表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/43

根無し草

今回は少々、内容が血なまぐさいです。

そういうのがお嫌いな方はお気を付けください。


 朝焼けがまだ消えないうちに、ライムジーアたちは旅に出る用意を整えた。

 一つ場所に長居はしたくない。

 「もう行かれるのですか?」

 ラインベリオ帝国軍北西部方面隊アトヒラテン州東部駐留騎士団副団長・・・異様に長い肩書の付いたインスティ・トーブが見送ってくれた。

 金髪の騎士も一緒だ。

 「せっかくの自由気ままな時間なのでね。母上に捕まらないうちに移動したいんだ」

 子供の笑顔を作った僕に、インスティ・トーブは真顔でうなずいた。

 「連絡将校として、彼をお連れください。・・・連絡将校をお付けすることを考えたのは軍団長ですが、人選は私が行いました」

 連絡将校・・・つまりは見張りをつけようと軍団長は考えたのだ。

 情報はないよりはある方がいいだろうからな。

 敵になるにしても味方になるにしても、はたまた中立であるにしても。

 だが、副団長は僕に味方してくれる気でいるようだ。だから、融通を利かせる才覚があって信頼がおけ、僕に好感情の者を選んでくれたのだ。

 「そうか、手間をかけさせたな」

 インスティ・トーブに理解した、と目で伝えて金髪の騎士に顔を向けた。

 「世話になる。苦労すると思うが、よろしくな」

 「はっ! エヌンフト・ラソン申します。よろしくお願いいたします」

 エヌンフト・ラソンと名乗った騎士は、堅苦しく敬礼したあとで、にやりと笑った。

 役に立ちそうだ。

 直感でそう思い、僕も笑みを返した。


 タブロタルに別れを告げ、というか逃げ出したライムジーア一行は、南に向かっていた。

 帝国の南西部は先帝が少々・・・かなり・・・強引に攻め落とした地域のため、いまだに秩序が安定しているとはいいがたい地域となっている。

 当然、危険の多い地域ということだ。

 日本なら大使館から渡航禁止が言い渡されていそうな紛争地域ということになる。

 それはとりもなおさず、追っ手が容易には近づけない地域でもある、ということだ。

 進むべき道は、これしかないと思った。

 火中に手を入れなければ、うまい栗は拾えない。

 下手なたとえだが、真実の一端は握っていると思う。

 ライムジーアに付き従う人数は十人にも満たない。

 皇妃、または他のなにかから逃げるためだ。

 隊をいくつかに分けて移動させれば、そのうちのどれが本隊かは知られずに済む。

 そのためにタブロタル基地から馬車を三台分けてもらった。

 三台になった馬車のうち二台には三個小隊十五人をつけて北と西へ向かわせている。

 もともと帝都から乗っていた馬車と合わせれば四台になる。

 僕が実際に乗る一台も含めた五台の馬車がそれぞれ別の方角に進めば、ライムジーアの進む先を当てられる確率は少なくとも五分の一。

 発見されるリスクが減る。

 四個小隊を帝都の方の情報収集のため東に戻し、五個小隊を本隊に付かず離れずで同行する警護に就け、残りは小隊ごとに西と南に偵察に行かせた。

 現実的な話、ライムジーアがやっていることは、皇妃の言葉を最大限に拡大解釈したうえで二乗したような行為だ。父帝なり誰なりが「くだらんことはやめて城に戻れ」と言ってくれば逆らうわけにはいかない。

実際に、皇妃の家来たちは僕の探索で帝国中を走り回っているはずだ。

 なので、言ってこられないよう居場所を、行き先を予測できないようにする必要があった。もちろん、向こうにその気があれば各地の軍団や騎士団に一斉に布告を出し、『ライムジーア皇子を見つけ次第帝都に送還せよ』ということもできるだろうが、皇妃がそれをやることはない。

 そんな大ごとではないからだ。

 馬鹿な皇子が好き勝手やっている。

 それだけのこと。

 それを大きな騒ぎにすれば、『帝位継承権18位の皇子を警戒しています』と世間に表明することになる。

皇妃やその取り巻きは陰険だが愚かではない。

 世間の目、の恐ろしさを限定的にだが知っている。

 人々の口に戸は立てられない。

 噂は出るものだし、出た噂は広がるものだ。

 ライムジーアの母親に関する真相も、実は帝都の市民たちの間では知らぬ者のいない事実として認識されている。

 あの、素晴らしい刺繍入り絵本のおかげだ。

 この絵本を作った職人もまた、市民だった。

 多額の報酬を提示され、喜び勇んで城に上った。

 仕事の内容を聞いて、喜びは消えた。

 金貨の重さ以上の重荷に息をつくこともできなくなった。

 ようやく仕事を終え、皇妃にお褒めの言葉を授かり、背中が凍った。

 多額の報酬が手に入った。

 口止めの金もたっぷりともらい、最初の数日は震えながら自室にいた。

 やがて、耐えられなくなった職人は酒に手を出した。

 家にあったアルコールを料理用も含めて喉に流し込むと、聞いたこともないような大金の入った袋をもってふらふらと酒場へと向かった。

 あとは酒の魔力が彼の理性と、本能と、他のすべてを狂わせた。

 職人はすべてを語った。

 そして、四日後に消えた。

 どこに行ったかは誰も知らない・・・ことになっていなくてはならない、ということを帝都に住む市民全員が知っていた。

 ただ・・・。

 とある酒場の路地裏で『血の匂いのするワインがこぼれたあと』があり、なぜか『肉のついたままの骨』が無造作に捨てられていた。牛でも豚でも、肉のついたまま骨を捨てるバカはいないだろうに。きっと酔っ払ったやつがバカなことをしたに違いない。

 そんな笑い話が、あちこちの一切笑い声の上がらない席上で語られた。

 だから、おおっぴらにライムジーアを捕えようとはしないし、できないのだ。

 豪胆で冷酷でも、『腹違いの息子を謀殺した』とは言われたくあるまい。

 殺す気かどうかは知らないが。

 殺したいとは思っているだろう。

 「お。羊の群れ発見! っていうほどの数じゃないか。この辺は全部麦畑だね」

 「すご・・・こんな広い麦畑見たことないです」

 「あの、ライムジーア様がお休みです。もう少し静かにできませんか」

 半分寝てるような頭で考えごとをしていたライムジーアは、かしましい女性たちの声で意識を外に向けた。

 この馬車は帝都を出るときに使っていた馬車ではない。

 タブロタルから出るときもらった二台のうち上等なほうだ。二人乗りではなく四人乗りになっている。その前を向いている席にライムジーアとシア。その対面後ろを向く席にフファルとリューリが乗っていた。

 なぜ?

 と思ってしまう。

 サンブルート旅団自体はそのまま、ラインベリオ帝国軍北西部方面隊アトヒラテン州東部駐留騎士団に残るそうだ。

 契約もあるし、そうそうフラフラもできないのだろう。

 ファルレに言わせると、『帝国の駐留騎士団や軍団はいまいち信用できない。あんたは少しマシみたいだし、一応は皇族だから何かあったときに役に立つかもしれない。そのときのために繋がりを確保しておきたいの』ということらしい。

 そんな理由で妹と、今のところ非戦闘員の部下を預けるか?

 おもわず皇妃あたりが罠を張っているのかと疑ってしまった。

 そんなわけがないことは二人を見ていればわかるけどね。

 ライムジーアは楽観してこの二人を側に置いている。どちらも隠し事や腹芸、特に裏の謀略なんてものとは縁がなさそうだ。

 「ところで、わたしらはどこに向かっているの?」

 窓から出していた首を引っ込めて、フファルが聞いてきた。

 「セグロヒャーズィ駐屯地だよ。アトヒラテン州にある帝国中央軍の詰め所の一つで、二百人ぐらいがいるそうだ」

 「ぐらい? そうだ?」

 眉を寄せるフファルにライムジーアは笑みを返した。

 仮にも軍の一部だというのに曖昧が過ぎる。

 不思議に思うのも無理はない。

 帝国中央軍詰め所、といえば聞こえはいいが、その内情はそこいらのごろつきに食っていくには困らない程度の金を与えて最低限やらなければならない仕事をさせている、という代物だった。

 例えば、他国からの侵略などがあった時、周囲に即座に伝えるための見張り所兼通信所などがこれに当たる。

 常にはただひたすら周囲にある他の詰め所の様子を監視し、ことあれば、つまりは狼煙が上がれば、自分たちもそれに呼応して狼煙を上げる。

 緊急事態発生、警戒せよ! と。

 普段必ずそこに何人かいて、狼煙が上がった時すぐに同じく狼煙を上げられるよう薪などの用意をしてさえいれば、あとは寝てようが飲んだくれていようがお構いなし、というものだ。

