやりましょう」

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