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RISORGIMENTO  作者: スライダーの会
第三話「覇道の一里塚」上篇
8/10

―紀伊 熊野駅―

挿絵(By みてみん)


 紀州総督府の軍勢は示し合わせの通り、熊野駅から街道を進撃して尾鷲、続いて紀伊長島へ侵攻する事となり、軍勢を集結させつつあった。


 時に午前4時を過ぎたばかり。


 既に進軍を開始したと云う大内山兵1千を先鋒とする大河内御所勢凡そ1万8000騎は荷坂峠付近で赤羽御所側 赤岩又八の軍勢に襲い掛かる暴徒を鎮圧、赤岩勢と合流して梅ケ谷に陣を張っている。


 霧山御所軍は大内山軍と後続の高松・愛洲・与力諸部隊総勢1万数千余の背後に在り、大内山軍が梅ケ谷から一気に長島まで攻め掛かるのを待っていた。智謀の将である多気武衛こと六田右衛門佐義成は「日本人」殺しの第一手を大内山、強いては大河内御所にやらせて先鋒の名誉をくれてやると共に、時と場合によっての「工作材料」にしようとしていた。復古北畠氏の親類衆の二枚看板である両家はここでも争っていた。


 対して、紀州総督府は天変地異後も相変わらぬ伊勢の様子を見、赤羽谷での暴動が報らされると直ちに介入を通知し、霧山の御社家よりかは親しい関係にある大河内御所を「道義的」に支援するべく、大軍を寄越して来たのである。


 暴徒と化していると云う「日本人」は僅かな数である。偶然、この地に気の荒い「よそ者の日本人」等が居た事もあって「敷島人」の住民と対立、「本来の紀北町民」が「よそ者」に巻き込まれてバリケード封鎖や暴力での商店占拠等を行うようになったが、赤羽御所軍の展開により膠着状態に追い込まれていた。赤羽側は生命の保障を条件に、住民の退去を命じる「交渉」を行ったが、当然反発の内に一蹴され、投石や放火等の戦術で抵抗を繰り返した。これを「懸念した」周辺諸勢力が我先にと軍勢を差し向けて来たのである。


 紀州軍は2万近くの兵が熊野に集結しつつある。新宮に設けられた空軍基地には対地攻撃装備を施した航空戦力が出撃の時を待っているとの連絡を受けていた。


 共和国誕生以後、極度に軍事体制が整えられた敷島でも、特に紀州や伊勢、そして北関東には軍事施設が多く、それに関係する産業で地方経営を成り立たせていた為、軍事動員や徴発は―強いられる人民の意思は兎も角―極めて容易である。こうして日もまだ登らぬ頃から軍隊が市内駅周辺にひしめいていても、「公的には」何の問題もないのだ。


 日高方面から兵を率いて熊野に配置させられていた鹿瀬鎮堯は咥え煙草で簡易な休憩所扱いの駅舎のベンチに腰掛けながら、兵の集結を待っていた。


 政庁 和歌山城下から新内あろち甲斐守かいのかみ義斯よしこれ率いる騎兵衆が先に到着したのが1時頃。


 次に到着したのが武藤雲平景宣の騎兵衆で、これが2時。


 続いて大崎おおさき玄蕃げんば景行かげつらの南龍騎兵衆が予定よりやや遅れて3時半である。今は下間衆の到着を待っている。下間が後備として諸々の民政用物資を持ってやって来る手筈だが、これがやや遅れているという報告があった。尤も、デモンストレーションの為に下間衆が様々な物資を持たされる事になったのには鹿瀬含め皆が内心同情していた為、特段不満を漏らすような事はなかった。それに、自軍に必要な物資が仮に足らないという失策が発覚したなら、紀州の兵は全て「現地調達」するだけである。特に赤羽御所が困るだけなら大した話ではない。紀州軍の頭達は―硬骨漢の武藤以外―多かれ少なかれ、皆そう考えており、これが「支援」の実態であった。