 なので人数も、規定では100から150だが、実際は50人でも多いということ。

 はっきり言ってしまえば10人いれば足りる。

 なので、上官であるはずの帝都にいるお偉方は誰もいちいち確認していないのだ。

 「それだというのに、噂では今そこに300人以上がいるらしい。規定の倍の人間がいたら、さぞかし汚れているだろう、と教えてもらったわけだ」

 「あー、なるほどー」

 掃除、という言葉の裏に気付いた顔でフファルがうつろな声を上げた。

 目の奥が笑っている。

 掃除する必要があるかどうかは別にして、なにかしら問題を抱えているだろう。ひと悶着、ぐらいで済むか大乱闘になるか、それとも・・・。

 行ってみなければわかるまい。

 僕は再び目を閉じた。


 セグロヒャーズィ駐屯地があるのは、かつてシレンシュティと呼ばれていた王国領にあった。近くには周囲三つの街と周辺の五つの村を束ねる子爵家の居城が建つバレンムートの街もある。端的に言ってしまえば、旧シレンシュティ王家の残党を見張るのが、その主任務ということだ。

 もっとも、帝国軍の見積もりによれば、この地域がまとまって帝国に謀反をたくらむ懸念はないことになっている。

 忠誠を信頼しているから・・・ではない。

 帝国軍よりも厄介なものに取りつかれ、それどころではないからだった。

 シレンシュティがラインベリオ帝国に恭順の姿勢を示したとき、シレンシュティ王国の幹部たちは三派に割れた。

 一つ、早々にシレンシュティ王家を見限り、ラインベリオ帝国に媚び諂ったもの。

 帝国軍は、『死肉漁り』と評している。

 二つ、民の安全を第一とした王家の高度に政治的な判断を受け入れ協力したもの。

 『穏健派の者たち』。

 三つ、自らの意思を持たず、ただ従ったもの。

 『従順な犬』。

 ラインベリオ帝国はこのうちの『従順な犬』に関しては、まともな形で併呑し慎重に国替えを行ったり、地位と引き換えに領地を召し上げたりした。

 だが、『穏健派の者たち』に関しては王家とのつながりも深く、民衆の人気も高い。このため直接は手が出せなかった。

 シレンシュティ王家の恭順は、現在の領主たちをその領民の意思を無視して替えることはしない。という条件下で行われていたのだ。

 手が出せないなら、と帝国の採った方法が『死肉漁り』たちに架空の権利を与えて『穏健派の者たち』に押し付ける。というものだった。

 『穏健派の者たち』の領地を支配する権利があると匂わせて送り込み、その地を混乱させ疲弊させる策略だ。

 帝国が約束を破ったわけではなく、かつての王国の仲間同士仲良くやってほしいと思ってした措置だが、なぜかうまくいかなかった・・・というわけである。

 それを知ってか知らずか、『死肉漁り』の横暴はひどいものだったといわれている。

 あくまでも、噂として民の間に広まった話によれば、それは民衆を食いつぶし、破壊しようとするかのごときものだったという。

 ある街では領主の館に雪崩れ込み、領主一家を殺戮して首を斬り、それを路上に晒して首を失った死体は豚の餌にした。その中には幼児も乳児もいた。

 当然財産はすべて奪われ、館にいた女官やメイドたちを犯し、肉の奉仕を強要した。受け入れたものは彼等の全兵士の玩具でしかなくなり、拒んだ者は殺された上に腹を裂かれ、内臓は猟犬に投げ与えられたという。

 抵抗や不満を示す者がいれば、これにも徹底的な弾圧を加えた。

 それも常軌を逸したものであった。

 たとえば、抵抗を示した当人ではなく、その家族を捕らえて裸にし、街中で馬に犯させる。これには12になったばかりの娘もいたという。

 または、話し合おうと宴席に呼び出して食事を勧める。使われている肉はその者の息子や娘。すべて平らげたのを見たあとでその事実を示し狂死するのを眺めるというような具合だった。

 これらは、あくまでも噂である。

 それもごく局所的なものだろう。

 事実を見たというものはいない。

 ただ、かの領地に足を踏み入れる者が、きわめて少ないのは奇妙な事実ではあった。

 これらのことから、帝国軍はこの地を脅威とは見なしていない。

 それはとりもなおさず現状を知っているということになるのだが、脅威ではない、とする報告の根拠が示されたことはなかった。

 領主たちが軍備の拡大を図ったりはしていない。それが分れば十分なのだ。

 そんな状態が、すでに五年続いている。

 噂は、この五年間で『死肉漁り』の最も下劣だった者たちを市民が差し違えて倒したため暴虐は収まり、単なるならず者の集団レベルに落ちついたと伝えてはいるが、この五年で失ったものは大きすぎた。

 領地の境で物の売り買いは行われる。

 この際、領外に逃げた者も多い。

 ただ、その家族にどんな運命が強いられたか、それを語るものはいない。

 いまも、領内へ向かう人の足は途絶えている。

 ただし。

 セグロヒャーズィ駐屯地はこの領内にあって、帝国中央の管轄だから、さしあたりそういった噂を気にかける必要はない。


 で。

 「こうなるのか」

 ライムジーアは、諦念のこもった呟きを漏らした。

 「いや、元気ですな。若いもんはこうでなくてはいけません」

 ランドリークが朗らかに言い。

 「もっとこう、足を使わねぇと・・・」

 シャルディは自身も体を動かしながら解説を加えている。

 駐屯地唯一の建物、大きくもない兵舎では乱闘が繰り広げられていた。

 それをライムジーアたちは開け放たれた木窓から眺めている。兵舎のなかではぱっと見、二百はいる男たちを相手にザフィーリと側近二人、赤毛の中年男ロロホルとお姉様系騎士のシャハラル。それにフファルとリューリが暴れまわっている。

 なかでも、ザフィーリとフファルは絶賛活躍中だ。

 ザフィーリは淡々と、フファルは嬉々として向かってくる男をちぎっては投げ、転がしては蹴りつけている。

 リューリも軽やかにステップを踏んでは、見た目は可愛らしい拳で的確に男たちを殴りつけていた。あんな小さな拳のどこにそんな力があるのやら、腹を殴られた男が胃液を噴いてぶっ倒れている。

 発端は単純だ。

 二百人もの男どもがいる兵舎に女が訪ねてきたのだ。・・・実際に訪ねてきたのはライムジーアだが、男たちの目には女しか映らなかったのだから仕方がない。

 なにが起きるかは自明だろう。

 最初にザフィーリがいきなり口説かれ、フファルに至ってはアマゾネスと気付くや物も言わずに押し倒しに走ったバカがいた。

 で、この有様というわけだ。

 「ほらほら、頑張んなよ。あたしを押し倒せる強いオスだっていうんなら、いくらでも注ぎ込んでくれていいんだよ? むしろお腹いっぱいちょうだいな」

 などと、フファルが笑いながら挑発したりするものだから、男どもはムキになってとびかかっている。

 「これ、収拾つくのかな?」

 ちょっと呆れ顔でライムジーアは天を仰いだ。

 「精も根も尽き果てれば収まるでございましょうよ」

 ランドリークが、例のひょっひょっひょっという奇妙な笑い声を上げ。

 「骨の二、三本折られれば動かなくなると思いやすぜ」

 シャルディは物騒なことを言い出す。

 少し離れたところに立つエヌンフトは呆れ顔を表に出すまいと努力しているようだ。

 なんにしても、全員のんきなものだ。

 二百人もの男と敵対しているという緊張感がない。

 まぁ、実際に乱闘しているザフィーリたちが危なげなく、一部は笑いながら相手をしているので危機感がないのはしょうがないが。

 「おお!? なんだよ、なんだよ。おんもしれぇことになってやがんぞ!」

 と、陽気な声が上がった。

 思わず目を向けると、ライムジーアたちのいるところとは反対側から兵舎に近づいてくる一団がいた。百人はいるようだ。

 ・・・なるほど、これで300だな。

 ライムジーアが納得して小さく頷いた。

 兵舎の中での乱闘騒ぎに気が付いたのだろう。その百人は脚を止めて呆然としている。

 いや、一人だけキラキラ光る目で腕まくりしている者がいた。

 歳の頃だと16、7ぐらい。兵舎にいる者とその後ろにいる者たちと比べてもかなり若い。まだ少年といっていいだろう。

 12歳の僕がそう考えるのはおかしいかもだけど。と、ライムジーアは自嘲の笑みをこぼす。その間に、その少年は屈伸運動まで始めた。

 「よーし。全員突撃――――!!」

 やがて、準備運動が済んだのか、後ろの百人を振り向いて号令をかけた。

 一斉に兵舎へと駆けこんでいく。

 「ほー、イキのいいのがいましたな」

 「ありゃあ、場数を踏んでますぜ」

 ランドリークとシャルディがちょっと真面目な顔になった。

 「ザフィーリたちにもきつそうな相手?」

 心配になってライムジーアが聞く。

 「きついというより・・・なんと言いますかな」

 「殺していいんなら軽く殺せやすが、骨の二、三本折って転がすのは難しいでしょうな。なにしろ二百人との大乱闘のあとですし」

 なるほど、そういうことか。

 いくらザフィーリたちが強くても、体力には限界がある。

 「じゃあ、あれの相手はシャルディがしてくれる?」

 イキのいいの、というのが多分この団体のリーダーだろうと推察して、ライムジーアが聞く。というより要請を出す。

 「ようがす。あっしもたまには運動したくなりやすし、ちょうどいいでさぁ」

 ニヤッと笑みを浮かべたシャルディが舌なめずりをした。

 こういうところはやはり戦闘種族と思わせてくれる。

 ひょいっ、と尻尾を振って、シャルディが兵舎に飛び込んだ。

 「おい、小僧。そちらの姉さんたちは、てめぇの手下どもでゲップが出るとよ。俺が相手してやる、かかってきな」

 シャルディが乱闘の真ん中に躍り出て声を上げる。

 いままさに、ザフィーリに殴りかかろうとしていたリーダーが目を剥いた。

 「ひぃやっほー! リザードマンと殴り合えんのか!? おっもしれぇ!!」

 標的をシャルディに変えたリーダーらしき男は、ボクサーのように体を左右に揺らしながら、シャルディに近づいていく。

 「俺はブラソアルム。ブラソアルム・オンシュブローだ。ここの隊長させてもらってる」

 「シャルディだ。よろしくな」

 「おお!」

 やる気満々で、ブラソアルムがシャルディに殴りかかった。

 スルリ、とスウェーしたシャルディの尻尾が、ブラソアルムの足を払う。ブラソアルムが慌てて飛び上がった。

 「っぶね! 手数が多いのかぁ。ずっるいなぁ」

 などといいながら、とても楽しげだ。

 姿勢を低くして、シャルディの懐にもぐりこんでいく。接近して、パンチを繰り出した。半身になってかわすシャルディに、ブラソアルムは体当たり気味に組み付こうとする。そのへそのあたりの服を掴み取り、シャルディは片手一本で投げに持っていく。

 「なめんな!」

 腕に足を絡めて投げを阻止するブラソアルム。その身体が突然床に落ちた。

 「ぐほっ?!」

 腕を絡めとられた状態のまま、シャルディは身を床に投げていた。もちろんブラソアルムが下になるように。そしてそのまま寝技に持っていった。

 鱗に覆われた体は掴みにくい上に打撃にもびくともしない。

 ブラソアルムが何度も拳や足で打撃を加えるも役に立たなかった。

 完全にはきめられないようにとジタバタ動くが、あまり効果はなさそうだ。と、思っていると。

 「おりゃ!」

 瞬間的に入れた力で、シャルディの肘が変な方向に曲げられた。そのせいで力が入らなくなりでもしたのだろう。

 シャルディはブラソアルムを離して立ち上がり、間合いを取り直した。

 「クケケケケッ! 面白い技使いやがる」

 「へへっ! リザードマンを驚かせられたんなら上出来だな」

 二人して楽しげに笑っている。

 その周りでは男どもが見事に全滅して呻いているが、もうどうでもいいだろう。

 「そんじゃ、今度はこちらから行かせてもらおうか」

 つぶやくついでに、ざんっ! と足を踏み込んで間合いを詰め、シャルディは下から伸びあがるような右正拳を突き出した。

 「ほいっ」

 片腕、左腕を犠牲にしてブロックし、同じく右正拳を放ってくるブラソアルムの拳を鼻先、間一髪のところで横にはじく。

 「はっ!」

 はじいた勢いのまま、シャルディは体を半回転させつつ、わずかに体勢を崩したブラソアルムの顔に裏拳を叩きこんだ。

 ぐにゃ!

 気持ちの悪い感触とともに、ブラソアルムの鼻が右に曲がる。

 「・・・・そうくるか」

 いったん間合いを取り、無造作ともいえる乱暴さで鼻を戻したブラソアルムの口から、つぶやきが漏れた。

 「自己流だから、ちょいと読みにくいだろ?」

 「楽しませてくれやがる」

 にぃっと笑ったブラソアルムが突進してくる。

 シャルディは両手をだらりと下げ、自然体で立ったままだ。

 そこへ、力ののった右腕が突き出される。

 当たれば、大木ですらへし折れるだろうと思わせられる一撃。

 だが、さらりとかわされた。

 「ぐぉぅう!」

 ブラソアルムの顔に苦悶が走る。

 かわした体勢から放たれたシャルディの前蹴りが、ブラソアルムの伸び切った肘をとらえたのだ。

 「へへ」

 笑みを浮かべるシャルディ、その胸に、たった今蹴り上げたブラソアルムの右腕がたたきつけられた。蹴られて感覚がなくなったはずの腕を、ブラソアルムは肩の力だけで振り回してぶつけてきたのだ。

 「っ・・・・えげつねぇことしやがるなぁ」

 「自己流だからな、読みにくいだろ?」

 互いに笑みを浮かべ、再び対峙する二人。

 そして、激しい拳と蹴りの撃ち合いが始まった。

 「すご・・・」

 「よさげだねー。どっちも。あれなら・・・流し込まれてもいいな」

 アマゾネス二人が不穏当なことを言っていらっしゃるが、ノーコメントだ。

 僕としては、ここにこんなに大勢集まっている理由のほうに興味がある。

 ブラソアルムは、自分を隊長だと言った。ということは、まだ軍の統制下にいる自覚はあるとみていいのかもしれない。

 もちろん、たんにノリでそう名乗っているだけで、実際は隊長の役目なんて何も果たしていない可能性もある。

 「鍛えれば、いい部隊になるやもしれませんね」

 ザフィーリが部下ともども引き上げてきた。

 兵舎内の男どもは完全に沈黙してしまったようだ。

 「鍛えれば・・・ね」

 重要なのは強いかどうかではなく、僕が信頼できるかどうかなんだけどな。

 「鍛える? もしかして帝国軍の関係者なのですか?」

 「!」

 草むらから突然何者かが立ち上がり、ザフィーリが僕の前に立って身構えた。

 「あ。・・・失礼。私は、この隊の事務官・・・まぁ会計士兼秘書みたいなものです」

 つまり、金や書類関係のすべてを統括している人間、か。

 確かに、と。

 僕はその男の言い分を認めた。

 長身だが線は細く、肌も白い。

 遠目に見れば女性かも? と思ったとしても不思議じゃない。どう見ても、兵舎の中に積み上げられている男たちとは種類が違う。

 ・・・その男たちをのしたのが、もっと小柄な女の子である点には目をつむろう。

 ともかく、事務官という自己紹介に嘘はなさそうだ。

 「名前は、カベサコーク・ボカムントです」

 銀縁のメガネがきらりと光った。

 秀才肌な感じはする。

 ちょっと苦手なタイプだ。

 なにか、敵意のような・・・殺意のようなものを感じるのは気のせいだろうか?

 それに、名前に聞き覚えがある。

 誰だっけ?