「下間はもう間もなく来るそうだ」


 喫煙中の鹿瀬に後背から話しかけて来たのは大崎玄蕃景行である。


 精悍な美青年、と思わせる逞しく引き締まった肉体に若干深めに彫りの入った顔をしたこの男は、しかし、その左手に大太刀を握って、使い古した感のある装甲具を着込んでおり、既に只者ではないと周囲に思わせる気配を漂わせていた。()()()()()では「アッティラの鎚」だとか「アラーへの反逆者」だとか「主の敵」などと言われ、必要以上に(と敵からは見える程)敵兵を殺めて首を晒した事で「人喰魔」とさえ言われた。そんな風評の立つ男ゆえに、せっかくの端正な顔立ちも却って危険さを感じさせてしまっていた。


「そうか。他の奴らも知っているのか?」


「ああ。知っている。こっちにも来るだろう。武藤など、早く切り結びたくて堪らんようだからな」


「勇んでくるだろうな」


 短くなった煙草を足元に落とし、ベンチから立ち上がるついでに踏み潰した鹿瀬は黒の軍用コートのポケットに両手を突っ込み、大崎の傍らを過ぎて駅の入口近くの張り紙を見詰めた。


 大崎は鹿瀬の右ポケットの膨らみに視線をやった。左に対して、大きく膨らむ右は鹿瀬自慢の装甲具である鉄腕が収められているのである。鹿瀬はこの鉄腕で何人もの強化装甲付きの兵士を殴り殺し、どれだけ多くの人間の首を容易くへし折り、頭を砕いて来たであろうか。素より尋常ならざる握力で計測器を幼少の頃から壊して来たこの怪物は、アフリカでの戦いにおいて、世界で何より嫌う北ドイツ人、特にプロイセン人の首を素手でも鉄腕でも握り潰して来た。ましてこの鉄腕は「砂の城を壊す様に装甲を砕く」と言われ、事実そのような事をして来た。手を挙げれば済むものを嗚咽おえつ混じりに命乞いをして降伏を忘れたプロイセン人達はこの鉄腕に顔面を掴まれ、()()()()()()()、砕かれ、顔を崩された。


 大崎は正直言って「日本人」よりもこの鹿瀬と戦いたかった。無類の戦闘愛好者であるこの狂戦士には、近くの―魅力的な程に強い男である―味方の指揮官の方がよっぽど夢中になれる相手だった。


 詰まらなそうに張り紙を読む鹿瀬は新しく貼り直された列車ダイヤの表を眺めながら、自分の指示通りにダイヤを改めて組み直させようと考えていた。


 紀州においては、軍政は民政に優越する。民生用である幹線道路も鉄道さえも、総督府の番頭格の承諾がなければ一切の決定権など得られない。新ダイヤは総督府役方が認可した物だったが、鹿瀬はそれによって決まった内容が気に入らなかった。彼は総督府では穏健で知られていたが、世間一般では充分強硬派であり、真反対のリベラル派からは軍国主義者やら武断政治信奉者やらと散々に罵られていた。だが、罵るだけでは何も変わらないのを皆が知っているのが幕府とその構成細胞のあくどさである。


 暫しの時が過ぎて、新内甲斐守と武藤雲平が駅舎に入って来た。紀州の闘将として知られる新内と、鬼と呼ばれた武藤が少し強張った顔でやって来たのを見て、大崎は時が来たと感じた。