 「そうか。僕は、ライムジーア。ライムジーア・エン・カイラドル。ラインベリオ帝国皇帝の一子にして帝位継承権18位だ。ここには掃除に来た」

 「・・・はい?」

 うん。わかるわかる。

 当然そうだよな。

 小さく溜息をついて、あとの説明はランドリークに丸投げした。

 ちょうどでかい音がして、シャルディとブラソアルムの殴り合いが終わったところだ。

 大の字になって仲間の上にぶっ倒れているブラソアルムの姿が見える。

 「ご苦労さま。シャルディ」

 「くっくっくく。なかなか骨のある小僧です。師事する相手さえ間違えなきゃ、いい兵士になるでしょうよ」

 腕をグルングルン回しながら、シャルディは久しぶりに上機嫌だ。

 シャルディにそこまで言わせるなら、相当だろう。

 楽しみだ。

 部下にできるだけの信頼が持てれば、だけど。

 「なるほど・・・『掃除』ね」

 ランドリークの説明が終わったらしい。

 駐屯地の事務官が眼鏡を外すと、なにやら頭の痛そうな顔で目頭を揉んだ。

 ただ、なにか拍子抜けした、というか毒気を抜かれたような感がある。

 「どこから始めますか?」

 どこからもなにもない。

 僕は単刀直入に聞いた。

 「何でここには300人もの人間がいるんだ? 既定の倍だぞ?」

 その当然すぎる質問に、事務官は「何を言っているのやら」という顔をした。

 「帝国の軍規によれば、『駐屯地を預かる隊長は本部から送られる予算に見合うだけの軍備を揃え、有事に備えなくてはならない。ただし、この軍備には最低50人の兵員を確保することが含まれる』とあります。兵員は50人以上いますし、帝国軍に追加の予算など要請したことはありません。問題はないはずです」

 ここでは、法の拡大解釈が行われていたようだ。

 「・・・実を言えば、簡単な話なのです」

 カベサコーク・ボカムントの話はちっとも簡単ではなかった。

 まず、予算が300人を雇うのに十分な理由。

 このからくりからして、あまりにもずさんだった。

 帝国は大丈夫か、と心配になるほど。

 要は、水増しだった。

 とはいえ、この事務官がしたわけではない。

 よその、貴族の息がかかった一部の駐屯地が現状では隊を維持できない。予算の増額を、と申請を出した。もちろん、背後にいる貴族のとりなしがあって予算の増額は認められた。

 増額が正式に決まったとなれば公正さを保つため、同規模の駐屯地における予算は一律増額された。

 もともと、150から200人の兵を維持するための予算が増額されたのだ。

 あとは少しばかりやりくりすれば300ぐらいは普通に雇える。

 そのうえ、この駐屯地にいる兵隊は付近の食い詰め者ばかりだが、そのほとんどがブラソアルムの古くからの友人、もしくは彼に拾われた、助けられた、そんな奴らばかり。

 飯と寝床さえあればいいと、まともな給与を受け取ってくれないのだ、と。

 「今も15人ほど追加で連れて来たところです。・・・あの辺の塊がそうですね」

 倒れ伏す部隊兵たちの一点を指差してそんなことを言う。

 目を向けると、確かに他の者たちとは微妙に違う雰囲気がある。服装のせいもあるだろうが、統一性がない。

 「予算の八割は人件費ですからね。それがなくなるとなったら、どれだけ予算が余ると思いますか?」

 「四百人は普通に雇えるだろうな」

 「増えた百人には普通に給与を払ったとして、ならそうなります。ですが、これから集まる奴らも同じく給与の受け取りを拒否したら?」

 千人は雇えると?

 予算の八割が人件費。残り二割で装備のメンテナンス、食費を賄うのが通常。それなのに人件費が丸々消えたら・・・確かに、それぐらいは維持できてしまう。

 「そんなに集めてどうするつもりなんだ?」

 兵隊を集めると言っても、千人程度で反乱とかは無理だと思うが・・・。

 「さぁ、何をするとか考えてはいないと思いますよ。基本的にバカなんですよ、あいつは。で、私はただ、あいつのやりたいことをどうすればできるかと考えてやっているだけですんでね」

 にやり、と笑ってカベサコークは胸を張った。

 あいつ、バカ、と蔑むような言葉を使ってはいるが、この男はあのブラソアルムのことが人間として好きなのだろう。

 バカなことを自慢しているようだ。

 まぁ、僕も気に入り始めてはいるけどね。

 さっき、シャルディと戦っているのを見た印象だけだけど、悪人ではないと感じた。

 喧嘩好きの乱暴者ではあるのかもしれないが、策略をめぐらせて人を陥れたり、人が苦しんだり困ったりする姿を喜びと感じるような気質とは無縁だろう。

 僕は、粘着質な、最低の屑どもを前世で見たからよくわかる。

 あの少年はまっすぐな性根の男だ。

 「っ! っつー・・・やられたー。へへっ、やっぱリザードマンはつえーよ」

 コキコキと首を鳴らしながら、ブラソアルムが兵舎から出てきた。

 何かすっごく楽しそうだ。かなり痛そうなコブや痣が見えるんだが・・・。

 「ちょっと失礼します」

 目礼を一つくれて、カベサコークがブラソアルムのもとに駆け寄った。声を抑えて何か話している。なにかっていうのは僕たちの説明だろうけど。

 ブラソアルムが僕を見て、目を真ん丸に見開いた。

 そして、真っ直ぐに僕のところへと歩いてきた。

 「お前が、皇子様だって?」

 「帝位継承権18位の、だけどね」

 「・・・俺たちみたいなクズと、対等に話してていいのか?」

 探る様子はない。ただただ真っ直ぐな瞳を僕に向けて聞いてくる。

 直球ど真ん中を投げてこられたなら、こっちはフルスイングで応えるしかない。

 「兄たちなら・・・今ごろ兵舎の中は死体だらけだろうな」

 「お前は違うっていうのか?」

 「僕と兄たちとはゴミとかクズの定義が少しばかり違うんだ。あー、兄たちに言わせれば僕もクズだしね」

 お互いの目を真正面から見つめながら、会話する。

 「くくっ、そっか。んじゃ、クズ同士、仲良くしようぜ」

 ニカッ、と笑ってブラソアルムが手を伸ばしてくる。

 僕も笑い返して手を伸ばした。

 強く握り合う。

 次の瞬間、地面と空が逆になって、背中が痛んだ。

 ブラソアルムに投げられたのだと気づいたのは、腕を引かれて起き上がる途中だ。

 引き上げられてる中で自分から起き上がり、頭突きを食らわせてやったのは言うまでもない。

 ・・・どこの不良漫画だ。

 思わず内心で自分にツッコミを入れた。

 こんな熱血、僕のキャラじゃないぞ。

 でも、効果があるならやる意義がある。

 冷静な頭とは裏腹に、胸の内で燃え上がる炎に煽られて、僕はブラソアルムと殴り合いを始めていた。

 そして・・・。

 さんざん殴り合って、お互いドロドロになったところで喧嘩は終結した。

 勝負はついていない。

 疲れたからでもない。

 腹が減ったのだ。

 そこに、美味そうな料理の匂いが漂った。

 兵舎の中でくたばっていた連中までも起き上がり、ゾンビのように蠢き出す。ブラソアルムや僕だって殴り合っていられるわけがない。

 「夕食ができましたよ―」

 兵舎に着いた瞬間から、他のことには一切かまわず夕食の支度をしていたメイドが声を上げた。

 そのシアの声で、ぶっ倒れていた男たちは墓穴から抜け出した死体のような格好で食堂に引き寄せられていく。

 その中には当然、ライムジーアとブラソアルムも含まれていた。

 「おい、ブラソアルム。言っておくけど、殴った数はこっちの方が二発多いからな」

 「へっ、威力がよぇぇから、ハンデをくれてやってんだよ」

 「だまれ、街の不良風情が調子に乗るな」

 「けっ、帝国のお荷物皇子が偉そうに」

 「んだと、お山の大将」

 「吠えるな、野良犬」

 ポンポンと悪口を言い合いながら、ブラソアルムとライムジーアは夕食を掻き込んだ。顔には絶えず笑みが浮いている。

 「ふむふむ。仲が良くて結構ですな」

 「ああ、ほのぼのとしてやがるな」

 その様子を少し遠い席から眺めて、ランドリークとシャルディはアルコールの入った飲み物を喉に流し込んだ。

 実にうまそうに。

 「ライムも、男の子なんだね―」

 「そうですね、皇子様だから投げられたとこで終わると思ってたら・・・殴り合うんだもの、すご・・・」

 「いい鍛錬になりました。あれだけ動ければ、たいていの敵ならご自分で対処できるでしょう。その間に敵は私が叩き斬ればいい」

 その言葉にロロホルが顔を歪めた。

 笑おうとしたのかしかめようとしたのか、どちらにせよ失敗した顔だ。

 「ザフィーリはライムジーア様のこととなると甘くなっていかんな」

 しかめようとしたようだ。

 「今に始まったことではないでしょう。ザフィーリはライムジーア様命、の女ですからね。いつでも甘々よ」

 シャハラルは、処置なし、と両手を挙げた。

 「な、何を言う。わ、私は単に事実をだな」

 わたわたと手を振って弁解を試みようとしているらしい上官を見て、二人はニヤニヤと笑みを浮かべている。

 何年もの流浪の日々を、共に生き抜いた仲間ならばこその信頼と友愛が見て取れるような雰囲気が漂った。

 なんにしても。

 面白そうに笑うアマゾネスたち、安心したように笑みを浮かべる護衛であるはずのザフィーリ。一人もくもくと食事をとる騎士。

 誰一人、眉を顰める様子がない。

 カベサコークはじめ、ブラソアルムの部下たちは食事をとりつつも、半ば呆然としていた。彼等の知る貴族階級なら、主人が殴られたりしたらその場で相手を皆殺しにしている。

 まして、相手は継承権の順位は低いがれっきとした皇族なのだ。

 ただでは済まない。

 そう覚悟をしていた。

 目端の利く何人かは、いざとなったらブラソアルムの身代わりとして処刑される覚悟すらしていた。

 それが当の皇子は対等ででもあるかのように、殴り合っていた相手と席を並べて同じものを食い、罵り合っていて。

 その部下たちはそれを平然と眺めている。

 異常だった。

 笑ってしまうほどに。

 ただ、その中にいてただ一人、笑っていないものがいた。

 真剣な顔で何かを考えている者が。

 「もうあきらめていたはずなんだがな・・・。期待しちまうじゃないか、こんな光景見せられたら」

 ふと呟きを漏らしたのは、カベサコークだ。

 その呟きが聞こえたわけでもないだろうが、カベサコークの視線の先でブラソアルムが真面目な顔になってライムジーアに話をしている。

 「ベルグシャンデ騎士団とかいうのに乗っ取られてるこの領地を、本来の領主、ボカムント家の手に返してやるのに協力してくれねぇかな?」

 ちらり、とカベサコークに目を向けて、ブラソアルム。

 ・・・ああ、ボカムント家の嫡男だったのか。

 名前に聞き覚えがあったわけだ。

 報告を受けていたからな。

 悩んでいた謎を解明したライムジーアもまた、真剣な顔で話に耳を傾けた。

 カベサコークの実家であるボカムント家はこの辺り一帯の名士だった。

 ラインベリオ帝国に攻め滅ぼされるのではなく恭順によって支配を受け入れた小国、シレンシュティで近衛隊の長官を代々務めた家柄だ。

 子爵の称号も持ってはいるが貴族ではなく武人。あくまで武をもって知られた家。

 それが、シレンシュティの無血開城を期に没落した。

 王国を守れなかったような者が、武を誇ったところでなにほどのことか。と世間の嘲笑を浴びてボカムント家の名声は地に落ちた。

 これがせめて実働部隊の長であったなら、名は落しても実力を買ってもらえたかもしれない。だが、近衛として王家を守るだけだったボカムントけは実力を評価するような活躍の場を与えられてこなかったのでそれも望めない。

 結果として、ボカムント家は権威を失い。早い段階で主家を見捨ててラインベリオ帝国に走ったベルグシャンデ騎士団が、ボカムント家の領地を牛耳るようになっている。

 正式に帝国から代官に任じられた、というわけではない。

 実戦経験に乏しいという点では五分五分だったこの騎士団は、帝国軍に見向きもされず、『帝国領内の治安維持に努めよ』、というあるんだかないんだかわからない職務を与えられて放置されているのだ。

 なので、この騎士団の長は旧シレンシュティ領に戻り、最も力を失っていたボカムント家の領地を半ば占領して私腹を肥やしている。ボカムント家の現当主は、そのことに文句も言えず、家にこもる日々を送っていた。

 カベサコークは、そんな父親に我慢ならず、15のときに家を出た。ホームレスの少年となり家から持ち出した財産で食いつなぐだけの人生を送り始める、そしていよいよ犯罪にも手を染めようかというとき、ブラソアルムと出会って立ち直った。

 商店から食い物を盗もうとしたところを見つかって殴られたのがきっかけだ。

 一発で気を失い。気が付いたらブラソアルムが友人たちと屯する小屋に寝かされていた。

 目を覚ました自分に、衒いなく差し出された野菜くずのスープ。薄味で、美味いとはお世辞にも言えないその味を、しかしカベサコークは生涯忘れない。

 その日から、彼もまたブラソアルムの取り巻きの一人になった。

 ブラソアルムとつるむようになって、カベサコークは自分の悩みや苦悩が、実は何の価値もないくだらないエゴに過ぎなかったことに気が付き。そういったものはすべて捨てた。

 腕力自慢の者たちが多い中、貴族となる教育を受けていた彼はブラソアルムの頭脳として彼の考えや思いを実現させ、加速させる手立てを考える役目を自分に課してきた。

 その結果が、この駐屯地の隊長職をブラソアルムのものにしたことであり、千人からの兵を集めることだった。

 ボカムント家に領地を取り戻す。

 ブラソアルムはそうカベサコークに言っていた。

 何度も不可能だとカベサコークは言ったにもかかわらず、やって見せるさ、そう請け合ってくれていたのだ。

 無理な話だった。

 どんなに兵を集めたところで、できるものではない。

 なにか、政治的な後ろ盾がなければ。

 でも、もしも、千を超える兵がいて、末席とは言え皇族が口を利いてくれるなら?

 もしかしたら、できるのだろうか。

 不可能だと自分に言い聞かせ続けていたが、実現するのかもしれない。カベサコークは自分の中で血がたぎるのを感じた。

 ・・・いや、無理だ。

 『産まれてきちゃった皇子』なんだぞ、あれは。

 「なぁ、ライムジーア。このバレンムートの街を牛耳ってる奴らを倒して、カベサコークの親父さんに領地を治めさせるのに手を貸してくんねぇか?」

 そりゃ無理だ。諦めろ。

 だろ?

 そっとライムジーアに視線を向けるカベサコーク。

 それなのに、ライムジーアはちらりとカベサコークを見やって口を開いた。「そんなことなら、容易いことです」、と。

 「うそだ! できるわけない!」

 思わず、カベサコークは叫んでいた。


 情報力の差が、戦力の決定的な差になる。

 情報社会に生まれて育ち、そして死んだ僕にとって、それは自明のことだ。

 しかし、この世界ではいまだに腕力の強い奴が生き残る、そんな力の論理が物事の根底を支えている。

 カベサコークが「できるわけない!」と叫んだのも、その考えが常識として染みついていたからだ。

 力で押さえつけられていれば人はその力に従うもの、と。

 この世界では、まだ『フランス革命』は起きていないのだろう。

 押さえつければ押さえつけるほど、不満は根強く民衆の心に根を下ろし広がっていくものだ。そして、押し込められた圧力はやがてエネルギーを放出せずにはいられなくなる。

 押し込められた大陸プレートが弾かれて地震が起きるように。

 市民を追い詰め続けて爆発されたら、その数は軍を軽く凌駕する。ましてそれが、ミサイルなどの近代兵器があるのではなく。剣での支配であるならば、命を捨てて歯向かう民衆を止めるすべはない。

 ボカムント家の領地に限らず、地方都市の守備隊や駐留軍の多くはその領地を統べる領主から給料をもらっている。この給料とは、言うまでもなく街の市民から徴収された税金から支出されるものだ。

 したがって、兵はすべて領内の市民とは家族同然の関係を築いているのが理想だ。

 日本のお巡りさんのように。

 そうでなければ、ちょっとした失態でもあろうものなら、「給料泥棒」と罵声を浴びることになる。

 平和な日本でなら、それで済むが。こんな戦乱の世では、そんなことで収まるわけがないのだ。それなのに、ボカムント家の領地を占領した騎士団。それも幹部たちにとっての市民とは搾取し支配すべき奴隷でしかなかった。

 領地の実権を奪うまでは、『力なきボカムント家に、従っていていいのか』『ボカムント家の支配から逃れて、もっと自由な暮らしを手に入れるのだ』などと宣伝して市民の味方ぶりを強調した。

 だが、ひとたび実権を奪うや、税金を上げ、市民への支配をあからさまにした。

 それでも、占領したばかりのときには遠慮があった。

 多少は市民の声にも耳を傾けていた。

 しかし、支配から数年もたつと、そんなものはなくなった。

 心ある騎士団員は、自ら身を隠すか仲間に殺されるかしてベルグシャンデ騎士団から姿を消し、残った者たちは悪行に磨きをかけていく。

 そうして数年が過ぎた今、街中では無法者と化した騎士団員が若い娘を見つけると平然と酒の相手をさせ、簡単に押し倒すようになっていた。中には、夫や子供の前で組み敷かれたりとか、婚約者の前で犯された。そんな女性もいたという。