「下間の旗印が見えてきています。出陣は如何に?」


 猛り甲斐こと新内義斯が先鋒にして事実上の総大将である鹿瀬に問う。鹿瀬は視線すら動かさず、相も変わらずダイヤ表に目を遣り、脈が二つほど打ってから答えを出した。


「武藤雲平が第二陣、新内甲斐は第三陣、大崎玄蕃が第四陣。そして我が鉄狼が先手を務める。異存無かろう?」


 呼び捨てに、抑揚もない声で、鉄狼の頭は同輩達に問うた。


 総大将 鹿瀬の問いに、誰も何も言わなかった。異存なし。無言のままに意は示された。


「各隊に速やかに下知せよ。これより直ちに発向し、長島へ攻め入る。焼討、刈田狼藉の類は各々の判断に任せる。好きにやって構わん。以上だ」


 応っ!そう相槌を打って3名は兵の元に戻った。


 駅舎から慌ただしく3騎の足が出て行き、そこに居るのは鹿瀬だけとなっていた。


 鹿瀬はダイヤ表から目を離し、駅舎の入口へ向き直った。


「鬼浦。兵共に報せろ。『食事の時間だ』と」


「承知!」


 鉄狼衆の副将 鬼浦十内堯家 騎兵惣目付は駅舎の入口で待っていたが、漸く出陣の時を得て内心喜んでいた。野晒しで駅前にたむろしているのを嫌っていたからである。朝飯を敢えて喰わさずに出陣させた事で兵達は内心空腹を満たしたくてうずうずしていた。なお、赤羽は今無政府状態に近い状態である。早く行って、早く殺し尽くせば、その分喰えるだろう。鹿瀬はそれを考えた上で、自身も飲まず喰わずで出張って来たのだ。


 法螺貝の音が四つ聞こえた。鹿瀬は両の手をポケットに突っ込んだまま、駅舎を出た。まだ暗く、夜が明けるまでは時間があった。夜が明け、人々が朝の営みを始める頃には、粗方の始末は付けられる。鹿瀬はそう思っている。


挿絵(By みてみん)


 紀州の兵は「日本人」を殺しに、熊野古道を進んで行く。もうすぐ、愉快に朝食を楽しめるだろう。


 ―甲斐 山中―


挿絵(By みてみん)


 一行は天変地異で未だ政情治安共に不安定な世情を考慮して教諭の個人的なツテでバスを用意し渋谷の七宝院から出発していた。


 突然、「緊急特別合宿」を企画し、全て一人で計画した教諭 樹下進の行動力に、引率されている渋谷七宝院学園地学部部長 星河亜紀、同部員 高瀬川湊、瀬田椿の3名は只々驚いていたが、どの教員も―嘆かわしい事に顧問の海棠雄也までもが―この天変地異を理由に課外活動を禁じていた事に不満を募らせていた部員達にとって、教諭からの提案は願ってもない好機だった。チャーターされたバスに守られて、地学部員達の課外活動は始まった…のだが。


「えー、この甲斐にはですね、『甲斐の黒駒』というですねぇ、ナリタでブライアンな、物凄いサラブレッドがいたという伝説がありまして~!」


 この妙にテンションの高いバスガイド(背格好並びに顔身体など、地学部員と同年代としか考えられない) の女と、


「ネタが古くてわからんぞ、田舎者。しかも、黒駒の時代にサラブレッドなんていてたまるか。それより同じ黒駒なら、『黒駒勝藏』の話でもしてやれ。特に最期の締めの所を、な。…笑えて、且つ良い情操教育になるぞ」


 といちいち茶々を入れては物騒な話ばかりする、運転の適当(荒い)なバス運転手。こいつら一体何なのだろう?瀬田椿は訝しんで様子を見ていた。


 どうやら、樹下の予定にこの二人は入っていなかった。樹下の計画を手伝ったツテが用意したらしく、バスに乗り込んだら既にこのペアがくつろいでいた。バスガイドの女曰く「バス合宿のオプション」らしい。随分と小煩いオプションね、と溜息の代わりに星河亜紀は呟いていた。しかも、特に厄介なのは彼らが所謂「敷島人」であるという事だ。「敷島人」と「日本人」があの天変地異以来どのような付き合い方をしているかを知らないわけではない。そのような事情は当の「敷島人」とて理解していようものなのだが、この煩いオプション達はそんな事はお構いなしに冷めた目で自分達を見詰める4名に名刺を押し付けて来た。椿が貰った名刺には、


「あなたに幸せお届けします 中浦綾香」


「心の隙間お埋めします   九戸余一晴政」


 と名が記してあった。どう考えても信用ならない。


 小型の送迎用バスは甲斐の山中を車体揺らして進んで行く。平静においてはこのようなタイプのバスは山道での走行には適していない。オプションのバスガイドに客席から茶々を入れていた高瀬川湊が次第にぐったりして行っているのが分かる。それもこれも環境に適さないバスと、運転が荒っぽくて凡そ客商売には適さない運転手のせいだ。