 むろん、領内の住民も唯々諾々と支配を受け入れたわけではなかった。

 税は値上げされ、騎士団員が飲食店で飲み食いしても支払いはなし、嫁入り前の娘も、子連れの母親も女はお構いなく慰み者にされた。あまりの暴虐ぶりに、怒った住民たちがボカムント家の邸宅に押しかけた。

その中には、大きな商店の店主や、街のまとめ役のような長老、広大な土地を有する地主などの有力者もいた。

 そんな人たちが、武器を持っているはずがない。

 ただ陳情に行っただけだった。

 ボカムント家が収めていた間には、こうして領民が領地運営に意見や苦情を言う権利が認められていたので、その権利を行使しただけのことだった。

 それが・・・。

 邸宅への門が開いた時、そこにいたのは完全武装の騎士だった。

 槍を構えて整列している。

 「こ、これは!?」

 驚いて、一歩引いた。

 そのとき、「射よ!」。命令とともに数十の矢が、有力者たちの身体に突き刺さった。

 「なっ、なにを!?」

 「ひぃいいいぃぃぃぃぃ!???」

 「逃げろ、逃げろ! 殺されるぞ!」

 まさかいきなり殺されるとは思っていなかった彼らは混乱して逃げ惑った。

 そんな騒ぎがあったあと、一度だけボカムント家当主フェナシオン・ボカムントが街に出かけたことがある。

 「騎士団をお止めください。私ら、生活が立ちいかなくなります」

 ベルグシャンデ騎士団とは別の護衛を連れていた彼に、街の人が窮状を訴えた。

必死の訴えだ、悲痛な声だった。

 それに応えたフェナシオンも悲痛な声を口から吐き出した。

 「私にはもう、何の力もない。あの騎士団に支配されることを望んだのはおまえたちだ。役立たずの私を捨て、彼等に尻尾を振ったのはおまえたちだ。いまさら、泣き言をいうものじゃない」

 冷然と突き放された領民は、言葉もなく立ち尽くした。

 ベルグシャンデ騎士団が領内に入ってきたとき、歓呼の声を上げで歓迎した群衆の中に、彼もいたのだ。

ボカムント家の指揮下で街を守っていた兵たちに、ボカムント家に味方しないよう働きかけて、抵抗する力を奪ったのも彼等自身だった。

 望んだつもりはなかったが、目の前にいるボカムント家当主を見限って、ベルグシャンデ騎士団を受け入れたことは事実だった。

 「あー、そうだ。・・・一つ教えておこう。この街で、ベルグシャンデ騎士団が人を殺したのは、先日の騒ぎが初めてではない。お前たちが街の城門を開けたその日、私の家内が殺されている。招かれざる客の接待中にな・・・どんな死に方だったか、聞きたいかね?」

 「・・・!?」

 領民の男は息を呑んでうなだれた。

 アドミラーゼ・ボカムント。領内の人々に愛された、美しくも慈悲深き夫人。フェナシオンの寵愛ぶりはつとに有名で、領内の婦人たちは夫と喧嘩するたびに引き合いに出したものだ。

 その夫人が死んだ。

 どんな死に方だったかなど、聞きたくはなかった。

 「わかったかな? 私に苦情を言うのは筋違いだ。文句があるなら、ベルグシャンデ騎士団のほうが私よりマシだと判断した、自分たちを呪うがよい」

 このやり取りは、瞬く間に領内全体に伝え広まった。

 領内の市民たちは、自らの不明を顧みて「時間が戻るなら・・・」とつぶやくことが増えていった。ボカムント家は統治はしたが、支配などしなかったから。

 騎士団の兵に逆らって殺された者がいた。

 殺されそうになって、犯されそうになって、犯された後で、刺し違えた者もいる。

 組織的な抵抗や反抗を企図して同志を集めようとした者もいる。集まったところで十数人。その段階で潰されること数回。すぐに、組織的抵抗の芽は打ち消された。

 領外に助けを求めようとした者もいた。

 だが、周辺の領主たちは自分の領地のことで頭がいっぱいで、よその領民の声に耳を傾けるような余裕など持っていなかった。

 このときまで、バレンムートの領民たちは知らないことだったが、旧シレンシュティ王国の所領は、どこも似たようなものであったのだ。ボカムント家の私兵の働きや領主の巧みな誘導のおかげて、他の領地からすれば天国といえるほど平和ですらあった。

 それらの事情を知った領民たちは今や、全員がボカムント家の統治に戻ることを願っている。

 ライムジーアが「容易いこと」と言い切ったそれが所以だ。

 領内にいる圧倒的多数がボカムント家の治政を求めている。なら、それを邪魔する因子を除けばいい。

とはいえ。なにも、領民を扇動して反乱を起こさせようというわけではない。

 ただ、見逃してもらう、というだけのこと。

 「ふ、ふっ・・・ふふーん」

 不思議な抑揚の鼻歌混じりに、少女が歩いていく。

 なにか楽しいことでもあったのか、弾むような足取りで。

 周囲の家々から、もの言いたげな視線が向けられているが、気付いているのかいないのか。無防備に歩いていく、と突然歩く方向を変えた。

 友人の家が近いのか、路地の中へと消えるように。

 だが、その先は袋小路だった。

 何軒かの家に囲まれ、どこに行くこともできない空き地があった。家を建てるのは無理でも、ささやかなガーデニングには十分すぎる広さがある。

 「あれ? 行き止まりだね―。困ったぞー」

 ちっとも困っていない口調で少女が呟く。

 「お困りかい? お嬢ちゃん」

 少女の背後に、数人の影が差した。

 鎧を着こんだ騎士らしい装備、なのに顔は盗賊以外のものには見えない風体の男たち。

 酒精と色欲に濁った眼が少女を捕らえ、ペロリ、やけに赤い舌が唇を舐める。

 「・・・っ」

 初めて、少女の顔に笑み以外の色が加わった。

 嫌悪感だ。

 ザンッ!

 ものも言わず、一歩踏み出した少女。

 「なんだぁ?」

 後ろの男たちが、奇妙な行動に頭を傾げ、先頭にいた男は茫然と立っている。その足元に、赤い液体が滴った。

 手首まで血に染めて、ナイフを突き刺している。

 「て、てめっ!?」

 後ろにいた者たちが事態にようやく気付いて、剣を抜こうとするが・・・。

 「遅い」

 ボソッと吐き捨てた少女の手が左右に振られて、左右にいた男が、首から血を吐いた。

 「この!」

 剣を抜いて、残りの三人が斬りかかってくる。

 少女はその斬撃を最初の男を盾にして受け止め、転がるように右へ。起き上がりざま、近くにいた男の膝に蹴りを入れた。バランスを崩した隙に、ナイフの刃を股間に滑らせる。

 「ふぎょぁ!?」

 奇妙な悲鳴を上げて、男は仰け反った。

 そのときにはもう、少女は次の獲物にとびかかっていた。

 頭を掴むと、上体を軽くゆする。

 ゴキン!

 鈍い音がして、男はそのまま崩れ落ちた。

 最後の一人は・・・真っ赤に染まったナイフを首から生やして、すでに事切れている。

 「こんな感じかな?」

 首を折った男から飛びのいて、少女は何事もなかったような様子で頭を掻いた。

 「すごっ・・・すごいです。フファルさん!」

 少女はフファルだった。

 「さすがというべきでしょうか、相手の練度が低すぎるから当然というべきでしょうか」

 リューリが目を輝かせている横で、ザフィーリが渋めの評価を口にする。

 「うん、当然ってことにしておいて。こんなの倒して褒められると、馬鹿にされてるとしか思えないし」

 「ですよね。・・・ライムジーア様。この程度の相手であれば、問題にもなりません。手分けして仕留めればよろしいかと」

 フファルと話したザフィーリがライムジーアに身体ごと向き直った。

 その背後で、ランドリークが騎士の装備を身包み剥いでいる。

 ほんとに追剥だなこりゃ。

 「ブラソアルムんとこの奴を二、三十人ずつ付けてやりゃ死体の処理も簡単だろうさ」

けらけらとシャルディが笑う。

 たった今六人殺したという意識はないのか?

 ・・・ないんだろうなぁ。

 僕自身平然としてしまっているし。

 「わかった。ザフィーリ、ロロホル、シャハラル、フファル、リューリで手分けして掃除を始めてくれ。ブラソアルム、手伝いを頼むよ」

 「おお。手伝いっつったって、死体運びだろ。そんなのは簡単だ、任せろ」

 陰気になりがちか任務だが、ブラソアルムは陽気に胸を叩いている。精神に異常があるんじゃないかという気もするが、仕事さえこなしてくれれば文句はない。

 まぁ、笑いながら人を殺せる女の子がいっぱいいる現状で、陽気すぎるから精神異常と切って捨てるわけにはいかないというのもある。

 「よろしくね、プラム」

 フファルがブラソアルムに抱き付いた。

 ・・・惜しい。

 胸がないので、顔は埋まらな・・・と!?

 フファルの目に殺気が宿ったので、慌てて思考を切り替えた。

 ・・・ブラソアルムも、果物になってしまったようだ。

 ふぅ。

 これなら考えても殺されない。

 「ぷ、プラム? お、俺のことか?!」

 目を真丸くしてブラソアルム。

 なにか言おうと口を開くのを見て、僕は肩に手を置いて止めた。

 「・・・諦めろ」

 耳元に顔を近づけて言ってやる。

 それが友情というものだろう。

 「周辺の住民たちは、見ても見ぬふりですな」

 ランドリークが周囲に視線を走らせると、住民たちは何気ない風を装って視線を逸らした。気にはなるが、あえて騒ぎ立てて関わり合いになろうとはしない。

 この五年で身に染み付いた処世術といったところか。

 「手伝ってもらおうとはそもそも考えてない。騒ぎにしないでくれさえすれば、それでいいさ」

 「そうですな」

 不承不承、ランドリークも認めた。

 「では、はじめよう」

 「はいっ!」


 翌日から、ベルグシャンデ騎士団の団員が街中から消え始めた。

 酒を飲みに行った先から、娘を追いかけて上がり込んだ商家から、税金を徴収に出た先から、誰一人本拠地であるボカムント家の邸宅に戻らなくなったのだ。

 そのことに騎士団の団長が気付くのに数日かかった。

 「何が起きている!?」

 気付いたのは、戻っているはずの税金の徴収担当兵が戻っていなかったからだった。

 部下たちがどこで何をしているか、そんなことにはまったく興味のないベルグシャンデ騎士団の団長でも、税金の帰りは待ち遠しかったと見えて、いらいらと怒声を張り上げた。

 「ど、どこかで税の支払いを渋った者でもいるのではあ、ありませぬか」

 部下たちが八つ当たりを避けようと姿をくらます中、逃げ遅れた幹部が、必死に弁解をしようとした。が、できなくなった。

 頭と胴が離れてしまっては弁明もままならない。

 「ちっ、役立たずめ!」

 転がった首に吐きかけられた唾は強烈なアルコール臭を放っていた。

 この地を占領してから、一度も素面だったことはないと言われる泥酔ぶりが、行動に顕著に表れていた。

もはや、判断力そのものを失いつつあるのではないだろうか。

 そう感じた幹部もいなかったわけではない。

 ただ、そう感じた幹部たちもまた、まともな判断力をなくしていた。

 領民の歓迎を受けて、占領した。

 領民どもにはすでに恐怖を教え込んで反抗を抑えてある。

 領民どもは支配を受け入れるだけの家畜に過ぎない。

 どこかで何者かに襲われたのであれば騒ぎになるはずだが、そんな話は聞こえてこない。

 そう考えた時、出る結論は?

 「兵士どもが裏切っている!」だった。

 幹部たちは配下の兵を招集した。すでに元々の数の半分にも満たない兵だ。

 自分たちの分け前が減るので、人数が減ってもわざわざ補充しようとした者はいない。

 売り込んでくる者はいたが、全財産と、それ以外のすべてを失うだけであったので、近付いてくることすらなくなっていた。

 ここ数日で、そこからさらに半数に減っている。

 集まる間に、その数はさらに半減した。

 地方都市に存在する戦闘部隊には、明確な基準が設けられている。

 地方の州が持つことのできる軍団の数はその地方が帝国政府に収める税金の金額により、三つから最大七つまでが認められていて軍団の最大戦闘員数は五千まで。それを支える事務方が千までで六千を最大と定められている。

 それとは別に領主たる身分の者が持つことのできる騎士団の総数は三千を超えてはならず、街単位で組織される守備隊は千五百まで、自警団を名乗るものは五百までだ。

 だから、このバレンムートを支配しているベルグシャンデ騎士団も、はじめは三千だった。支配を始めて一年足らずで一割が姿を消している。その後の数年でその数は四割となり、残った六割の半分がここ数日のうちに行方をくらまし、その半分が本拠地に集められるまでに消えた。

 なので、ボカムント家の邸宅に集まったのは、三百と少し。

 その兵士たちに、幹部たちは疑惑の目を向けた。

 「この中に裏切り者がいる!」

 「それとも、お前ら全員反逆を企てているのか!?」

 証拠があるわけでもない、決めつけだけの尋問。

 市民への暴虐ゆえにたがが外れている兵たちが、黙っているわけがなかった。

 たがいに剣を抜くまでに数分。

 十分経ったとき、そこは敵味方もわからぬ殺戮現場へと姿を変えていた。

 三百と少しが二百に、二百が百になるのに時間はかからなかった。

 生き残った者たちが血に濡れた剣を下げて荒い息をついたとき、立っていたのは四十人程度。

 「お疲れ様ー」

 陽気な声を上げて踊りかかるフファルとリューリ。

 「・・・」

 無言で長剣を振るうザフィーリとその部下。

 四十人は二十人になり、その二十人は捕らえられた。

 バレンムートの住人なら、知らぬ者のない顔。ベルグシャンデ騎士団の団長以下の幹部たちが数人、その中には混ざっていた。

 ベルグシャンデ騎士団を毒蛇に例えるならば、毒蛇の身体は切り刻まれ、頭は衆人環視の中で潰すためにのみ、残された。

 『掃除』の締めは、実にあっけなく幕を閉じた。

 幕後の挨拶を除いて。

 数年に及んだ支配から、バレンムートはこの日、解放されたのだ。


 「・・・こんな・・・こんな、簡単に・・・・・・?」

 うつろな声が漏れた。

 二年ぶりに実家の門をくぐったカベサコークは自分の見ているものが信じられなかった。

 強大で凶悪だったはずだ、反抗は死を意味していたはずだ。

 恐怖の権化だった。

 それが、ライムジーアたちと出会ってわずか数日の間に消えてしまった。

 残っているのは死体。

 それと忌まわしい過去の記憶。

 魂の抜けた顔で座り込んでいる悪魔ども。

 「八割がたは自滅だよ。僕は最後の一押しをして滅亡を加速させただけだ」

 死臭をなるべく無視しようと努めるライムジーアの口調はそっけなかった。

 そもそも、ここバレンムートの現状バランスがひどく不安定であることはザフィーリの部下たちの報告で知っていた。

 ただ、こうして撃破するとしても、この地での行動を正当化してくれる後ろ盾がないと母や兄たちの注意を引いてしまうのは明らかで、二の足を踏んでいたのだ。

 カベサコークがバレンムートの領主の子息だと知り、ベルグシャンデ騎士団を何とかしたいと考えていると分かったから手を貸す気になった。これがなければ、候補としては残しつつも、もっと穏便に進められる他の『掃除』を優先しただろう。

 「ひはっ・・・ひっひひひひっ・・・馬鹿どもが。俺たちにこんなことをしてただで済むと思うのか?」

 「俺たちは帝国中央軍に正式に認められている騎士団だ。それを潰すとは、反逆罪だぞ!」

 「今ならまだ許してやる。俺たちに跪いてわびろ。命だけは助けてやらんでもない」

 死に残った幹部どもが、嗤い声を上げた。

 人とは思えぬ醜い嗤い顔に我慢できず、ザフィーリが殴りつけている。

 「そうだ・・・こんな騒ぎを起こしたと知られたらどうなるか」

 仮にも帝国軍に治安維持を委ねられた騎士団が一つ消えたのだ。

 簡単に済む話ではない。

 カベサコークは震える手を胸元で組んでうろうろと歩き回り始めた。場合によっては帝国軍に反逆の疑いをかけられる可能性もある、と気を揉んでいる。

 それに対して、ライムジーアは「何を言っているんだ、こいつは?」という顔をして見せた。初めて会ったときのカベサコークの表情をまねたのだ。

 「なにか問題が起きましたか? ベルグシャンデ騎士団の幹部が突然引退して、騎士団の兵員も大量解雇。若返りがはかられた・・・だけのことでしょう? 領内での騎士団の運用は領主の自由裁量が認められているんだから、何の問題もない」