 流石に気になったのか、バスガイド役の中浦綾香が様子を見に来て、湊の背中を摩ってやっている。気丈にも湊は


挿絵(By みてみん)「自分は大丈夫だ」


 とジェスチャーで示すが、傍から見てももう限界だろう、吐かせてやった方が良い。椿はそう思った。だが、公衆の面前で吐く、というのはやはり年頃の娘には中々選択肢としては取り辛い。恐らく、綾香もそれが分かっているのだ。自身にも似た経験があるのやも知れない。傍らで湊に付き添っている椿にはそう見えた。


 口から再利用不能な汚物を吐き出す様を見られるのは、尤も、嘔吐は飲酒文化のある国ではそれなりに見受けられる事であるから、失禁に比べてもまだ同情の余地がある。只、それは飽くまで公衆から行為者を見る目であり、行為者から見た公衆の視線はまた事情が異なる。哀れみの目が、そのまま哀れみに見えても、注目という反応が行為者を傷付け、また嘔吐という肉体の衝動は、それに従わざるを得なかった人間の自尊心ほどこれ以上ないほど蹂躙してくれるのだ。


 周囲とはやや離れて事態の成り行きを見ていた星河亜紀は、席から立ち上がり、揺さぶられる身体を座席に掴まりながら支えて、運転席へと歩を進めた。


 運転手の九戸晴政はなおもスピードを下げず、運転を改めない。もう少し、丁寧に運転してもらわないと湊以外の者まで酔い出すだろう。既に、自身も若干来ている。


 迫って来る少女をミラーで視認した運転手だが、なおも運転を改めない。そして、先程から湊を介抱している綾香も決して運転には口を挟まない。亜紀は少々苛立っていた。


 亜紀の様子を感じ取った樹下は、自ら立ち上がって運転席に寄って行った。これによって、通路の中途に立ち往生させられる事になった亜紀は揺れる車内で立ち止まる自信がなかったようで、止むを得ず、近場の席に腰を据えた。偶然にも、湊の席の後ろである。


挿絵(By みてみん)「どう、気分?まだ、いける?」


挿絵(By みてみん)「‥う…ん」


 腰を据えたのも束の間、中腰に立ち上がって前席へ半身を乗り出した亜紀の問い掛けに湊は僅かに頷いた。応じて何か声を掛けようとしたが、突然、ガタッと車体が揺れた。何かを踏み越えたようである。中腰の態勢では揺れに耐え切れず、亜紀はそのまま腰を席へ落としてしまった。また立ち上がろうとしたが、綾香が摩っている手を止めて、手で亜紀にそのままで居るように促した。初めて会ったばかりの女に指図されるのは気に入らなかったが、しかし、自身にも込上がり始めた気持ちの悪さが彼女を席に押し留めた。


 それにしても、この女。


 亜紀は左手に色の付いたビニール袋を直ぐに開けるように握ったまま、右手で湊の背を摩っている綾香に妙な違和感を覚えた。湊どころか亜紀まで来始めているこの車内の揺れ具合の中、一切グラつく様子もなく、人様の背を摩っていられる綾香の安定感。時折、急なブレーキが掛かって、席に居る者が体を仰け反らせる中、微動だにしない。何かに掴まりもせず、湊と椿が座っている席の僅かな隙間に立っているのだ。湊の様子が気になっていた為ずっと見ているだけで気が付かなかったが、一度気になると、正直おかしい、そう思えた。


 違和感を覚えたのは亜紀だけではなかった。傍らに居る椿も、そして前方の運転席の傍らに居る樹下も、妙な感覚を覚えずにはいられなかった。どちらかと言えば肉体派の椿からしても、精々「脚に力が入っている」、「武道の心得がある」という二点ぐらいしか思い付かなかったが、運転席に寄っている樹下は掴まり立ちをして運転手にもう少し丁寧に運転してくれるよう頼みながら、チラっと綾香の方へ視線をやっている。椿と視線が合うと目を逸らしたが、人類学者である故にこういう変わり種が気になるのか、と椿は漠然と思った。それ程、異様なのである。


 椿と目が合い、思わず視線を逸らした樹下は再び、傍らの元凶に声を掛けようとしたが、先を越された。


「気になりますか、アイツ?」


「えっ…?」


 樹下の言う事など意に介さなかった晴政が突然話し掛けて来た。


「案外、いい女でしょう?派手に見えて、質素。柔和に見えて、剛健。まあ、女に使う言葉じゃないが、逞しいでしょう?それにあの手の女は案外情け深く、ハマれば暫く愉しめるというものだ」


 樹下は冷ややかに視線を運転手へ落とした。


「生憎だが、その手の事は間に合っているのでね。御提案だけ受け取っておきましょう」


「ほう、ではお好みなのはその()()()()()ってところでしょうかね?」


「…何を言っているのか、よくわからないが?」


「揺れますよ」


 ガタっと車体が揺れた。急にハンドルを切ってカーブを曲がり切ろうとしたからだ。樹下は思わず、仰け反りそうになったが、左手を瞬時に伸ばした晴政が樹下の右腕を掴んで引き戻した。


「すまない、と言う所だが、もう少しどうにかならないかな、九戸さん?」


「申し訳ないが、それは出来ない相談だ」


「スピードを体感しないと酔いでもするのですか?」


 樹下は冷や汗をかいたままの不機嫌さで、やや喰って掛かる物言いをしたが、九戸晴政は少し、口の端を上げた。


「いいえ。このご時勢だからね、早い事移動なんて済ましてしまいたいでしょう?それに」


「それに?」


 不機嫌な顔のままの樹下に対し、九戸晴政もまた変わらぬ表情と声で答えた。


「多摩を抜けた辺りから、誰かつけている」


「なに?」


 樹下は思わず後ろを向いた。だが、視界に入るのは相も変わらず苦しむ湊を立ったまま介抱する綾香と、その死角となって見えないが、湊を気にする椿と亜紀の気配しかしない。当然の話だが、しかしそう言われるとやはり向いてしまうものだ。


「巧妙に隠れている。手練の変質者だ」


「なぜ分かった?」


「まあ、野生の感ってところだろうか」


「野生…」


 樹下の様子を興味深そうに窺った九戸晴政は、視線を前に据えつつ、そのまま話し掛けた。


「アイツが何でバスガイド何かやりだしたか分かりましたかね、旦那」


「後ろを見据える為か」


「半分正解」


「もう半分は?」


「前しか見ないお客さんを不意の事態から庇う為さ」


「不意の事態、と、言うと?」


 足元がグラつき、それに伴って言葉が途切れる。常に不意の事態が樹下を襲っている中、九戸の言う不意に行き着けるほど樹下に余裕はなかった。


「例えば、後ろから部長さんを狙って撃ってくる、とかかな」


 樹下は一気に血の気が引いた。


「何を、馬鹿、な…っ!?」


「VIPってのはそういうものだ。まあ、VIPなんて時と場合によっては〈誰でも〉なりうるのだがね」


 樹下には返す言葉がなかった。それを感じて九戸が続ける。


「まあ、ご安心を。そうならないようにアイツがいる」


「彼女が特別な人間なのは承知した。だが、幾らなんでも」


 樹下の反応は至極真っ当である。だが、それが晴政には面白くて堪らなかったのか吹き出すように短く笑い、そしてすぐに笑いを引っ込めた。


「アレは感じ易い女だ。ご心配には及ばない」


「いちいち卑猥な表現だ、な」


「そういう風に考えるからだ、旦那が」


 急にハンドルを切り、車体が傾いたようにさえ感じた。樹下はどうにか掴まれて倒れなかったが、間一髪である。僅かに目をやれた綾香は、相変わらずだった。


「ご無事で?」


「ああ、だが感謝はしない」


 樹下はやや動揺しているのか、多少滅裂した事を言っている。樹下自身が言ってすぐにそう思った。九戸はそれに気付いたのか気付いていないのか知れぬが、しかし、そこには何ら触れなかった。