 「!!」

 ハッとした顔で、カベサコークが顔を上げる。

 その顔に、徐々に理解の色が広がっていく。

 「そういう・・・こと、か!」

 「そういうことです。ベルグシャンデ騎士団の名前が残るのは不快かもしれませんが、しょせんは名前。じきに慣れるでしょう。『古いラベルのビンに新しい酒を』ですね。飽き飽きした酒瓶でも、中身が違うなら、飲む人間に文句はないでしょう?」

 「ベルグシャンデ騎士団をなくすわけにはいかないのてすか?」

 ザフィーリが意外そうな顔で聞いてきた。

 その問いにライムジーアは重々しく頷いた。

 「ベルグシャンデ騎士団は本人たちがどう思っていたかは知らないけど、実質的には帝国軍の工作兵だ。旧シレンシュティ王国の領地から搾取しつつ、反抗できない状態にしておくためのね。それがなくなったことが表面化すれば、帝国軍は別の手立てを打つだろう。どんな策かはわからないけど、ロクなものじゃないことは間違いない。それを避けるには、ベルグシャンデ騎士団による搾取は続いている、と思われていた方がいい」

 「相変わらず、坊ちゃんはそう言うことになると鋭いですな」

 茶化すような口調のランドリークも、今回ばかりは目が真剣だ。

 ・・・それは僕もだけど。

 「帝国軍駐屯地はブラソアルムの友人にでも任せて、ブラソアルム本人を騎士団の団長に押し上げる。で、カベサコークは参謀役として運営をすることだね・・・御父上が以前のように領主の役割を果たすことができるなら、だけど・・・どう?」

 できないようなら、領主の役にカベサコークを立てなくてはならなくなる。

 「そ、それは・・・」

 自分にも父親にも、自信がないのだろう。カベサコークは目を泳がせ、口ごもった。

 「以前のように・・・といわれると無理だというしかないが。領主の役を演じるだけでよいなら、こんな抜け殻にでも務まりましょう」

 邸宅の方から、ゆらり、と姿を見せた初老の男性が、乾いた笑い声を上げた。

 「親父・・・!?」

 カベサコークが息を呑んで後退る。

 蝋人形館のゾンビのような男が、そこに立っていた。

 親父、と呼ばれたところを見ると、この人がボカムント家の現当主フェナシオン・ボカムントなのだろう。

 「頼めますか?」

 僕は、ある確信を持って問い掛けた。

 この顔には覚えがある。

 「皇子、あなたには借りができた。この借りを返すまでは、働かせていただこう。なに、あの者たちにできたことぐらいはして見せるとも」

 気のいいおっさん、のような微笑。

 そのくせ、目は完全に死んで淀んでいる。

 「時が来れば、楽にさせてくださるでしょうな?」

 洞窟の奥から響くようなうつろな声。

 僕はうなずいた。

 「僕の代わりに、別の者が、その役を担うでしょう」

 いずれ、中央に見咎められて断頭台に送られるだろう、という意味だ。

 それを分かった上で、フェナシオンはにっこりと笑った。

 清々しさすら感じさせる表情で。

 僕にはわかった。

 この人の精神はすでに死んでいる、と。

 それでも、本人が言うように、あと数年、領主の役を演じることぐらいはできるだろう。

 「では、よろしく」

 「・・・それは私の言葉のような気もするがね」

 フェナシオンは一つ頷くと、邸宅へと戻っていった。

 何年かぶりの執務室で、それこそ、大掃除をするのかもしれない。

 「ライムジーア様。今夜のお食事は何になさいますか?」

 死体が散乱している中、落ちてる腕や足、あちこちに散っている血だまりを縫うようにして歩いていながら、普段通りの歩調を崩すことなくシアが寄ってきて聞いてきた。

 ・・・絶対、普通のメイドじゃないよな。この子。

 いや。もちろん、それを知った上で側に置いてるわけなんだけど。

 「肉だけはなしで頼むよ、あと赤ワインもなしね」

 「わかりました。ではメインはお魚にしましょう。調理場によさそうな干物が置いてありましたし」

 ポン、と両手を合わせてシアが微笑む。

 そのまま一礼すると、お花畑を散策するような足取りで戦場を抜けて行った。

 ・・・普通の振りをしたいんなら、もう少しなんとかならないものかな?

 わざとか? それともこんなところでもドジってしまう天然さんなのか?

 謎だ。

 夕食はおいしかった。

 僕の味覚を完全に網羅しているシアだけのことはある。

 午後に飽きるほど嗅いだ死臭を想起させない爽やかな香りづけ、多分干物をさらに軽く燻したのだろう。

さっぱりした塩味のスープ。

 最後に蜂蜜とレモンを加えた紅茶。

 荒れていた感情がほっと息をつく。

 持つべきものは気の利くメイドかもしれない。


 ところで、実際にはフェナシオンに執務室の大掃除をする暇はなかったようだ。

 その日から大車輪で働き詰めに働かなくてはならなかったからだ。

 まず、捕らえたベルグシャンデ騎士団の元団長以下の幹部たちの処刑が行われた。ボカムント家の所領に属する各街に布告をしたうえでのことだった。

 規模は小さいが、各街の指導的立場のものには確実に届くような形で、布告を行う。

 もう悪夢は終わったことを知らしめるためだ。

 そうでなければ意味がない。

 罪人は、楽な死に方をさせてもらえなかった。

 両手足の指が、一本ずつ。

 腕は手首と肘、そして肩と三度に分けて。

 足は足首と膝、太ももで。

 鼻と耳がそぎ落とされ。

 歯が一本ずつ抜き取られた。

 そして目がくりぬかれる。

 身体には、致命傷とならないよう慎重に刺し込まれた槍やナイフがびっしりと生えた。

 そして、ゆっくりと、死ぬのを待たされた。

 「殺してくれ!!」

 そう哀願するのを、市民たちは静かに見守った。

 彼等のように、そんなものを見て愉しむような精神はしていない。

 だから笑いはない。

 愉悦もない。

 ただ、罪人どもの流す血が、涙が、そして絶叫と悲鳴が、澱のようにたまり続けていた負の感情を洗い流してくれる。

 そんな気がして、見つめていた。

 忘れたくとも目と心に焼き付いてしまった血の色の記憶を封印して、新しい未来に歩み出すための、それは儀式だった。

 犠牲となった人々の慰霊のための儀式も行われた。

 まともな弔いさえ許されていなかった弔いが、街を上げて執り行われたのだ。

 その中には、フェナシオンの妻、アドミラーゼ・ボカムントも含まれていた。

 ベルグシャンデ騎士団が再建される意味と理由とが説明され、この事実は決して帝国中央に知られてはならないことが告げられた。

 人々は誰一人、異議を差しはさまなかったという。

 そして、復興が始まる。


 「思いのほか早く、拠点が手に入ったな」

 ボカムント子爵家の所領にある五つの街の一つ、ラティマ。所領においては南端の街だが、そのさらに南、他の州との境に打ち捨てられた砦がある。

 いま、ライムジーアはそこにいた。

 拠点というのは、この砦のことを意味するのではない。

 ボカムント家の所領のことだ。

 いざとなったとき、身を寄せることのできる場所があるというのは、根無し草のライムジーアたちにはとてもありがたい。

 ライムジーアたちは、ベルグシャンデ騎士団の元幹部たちを捕らえた直後に、街を出ていた。目立つわけにはいかなかった。

 この件にライムジーアが関与したという事実を、知られたくなかったのだ。

 誰にも。

 「今ごろ、ボカムント家ではカベサコークとブラソアルムとで、ベルグシャンデ騎士団の再建に取り組んでいるのだろうな」

 セグロヒャーズィ駐屯地の人員を最低数の50にして、残りの二百六十を騎士団の中核として入団希望者を募り、訓練をする。

 数年はかかる大事業だろう。

 なので、シャルディを軍事顧問として残してきた。

 頼りになる友人と別れるのには勇気と決意が必要だったが、これは仕方がなかった。

 軍事顧問として残すとしたら、彼かザフィーリの部下たちかだ。

 プラム・・・ブラソアルムに一目置かれているのは、やはり彼だろう。

 そして、なにより、リザードマンの彼は連れて歩くには目立ちすぎる。

 以上のような理由から、彼を選ぶほかなかった。

 『やれやれ、ようやく坊ちゃんを一人で歩けるとこまで育てたと思ったら。またオムツ穿いたガキどもからやり直しかぁ。めんどくせえ』

 なんてことを言いながら、僕の頼みをシャルディは受け入れてくれた。

 立派な騎士団を作ってほしい。

 いつかきっと必要になる、僕のために。

 夕焼けが、やけに目に染みて、僕は瞳を閉じた。

 

 さて、次はどっちに進もうか。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