「奴ら、取り敢えず引いたようだな」


「なぜ分かる?野生の感か?」


「いや、七宝院の方が気付いてくれたようだ。妙なのが侵入して来たんで、警告したんでしょう。奴らも手練ている。気づかない訳がない」


 樹下は揺らされていてそんな所にまで気が付かなかった。尤も、追われているのにさえ気付かなかったわけだから、やむを得ない話である。


「彼女、中浦さんだったかな?一応、名義上は〈世話役〉だったな」


「皆さんの合宿が終わって、渋谷に帰るまでは恐らく世話役でしょう。途中どっかに出るかもしれんが、代わりは私なり、補欠なりがやる」


「補欠さんはどこに?」


「…山の中だ。潜ませてある。金髪碧眼のドイツ女だ。アイツには言ってないが。理由は聞かないで欲しい」


 九戸は聞かれる事が分かっていたようだ。


「アイツは可能な限りここに留まるでしょう。恐らく、皆さんの危険を齎す何かが他所にない限りはね」


「他所にあればどうするつもりだ?」


「勿論、殴り壊す。あれはそういう奴だ」


「…どうしてそこまでやるんだ?見ず知らずでしかない人間の為に」


 九戸は含み笑みを浮かべた。


「馬鹿な奴でしょう?どこまでもお人好しなクリスチャンガールさ。聖書の教養なんか端末の便利さで省みない癖に、ちゃんとキリスト者やってやがる、どうしようもない馬鹿さ」


 揺れる車体に足を据え付けるように力を込め、僅かに笑いを漏らした晴政を見据えて樹下は問うた。


「君達は何者かね。なぜ、こんな所で働いている?」


 晴政は敢えて樹下の顔を見なかった。


「正直に言うとね、私は軍人ですよ」


「軍人…」


 存外、あっさりと話が聞けてしまって、樹下は些か拍子抜けする。隠す気はなかったようである。


「敷島共和国幕府軍奥州探題軍所属の陸奥総督軍騎兵頭。今こうしている目的はまあ、バイトだ。『あの日』を迎えた時には東京に出張でね。星川とか言う軍閥さんと、坂東の惣一揆が殺し合いだして帰るに帰れんようになったんです。路銀も無いしね。それで面倒な職歴隠してバイト探していたら、ね」


「ここのバスの運転手か。出来過ぎた話だ」


 樹下は冷ややかな目で晴政を見た。晴政は視線を気にする素振りを見せなかった。


「好奇心は猫を殺すってね。お互いさ、面倒は省きましょう、()()


「‥‥‥‥‥」


 一瞬、寒気が背を通って、樹下は身体が強張るのを感じた。


「一つ、質問良いかな」


「ええ、どうぞ」


 晴政は相変わらずの、軽い口振りだ。


「君は軍人だと言う事は…彼女は?」


 樹下の視線が僅かに後方へ向けられる。今なお、吐きそうな少女の背を摩っている娘は先程から色々な視線を受けているわけだが、果たして気付いているのだろうか?


「アイツは違いますよ。悪知恵が働く癖して嘘の付けない、泣き虫です」


「…ウチの子達と年格好は似ているが、そこから君との接点が浮かばないな」


「アイツは只の学生ですがね。まあ、腐れ縁です」


 腐れ縁か、樹下はボソっと呟いた。


「只人には見えんがね」


「そうでしょう。私をフライパンでメッタ打ちにして気絶させた丹波辺りの山猿です。ガッコでは『赤鬼』とか言われていたらしいですがね」


「何か武道の嗜みでもあるのか。…丹波の、赤鬼?…ああ、赤井直正か」


「御名答。やっぱり、丹波には鬼が住んでいるようだ。知り合いが幾人か丹波にいるが、どいつもこいつもロクでも無い化物どもだ。ホントに嫌になる」


 興味本位で調べたが、「敷島人」は地域を嘗ての六十六国で呼んでいるそうである。幕府と言い、いみなと云い、どこまでも復古主義な未来人である。


「結体な名を付けられたものだ。同情するよ。しかし、それにしても可愛らしい赤鬼だな」


「脱いだらイイ物を持っている。男好きする身体だよ。全く、生娘なのが勿体無い。猥談一つで顔真っ赤さ。蹂躙された方が良い味が出るに決まっている」


「…一応聞いておくが、そういう趣向でもあるのかね?」


 語気が強まる。3人の女学生を抱えている故、仕方のない話だ。


「まさか。私は正直言って女に興味はない。只、一般論を述べているだけだ」


「一般論?」


「ええ、人間に内在する『異性を蹂躙して、玩具にしたい』って欲求を言葉に出しているだけです」


「そんなサイコパスが一般論だと思えるのか。敷島の世情は暗鬱だね」


 直線が続き、やや揺れが収まる。間もなく、七宝院学園の「支配域」に入る。晴政は視線を前に向けたまま、会話を続ける。


「いいえ、旦那。これは一般論です。御国に関わらず、人間誰しもが内心そう思っている。他人が蹂躙されるさまを待ち望んでいる。職場で評価されている上司や同僚そして後輩、幸せな美男美女カップル、スポットライトを浴びて、踊り、歌って、歓声を受けるアイドル、余生を穏やかに過ごす老夫婦、仲良く並んで夕方の買い物に出る母子の姿、一所懸命に働いて作り上げたマイホーム、初めての料理を誰かに褒めて欲しくてたまらない幼子の笑顔。他人の何気ない美しい姿は他者の羨望せんぼうを受け、次第に邪さを孕んでくる。それが、本人が思っていると認識しているかいないかは別にしてね」


「どう思うんだ?」


「左遷される様を後ろから嘲笑される姿、夫の前で犯される美人妻、スキャンダルの果てに3流ポルノ女優に堕ちる元アイドル、孫の為に手を出した儲け話で騙されて、『欲の皮が突っ張った』と罵られ憔悴しょうすいする老夫婦、或いはボケて徘徊しながら失禁する無様な姿を晒す老人、買い物に気を取られて子供が道に飛び出ているのを知らず、轢き殺されて慟哭する母の()()()姿、両親を呼び込んで同居した挙句の家庭内不和、愛する女房のラブホテルにされるマイホーム、走って料理を持ってきた為に転んでカーペットを台無しにした大泣きする子供…どうです、何処かで思った事は?」


「…よく、わからないな」


 また、笑いを漏らした晴政はスピードを落とした。七宝院の検問近くに来たからである。


「それは、旦那が高潔な人物か、或いは認識していないか、のいずれかでしょう。しくは…単に()()が人間をやめているか」


 一瞬、目を開いた樹下だが、感想は溜息で示した。


「そういうのを獣欲だとか人でなしと聞く事はあるが、まさか『人間をやめる』と聞かされるとは思わなかったよ、カーネル」


 検問所はもう目の前だ。警備員達が時勢を反映してなのか、サブマシンガンを肩に掛けてこちらを見据えている。


 カーネルねぇ、と呟いて晴政はブレーキを掛け、停車を確認してからハンドルに左手を掛けたまま右手側の窓を開けた。窓側には検問所の職員が近寄って来ていた。


「渋谷七宝院学園の者です。私は雇われの引率者ですが」


「代表の方は?」


「学園教諭、樹下進」


 手に持っていた書類に目を落とした職員は次に顔を上げるとやや柔和な顔付きになっていた。


「同乗者は?」


「運転手の九戸晴政、世話役の中浦綾香、渋谷七宝院学園地学部部長 星河亜紀、部員の高瀬川湊、瀬田椿の計5名。連絡はしてある筈だ」


 聞きながら名簿をチェックして行った職員は、バスの後方へ回った警備員から車体ナンバーの確認を、バスを窓から覗いた警備員が名簿に貼り付けてある顔写真と本人の照合を行った確認の合図を受けた。


 樹下は軍人である事を言わなかった九戸が何の目的でここに来たかをもう理解していた。


「確認した。名簿通りだ。ご協力に感謝する。ようこそ、仏法の地 七宝院へ」


 職員は笑顔を浮かべ、運転手の晴政を見上げていた。


「ありがとう、世話になります」


 晴政はそう言うと窓から乗り出していた体を引っ込め、窓を占めてから再びアクセルをゆっくりと踏んだ。


 敬礼する警備員に簡単に会釈だけした晴政と樹下は、職員達の姿が前方から見えなくなると「元に」戻った。


「立っていても、何も言われなかった」


 晴政が茶化すように言うと、樹下も吐き捨てた。


「いつから立っていたかなんて知らないからな」


挿絵(By みてみん)


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